4. グラスハーン家 1
ガラガラと車輪の音を立てて、馬車はアーチ型の門を潜ってリンドングラン領領主の館の半分ほどの大きさの家の前に到着した。
膝の上でギュッと手を握りしめている美月の拳を、ドナヴァンはポンポンと叩いて力を抜かせようとするのだが、あまり効果はないように見える。
「ミッキー、そんなに緊張しなくても俺の両親は取って食ったりしないよ?」
「それは判ってるけど・・・」
でも心配、と美月は小さく口の中で呟く。
外から護衛として来ていた騎士の1人のカイルが馬車のドアを開けると、ドナヴァンは先に降りて美月に手を差し伸べる。
その手を取って足元に気をつけながら馬車を降りた美月は、手を握ったままくるりと家の玄関に向かって歩き始めたドナヴァンの手を強く握りしめた。
それだけで彼には美月の緊張度が伝わったようで、彼女の手を握り返す。
ハッとして顔をあげると、ドナヴァンが少し心配そうな表情を浮かべているのが見えた。
「大丈夫・・・多分」
「そうか?」
「・・・うん」
ドナヴァンと一緒になってすぐに、そのうち両親に会いに行こうと言われていたのだ。
それが今日だっただけにすぎないのだ、と美月は自分に言い聞かせる。
「みんな美月の事を気に入ってくれるよ」
「そ、かな・・・だといいけど・・・」
「大丈夫。だからそんなに緊張するな」
そう言い聞かせても彼女の緊張を解す事はできないだろうな、と判っているドナヴァンは苦笑いを浮かべながら美月の肩をそっと抱き寄せる。
そんな苦笑交じりのドナヴァンに美月はなんとか口元に笑みを浮かべると、2人が向かっているドアに視線を向けた。
玄関の前には年配の男性が1人と3人の女性が頭を下げた状態のままで立っているのが見える。
あれは誰なんだろう? と美月がちらり、と視線をドナヴァンに向けた時、バタンと大きな音がしてドアが開いた。
大きく開かれたドアの向こうから現れたのは、真っ赤な髪を頭の上に結い上げた女性だった。
「や〜っと到着したのね。もう待ちくたびれちゃったじゃない」
「やっと、と言われても予定通りの到着だよ」
「そこをなんとか急いでくるのが親孝行ってもんでしょ? まったく、ホント気が利かない息子なんだから」
息子、という単語でどうやら彼女がドナヴァンの母親なのだと判ったようなものだが、腰に手をあててジロリと睨みつけている彼女はどう見てもドナヴァンのような息子がいるように見えない。
プゥッと頬を膨らませた顔は少女といってもおかしくないように見えるのだ。
「とにかく、文句は後で聞くから中に入ってもいいかな? 彼女を休ませたいんだ」
「あら? そうね、5日間の旅だもの、疲れてて当然ね」
今気づいたと言わんばかりの表情でドナヴァンに肩を抱かれている美月に視線を移した。
「初めまして、私はルルーシア・グラスハーン。ドナヴァンの母親よ」
「は、初めまして。ミツキ・オオモリ・グラスハーンです」
「息子から聞いているわ。ミッキーって呼んでいい?」
「はい。美月って言いにくいですよね。申し訳ありません」
「あら、そんな事謝らなくていいのよ。ちゃんと発音できない私が悪いんだから。うちの馬鹿息子はちゃんと言えるみたいだから、私もそのうち言えるように練習するわね」
美月という名前はこの世界らしくない名前だから言いにくいのだと美月自身判っているから特に気にしていないのだが、それでもそう言ってもらえると気を遣ってくれているんだなと判る。
それだけで美月の緊張が少し解れた。
「とりあえず部屋を用意してあるから、荷物を置いてきなさいな。そうね・・・2時間ほど休んだら夕食にちょうどいい時間だから食事をしましょうね。それから、そうね・・・そのあとでお茶でもしましょう」
「すみません、気を遣ってもらって」
「いいんだよ。こっちは長旅してここまで来たんだから。それより少しは休まないと疲れが溜まっているだろ?」
慌てて頭を下げる美月の肩をドナヴァンはポンポンと抱き寄せている手で叩く。
「部屋って、俺の部屋がまだ残ってるのか?」
「まさか。ある訳ないじゃない。だから客室を2人に用意してあるわ。案内してもらってね。じゃあ、エリプトン。後はよろしくね」
「はい。かしこまりました」
どうやらドナヴァンが以前使っていた部屋はもうないらしい。
小さく溜め息を吐いて、ひらひらと手を振って中に入る母親を見送ってから、ドナヴァンは目の前にいるグラスハーン家の執事をしているエリプトンを見た。
「お部屋は2階に用意してあります。こちらのアマリーアに案内させますので、ついていってください」
「判った。頼むよ」
ドナヴァンは小さくエリプトンに頷いてから、並んでいる3人のうちの前に出てきた16−7歳に見える深緑の髪をした娘に声をかけた。
アマリーアという娘は小さく頭を下げてから2人を先導するように歩き始める。
そんな彼女の後ろをドナヴァンは美月の肩を抱いたままついていった。
お茶を用意するというアマリーアに、水差しだけ用意してくれればいいと、チラリと視線を部屋の壁の方に向けてドナヴァンは断った。
そんな彼の視線の先にはソファーに腰を下ろした美月がいる。
ドナヴァンは部屋から出て行くアマリーアを見送ってから、水差しから水を注いだカップを手に美月の方へ行きその隣に座った。
「少し飲むか?」
「ん? 大丈夫よ?」
「まぁ、そう言わずに少し飲んだ方がいい。旅行中もあんまり飲まなかっただろ? 水分摂取が足りないぞ」
「そぉかな? ん〜・・・判った」
少し頭を傾げたものの、美月は素直にドナヴァンが差し出すカップを受け取った。
「疲れただろ? もしこのまま寝たいんだったら、夕飯は食ってもお茶は明日まで待ってもらうぞ」
「でも、お義母さんに失礼じゃないの?」
「いいんだよ。勝手に向こうが都合を押し付けてきただけなんだから。俺としてはミッキーが体調を崩す方が心配だ」
「大丈夫よ。ドナヴァンは心配性なんだから」
ふわっと口元に笑みを浮かべて隣に座る彼を見上げた。
彼はいつだって自分を優先してくれる、と美月は思う。
それを申し訳ないと思うと同時に、その優しさがくすぐったいほど嬉しい。
「緊張しすぎて疲れたんだろ?」
「ん、そうだね」
カップの水に口をつけると、思っていたよりも喉が渇いていたのかあっという間に飲み干してしまった。
「もう少し飲むか?」
「ううん、今はいいかな」
「あっちで少し寝てもいいぞ?」
「ん〜・・・大丈夫。今寝ちゃったら夜に寝れなくなるもの」
ドナヴァンの視線を追うと、その先には天蓋付きの大きなベッドが置いてあるのが見える。
「えっと、ここってドナヴァン用の部屋?」
「いや、俺たち2人用の部屋だ」
「って・・・」
「別に部屋を分ける必要ないだろう? 夫婦なんだから一緒に寝るのが当たり前だ」
「そっ・・・そりゃそうだけど・・・」
家でも一緒に眠っているのだから、そう言われると何も言い返せない。
けれどドナヴァンの実家で2人で一緒に眠るというのはちょっと抵抗がある。
「寝室を別に分ける方が心配かけるぞ?」
「・・・判った」
確かに彼のいう事に一理ある、と美月が眉間に皺を寄せたまま頷くと、ドナヴァンがぷっと小さく吹いた。
「ドナヴァ〜ン・・」
「悪い」
ちっとも悪いと思っていない、と美月は思いながらも彼を見上げて睨み付けたところで、ふと思い出したように立ち上がりかけた。
しかし、ドナヴァンにしっかりと腰を掴まれてまたソファーに座り込む。
「どうしたんだ?」
「コットンとミラの事、忘れてたっっ」
「あぁ、大丈夫だ」
「でっ、でもっ」
「2匹のバスケットはベッド脇の足元に置いてある」
「へっ?」
慌ててベッドの方に視線を向けると、ドナヴァンの言う通りベッドの脇にコットンたちが入っているバスケットが置かれていた。
「・・・いつのまに」
「ミッキーが惚けている間に、旅装の入ったトランクと一緒に運んでくれたよ」
「・・・・そっか」
そんな事にも気づかなかった、と小さく呟く彼女を抱き寄せて、ドナヴァンは美月の頭にキスを落とす。
「疲れてたんだろう。ぼんやりしてたからな」
クスリと笑われて美月はジロリと彼を睨み付けたが、ドナヴァンはそんな彼女の頭をポンと叩いてから立ち上がってバスケットを取りに行く。
「ほら。そろそろ窓を開けてやるか?」
「でもまだ明るいんじゃないの?」
「まぁな。だったら俺たちが夕飯に行く時に開けてやれば丁度いいか」
「そうだね」
美月がそっとバスケットにかけてある布を持ち上げると、ひょこっとミラージュの顔が出てきた。
「ミラ、大丈夫だった?」
「キュピッ」
ツンと美月の指を突いてミラージュは大丈夫と伝える。
「お腹空いてない? もし空いているんだったら外に出てもいいけど」
「頼めば肉も焼いてもらえるぞ?」
野宿をしている時であればともかく、そこまで手間をかけさせるのはどうかと美月は思ったのだが、ドナヴァンはきにするな、と言う。
「どうせ今夕飯を作っているんだ。そのついでに肉を少し焼くくらいなんでもないさ」
「手間でないんだったらいいんだけど・・・まぁでも今はいいって。あとで外にコットンと食事に行くって」
「そうか? まぁ2匹がそれでいいんだったら、俺は構わないけどな」
ミラージュの気持ちを代弁する美月と闇鴉を見ながら、これが使役者の能力なんだな、とドナヴァンは改めて思う。
ドナヴァンの視線の先ではミラージュが美月の指を甘噛みしているのが見えるだけで、それだけの触れ合いでよく使役獣の気持ちが判るものだと感心する。
「とにかく、少し横になるか?」
「ううん、今横になると朝まで寝ちゃいそうだから我慢するわ」
「別に朝まで寝てもいいぞ?」
「そうはいかないでしょ? とにかく夕食の時間まではここでのんびりすれば十分元気になるから」
「まぁミッキーがそれでいいって言うんならいいけどな。でも無理はするなよ」
「ん、判ってる。もしどうしても無理そうだったら、食後のお茶は遠慮させてもらうから、それならいいでしょ?」
「ああ、ちゃんと言えよ」
とかく美月に関しては過保護とも言えるほど心配性のドナヴァンだ。きっと美月が口にしなくても疲れていそうならその場ですぐに彼女を部屋に連れ戻すだろう、と美月は思っている。
美月の手を引いて部屋に戻る彼の姿を想像して、思わずふふっと笑みを零した。
「なんだ?」
「なんでもない」
「・・そうか?」
クスクスと笑う美月を見下ろしながらも、それ以上詮索はせずにドナヴァンはぐいっと美月の体をぐいっと押して彼女の頭を自分の膝に押し付けた。
「きゃっ」
「とにかく、少し横になってろ」
「でも寝ちゃうかもしれないからっ」
「起こしてやる」
「・・・約束してくれる?」
「ああ、約束する」
上体を起こそうとドナヴァンに反発していたが、彼の言葉を聞いて、じゃあ、と短く言って頭を彼の膝に預ける。
それから上目遣いに彼を見上げる美月の目元を手で覆うと、彼女はそんな彼の手をポンと叩いて抗議を示すものの、そのまま目を瞑って眠ってしまった。
そんな美月の髪をドナヴァンは何も言わずにそっと撫でた。
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