2. グラスハーン家に向かって 2
片道5日かけてドナヴァンの故郷であるシュラに着く。
そこから更に5日ほどかけて、リンドングラン領の隣のフランターズにある海に面した町であるドレクロワに着く。
移動だけで片道10日かかる計算になる。
そうドナヴァンに説明されて、美月は思わずため息をついてしまったがそれも仕方ないだろう。
この世界では移動は基本、馬だ。
そして長距離となると馬車での移動となる。
つまり馬に乗って移動するより更に時間がかかるという事になる。
魔法を使う方法や空を飛ぶ方法というのもあるらしいが、それらはあまりにもお金がかかるために大抵の人は馬での移動をするのだそうだ。
「道理で1ヶ月の旅だって言う筈だぁ・・・」
美月は馬車の窓から外を眺めながら呟いた。
ドナヴァンの立てた予定ではシュラに行くのに5日、それからドナヴァンの実家に3日間滞在してから5日かけてドレクロワへ行き、そこで5日の滞在。それからまたシュラに戻って2日ドナヴァンの実家に滞在してリンドングラン領にある家に戻る事になっている。
美月が疲れないようにドレクロワから直接家に戻らない予定にしたようだ。
まぁ美月としては、10日間も馬車に揺られなくて済むと思うと、それだけでありがたいとドナヴァンに感謝している。
そして、ドナヴァンの両親に会いに行くと決めてからの彼の行動は早かった。
バトラシアに出かける事の許可はもらっていたのだが、旅程は決まっていなかったから美月に話した次の日に領主の館へ出向き、1ヶ月の旅行の日程予定と出発日を伝えて、それから3日で仕事をこなしながらすべての準備を終えたのだ。
そして4日後の今日、朝の6時過ぎに美月を乗せた馬車が家を出発したのだ。
この馬車はバトラシアから借りたものだ、とドナヴァンが言っていた。
美月は馬で行ってもいいと言っていたのだが、持っていく土産があまりにもたくさんありすぎて馬車を借りる事にした。その中にはバトラシアたちが用意したものもあるので、無下に断れなかったのだ。
ドナヴァンの両親には『コネコ便』というのを使って既にいつ到着するかの連絡がいっている。
この『コネコ便』というのは、猫そっくりの魔獣『コネコ』を使って手紙を短期間で届けてくれるサービスの事だ。普通の手紙が1週間かかるところをこの『コネコ』は1日で届けてくれる。もちろんその分割高になるのだが、急ぎの手紙を送る時に重宝しているらしい。
魔獣とドナヴァンから聞かされて美月は驚いたものの、今ではすっかり飼いならされた家畜と化したものらしく、その素早さと『コネコ』の特性でなかなか便利なものらしい。
その特性、とは、体毛の色を変える事ができる、という事なのだそうだ。
急ぎの手紙を運ぶ時は赤、普通の手紙は白、死亡通知などの不幸を知らせる時は灰色、などと体毛を変える事で受け取る側にその手紙に中身がどのようなものかを事前に知らせる事ができるんだとか。
そうすることで少しでも相手に読む前に心の準備をできるようにとの配慮だと、ドナヴァンが説明してくれたのはほんの2日前のことだ。
というのも、たまたまドナヴァンと外出から帰ってきたところに空からやってきたショッキングピンクの『コネコ便』を見て、美月が悲鳴をあげたからだ。
そう、空から、だ。『コネコ』は体毛の色を変えるだけでなく、空を飛ぶ事ができるのだ。
「でもちっとも『コネコ』じゃなかったよね。あれって誰がつけた名前なんだろ?」
美月は初めて見たコネコを思い出す。
旅行に必要なものを買いに出かけて、夕方ようやく済ませる事ができた。
2人は荷車を引いているボッポという動物を従えて通りを手をつないで歩いている。
このボッポは小型のカバのような家畜で、商店がたくさん買い物をした客の荷物を家まで運ぶために飼っている動物だそうだ。
首輪から伸びている紐を引いている人の後をついて歩き、その紐を首輪に付いているボタンを押す事で首輪に収納すると役目が終わったと言わんばかりに商店に戻っていく。
「これで明日の朝、予定通り出かけられるな」
「うん、良かったぁ」
バトラシアから旅行のために美月が乗る馬を借りてくると言っていたドナヴァンが馬ではなく馬車を引いた馬たちを連れて戻ってきた時は驚いたものだ。しかもその馬車は遠距離移動用ということで、見た目はどちらかというとアメリカ移民時代の幌のついた馬車のようで4頭の馬が引いている。
ドナヴァンの両親はバトラシアの領地の町を治めているのだが、実家に戻るドナヴァンに両親にと言って山ほどの荷物を一緒に届けてくれるように言ってきたのだ。
流石に馬2頭にそれだけの荷物を積んで歩くわけにもいかず、ドナヴァンはバトラシアに言われるまま馬車を借りる事にした。
「でも、あれだけのものが全部積めるの?」
「積めるじゃなくて、積むんだよ。馬車だから速度が落ちる分、野宿する事になるからな」
「そっか・・・」
美月はドナヴァンの肩越しに後ろを振り返って、ボッポの引く荷車に積み上げられている食料を見る。
そこにはどうみても多すぎるのではないかと思うほどの量が積まれている。
「でもあんなにいるの?」
「ああ、多いのは判ってるよ。けど俺たち2人だけじゃなくて、護衛の分の食料でもあるからな」
そうなのだ。今回の旅にはリンドングラン領から3人の騎士が護衛として付けられることになっている。ドナヴァンが元騎士ということも踏まえてのこの人数なのだそうだ。
それもこれも、美月が『異界からの客人』だから、だそうだ。
本来であればもっと多くの護衛を付けるべきなのだそうだが、美月がそれを嫌がるだろうという事と、彼女の事を知っているのは大神殿の少数の人間とリンドングラン領の領主周辺の人間だけだという事で、この人数で我慢するとバトラシアが言ったからだ。
そのバトラシアは、護衛の分にかかる費用も全て持つと言ったのだが、それはドナヴァンが私事だからと言って断った。
ということで護衛3人、馬車の御者1人、それにドナヴァンと美月の計5人分の食料と水、それに全員分の旅の荷物にバトラシアがもたせたドナヴァンの両親への土産などなど、確かにあの大きな馬車でなければ全てを運ぶことはできないだろう。
そうして2人でのんびりとボッポを従えてようやく家に辿り着いた。
「ミッキー、俺はボッポを連れて裏の馬車に荷物を置いてくるから」
「判った。じゃ、私は先に中に入るね」
家の横にある小道の前で立ち止まるドナヴァンに美月は軽く手を振って、バッグから家の鍵を取り出して階段を上がろうとした時、不意に上から影が降りてきた。
「キャッッ!」
驚いて小さな悲鳴をあげた美月の前に、その影の本体であるショッキングピンクの何かが降り立った。
ショッキングピンクというだけでインパクトが凄い上に、更に大型の豹サイズの動物がいきなり空から降りてきたのだ。
美月の悲鳴を聞いてドナヴァンがすぐに腰に佩いていた剣に手をかけたものの、降りてきた動物を見てすぐに手を離した。
「ミッキー、あれはコネコだ」
安心させるためか、ドナヴァンはそっと美月の肩に手を置いた。
それを聞いて、美月は口をパクパクと動かすが言葉がすぐに出なかった。
頭の中では『あれのどこか子猫なんだよっ!』と叫んでいたのだが。
「多分、うちの親から手紙の返事が来たんだと思う」
「・・・・返事?」
「ああ、あの『コネコ便』で手紙を送ってきたんだと思う」
そう言いながらドナヴァンはそのショッキングピンクのコネコに向かって歩いていく。
その後ろ姿を美月は心配そうに見送る。
だが美月の心配をよそに、コネコはドナヴァンが近づくと伸ばされたその手を嗅いでから、パッと手紙を顕現させてその手に押し当てた。
「一体どこから・・・」
「コネコは魔獣だからな、首にかけられているバッグから俺宛の手紙を取り出したんだ」
「魔獣だからって・・・よく判んない」
「あぁ、そういやミッキーは魔獣を見たことないのか。魔獣はその名の通り魔力を持つ獣だよ。コネコはそれを使って首のバッグから手紙を取り出したんだ」
「ふぅん・・・」
まだよく判っていないが、それでも美月はとりあえず返事をしておく。
苦笑いを浮かべてそんな美月を見てから、ドナヴァンはコネコから手紙を受け取った。
「・・あぁ、やっぱり母親からだ。楽しみに待ってるって書いてる。それから他の兄弟にも声をかけておくから、着いたらお披露目をしようって」
「ふぇっっ? お披露目?」
お披露目という事は堅苦しいパーティーという事なんだろうか、美月は困ったような表情を浮かべてドナヴァンを見あげた。
日本で普通の学生をしていた美月にとって、パーティーというものはただメンドくさいもの、という認識しかない。
1度だけバトラシアの開いたパーティーで出た事があるが、ダンスすらまともにできない美月はただニコニコと笑みを顔に貼り付けて壁の花に徹しただけだった。
それも言われた通り1時間でパーティー会場を出たのだ。
そのことをあとで知ったバトラシアが美月にダンスのレッスンを受けさせようとしたのだが丁寧に辞去した。
美月としては、もともと運動神経のあまり良くない事もありダンスには全く興味が持てなかった事もあり、知らない男の人とダンスなどしたくもないというのが本音だ。
ただドナヴァンの立場もあるから、彼に恥をかかせたくはないとも思う。
それでもできれば着飾ってのダンスは遠慮したい。
「大丈夫だ、心配するな。母親には身内だけの夕食会で留めてもらうから」
「・・・ごめんね」
「気にするな」
美月の考えている事が顔に出ていたのだろう。
ドナヴァンは美月を安心させるように頭をポンポンと叩くが、それでも申し訳ないという気持ちのせいで彼女は困ったような表情を浮かべている。
「俺もパーティーはごめんだ。だから、パーティーなら出ないと言っておくよ。それに身内だけの夕食会だから、ミッキーもテーブルマナーとか気にしなくていいからな」
「うっ・・・ありがと」
お箸大好き! な美月はバトラシアの館にいた間にそれなりにテーブルマナーを教えてもらったのだが、それでもまだぎこちなさが残っている事を自覚している。
だからドナヴァンの気遣いが嬉しい反面申し訳ない。
「じゃあ、今コネコに待ってもらってすぐに返事を書くよ」
「そんな事できるの?」
「ああ、返事を書いてくるから、ミッキーは何色がいいか決めてくれ」
「・・・・へ?」
「だから、コネコの色だよ」
「・・・・色って?」
言われて振り返った先のコネコは、目に痛いほどのショッキングピンクの毛をしている。
これ以外の色のコネコがいる、という事だろうか?
「ああ、そうだった。ミッキー、コネコは魔獣だってさっき言っただろ?」
「うん」
「コネコは届ける手紙に合わせて体毛の色を変える事ができるんだ」
「・・・・はっ?」
「ほら、口で言ってもよく判らないだろうから見せるぞ」
そう言ってドナヴァンが手をコネコの頭に乗せると、コネコの色が藍色に銀のメッシュが入った色に変わる。
「こうやって頭の中で色をイメージしながら魔力を流してやると、その色を記憶してくれるんだ。それで手紙を届ける時に体毛の色を変えてくれるんだ。受け取る側はその色をみて手紙の内容を想像するんだよ」
まぁ例外はあるけどな、と付け足す。
「今はミッキーの髪の色を頭に思い浮かべたんだ、似てるだろ?」
そう言われて、美月は自分の髪を指先でつまんで目の前に持ってくる。
確かに似ている気がする。
不思議な動物、じゃなかった、魔獣がいるものだ、さすが異世界、と美月は小さく呟いた。
読んでくださってありがとうございました。




