新世界、到着 ー 1.
眠っている時にベッドから落ちた事、ありますか?
眠っている間にベッドから落ちる時、ほんの一瞬感じる浮遊感が覚醒に導くけれど、ハッと思った時には既に床に体をしたたかぶつけてしまっていて余計にはっきりと目が覚めてしまう。
そんなベッドから落ちる時の浮遊感を感じたな、と思ったと同時に美月の体が地面に転がった。
「いったぁ・・・・なんなのよ」
体の右側が下になるように落ちたせいで右腕が痛い。
ゆっくりと上体を起こしてから、美月は右腕をそっと撫でる。
「擦りむいちゃった・・・」
ぶつぶつと文句を言いながら撫でていた手を止めて、美月はようやく周囲を見回すだけの余裕ができた。
「ここって・・・・・」
周囲を木に囲まれた小さな広場。
耳を澄ませても鳥が鳴いているのが聞こえる以外、他にはなんの音も聞こえてこない。
美月は自分がどこにいるのか、全く判らない。
どこか霞がかかったような頭を軽く振ってから、その場にあぐらをかいて座る。
行儀が悪いとは思うけど、自分の他には誰もいないのだからそんな事は気にしない。
ふと、襷掛けにしている大きめのバッグに気づいた。
美月はバッグに手を掛けて中身を確認すると、中にはマップルが入っているのが見える。
それを目にした途端、世界と世界の繋ぎ目という場所の事を思い出した。
「・・・ちゃんと約束守ってくれたんだ」
アストラリンクに、どうしても持っていきたいものと言って譲らなかったマップルが目の前にある。そのままバッグの中を探ると、スマフォも出てきた。
他にも色々なものが入っているようだが、何が入っているかはあとで確認する事にして今はマップルを開きたい。
早速ボタンを押して起動させてパスワードを打ち込むと、そこには見慣れた画面が映し出される。
うちで飼っていた猫の『ブーちゃん』だ。『ブーちゃん』は美月が高校2年生の時に亡くなったが、美月が勉強に励んでいた時そっと寄り添うように傍にいてくれた猫だった。
だから、マップルを手に入れた時に、スクリーン画に『ブーちゃん』の写真を使ったのだ。
美月は画面にあるいくつかの見知らぬアイコンを見つけた。特に気になったのは1列に並んだドックの中にある見慣れないアイコンだ。
思わずそれをクリックすると、どこか『グルグル』に似た画面が現れた。
「何これ・・・・『グラッター』って・・・あぁっっ!」
こんなもんなんかあったっけ? と見知らぬ検索エンジンをじっと見つめていると、唐突に画面が切り替わってそこにはアストラリンクの顔が映っていた。
『・・・・・大森さん、これを見ているという事は無事に『グランカスター』に到着したという事ですね』
「ちょっ、ちょっと、いきなり過ぎたわよっ」
地面に投げ出された時の事を思い出して美月はじろり、と画面を睨みつけたものの、画面の中のアストラリンクはにっこりと微笑んだままだ。
『これは『グランカスター』に到着したばかりの大森さんへのメッセージなので私とは対話はできませんが、ここでいくつか説明をしておこうと思ってメッセージを残させてもらいました。大森さんのマップルとスマフォは、希望通りに手を加えていますので、少しずつ確認してください』
そう言われて美月はアストラリンクに絶対に持っていきたいと言い張ったマップルとスマフォの機能についての注文を思い出したものの、それを確認しようとしたところで彼が話を続けたので後回しにする。
『それでは説明を始めますね。まず、今大森さんが開いた『グラッター』は『グランカスター』専用の検索エンジンです。そちらの世界で必要と思われる情報は全てそれを通して検索する事ができます。もちろんそれを使って地図を見る事もできますし、現在位置を確認する事もできます。ただ、それらの機能を使うとなるとアンテナが必要です。そのためのアンテナを3本バッグの中に入れてありますので、それを立ててからマップルをお使いください。一応1本移動用に使えるようなポータブル・アンテナも入れてますから、それは旅先で必要な時に使ってください。今このメッセージはアンテナがなくても見れるようにしてありますが、『グラッター』などの検索エンジンを使う時はアンテナがないと検索エンジンを使ってもエラーが出ると思います』
美月はバッグを見おろすが、それはどうみてもアンテナが入るような大きさではない。
それでも手を突っ込んでかき回すと、確かに長い棒が指先に触れた。
引っ張り出してみると、長さ1メートルほどの長さがあるそれは、どう見てもアンテナだ。
「これって・・・ドラえもんの四次元ポケット・・・?」
一瞬、そんな馬鹿な考えが頭をよぎったが、画面のアストラリンクがまた話し始めたのでそちらに意識を向ける。
『アンテナはできればきちんとした住処を見つけてからそこに立て、魔法で固定保存処理をしてもらった方がアンテナとしてより強力に能力を発揮してくれると思います。今のように持ち歩く事も不可能ではありませんが、固定アンテナの方がより多くの情報を集める事ができます。もちろんそのためにポータブル・アンテナを用意しました』
なんだ、それ。
つまりこのアンテナは、固定した方がより情報を収集できる、ということなんだろう。
でも今見ている画面は、アストラリンクがマップルに仕込んだメッセージだからアンテナ無しで見る事ができる、そう言う事なんだろうと美月は納得する。
とはいえ移動先で使えるポータブル・アンテナもあるようだからあとでそれを使えばいい、と美月は思う。
『それで、ですね・・・・こちらを出る前に大森さんのステータス確認をするのを忘れていた事を思い出したので、マップルを使ってできるように水晶珠を用意しました。マップルの中に『ステータスチェック』というアイコンがありますからそれをクリックしてください。それから水晶珠に付いているケーブルをマップルに繋いで手を載せてからボタンをクリックすれば、大森さんの現時点でのステータスは確認できます』
そう言われて、美月はまたバッグの中をかき回すと、今度は直径が10センチほどの水晶珠に白いケーブルが付いているものを見つけた。
『それを使えば、美月さんは何度でもご自分のステータスの確認をする事ができます。ステータスは一定ではなく、美月さんの経験によって変化しますので、年に1度程度は確認する事をお勧めします。あとは・・・そうですね、そちらの世界に不慣れな美月さんのために『グラッター』を使って質問をする事ができます。とはいえ、私が答えるのではなく、それはあくまでも『グラッター』が検索結果として答えるので、多少の答えの不確かさはご容赦ください』
それでもある程度のアドバイスを貰えるというのはラッキーだな、と美月は思う。
右も左も判らない世界に来ているのだ。おまけに知った人は1人もいない。
そんな状況下において、『グラッター』で検索できる情報は美月を助けるだろう。
『そして、最後に。美月さんのマップルや他のものが入っているそのバッグは、私からの餞別です。それは空間魔法を使って実際より大きい容量を持っていて、しかもバッグ本来の重さだけしか感じないようになっています。大きさは全部で2立方メートルまで。重さは1トンまでのものが許容量となります。今のところそこに入れているのは非常用の食料を3日分と、大森さんがマップルを使うために必要なもの。それに好みに合うかどうか判りませんが、3日分の着替えをいれてあります。それでは、大森さん。第二の人生を楽しんでください』
画面のアストラリンクが頭を下げたところで画像が消えた。
美月は顔を画面から上げて、改めて周囲を見回した。
周囲を取り囲んでいる木々の間から日差しが差し込んでいるのが見える。
他には何も見えないが、おそらくそれほど人里からは離れていないだろう、と美月は踏んでいる。
いくらなんでも人がいるところまで何日も掛かるような場所に、アストラリンクが美月を放り出すとは思えないからだ。
美月はバッグの中に手を突っ込んで、アストラリンクが言っていたポータブル・アンテナを捜した。
「これ・・・かな?」
指先に触れるペンのようなものを引っ張り出すと、小さな三脚とケーブルが付いた引き延ばし式のアンテナが出てきた。
「これって、マップルに繋げってこと?」
ケーブルの先はどうみてもUSBの差し込みで、美月は恐る恐るそれを差し込んだ。
ポーン
途端に小さな音がして、アイコンが1つ勝手に起動した。
「おぉっ。これは・・・そっか、アンテナのバーが判るようになっているんだ。って、でもどこからアンテナの電波はやってくるんだろう?」
ぶつぶつと独り言をいいながらアイコンを見ると、アンテナのバーが3つ立っている。
「とりあえず、ここがどこか検索した方がいいかな?」
ポチポチとキーボードを打ち始めた美月は、現れたマップを見てう〜んと唸る。
「なんだ、これ・・・・全く判んない」
現れたマップはとてもお粗末なものだった。
それはまるで子供が描いたような地図で、普段見慣れているような精密なものではない。
地図の上にあるのは、緑の木が何本も描かれて出来上がった森、家がいくつも並んでその中心に大きな建物があるのはきっと町なんだろう。あとは川らしき水色の線や山らしきもの、と絵本で見るような地図だった。
「・・・そっか・・・この世界にある地図って、この程度のものしかないって事か・・・・そういえば中世っぽい世界だって言ってたわよね、あの人。だから、こんな地図なんだ・・・」
これではまったく判らない。
サテライト映像でもあればいいのだが、当然この世界にサテライトがある筈がないので、サテライトのアイコンはマップについてない。
そのくせ美月がいる位置は特定できるのだからよく判らない。
それでもそうやって位置を特定できるおかげで、美月は自分がどの方向に向かえばいいのか判るから文句は言えない。
「まぁ、この地図が正しければここから南西に向かって歩くと町に着くみたいなんだけど・・・でも実際に町がこの場所にあるかどうか、だよねぇ・・・」
あまりにもおおざっぱな地図を見ていると、美月はとても不安な気持ちになってくる。
とはいえ、その地図を頼りに移動するしかないのだ。
まったく知らない場所でこんな地図でもあるだけマシだと思うべきだろう。
美月は大きく溜め息を吐いてからマップルやアンテナをバッグに閉まって、早速歩くために立ち上がった。