そして・・・ ー 2.
あぁ、疲れた。
美月は部屋に戻った途端、ソファーに座り込む。
立食パーティーの間中、お礼を言って愛想笑いを浮かべていたせいか、疲れが限界まで来ている気がする。
愛想笑いというと聞こえは悪いが、最初は本当に笑っていたのだ。けれど、段々笑みを浮かべなければという使命に代わってしまい、最後の方は愛想笑いを張り付けてみんなと言葉を交わしていた気がする。
とはいえ忙しい中、代わる代わるやってきて美月に頑張れを言ってくれた人たちに、疲れたからもう笑えません、なんて言えっこない。
みんな美月のために参加していたのだから。
「でも疲れちゃったんだよねぇ」
それでも明日の朝新しい家に移動する事になっているから、お開きになったのは夜の9時過ぎだったのだ。
「お風呂・・・どうしよう、かなぁ・・・」
汗かいているけれど、お風呂に行くだけの元気が残っていない。
コンコン
ソファーの上で風呂に行くかどうか葛藤していると、ドアがノックされた。
「どうぞ〜」
行儀が悪いと判っていても、ドアを開けに行くだけの気力が残っていないのだ。
美月は「勝手に入って〜」とノックした相手に声を掛ける。
「何やってるんだ?」
「疲れて動けない」
ドアを開けて入ってきたのはドナヴァンだった。
彼はソファーの上でへばっている美月をみて呆れたように声を掛ける。
それから部屋の隅に置いてある棚から茶器セットを取り出してテーブルに置き、そのまま2人分のお茶を入れた。
「ありがと・・・・」
手渡されたお茶を受け取って小さな声で礼を言う美月の声は本当に疲れているように聞こえた。
ドナヴァンはそのまま美月の隣りに座って、暫く黙ってお茶を飲んだ。
どのくらい経っただろうか。
ゆっくりと飲んでいた筈のお茶も全部飲み干して、美月は空になったカップを両手でもてあそんでいると視線を感じた。
チラ、と隣りを見るとドナヴァンが黙って美月を見おろしている。
「何?」
「いや、少しは元気になったかなと思ってな」
「あ〜・・・そうね。うん。お茶ありがと」
「どういたしまして」
口元に笑みを浮かべたドナヴァンは、悔しいほどいい男だと美月は思う。
気が利くってこういう事かな、と心の中で呟く。
疲れてダラダラしていた美月に文句をいうでもなく、黙って彼女が落ち着けるようにとお茶を入れてくれた。それだけでも十分なのに、お茶を飲み干すまで待ってくれたのだ。
こうしてのんびりと2人でいられるのも今夜までだと思うと、美月の胸の奥がツキンと痛む。
けれどそれを選んだのは自分だから、と自分に釘を刺す。
いつまでも彼を頼るわけにはいかないのだから。
「明日は9時で良かったんだな?」
「うん。あんまり朝早いと他の人の邪魔になっちゃうかもしれないって言われたからね。そのくらいの時間だったら市場も落ち着いているだろうし、人通りの減っているだろうからって」
「そうだな。朝の忙しい時間帯に馬車を走らせると邪魔だって言われそうだ」
この領主の館から美月の新しい家に行くには、途中で市が立っている区画を走る事になる。市は朝の6時過ぎには開いていて買い物にやってくる業者や奥様方で混雑しているだろうから、そんな時間に馬車で突っ切ろうとすると文句が出るかもしれない、とフランチェスカに言われたのだ。
美月は市には行った事がないのでよく判らないが、別に朝早く引っ越さなければいけないという事もないから素直にフランチェスカのアドバイスを受け入れた。
「そういや騎士が数人ミッキーの引っ越しの手伝いをするって言ってたぞ?」
「えっ、そうなの? フランさんが手伝いを見つけてくるから任せなさいって言ってたんだけど、それってその人たちの事かなぁ・・・」
「多分な。まぁ、手伝いと言ってもこの荷物を馬車に運ぶだけだからすぐに済むだろうけどな」
部屋を見回すドナヴァンの目には、ドアのすぐ横に積まれた箱が5つほど見えるだけだ。隣りのベッドルームの方にもいくつかあるのだろうが、それにしても少ないなと思う。
「あれだけしかないのか?」
「あれだけって・・・ここに来てから結構荷物が増えたと思うんだけど?」
「普通の女の荷物があれだけって事はないと思うぞ?」
「・・・普通じゃなくて済みませんね」
ドナヴァンの言う普通が何を指すのか判らないものの、それでも今の彼の台詞が褒め言葉でない事くらいは美月でも判った。
確かに自分でも荷物が少ないな、と美月は思ったのだ。
けれど、居候の身で他人に全てを買ってもらう事を良しとしなかった美月としては、これだけの箱の中身を美月のために用意してもらったと言うだけでも申し訳ないと思っているのだ。
「いっ、いや、別にけなしている訳じゃなくてだな」
「私はこの世界に不慣れだからここの平均的な女性が判らないので、比べられても困るだけですけどね」
「だっ、だから」
「着の身着のままでやってきたんですよ? これだけ荷物が増えただけでも申し訳ないんです。これからは自分のお金を稼ぐ事ができそうなので、少しずつこちらの普通の女性程度のものは持つようになると思います」
珍しく慌てたようなドナヴァンは面白いが、それでも嫌味をちくりちくりと挟むのは忘れない。
けれど、彼は自分の言葉が不適切だと判断したのか、すぐに神妙な顔を美月に向けて頭を下げた。
「・・・すまん」
「・・・私も意地悪でした・・・ごめんなさい」
あまりにも素直にドナヴァンが謝るので、美月もそれを見て嫌味を言った事を謝る。
「ミッキーが謝る事はないよ」
「でも・・・・」
「いや、疲れているところにやってきて変なことを言った俺が悪い」
だから気にするな、と隣りに座っている美月の膝をポンと叩く。
美月はなんと返事をすればいいのか判らずに戸惑ったままドナヴァンを見る。
「もう寝るのか?」
「うん・・・お風呂に入ろうか迷っているところだけど、多分寝ると思う」
「そうか・・・」
何か言い足そうなドナヴァンだがなかなか口を開かない。
美月は彼が何を言いたくて彼女の部屋までやってきたのか見当もつかないから、ただ頭を傾げて言葉を待つだけだ。
「あの・・・な」
「うん?」
いつもは自信満々で行動的なドナヴァンを見慣れているだけに、こんな彼の姿を見るのは新鮮だ。
「明日、俺は仕事で見送りにいけないって事を伝えようと思って・・・」
「・・・えっ」
やっと言葉を絞り出したドナヴァンの台詞は美月が想像もしていなかったものだった。
――明日の朝が最後たと思っていたら、今夜だったんだ。




