帰り道 ー 2.
美月は馬車の窓枠に右肘を乗せて、う〜んと唸る。
「あれって・・・やっぱりバレてるって事かなぁ・・・」
あの時、ファルマーニャは美月の加護読みについてどこか含みがあるような言い方をしたのだ。
もしかしたら、彼女は美月が加護だけではなくステータスを全部知る事ができると気づいているのかもしれない。
「でも・・・見逃して、くれた?」
よく判らない、と美月は頭を軽く振った。
ファルマーニャはステータスチェックができるから大神官を勤めているのだ。
だから、もしかしたら彼女は美月のステータスを読んだのかもしれない。
マップルを使っている美月と違って彼女は本物だ。それくらいできてもおかしくない。
「それに、聞けなかったけど・・・」
確か、あの時ドナヴァンは美月の事をミツキと呼んでいた。
発音がしにくいからミッキーと呼んでいた筈の彼は、ファルマーニャとの会話の中で美月の名前をきちんと発音できていた。
あの時はファルマーニャとの会話を途中で止めてドナヴァンに聞く訳にもいかなかったし、そのあとの会話のせいですっかりドナヴァンに聞くのを忘れていたのだ。
「でも、ミツキって呼んでたわよねぇ・・・?」
とはいえ、はっきりと彼が自分の名前をきちんと言えていたと自信を持って言えないのだ。
もしかしたら美月の勘違いかもしれない。
今更、今思い出したからと言って聞くのも時間が経ち過ぎて恥ずかしい。
「う〜〜ん」
1人唸っていると、座席の隣りに置いていた小さなバスケットからミラージュが出てきた。
「あれ? ミラ、どうしたの?」
座席の置いてあるバスケットの中にいるのは美月の使役獣であるミラージュとコットンで、移動の時はこの方が楽だからとフランチェスカが美月に用意してくれたものだ。
いつもであれば夕方宿に着くまではバスケットの中で眠っているのだが、今ミラージュは窓枠に止まって外をじっと見つめている。
「どうしたんだろ?」
不思議に思って美月は席から身を乗り出して外を見る。
「ねぇ、ドナヴァン。ミラージュの様子がおかしいんだけど?」
「奇遇だな。ヴァルガのようすもおかしい」
馬車の隣りを騎馬で移動していたドナヴァンが美月の問いかけに答えるものの、視線は美月とは反対方向に向けられたままだ。
「どういうこと?」
「襲撃、だろうな」
「えっ?」
襲撃、と言われてもピンとこなかった美月だが、窓から飛んでいったミラージュと同時にヴァルガが後ろ足で立ち上がったのを見て驚いて小さな悲鳴を上げた。
「ミッキー! 中に入って窓を閉めてろっ」
上手く手綱を引いてヴァルガを落ち着かせると同時に、怒鳴るような声で美月に指示を出す。
慌てて窓を閉めようとするが、気が急いてしまっているせいかなかなか閉める事ができない。
それでもなんとか窓を閉めた美月の耳に、獣の唸り声と騎士たちの怒鳴り声、そして剣を振るう音が聞こえてきた。
恐らく魔獣だろうと想像はできるが、それがどんな魔獣かまでは全く判らない。
美月はこの旅の間に死んだ魔獣は見た事はあっても、生きている魔獣を見た事がないのだ。
王都に来る途中で出てきた魔獣は、森の茂みの奥だったから騎士たちがどのように戦って倒したのかもしらない。
今もそうだ。危ないからと言われて窓を閉めた美月には外の様子は全く判らない。
ゴンッ
馬車が激しく揺れて止まった。
「きゃっっ」
何かが馬車にぶつかったのだろう、と言う事は判るものの外を見る事ができないのでそれ以上は判らない。
思わず小さな悲鳴が漏れたが、それ以上悲鳴をあげる前に自分の手で自分の口を抑える。
自分の悲鳴くらいで何か変わる訳がないのは判っているが、それでも思わず抑えてしまった手を離す事ができない。
それからも何度か馬車に何かがぶつかる音と振動が伝わってきた。
外の様子は気になるけれど、ドナヴァンに言われたのでおとなしくしているほかはない。
自分に力がない事は自覚しているから、そんな自分に出来る事は邪魔をしない事、それだけだ。
馬車を引いていた馬が嘶いている。
すぐ傍で騎士が大きな声をあげている。
剣を振るう音が聞こえてくる。
獣の唸るような声がそれらに混じって聞こえてくる。
そんな中、美月はただ外の騒動が終わるのを口許に手を押し当ててじっと待っていた。
「大丈夫か?」
不意に聞こえてきたドナヴァンの声に、美月はバッと顔を上げた。
「ドッ、ドナヴァン?」
「もう窓を開けても大丈夫だ」
震える手で、なんとかガタガタと音を立てながら窓を開けると、返り血を浴びたのか胸元が少し赤く染まっているドナヴァンが心配そうな表情を浮かべていた。
「みっ・・・みんな、大丈夫なの?」
「あぁ。怪我人はいるが、死者はいない」
窓から身を乗り出して周囲を見回すと、かなりの数の獣の死体が転がっていた。
「・・・魔獣?」
「ああ、グンダルと言う魔獣だ。アライグマを大きくしたような容貌をしていて群れで行動するんだが、今回はいつもに比べて見た事もないような大きな群れで襲ってきたんだ」
アライグマ、と聞くと可愛い動物を連想するが、美月の目の前に転がっている死体はどう見ても大型犬ほどの大きさをしており、こんな魔獣がたくさん一気に襲撃してきたのかと思うとゾッとする。
3台の馬車に8人の護衛しかいないのに、目の前に転がっている死体の数は数えきれないほどだ。
「たくさんって・・・」
「30頭ほどだろうな。今は他の連中が手分けして魔石と毛皮を剥いでいる。まぁ、あいつらのいい小遣い稼ぎになるから、それで良しと思わなくちゃな」
セントバーナード犬のような大きさのアライグマが30頭。
美月の乏しい想像力ではとても思い浮かべる事ができない。
それでもみんな無事で良かった、とホッとする。
「あっ、ミラは?」
「ミラ? あぁ、闇鴉か」
「ミラが飛んでいっちゃったの。ほら、ドナヴァンに聞いたじゃない。あのあとすぐに飛んでいっちゃって・・・まだ帰って来ない・・・・」
どうしよう、と不安そうに窓から周囲を見回すが、美月の目にはミラージュらしき姿は映らない。
「大丈夫だ。ミラージュが加勢してくれたおかげでかなりの騎士が助けられたんだ。今は向こうで魔石と毛皮を捌いている騎士から肉を切ってもらっているよ」
「・・・・そっか」
「すごいぞ、あいつは。こっちに向かってくるグンダルの目を、姿を消したまま潰して回してくれたんだ。目が見えないから手負いで暴れるようにはなったが、見えない分こっちの攻撃をかわす事もできなくてそのまま倒す事ができたんだよ。10頭近くの目を潰したんじゃないのか、あいつ」
ミラージュは闇烏という幻鳥で、見た目は大きめの烏と言った感じだが、そのくちばしは普通の烏より細長く鋭い。そんなミラージュのくちばしで目を潰されるなんて事を想像すると、美月はゾッとする。
「あぁ、ほら帰ってきた」
体を震わせている美月に苦笑いを浮かべていると、向こうからミラージュの羽音が聞こえてきた。
ドナヴァンの言葉に顔を上げた美月は、馬車のすぐ近くに来てから姿を見せたミラージュを見つけた。
ミラージュはそのまま窓枠に止まって毛繕いを始める。
パッとみた感じでは血は付いていないようだが、視界に入ったミラージュのくちばしを見て思わず体を引いてしまった。
「ほら、中に入って座ってろ。窓から身を乗り出したままだと落ちるぞ?」
「あっ・・・うん。判った」
「多分、30分もすればあいつらも剥ぎ取りを終えるだろうから、そうしたらまた動き始める。俺は他の連中が剥ぎ取りをしている間、周囲を見回っておくよ」
「はぁい、気をつけてね」
「・・・ああ、大丈夫だよ」
すっと伸ばされたドナヴァンの手がポンポンと美月の頭を軽く叩く。
そんないつもと変わらないドナヴァンにホッとして、美月は頷いてから中に体を戻して座った。
先ほどまでの喧噪が嘘のように今は外でざわざわと話している声が聞こえるだけだ。
それでもそんな事がもう大丈夫なのだと言っている気がして、美月は背もたれに背中を預けながらそっと目を閉じた。




