帰り道 ー 1.
『お気をつけてお帰りくださいませ』
ガタガタと揺れる馬車の中で、ファルマーニャの声が不意に蘇ってきた。
神殿を出る際、わざわざ見送ってくれた空の青のような色の髪が風に揺れていた姿が脳裏に浮かんだ。
『何か力になれる事があれば、いつでも声をお掛けください』
そう言ってキュッと美月の手を握りしめたファルマーニャの目は、本当に彼女の事を心配しているように見えた。
いや、見えただけではなく本当に心配したのだろう。
忙しいといいつつ昼食の時間も込みで3時間ほど話をした。
久しぶりに同年代の女性との会話だったのだ。美月は本当に楽しかった。
目の前に出てきた料理はリンドングラン領とは少し違う料理だった。
「あれ、これって、ご飯ですか?」
「ご飯? あぁ・・・ミツキ様の来られた世界ではそう呼ぶのですか?」
「はい。こちらではなんと言うんでしょうか?」
「コメ、です」
同じじゃんっっ!
思わず心の中でそう突っ込む。声に出そうになったのをグッと飲み込んだ自分を褒めてあげたい。
「米って炊く前の事ですよね? 焚いたらご飯って言うんじゃないんですか?」
「いいえ。コメはコメです」
「・・・そうですか・・・」
こっちにも米があったんだと嬉しい気持ちと、思わず突っ込んでしまった時のガッカリ感が混ざったなんとも言えない気持ちになってしまい、美月の返事はどこか気持ちのこもらないものになってしまった。
ファルマーニャはそれに気づいたものの、何も言わずに美月に昼食を勧めた。
「米はこの辺りではよく食べられるのですか?」
「そうですね・・・コメの産地はここより南に行ったところに広がっている湖沼地ですので、やはりパンの方が広まっています。けれど、この数年は物流が盛んになったおかげか、色々と珍しい食材も入ってくるようになりました。コメもそんな珍しい食材の1つです」
「じゃあ、手に入れにくいってことですね」
ちぇっっ。
もしかしたらこの後町に出て米を買って帰れるかもしれない、と期待したのだがどうもそう上手く事は運ばないようだ。
「私には判りませんが、もし入り用でしたら紹介状を書きますよ? それを神殿と取引をしている商人のところに持っていけば手に入れやすいと思います」
「ホントですかっ。ありがとうございます。って・・・すみません」
ガバッ、と言う音がする勢いで頭を下げてから、あまりにも露骨な自分の反応が恥ずかしくて謝ってしまう。
そんな美月を見てクスクスと笑ってから、ファルマーニャは食事を食べましょうと促す。
「そういえば、ありがとうございます」
「・・・それはなんのお礼でしょう?」
「フラン、私と一緒に来てくれた侍女頭を勤めている女性なんですけど、彼女がすごく喜んでいました。塔の中は本当にごく少数の人しか入れないと聞いていたので、諦めていたと言っていたんです。だから、今日ファルマーニャ様の好意で見学ができると聞いて、飛び上がって喜んでいました。もちろん一緒に来てくれた執事のアイヴァンさんや他の護衛の人たちもですけど」
普段のきっちりとした態度からは想像もできないほどのフランチェスカの喜びようを思い出して、美月は思わず笑い声をあげた。
「私はこの世界の事を何も知らなくって、この世界の行儀作法だけじゃなく、この国や世界の事をフランが教えてくれたんです。凄く厳しい先生でいつもビシッとしてて感情を露にしないのに、今朝は文字通り飛び上がって喜んでいたんです。そんな彼女は本当に珍しかったみたいで、一緒に来ていた騎士の人たちやアイヴァンさんも驚いてフランさんを見てました」
「そうですか。それほど喜んでもらえると、許可を出した甲斐がありますね」
「本当にありがとうございました」
今日、ここに来ているのは美月だけだ。ドナヴァンを初めとする騎士たちやアイヴァンとフランチェスカは、神殿と塔を見学してから神殿が用意してくれた昼食を食べる事になっているのだと聞いている。
その後でフランチェスカとアイヴァンは騎士の半数を連れて、バトラシアに頼まれた買い物を済ませるのだそうだ。
来た時に乗っていた馬車に積まれていたものの半分は、前日神殿に来た時に騎士たちが供物として運び込んでいる。
今日はその空いたスペースを埋めるだけのものを買ってくるようだ。
美月はファルマーニャに聞かれるまま、元の世界の話をする。
「魔法のない世界、ですか・・・不思議ですね」
「私は、魔法がある世界の方が不思議です。でも、魔法がないからその分科学が発展したんでしょうけどね」
「魔法はここでは当たり前のものです。もちろん、魔法を使える人の方が少ないです。生活魔法ならまだしも攻撃魔法や治癒魔法となると本当に使えるものは少ないです」
「私は魔法に憧れていたんですけどねぇ・・・」
アストラリンクに魔法よりもマップルとスマフォがいい、と言い切ったのは美月だ。だから、これに関しては文句は言えないが、それにしても魔力ゼロはないだろう、と思っている。
「私なんて魔力はゼロなんですよ。だから、魔法が使える人が羨ましいです」
「・・・そうですか。それは残念ですね」
美月に返す言葉にファルマーニャは一瞬詰まったが、それを悟らせないようににっこりと微笑んで水を一口飲んでから相槌を打つ。
「まぁ、元々魔法が使えない世界から来たから、使えなくても仕方ないって諦めています」
「それでもミツキ様には加護を知る事ができる、と言う加護がありますから。それもある意味魔法ですよ」
「あ〜〜・・・そうですね」
でも、それってチートって言うんじゃないの?
加護を知る事ができるのは美月の加護ではなく、ただマップルを使って検索しているだけだ。
それを使って出来る事は魔法ではない気がする。それよりも異世界にマップルを持ち込んだ美月のチート能力と言った方がいいだろう。
「加護を知る事ができる人って、どのくらいいるんですか?」
「多くはありませんよ。そうですね・・・・この国だと5人ほどでしょうか」
「たったそれだけ?」
「そうです。他の国を入れると・・・そうですね、私が知っている限りですが20人もいないと思います。1人のいない国もありますからね。このスキャッグルの王都には大神殿があるので、数が多いんですよ」
世界に4つしかない大神殿に努める神官は多い。そして大神殿で修行をしている間に色々な加護に目覚める神官たちがいるのだ、とファルマーニャは説明する。
「大神殿ってそれぞれの国に1つずつあるんだと思ってました」
「そうですね・・・昔はあったようですよ。しかし戦争や国の衰退などによって大神殿を維持できなくなり、そのまま消えていった国がいくつもありましたから。なので、今でも現存しているのは4つです。そしてこの大神殿は、それら全てを統べる総本山と言ってもいいのかもしれません」
つまり、他の大神殿はお店でいるところの支店で、ここが本店ということなのだろう。
そんな凄い神殿の大神官を努めているのだと思うと、美月はファルマーニャを尊敬の目で見てしまう。
「あの・・・もしかして、ファルマーニャ様は、王家と繋がりのある方なんでしょうか?」
「はい。私は現国王の5番目の娘です」
「王族ですかぁ・・・・」
凄いなぁ、と溜め息まじりに少しだけ頭を振る美月を見て、ファルマーニャは苦笑を浮かべた。
「王の娘だから大神官になったのではありませんよ?」
「えっ、そうなんですか? 私はてっきり王家の血を引いているから、神に仕えるに相応しいと言う事でファルマーニャ様が大神官を努めているんだと思っていました」
「それはできません。血筋は関係ないのです。このスキャッグスの大神殿で大神官になるには、ステータスチェックができなければ選ばれません」
ファルマーニャの言葉で、美月はステータスチェックの事を思い出した。
バトラシアが言っていたではないか。大神殿の大神官になるにはステータスチェックができなければならない、と。
「・・・すみません、そうでしたね。忘れてました」
「いいえ、気にしないで下さい。そう思われる方もいますから。ステータスチェックができる者は『スキャッグス』と『ブンデンライト』の大神官のみです。なぜか他の大神殿にはステータスチェックができる者は現れません」
「だから、ステータスチェックができるファルマーニャ様が選ばれたんですね」
「そうです。私がその事に気づいたのは8歳の時でした。それ以来私は神殿で暮らしています」
どこか淋しげな笑みを浮かべたファルマーニャにかける言葉は見つからない。彼女は8歳の時に親から引き離されたのだ。
美月が返事に困っていると、ファルマーニャは軽く手を振った。
「気にしないで下さい。私はこれで良かったと思っていますから」
「でも・・・」
「もし私にこの能力がなかったら、今頃見知らぬ国の王子か貴族の跡取りといった誰かと婚姻を結ばされていたでしょう。王女であるからには国のためにそのような婚姻を結ぶ事は覚悟していました。けれど、大神官としてここにきた今は大好きな国を離れる必要もなく、見知らぬ相手と婚姻を結ぶ必要もないのです。私は自分が恵まれていると思います」
それは他の王女に比べて、と言う事だろうか?
「それに、ここにいれば食べるものにも困りません。戦争に巻き込まれて死ぬ事もないでしょう。私はなんの力も持たない王女であったのです。けれど今の私は困っている人に手を差し伸べる事ができるのです。役に立つのだと思えるのです」
だから本当に気にしないでいいのだ、とファルマーニャは付け足す。
「そして今ミツキ様がリンドングラン領で加護読みの仕事をしていただければ、今まで以上に助けられる人の数が増えます。あの辺りには加護を読む事ができる者はいなかったので、本当に良かったです」
「えっと・・・ご期待に添えるように頑張ります」
「ただ、本当に身辺には気をつけてくださいね。ミツキ様が住むリンドングラン領は隣国にも近いのですから、ないと思いますがもしもの事があると大変です」
地図の上では王都より隣国のマフィスタンの方が近いのだ。確かにないとは言いきれないだろう。
「バトラシア様なら大丈夫と思いますが、ミツキ様、あなたの能力をなるべく知られないようにお気をつけ下さい。私はミツキ様のような方が加護読みの能力を持っていてくださって、本当に神に感謝しております」
「そっ・・・・」
どこか含みのある言い方に、美月は聞き返そうとして言葉を飲み込んだ。
そんな美月にファルマーニャは判っていると言わんばかりに笑みを見せてから頷いた。




