もう一度 ー 5.
「私、あの日、ここに落ちてきたのよね」
「そこか? 硬そうだな」
「ここだけじゃなくって、どこも硬そうじゃない」
足下の地面は草が生えているからドナヴァンが言うほど硬くはないと思うが、それでも彼の軽口に乗って言葉を返す。
「どのくらいの間、ここで眠っていたんだ?」
「眠ってなかったのよ。寝ぼけてベッドから落ちたみたいな感覚がしたと思ったら地面に叩き付けられた、って感じ? 落ちたと言っても多分数十センチくらいのものだと思うんだけどね」
それでもしたたか体を打って痛かった、と美月は付け足す。
「私が持っていたものって、あの時着ていた服と襷掛けにしていたバッグだけでね。自分がどこにいるのかも判らなくって、バッグの中をゴソゴソと探ってマップルを探し出したんだ。それでとりあえず開けてみたらアストラリンクからのメッセージがあって、自分が無事にこの世界にやってきた事を知ったの」
美月はポンッと今も襷掛けにしているバッグを叩く。
「それからマップルを使って地図を見つけたんだけど、これがすっごく簡単な地図でね。本当に人がいるところに行けるのかなって心配だったのよね」
「まぁ、それは仕方ないな。ミッキーから元の世界の話を聞いているから、なんとなくどんな地図だったのか想像がつくよ」
「そぉ? 地図の縮小サイズが判らなくって、どのくらい歩けば町につくのかも判らなくってね。一生懸命歩いて疲れちゃって休憩を兼ねて木の下で休んでいたの。そうしたら・・・・」
「俺たちがやってきたって事か?」
ん、と美月は小さく頷いて肯定する。
「いきなりどこからともなく自分に向かって矢が射られたのよ? おまけに知らない男が3人も変な馬に乗ってやってきたんだもの、ビックリしたに決まってるわ」
「こっちはあんなところに女がいるなんて思いもしなかった。しかも無防備にシュラの木の下でくつろいでいるんだ。シュラの木にはジャラモンガが住んでいる事は子供だって知っている。そんなところにのんびりしているのを見て、多分異界の客人とはミッキーの事なんだろうと思ったよ」
ジャラモンガはあの時美月に向かって木から降りてきていた蛇の名前だ。後でドナヴァンたちがあの蛇は猛毒を持っていると教えてくれたのは今も憶えている。
「ドナヴァンは私の命の恩人って事ね」
「俺はそんなたいしたものじゃないよ」
「ううん・・・・いつだって助けてくれたじゃない」
初めて会った時から、ドナヴァンは美月を支えてくれた。
「いろいろ戸惑っていた私の力になってくれたじゃない。どうすればいいのか判らなくて躓いてた時もアドバイスをくれたし・・・コットンやミラージュを探した時も一緒に手助けしてくれたし・・・あんまりたくさん手助けしてくれたから、どうやってお返しすればいいのか判らないわよ」
「知らない土地に投げ出された相手の手助けをするのは当たり前だろう? それにミッキーの手助けをしたのは俺だけじゃない。フンバルやスライだってそうだし、一番はバトラシア様だろう?」
「・・・・そうね」
立ちすくんでいる美月に向かってドナヴァンがゆっくりと歩いてくる。
「草が生えててよかったな。ごつごつした地面だったら怪我していたかもしれない」
「そうね、でも十分痛かったわよ。おかげで目がバッチリ覚めちゃった。まぁ、いつまでもこんなところで寝ている訳にもいかなかったから、それで良かったのかもしれないけどね」
ドナヴァンはブーツの爪先で地面を蹴って硬さを確認している。
「この週末はドナヴァンも一緒に行ってくれるのよね?」
「ああ、まぁ俺だけじゃなくて俺の隊が護衛として一緒に行く事になっているんだけどな」
「なんか私のせいでいろいろ面倒事を押し付けられてるみたいで申し訳ないわね」
「別に面倒事だとは思ってない。仕事だからな」
仕事だから、というドナヴァンの言葉に美月の表情が一瞬陰ったものの、すぐにいつもの表情に切り替える。
「そうね・・・でも、やっぱり申し訳ないなって思うのよ。だって、私が来なかったからドナヴァンたちの仕事はもっと騎士らしい仕事だったと思うもの。なのに、私がここに来ちゃったせいで護衛とか手伝いとかって言う細々した仕事ばっかりになっちゃったでしょ?」
「・・・そんな事はない」
「そぉ? だったらいいんだけど。でも今度の王都行きで多分私の護衛の仕事は終わりだから・・・」
だからこれ以上迷惑をかける事はないわね、と美月は小さく口の中で呟く。
「ん?」
「なんでもないわ」
聞こえてはいないようだが美月が何か言った事には気づいたのかドナヴァンが尋ねてくる。それに美月は小さく頭を振って返事を返した。
「あの・・・ね。お礼が言いたかったの。私の新しい人生はここで始まって、色々あったけどドナヴァンがいてくれたからここまで来れたんだと思う。だから、今までありがとう」
「ミッキー・・・・」
「ほっ、ほら、王都から帰ってきたら引っ越しに準備とかで忙しいから、バタバタしててお礼を言う時間もないかもしれないって思っちゃったから、ここで今までのお礼を言いたいなって思ったのよ」
ありがとうの言葉と一緒に頭を下げた美月が顔を上げると、目の前のドナヴァンは何かを探るような視線を美月に向けていたから慌てて付け加える。
しかしそんな美月の言葉をまるまる信じていないと言わんばかりの鋭い視線を向けられて、美月は思わず視線を反らして地面に向ける。
バトラシアは美月が町に引っ越しても何かあっては困るから護衛を付けると言ってくれているが、誰が護衛になるのか教えてもらっていない。
美月としてはドナヴァンがいいのだが、さすがに隊長職にある彼が美月の護衛になるとは思えない。
もしかしたら全く知らない兵士が美月の護衛となるかもしれない。というかその可能性の方が大きいだろうと思っている。
美月の護衛していてもいつも忙しくしているドナヴァンの事を思うと、領主の館を出てしまえばドナヴァンとは接点が無くなってしまうだろう。
「・・・なんだか今生の別れの挨拶みたいだな」
「そ、かな・・・そんなつもりはないんだけどね・・・でも、ほら、領主の館を出ちゃうと今までみたいに顔を会わせる機会が無くなるかもって思うと、言える時にお礼を言いたいなって思ったのよ」
「・・・そうか」
「ドナヴァンからしたら仕事だったのかもしれないけど、それでも私の命の恩人だもの。本当にありがとう」
「・・・気にしなくていい」
「これからも、その・・・機会があれば使役獣を探す手伝いをしてね・・・」
「・・・ああ。それくらいは大丈夫だ」
どうして言いたい事が言えないんだろうっ。
美月は本当に言いたい言葉を口にできない自分に苛つきながらも、町に引っ越してからも会える機会は作りたいとなんとか口約束は取り付けた。
――だから今はこれで十分。
美月は心の中で自分に言い聞かせる。
――もう2度と会えないって訳じゃないもの。
――だから、いつか・・・・
美月は気持ちを切り替えるためにぎゅっと拳を握りしめた。
そんな彼女の目の前に立つドナヴァンは美月の握りしめた拳に視線を落としながらもそれに気づかない振りをして会話を続ける。
「ミッキーもちゃんと館には顔を出すようにしろよ? 週に1度は顔を出すようにってバトラシア様が言っていただろう? その時にだって会えるさ。何か困った事があればその時に言ってくれたら出来る事は手助けをするから」
「ん・・・ありがと」
ポンポンと俯いた美月の頭を叩くドナヴァンに、美月は小さな声で礼を言う。
そう言ってくれる事が今の美月には嬉しい。
握りしめた拳を解いてフッと口元に笑みを浮かべた美月をドナヴァンが不意に抱き締めた。
あっと思う間もなく、気がつくと彼の腕の中にいる自分に驚きながらも、美月にはドナヴァンの腕から逃げようと言う気持ちは全くない。
思いもしない抱擁に美月も彼の背中に腕を回してしがみついた。
どうしてか判らないままこみ上げてきた嗚咽が彼の胸に埋もれた口から漏れる。
そんな美月の背中をドナヴァンは抱き締めたままそっと撫でていた。




