もう一度 ー 4.
少しだけ開けたそこは、中天に昇った陽のおかげでとても明るい場所に見えた。
美月はキョロキョロと見回しながら、ゆっくりとコンテロッサから降りた。
「あんまりキョロキョロしてると落ちるぞ」
「大丈夫です」
「と言いつつよろけてるぞ」
「大丈夫ですっ」
降りる時に高さの間合いを取り間違えてよろけているところを突っ込まれ、それでも言い返すだけの余裕はあるところは美月がそれなりに馬に乗る事に慣れてきた事をドナヴァンに教えてくれる。
それが嬉しいような、けれど手を貸さなくても良くなった事が淋しいような、よく判らない感情をドナヴァンの胸に抱かせる。
「・・・本当に森の中から来たんだな」
「なんですか、今更。だから言ったじゃないですか、森から来たって」
「ミッキーは知らないだろうが、この森には大型の肉食獣がいるんだ。だから、無事に何もなく徒歩で草原にやってきたと聞いて、俺たちは随分と驚いたんだぞ」
「へっ?」
肉食獣、と言われ慌てて周囲を見回すがもちろん何も見えない。
それはドナヴァンの愛馬ヴァルガのおかげなのだが、そんな事美月は知る由もない。
ヴァルガのような剣馬は魔力を使って戦うので、その魔力を感じた動物たちが近寄らないのだ。
「ここって、そんなに危ない場所だったんですか・・・知らなくて良かったです」
知っていたらビクビクして移動どころではなかったかもしれない、と美月はホッと胸を撫でおろした。
「それより、言葉遣い」
「えっ?」
「ここに来てから敬語になってるぞ」
「・・・えっと・・・」
美月とて、慣れない敬語を使っている自覚はある。
しかし、ここに来る前の話でドナヴァンが美月より一回り以上年上だと知らされたのだ。今までのような口調では良くないのではないか、と先ほど思い至ったところだ。
今まで散々タメ口を吐いておいたくせになんだと言われそうだが、それでもやはり態度を改めた方がいいだろうと考えたのだ。
しかしそれをストレートにドナヴァンにいうのは失礼な気がして、美月は言葉を濁してしまう。
「・・・どうせ俺が年上だから、と言うしょうもない理由なんだろう?」
「しょ、しょうもないなんてっ、そんな事ないです」
「俺が気にしないんだから今まで通りに話せばいい」
「でっ、でも・・・」
さすがにこの世界に来た当日からの付き合いだけあって、ドナヴァンは美月が何を考えて敬語を使っているのかすぐに指摘してきた。
「それをいえば、俺の方こそ敬語を使わなければいけない立場なんだぞ?」
「・・・・へっ? どうして?」
「ミッキーは異界からの客人だからな、丁寧に扱われる立場であって、俺がこんな風に軽々しく口を利いていい相手じゃない」
「そっ、そんな事ないですっ」
「いや、異界の客人の立場は領主と同等であるべきだと言われているから、本来なら俺がこんな口をきけばそれだけで叱責ものなんだけど」
器用に片方の眉をあげて、どう思う? と聞いてくるドナヴァンに美月はがっくりと頭を落とした。
「判りました・・・じゃ、なくって・・判った。今まで通りに話す」
「そうか、良かった」
「でっ、でも私がいた世界では目上に人にはちゃんとした言葉遣いで話すって言うのがあって」
「うん、それはここにもある。けどな、堅苦しい言葉遣いを使われると距離ができる気がするって思わないか?」
「・・・思いま、思う」
思います、と言いかけた美月をじろりと睨むドナヴァンの視線に美月は、思う、と言い直す。
「と言う事でこれからも今まで通りの口調でよろしく」
「・・・はぁい」
「俺はここにいるからミッキーは好きにすればいいよ」
気にしないでゆっくりと見て回ればいいから、と言われて美月は小さく頷いて開けた場所の少しだけ端の方に足を進めた。
「確か・・・・」
この辺りだったっけ、と美月は足を止めて周囲を見回した。
それから小さく頷いてからその場に座り込む。
ここから始まったんだ、と美月は心の中で呟いた。
あと1ヶ月もしないうちに美月は領主の館を出て、1人で町に住む事になっている。
今はたくさんの知り合った人たちに囲まれているけれど、町に住むようになればそうはいかない。きっと1人でいる時間の方が多くなるだろう。
大学に行きたいがために必死に勉強して友達を作ろうともしなかったけど、今までは1人でもちっとも淋しくなかった。
けれどここに来てたくさんの人と接するうちに、1人でいる事が淋しい事なのだと判ってしまった。
そして・・・・
美月は顔を上げて馬の世話をしているドナヴァンに視線を向けた。
彼とこうして過ごす時間も無くなってしまう。
「ひよこの刷り込み・・・かなぁ」
彼と今までのように会う事ができないと言う事が、美月の胸をちくりと刺してくる。
きっとこの世界に来て最初に言葉を交わした相手だから。
生まれたばかりのひよこの刷り込みと同じだと思うようにしていたのだが、それ以上の気持ちがある自分に気づいている。
ドナヴァンとは思った以上に年が離れていて、その事が美月に二の足を踏ませてしまう。
「でも・・・言うだけだったら・・・・いいよね」
先週でバトラシアに頼まれていた領内の騎士のステータスチェックは全て済ませた。
この週末には王都に向かって出発する。
バトラシアの話では美月がマップルを使って生活の糧を得る事には問題はないが、彼女が加護を知る事が出来る事を王都にある大神殿に届け出た方がいいらしい。
必ず届け出をしなければいけない、と言う訳ではないが下手に隠すよりは美月の能力は加護を知る事ができるだけ、と届け出をしておいた方が後々の事を考えると安全なのではないか、と言う事になったのだ。
なので、1ヶ月後に領主の館を出る前に王都にいく事になり、そのための出発が今週末と言う訳だ。
もちろん、ステータス全てを調べる事が出来る事は極秘にしておくように、とも言われている。その事を知られてしまえば、美月は神殿に閉じ込められてここには戻って来られないだろうからだ。
そんな事にはならないと思うものの、もしそのような状況に陥っても後悔しないようにと、そう思ってみ月は今日ここに連れてきてもらったのだ。自分の新しい人生が始まった場所だから。
そして、王都行きの護衛としてドナヴァンも来ることは知っているものの、もしもの状況で彼に自分の気持ちを伝えられないまま離ればなれになった時に後悔しないように、そう思ってここに一緒に来てもらったのだ。
――ドナヴァンが好き。
最初は親愛の気持ちだった。危なっかしい美月の傍にいつもいてくれて、保護者のように見守ってくれる彼の姿を見るとそれだけでホッとできた。彼が傍にいると安心できるから、用がなくても一緒にいたいと思った。
それがいつの間にか些細な言動で自分の心が波立つ事に気づいたのはいつだったか。
その想いに気づいたらもう駄目だった。
ちょっとした事で胸がドキドキして、今まで以上に傍にいてくれるだけで嬉しかった。
けれど、それももうすぐ終わる。
王都はここから馬車で片道5日の行程で行く事ができる。そして予定では次の週末に大神殿で大神官と会う事になっている。その事は既にバトラシアが申し込みをして日程を組んでもらっているから、行ったけれど大神官に会えなかった、と言う事にはならないだろう。
そして無事に謁見が済めば、そのまま週明けにリンドングラン領に帰る事になる。
もちろん何事もなく無事に返してもらえれば、と言う前提があっての事だが・・・
バトラシアの話では、加護が判る程度では留め置かれる事はないだろう、との事だ。ステータス全てが判る人物は、この国には大神官以外いない。しかし、加護だけ、テータスの一部だけ、と言う人間は多くはないがいる事はいる。そう言った人たちはそれぞれの地元で暮らす事を許されているので、美月の事も大丈夫だろうと言っていた。
とはいえ、それは絶対ではない。
できれば王都に許可を貰うために行きたくない、と言うのが美月の本心だ。
何か他に生活費用を稼ぐ方法があればいいのに、と思うものの美月には何も思いつかない。
バトラシアに言えばいつまでも館にいさせてもらえるだろう。
けれどそれでは新しい人生を貰った意味がないのだ。
グッと手を握りしめてから美月は何か決心したように顔を上げてドナヴァンを振り返った。




