私がここにいる理由《わけ》 ー 2.
「それで、ですね。話を戻しますと、大森さんは元の世界への転移を望んだ方の巻き添えを受けてしまったんです。もちろん、事故など起こらないように事前に調査はしておりました。転移者の望んだ場所は人口過密気味な場所でしたからね。できればもっと過疎地が良かったのですが、転移者の希望に添えるようにと転移者がいた世界の管理者から言われていたのでそうもいかなかったのです」
私は世界と世界の繋ぎ目の管理者というだけなのであまり権限はありませんから、と済まなそうな顔を美月に向ける。
「転移者の望んだ場所の確認はしていました。人通りが少なくなる時を曜日別、時間別に分けて調べました。もちろん、転移先のカレンダーも合わせて、です。もしかしたらなんらかのイベントがあるかもしれませんからね。そして、選んだ日に誰か人が通るか、と言う確率も計算しました。その上で選んだあの日は、確率がもっとも低い日だったのです」
「・・・でも、そこに私がいた、という事?」
「そうですね・・・もちろん、私たちもそう言う事があるかもしれない、と考えなかった訳ではなかったので、もしもの事故の時のために現場で立ち会っていました。ですから、即対応する事ができ、無事に大森さんの魂を保護する事ができたのです」
衝撃のために大森さんの肉体は一瞬で破壊されたので無理でしたけれど、とアストラリンクは付け足す。
「空間を引き裂いて、その隙間から無理矢理転移者を押し込むんです。その、空間を引き裂く時に、大森さんは一緒に・・・・」
アストラリンクは言葉を濁してそれ以上言わなかったが、美月には彼がそのあとで何を言おうとしたのか想像がついた。
引き裂かれた、そう言いたかったのだろう。
空間を引き裂く、という事がどういう事なのか美月には想像もつかないが、途轍も無い力がかかっていた事はなんとなく想像ができる。
そんな力に引き裂かれたのであれば、彼が言う通り一瞬で体が消滅したとしてもおかしくはない。
美月は呆然と目の前に座っているアストラリンクを見つめながら、頭の隅でぼんやりとそう考えていた。
そんな彼女の視線から何かを感じ取ったのか、アストラリンクは立ち上がって深く頭を下げる。
「本当に申し訳ありませんでした。今回の事はこちらの不手際です。転移者のいた世界の管理者からも、保証はきちんとするようにと言われておりますし、私としても大森さんが納得するものにしたいと思います」
つまり、美月の体は既になく、ここにいる自分は魂だけだ、という事だ。
それが判ったのに、なぜか美月に怒りはわかなかった。というより、他の感情もわかなかった。
そんな自分が不思議だった。
肉体が無い、という事はつまり、死んだ、という事だ。いや、死んだ、というよりは殺された、と言うべきだろう。
それなのに、なぜか美月の心は平静なままなのだ。
ここは怒っていい筈の場面だ。転移者の希望とはいえ、それに巻き込まれて美月は殺されたのだから。
「どうかしましたか?」
頭を傾げている美月を見て、アストラリンクが尋ねる。
「いえ・・・こんな話を聞かされて、どうしてこんなに平静でいられるんだろう、と不思議に思っているだけです」
「あぁ・・・・それは、ですね。冷静に話を聞いてもらうための処置を取らせていただいているからです」
「処置・・・?」
「感情を凍結しているんですよ。ここで感情的になられると、話を進める事ができませんから」
あっさり簡単に言われ、美月の中でパキン、という音がした。
それがなんなのか美月には判らないものの、どこか心の奥が少し自由になった気がする。
それをおかしいとも思わないまま、美月は黙ってアストラリンクの言葉を聞く。
「感情的になられると、無駄に時間を取られて何もできませんからね。私もこう見えて忙しい身ですから、できるだけ迅速に大森さんの身の振り方を決めてしまいたいと思いまして。大森さんもいつまでもここにいても仕方ないですしね」
パッキーン
今度はもっと大きな音が美月の中でした。
途端、わき上がってくる感情が美月を取り巻いた。
ふつふつと沸いてくる怒り、それが美月の中にわき上がった一番強い感情だった。
つい先ほどまでの落ち着いた気持ちがどこかに吹っ飛んでいった気がするほどの怒りに、美月はそのままの勢いで立ち上がった。
「・・・・そっちの勝手で私を巻き込んでおいて、忙しいから身の振り方をとっとと決めたい、ですって? ふざけないでよっ」
「大森さん?」
ムッとした顔で立ち上がった美月を見て、立ち上がったままのアストラリンクは固まってしまう。
「さっきから、どうして落ち着いてこんな馬鹿な話を聞いているんだろう、って思ってたのよ。感情凍結、ね。何勝手な事してんのよ。冷静な話し合い、ですって? それこそそっちの勝手な言い分じゃない。こんな目にあって冷静に話し合いできる人間なんている訳ないじゃないっ」
「しかし、ですね―――」
「しかしもくそもないわよっ。私の人生、どうしてくれんのよっっ! 私、この春大学生になったばっかりなのよっ! これからウッフッキャッキャの楽しい生活が待ってたって言うのにっっ!」
美月が憧れの1人暮らしを初めてまだ1週間も経っていないのだ。
必死になって頑張った末、受かった時は本当に膝から力が抜けてその場に座り込んでしまったくらいだ。
地元から離れる事を良しとしなかった父親が出した条件は、国立大学である事、だった。学校でも成績は中くらいだった美月が国立大学に受かる訳がない、と思ったからこそ出された条件だが、だからこそ美月は必死になって勉強したのだ。
それもひとえに1人暮らしがしたかったから、に他ならない。
実家暮らしではなく、時間も自由にできる1人暮らしにずっと憧れていた。父親が国立大学に受かったらと言った時、何がなんでも受かってやる、と心に決めたのだ。
だからこそ、受かったと判った時の達成感は忘れられない。
それを事故でした、で済まされてはたまったものではない。
美月は目の前の机を両手でバンっと叩き、ギロリと目の前のアストラリンクを睨みつける。
そんな彼女のあまりの気迫に、アストラリンクは思わず1歩後ずさり、膝裏が椅子に当たった事で自分が後ずさった事に気づいた。
「あの、ですね。少し落ち着いて―――」
「こんな目にあって落ち着ける訳ないでしょっ!」
「だからですね。こちらとしてもきちんと責任を取らせていただくつもりで―――」
「どう責任取ってくれるって言うのよっ。私のいた世界では私はもう死んじゃったんでしょ? っていうか、死体すらないって事だから、行方不明になったって事じゃないっ」
「そっ、それは・・・・」
アストラリンクは自分の口で美月の体は消滅したと言ったのだ。美月の体が見つからなければ、彼女の言う通り行方不明という事になるだろう。
しかし彼は今それどころではない。
アストラリンクは美月の心を凍結させた筈なのだ。それがいきなり感情を露にさせて彼を怒鳴り散らしているのだから、彼としてはどうなっているのか把握できていない。
まさか自分がかけた凍結の術が彼女の心が大きく揺れ動いた事で解けたのだとは思ってもいない。それほど自分が美月にかけた術に自信があったのだ。
それなのに、目の前の美月は怒り心頭と言った感じでアストラリンクを睨みつけている。
それはつまり、自分が掛けた術が切れた、という事に他ならない。
アストラリンクは、現実を受け入れるしかなかった。
彼としてはもう1度術を掛けて、これからの事を話し合いたいところだが、彼女の今の精神状態ではそれは無理だろう。
彼が美月の魂を保護した時に感情凍結の術を掛ける事ができたのは、ひとえに彼女が肉体を失って茫然自失状態にあったからだ。
こうなってしまうと、これからどのようにして彼女と話を進めていけばいいのか、アストラリンクとしても判らなかった。