私がここにいる理由《わけ》 ー 1.
美月は真っ白な部屋に立っていた。
ふと気がつくと、真っ白な窓も何も無い部屋に立っていたのだ。そこに至るまでの記憶も無い。
あれ? おかしいな?
そう思うものの、なぜか不思議と落ち着いた気持ちで周囲を見回す。
「お待たせしました。大森美月さん」
何も無い真っ白な壁だった筈の場所がいきなりドアの形に開いて、その向こうからの光で逆光の人影が声を掛けてきた。
「大森さん?」
「あっ、はい」
美月はよく判らないまま、それでも返事をして開いたドア(多分?)に向かって歩いて行く。
「すみませんね。結構長い間待ったでしょう?」
「あぁ・・・っと。多分?」
「多分?」
近づけば美月に話しかけている相手がどんな人か判るだろう、と思っていたのに、近づいても人影は人影のままで顔も何も見えない。ただ、なんとなく凹凸があるように見える、それだけの相手だ。
だったら人影さん、と呼べばいいのかもしれないな。どこか暢気な気持ちで美月は考える。
自分の前を歩くソレは、本当に人ではないのかもしれない。
そう思うものの、それでも不思議と美月は怖れる気持ちも無く、人影さんの後ろを付いて部屋を出て、行き先が判らないほど続いている真っ白な通路を歩く。
「多分って、どういう事ですか?」
「気がついたらあそこにいたから・・・それで多分、と言ったんです」
「あれ? 忘れちゃったんですか?」
「・・・忘れたのかどうかも、判りません」
困ったな、と言わんばかりの相手の口調に、美月は思わずすみませんと謝りかけたが、肩をすくめるだけに留める。
自分の置かれている状況が全く判らないし、もしかしたら目の前の相手のせいでここにいるのかもしれない。もしそうだとしたら自分が謝る必要は無い、そう思えたからだ。
そんな美月を振り返った人影さんは、ただ肩を少しすくめただけで歩き続けた。
そして美月がどこまで歩くんだろうと思い始めた頃、彼は足を止めて美月を振り返った。
「では、こちらです」
長い通路の途中、通路以外何も無い壁に人影さんが手を触れると、先ほどの部屋のようにドアのように壁の一部が開いた。
どうやら美月をここまで案内してきた人影さんは中には入らないようで、ドアの横に立って美月に入るように促した。
「それでは失礼します」
「・・・ありがとうございました」
ここまで案内してくれた人影さんに美月がお礼を言うと、表情は無いけれどなんとなく美月には相手が笑った気がした。
そんな人影さんから視線を外して中を見ると、白い室内の奥の方に誰かがいるのが見える。
美月がその誰かに会うために中に足を踏み入れると、後ろのドアが閉まった。
ドアが会った場所を振り返って目を凝らしてみるものの、美月にはドアと壁の継ぎ目は見えない。
不思議だな、と思うもののそれ以上ドアの事を考える事もしないまま中へと歩いていく。
「お待たせしましたね」
白い部屋に白い家具。そのせいで美月にはそれらに近づくまでそこに家具があることすら見えなかった。
ただ今度は相手の顔を見る事ができた。
美月の前にいる男はかなり年配のようで、白い髪に白い髭を生やし、白いプリーストが着るようなローブを着ている。
彼は目の前までやってきた美月を見ると椅子から立ち上がり、彼女に軽く一礼する。
「どうぞ、そちらに座ってください」
彼にいわれるまま美月は真っ白な椅子に座る。
「大森美月さん、で合ってますか?」
「はい」
美月が座るのを見てから、男も自分の席に座る。
「今回は本当に申し訳ありませんでした」
「はぁ・・・・」
「けれど、既に起きてしまった事ですので、こちらとしてもどうしようもないのです。その点、判っていただけるでしょうか?」
さて、どうしよう。
美月は少し頭を傾げて、目の前の老人を見る。
なぜか美月には彼が何を謝っているのか記憶が無いのだ。
そう言えば先ほど美月をここに案内してくれた人影さんも、美月が忘れたと言っていた気がする。
「大森さん?」
「えっとですね・・・話が判りません」
「どういう事ですか?」
「気がついたら、白い部屋の中で立っていたんです。どうしてあんな場所にいたのかも、どうして今この部屋であなたと話をしているのかも、まったく判りません」
「はぁ・・・・なるほど」
美月の言葉を聞いて一瞬目を見開いた老人はすぐに小さく頷いてから、広い髭を撫でながら何か思案している。
「それではまずは私の自己紹介をしましょうか。私の名前はアストラリンクと言います。美月さんの魂を保護した時に1度自己紹介はしたのですが、この空間に移動する時に掛かる負荷のせいで全てを忘れてしまったのかもしれないですね」
「全ては忘れてないですよ? だって、私は自分の名前も憶えているし、家族の事や友達の事も憶えていますから」
全てを忘れた、と言われた美月は思わず反論する。
美月としては何かを忘れたと言う自覚は無いのだ。
ただ、どうして自分がここにいるのか、それだけが判らないのだ。
「あぁ、言い方が悪かったですね、申し訳ありません。私がいいたかったのは、なぜあなたがここに来たのかという原因と理由のすべてを忘れてしまった、という事を言いたかったのです。ですから、すべて、というのは間違いです」
「原因と理由って?」
「全てが・・・偶然に偶然が重なったような事故だったのですよ。そのせいで美月さんには大変申し訳ない事をしました」
どこか奥歯に物が挟まったような言い方をするアストラリンクに、美月は眉間に皺を寄せながら聞き返すが、彼の答えでは美月にはまったく何がなんだか判らない。
「私は世界と世界を繋ぐ空間の管理をしております。とはいえ誰でも利用できる訳ではなく、選ばれた者のみがこの空間に来ることが許され、その希望する世界へと移動する事ができるのです。まずそれぞれの世界の管理者から連絡を貰います。そして管理者の言う相手がこの空間を利用するに値すると判断すれば、相手をここに送ってもらい当事者と共に話し合います」
「・・・・それで?」
「それで、ですね。実は美月さんの世界に転移を望んだ者がいました。彼の話によると、彼は美月さんがいた世界から違う世界へと転生を果たしたらしく、今回多大なる功績を残したその報償として、元の世界に戻る事を望んだのですよ」
アストラリンクは相変わらず片手で髭を撫でながら、もう片方の手で目の前の書類を繰っている。
どうやら何か捜しているようだ。
「転移? 転生、じゃないんですか?」
「普通は転移ですね。転生となると新しい肉体生成から始めなくてはなりませんから、その体を作るのに手間がかかるんですよ。大体100年ほど必要でしょうかね。それに新しい肉体に移す時に記憶をなくす可能性は大なので、大抵の方は転移を勧めさせてもらいます。転生時に記憶を持っていたいと言われると、新しく作る体に魂を馴染ませなければいけないので、そうなると更に数百年必要になると思います」
「はぁ・・・・」
つまり、手間暇掛かる上に記憶も無くす可能性大だから、転移らしい。
おまけに新しい体を貰って記憶を持っていても、既に世界では数百年以上経っていると言われると、そりゃ転移を選ぶだろうなと美月は思う。
「でも、だったら誰かの子供として生まれてくる事だってできるんじゃないんですか?」
「それは無理ですよ。だって、母親の胎内にいる子供には既に命が宿っていますからね。子供の体に転生させるという事は、その体の持ち主を殺して入れ替わるって事ですよ。それは許されません」
「殺す・・・・」
アストラリンクの「殺す」という言葉を聞いて、美月は思わず唾を飲み込んだ。
「もちろん、例外もあります。母体の中で死んでしまった子供の体であれば、それを媒体に使って別の世界に転生する事はできます。けれど、そういった体を見つける事は難しいんです。死んで時間が経ってしまえば使えませんからね。ですので、丁度いいタイミングで見つけるという事は、ほぼ無理だと考えてもらわなければいけません」
「・・・・・・」
「しかし、それは以前と同じ姿を望むのであれば、という事になります。以前とは違う姿、そしてその上で記憶が無くても構わないと言われる方にはもう1つの選択があります。それは魂を新しい世界に同化させて、その世界の新しい命として生まれる事です。これならば新しく生まれるのを待つ魂の1つとして世界に受け入れられる訳ですから、女性が受胎したと同時にそこに送られます」
その方法を選ばれると1日と待たずに済みますね、と男はうんうんと頷きながらやっと見つけたらしい1枚の紙を取り上げて美月を見た。