満月の夜
ルナはセーヤと別れた後、彼からもらった本を手に森の奥深くに入っていった。
彼女が向かった先には、古びた神社がひっそりと建っている。
「ただいま」
そう呟きながらルナが神社の中に入ると、神社は彼女諸共静かに姿を消した――……
「ただいまー」
聖夜が家に帰った時には既に暗く、空には銀色の月が闇夜を照らしていた。
「聖夜!! お前どこに行ってたのっ!!」
家に入った途端、母の怒声が響く。
「どこって、別にどこでもいいだろ」
そう返しながら、聖夜は自分の部屋へ行こうとした。
だが。
「――まさか、鬼の住む森に行ったんじゃないでしょうね」
そんな母の言葉に思わず足を止める。
「今日は満月なのよ? わかってるの?」
「…………」
聖夜は何も言わず、止めた足を再び動かした。
「あ、ちょっと……!! 聖夜っ!!」
満月の夜――……
その夜は、鬼が最も強い力をもつと古くから言い伝えられていた。
闇の力が最も強いときだと。
しかし、それと同時に光の力が最も強いときだとも云われている。
鬼の力――つまり闇の力に、唯一対抗できるもの。
それが、光の力――それは神の力だ。
夜空に満月が浮かぶとき。
その二つの力がぶつかりあう。
光が勝れば、月は金色に。
闇が勝れば、月は紅色に。
月が銀色のままならば、互いの力が打ち消された結果。
つまり釣り合ったということ。
そして、もう一つ。
満月の夜にはもう一つ、言い伝えがある――……
家族が寝静まった真夜中、聖夜はそっと庭に出た。
特に大した考えはない。ただなんとなく、だ。
今は春。
少し暖かくなってはきたが、まだ寒さは残る。
桜が舞う中、空に浮かぶ銀色の月を見上げた。
「…………」
聖夜は森の中で出会った少女を思い浮かべる。
銀色の髪をもつ少女。
桜のような、とても綺麗で優しい色の瞳をもつ少女。
自分が“ルナ”と名付けた少女。
人々から“鬼”と呼ばれ、恐れられている少女。
彼女が“鬼”だというのは、話していてすぐにわかった。
彼女は、何も知らなかったからだ。
自分の親さえも知らなかった。
――いや。
――“親”そのものの意味を知らなかった。
“感情”というものさえ、あの少女は知らなかった。
彼女は、自分がこの世界に“鬼”と呼ばれていることも知らないのだろう。
そしてきっと、光と闇が何なのかさえも――……
何も知らないのは、あの森から一歩も外に出ていない証拠だ。
「――鬼、ね……」
聖夜はそう呟き、そして苦笑を浮かべた。
「どこが、鬼なんだよ……」
自分と同じかそれよりも下の歳のように見える彼女は、誰よりも純粋だった。
穢れというものを少しも知らない彼女の瞳は、誰よりも透き通っていた。
そして彼女は、誰よりも綺麗だった――……
「そろそろ、寝よう……」
ふと寒さを覚え、家の中に戻ろうとしたその時――
「っ――!!」
――歌が聞こえた。
とても綺麗で、優しい歌……。
それはあの森から聞こえてくる……。
聖夜はその歌に惹きつけられるようにして森へと向かった。
聖夜は森に入っていくと、一つの光を見つけた。
その光は、温かくも冷たくも感じる。
そして少しずつ、それは強くなっていた。
聖夜はゆっくりとその光に近づいていく。
「っ――!!」
途端に大きく強さを増した光に、聖夜は思わず目を瞑った。
――暫くして目をあけた聖夜は、目の前の光景に唖然とする。
「――ルナ……?」
そこには、大きな結界の中で舞う銀髪の少女の姿があった――……
聖夜はその時、ふと思い出す。
満月の夜の、もう一つの言い伝えを――……
……――満月の夜の、もう一つの言い伝え。
それは闇夜に響く歌声だ。
満月が空に浮かぶ夜は、必ず女の歌声が響き渡る。
透き通るように美しく、そして包み込むように優しい歌声が。
人々はその声の持ち主を“神姫”と呼んだ。
彼女の声が紡ぐ歌に誰もが聞き惚れ、やがてこの歌に名前がつけられた。
“月恋桜花”と――……




