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いふるーと・ひなげし

 IFルート ヒナゲシ 


・チートコードAHを入力してゲーム開始することが必須条件 その上で北アッシアに居を構えている間にヒナゲシの好感度が一番高いと発生 シナリオスチル有 必須条件を誤るとデータが消える。



「頭痛い」


 様々な書類にたたきつけるように、筆を走らせていた。

 片づけなければいけない案件が多くある中で、この執務室ではしばらく毛の擦れる音しかしなかったのだが。

 唐突にその静寂を打ち破ったのは、竜基の口からぽつりと漏れた一言だった。


 下座のデスクで同じように筆を握っていたヒナゲシの動きが止まる。

 視線こそ竹簡から離れなかったが、小さな違和感に頭の中に靄のようなものがかかって首を傾げた。


 一日缶詰程度で、そんな弱気な発言をする奴だっただろうか。


 竜基の弱音数は軍内ぶっちぎりでそれこそ軟弱グランプリ北アッシア代表のようなものだが、それでも自分の体調が少し悪いくらいで、副官である自分が居る場所で弱音を吐くような人間だったかと言われると答えは否だ。


 もう一度集中して墨壷に筆を入れようとして、やっぱり少し気になって竜基のほうをちらりとみた。

 すると、青白い顔に目を充血させた、船酔いでもしているかのようにグロッキーな軍師が、ミミズが這ってもそこまで遅くはないだろう筆の速度で仕事をこなそうとしていた。


「うわあああああ!! ちょっと竜基! 顔色最悪!! 最悪だって!!」

「……え?」

「昨日ちゃんと寝たの!? 久々にちゃんと睡眠時間確保したじゃないか!!」

「ライカと遊んでた」

「おバカ様!!!」


 勢いよく墨壷に筆をつっこむと、慌てて立ち上がり竜基の後ろへ周り込む。

 竜基に振り向くよう怒鳴りつけ、そのまま勢いよくおでこ同士をくっつけた。


「ちょ!? ヒナゲシ!?」

「我慢なさい……うわスゴい熱持ってるじゃないか……完全に風邪だよ!」

「……あ~、バカは風邪引かないからこれは風邪じゃないと思ってたんだが……」

「そんな迷信本気で信じてるとか軍師やめちまえ!!」

「え~」


 迷信、だったのか。と呟く竜基を見る限り、どうやらこの男は風邪を引いたことすらないらしい。自分をバカか何かと勘違いしているところがやたらと苛つくところではあるが、それもまあしょうがないとして。


 一つため息をつくと、腰に手を当てて竜基をヘイゲイした。

 ぼーっとヒナゲシを見上げるその顔は青白く生気が無いながらも、どこか火照って暑そうだ。


「全く。……今日はもう寝なよ。僕が仕事は全部やっておくから」

「いや、それはあまりに負担が大きすぎるから」

「今のキミに負担をかけるよりよっぽどましだよ」


 なおもしぶる竜基。どうしたものかと思案にくれるも、このワーカーホリック相手にうまい方法が思いつかない。

 生半可な理由付けをすると逆にこっちが論破されかねないのが、竜基相手のめんどくさいところだった。


「……それなら、もうしょうがない。僕は寝て欲しいけど、竜基は仕事がしたい。なら妥協案を立てよう」

「……んぁ?」

「ここに布団をもってくるから、寝る姿勢で作業したまえ」

「……は?」


 どうだ、とばかりに胸を張るヒナゲシに、竜基はぽかんと表情を硬直させた。何を言っているやらわからない内に、ヒナゲシは執務室を出て、ちょうど通りすがった兵士に布団をもってくるように命じている。

 兵士が顔を赤くしていろいろと誤解したのを、ヒナゲシが手甲で拳骨与えたのが印象的だった。


 戻ってきたヒナゲシの顔は真っ赤で、ぶつぶつと怒っている。


「竜基の寝る布団をもってこいって言ったのに、何で僕まで一緒に寝ることになってるのさ」

「一緒に寝る?」

「キミは少し黙った方がいいな、うん」

「いでででで!?」


 頭が痛いと言っている人間にアイアンクローは無いんじゃないだろうか。

 そんな抗議の視線も何のその。

 いくら頭がぼうっとしているからと言って、あまりにふざけた発言は制裁を施す。

 乙女の感情をわりかし土足で踏みにじる発言に、ヒナゲシが容赦をする理由は無かった。


 ほどなくして布団を持った兵士がやってくる。散らかっていた竹簡を適当に捌けると、そこに布団を敷いて竜基を寝かせた。


「ちゃんと治さないと、みんなが迷惑なんだから快復に努めなよ?」

「……いやまあ、ここまでされちゃうと仕方ないけどさ」


 服装もそのままに布団へと潜りこんだ竜基は、少し安心したような表情でヒナゲシをみた。

 彼女も、「仕方がない上司だよ、全くさ」と口では言いながらも、小さく口元を緩ませて微笑んでいた。


「とりあえず、やらなきゃいけないことだけでも終わらせるよ」


 俯せの状態で、枕を腹のあたりに押し込むと、竜基は寝そべったまま筆を取り、書類にゆっくりとサインを書き込んでいく。

 ほとんどが、形だけのサインをすればいいだけの書類なのも幸いして、少し遅いくらいは問題にならなかった。


「……僕も、作業を進めないと」


 竜基を寝かせた場所を見下ろせるデスクで、ヒナゲシは自分の作業を再開した。













 ヒナゲシにとって、竜基は複雑な感情を抱かざるを得ない相手だった。

 自分の父親代わりを殺す策を立てた張本人で。この国の為に全力を尽くす人々の中心で。それでいて、自分に救いの手をのばした恩人でもあり。そしてただ単純に、お人好しで底なしに優しい人間だった。


「……寝た、か」


 ころん、と何かが転がる音に気づいてヒナゲシが顔を上げると、筆が一本床を転がっていた。持ち主は力尽きたのか、眉根をひそめたまま瞼を閉じて、開く気配はない。

 少し幅の大きい寝息を繰り返すばかりで、多少の音では目覚めなさそうだった。


 そんな竜基の表情を見ながら、ヒナゲシは筆を持ったまま頬杖をついた。

 風邪すら引いたことが無いような、自分とほぼ同い年の少年。それが、この大量の書類を必要とする一つの地方の大黒柱である。

 今更ながら事実を再確認して、吐息が漏れた。


「……竜基は、バカだよ。そりゃ、風邪も引かないわけだ」


 ぽつりと漏れた言葉に、ヒナゲシ自身が驚いた。声に出すつもりなど無かったのに、どうしてか心の内がこぼれてしまった。

 いつの間にか、視線が竜基から離れることもなくなって、自分の口元が小さく緩んでいることにも気づく。


「……本当に、バカなんだよね」


 バカ、という罵言のはずなのに、どうしてか声に籠もった温かみを感じた。ヒナゲシにも、竜基を罵倒しているつもりなど微塵もない。むしろ様々な感情がない交ぜになって、何をしゃべっても今はどうにかなってしまいそうだった。


「ギースさんの、仇のはずなんだけどな」


 竜基はどうして話してくれなかったんだろう、と今更ながらに思うことがある。

 ギースが死に、ヒナゲシが北アッシアに来るきっかけとなった戦い。あの時、竜基は一言も「レザム卿が悪い」などとは言わず、一心にヒナゲシの恨みを受けていたように思う。


 それが、優しさのつもりだったのだろうか。

 自分の感情を操作し、アッシア王都に怒りを向けさせるには十分過ぎるネタであったはずなのに。

 それを善しとしなかったのは、罪滅ぼしか何かのつもりだったのか。


「……だからバカだってんだ」


 どんなことをしても自虐ばかり。

 副官となってくっついてからも、いつも自分が悪いと言って聞かないこの少年は、自分が支えてあげないとどうにもだめだ。


「本当に、ダメだね」


 いつの間にか、仇だと思っていた人間を……自分はとても大切な人のように……


 そこまで考えて、ヒナゲシはかぶりを振った。

 ギースさんは許してくれるだろうけれど。それでも、自分が自分を許せないような気がして。


「……ライカは訓練があるし、アリサは料理なんてできないよねっ! ここは僕が腕をふるって、暖かいお粥さんでも作ってやろう! 喜べ竜基!」


 寝ているからこそ、いえること。


 ぴ、っと指を竜基に向けて、せかせかと執務室を出ていった。

 気持ちを押し込めて、その気持ちと矛盾した、甲斐甲斐しい行動に出ている自分に気づきたくなくて。














 結局その日のうちに竜基の風邪が治ることは無かった。

 ヒナゲシは兵士に命じて竜基を自室にかつぎ込ませると、翌日は仕事をこなしてから竜基の部屋に来るようになっていた。


 次の日に回せる仕事はどんどんと次の日に回し、一日の仕事をがっつりと減らす。それでもほぼ半日以上かかってしまうのだが、逆に言えば半日も時間が空くことが今はありがたかった。

 終えた書類を抱えてアリサに届け、彼女の部屋から出ていざ竜基の看病へ……と言うところで、ヒナゲシは後ろから呼び止められた。


「ねえヒナゲシ。竜基が風邪をひいてるって本当みたいね」

「……なんで?」


 くるりと振り向いたヒナゲシの表情は、笑顔だった。

 アリサも小さくほほえみながら、眼前のデスクに並べられた書簡のうちの一つを手に取る。


「なんでって……いつも仕上がってくる書類の量より少ないし、それに竜基が絶対に触れる必要がある書簡が、昨日は半分、今日はゼロ。……おかしいわね?」

「あはは、大丈夫だよアリサが心配しなくても」


 開きかけだった扉を一度後ろ手で閉じると、肩を竦めて笑みをさらに深くした。

 何が大丈夫なのかと、にこやかに首を傾げるアリサに向けて、ヒナゲシは言う。


「ほら、アリサは領主の仕事で大変でしょ? 竜基のことは、僕に任せてよ」

「そうもいかないわ。私の大切な部下だもの」

「直属の上司の世話くらいさせてくれないかな?」

「やっぱり風邪引いてるのね……貴女だって仕事が多くあるはずよ。私はその点一番時間はあるし、看病するくらい問題ないわ」

「気をつかわなくていいよ。僕も今日の仕事は終えたから、今からしっかり看病してくるね」

「いいのよ、ヒナゲシはまだ今週中にやらなきゃいけないこともあるだろうし、私がやるわ」

「料理できないじゃんアリサ」

「あ?」

「なに?」


 終始笑顔である。


 かちゃりと、扉が開いた。

 不幸にもちょうど仕事を仕上げてきたクサカは、この底冷えするような状況に一瞬フリーズして、おそるおそる、にこやかな笑みを浮かべる両者をみる。


「……何を、しとるんじゃ?」

「「クサカには関係ないよ」」

「そ、そうか……」


 何があったこいつら。


 いやな予感に身をすくませながらも、そこは北アッシア最年長。堂々と胸を張って、アリサのデスクに書類を置いて軽く仕事の引継をすると、そそくさと出ていこうとして、せめて空気を和らげようと一言。


「ああ、竜基の奴が風邪をひいているようじゃからの、儂が看病に行こうか――」



 ぐしゃ。









 何の音だったかは、この際記述しないでおこう。














 桶に水の垂れる音がぽちゃぽちゃと。そっと冷たいものが額に乗せられる感覚に、竜基は目を覚ました。

 熱く火照ってしまったところに、この感触はひどく心地の良いものだ。どんな優秀なハードでも、熱をもってしまっては読み込みもままならないように、その冷たさを伴って自然に意識が呼び覚まされる。

 うすらぼんやりとかすんでいた視界が、冷却された脳とともに開けていくように感じた。


「……いま、なんじくらいだ……?」

「風邪で倒れてるってのに仕事のことばかりって、キミは本当にむちゃくちゃだね」

「……ヒナゲシ?」


 上体を起こそうとして、体がやたら重く持ち上がらないことに気がついた。衣擦れの音がするのみで、自分の上には掛け布団しかないはずなのに、どうしても体が持ち上がらない。

 そんな竜基を、そっと押さえてもう一度寝かせようとする少女。

 竜基と天井の間に入り込んだその不安そうな顔に、何故かとても申し訳なくなって、ふと気づく。


「ああ、そっか。俺、風邪ひいたんだっけ」

「風邪、って言うにはずいぶんと熱があるけどね」


 額に乗せられていたタオルが剥がされ、ヒナゲシがそれを水桶につけ込んで絞っているのが見えた。

 反対側の窓をみれば、もう外は暗い。いったいどのくらい寝ていたのだろうか。


「……でも、目が覚めて良かった。今日は一日中寝ていたんだよ?」

「……っ」


 不安そうながらも、仕方ないな、と小さく笑う。微苦笑ともとれるその表情は、とても母性に溢れていて、竜基の身を本当に案じてくれているのだと、どうしてか伝わってくるほどに、温かくて。

 竜基は発しようとした言葉を、思わず感情と一緒に飲み込んでしまった。


「……竜基?」

「いや……その、別に」

「あ、こら」


 くるりとヒナゲシに背を向けるように寝返りを打つ。風邪なのかまた別のものなのかわからないが、顔が熱い。

 風邪など引いたことが無かったから、というのもあるが、母親離れすら満足にできていない状況で放り出されたこの世界で、そんな優しさを向けられるのが恥ずかしかったのか……竜基はそんな風に、未だはっきりしない頭で考えてしまう。


「もう……ほらこっち向く。タオル乗っけられないでしょ」

「……」


 こんな真っ赤な顔向けられるか、と無意味な気恥ずかしさを覚えてしまって、16歳の竜基は、同い年の少女のほうを向くことをしない。

 竜基はそのまま、正面にある窓から空を眺めた。

 すでに殆ど光りは届かず、竜基が普段目印にしている星星も、ずいぶんと傾いていた。


「……もう、夜中だろうこれ。夕飯もとっくに済んだんじゃないか?」

「う~ん……そろそろ夜明けじゃないかな。ちょっとおなかすいたけど、夜食は敵。夜食は敵……」

「……まさか、今までずっと!?」


 思わず振り向いた。

 怨念がましくおなかを押さえて唸っていたヒナゲシは、唐突に竜基の顔が自分を向いたことに少々ひるむ。

 竜基の布団の横に正座していた彼女は、膝の上に乗せていた手できゅっと裾をつかむと、斜め下を向いて竜基から視線をはずした。

 恥ずかしげに頬を赤らめて、それでも気丈な雰囲気を損なわずにぽつりと呟く。


「だって、心配じゃないか」

「だからと言ってお前も寝なきゃダメだろう」

「……それに、ほら」

「……ん?」


 視線を外したまま、ヒナゲシは小さく口を動かした。

 聞き取れるか聞き取れないか、怪しいくらいの声で。


「……僕は、キミの部下だから、さ」

「……」


 一瞬、惚けたようにヒナゲシを見つめる竜基。

 その目にたじろいだのか、慌てたようにヒナゲシはあたふたと言葉を続ける。


「べ、別にいやなわけじゃないんだよ!? でもほら、どんなに忙しくてもさ、譲りたくなかったんだ……誰にも」


 なにを、言ってるんだろうか。

 竜基はヒナゲシの弁解の、何一つとして理解することはできなかった。

 ただ、ただ。単純に、自分の看病を誰にも譲りたくない、というその言葉は嬉しかった。真意はわからないにしろ、それでも心配して、こうして付きっきりで看病してくれたこと。申し訳ない気持ちでいっぱいではあったが、なぜかそれ以上に心がとても温かいものに包まれたような、そんな気がして思わず笑みがこぼれる。


「な、何で笑うのかな! だ、だいたいキミはいつもいつも鈍いくせに神経逆撫でするのは一人前だから困るんだ!」

「……いや、なんか、嬉しくてさ」

「……っ……こ、この男はさらにこうやって……もう……もう……!」


 正座のまま器用にくるりと反転し、竜基は彼女の背中しかみることができなくなった。

 そういえば、最近の彼女はもう殆ど問題なく歩けるようになってきて、そういうところも少し嬉しかった。

 まだ杖は必要だけれど、それも時間の問題ではないだろうか。


 ふらっと、竜基の頭が重くなる。

 少し話しすぎたのかもしれない、風邪はまだ治りきっては居ないようだ。


「……眠く、なってきたな」

「……あそ」

「今日は、ありがとう。ヒナゲシも、寝てくれ」


 それだけ言うと、少々限界がきていたのか、竜基はすぐに寝息を立て始めた。

 それも、しばらく前までの息苦しそうなものではない。どちらかといえば、穏やかなもの。

 本当に、そろそろ治るのかもしれない。

 いい加減仕事がたまっているな、と考えつつ、ヒナゲシは竜基にそっと布団を掛け直して一人微笑む。


「本当にこいつは……どうしようもないんだから」


 寝入ってしまった竜基を見つめ、しばらくぼーっと時間を潰していると、あくびが漏れた。


 自分も、寝なくてはならない。

 そろそろ、寝なければ明日への支障が甚大だ。

 だが、そう思う自分とは別に、なぜかこの場を離れたくないと思う自分も居ることに気づいた。


 竜基の看病を絶対にアリサに譲ろうとしなかった、あの自分だ。

 ……でも、竜基は自分の父親の仇で。

 ……でも、本当にそう思っているわけではなくて。

 ……でも、そうじゃないと、僕は……。


 ……。



 ふらっと、頭が急に重くなった。

 ああ、本当に寝なければまずい。いろいろ考えることもあるけれど、案件はそれだけじゃないんだ。自分は、竜基の副官で、それ以上でもそれ以下でもないんだから。

 そういえば明日は、回しに回した仕事のせいですごく忙しくなっている気がーー



 そこまで考えて、ヒナゲシはそのまま、竜基に寄りかかる形で意識を失った。













 アリサの機嫌が悪い。

 その理由を理解しているつもりの竜基は、実は半分しか解釈が及んで居ないことに気づかなかった。


「ほれ、とりあえずなんか、やらなきゃいけない仕事は全部やっておいたよ」

「……そ」

「なんでそんなあからさまにそっぽ向くんだよ……いやまあ、風邪引いたのは悪かったけどさ」

「そんなんじゃないもん」

「あー、さいで……じゃあ、あれか?」



 俺を看病してたヒナゲシに風邪が移ったからか?




 それも違う、とアリサは言った。










 朦朧とする頭で、ヒナゲシは己を叱咤していた。

 なぜ、病人の目の前で、体のリズムを崩していた自分が寝落ちしたのかと。そりゃ風邪も移るわと。

 自分の部屋の布団から、ぼんやりと眺める天井はとても遠く感じた。


 ひやり。


「きゃぅ!?」

「……全く、バカは風邪引かないってのは本当に嘘みたいだな」

「……りゅぅ……き……?」


 額にぺちゃりと乗せられたタオルは、絞りが甘いのかずいぶんと水っぽい。

 声のするほうをみれば、そこには呆れた様子の一人の少年が、昨日の自分と同じように正座をして、水桶から取り出したタオル片手に看病してくれているようだった。


「……仕事は?」

「お前もたいがいワーカーホリックじゃないか。人のこと言えないと思うんだけど」

「……もうそれでもいいよ。お仕事どうしたの」

「世間には、俺らのように忙しい奴のほかに、ばっくれて昼寝かまそうとする奴も居る」

「す、スケープゴート……」


 気分はハローワークだな。

 と清々しい笑顔で言う竜基。ハローワーク、がなんだかいまいちよく分からないヒナゲシだったが、こんにちはお仕事、という直訳で何となく意味を察した。


 今頃、お昼寝大好きなあの男は、涙目で筆を走らせていることだろう。


「……わざわざ、ありがとね」

「どっちかと言うと俺が悪いから」


 苦笑して、竜基はもう一度ちゃんと絞ったタオルをヒナゲシの額に乗せた。

 その困ったような表情をみて、ヒナゲシは火照った思考とともについ昨日の夜に考えたことを思い出してしまう。


 ……この状況が、とっても嬉しいと思う自分が居た。


「アリサは?」

「あん? なんか機嫌悪いから逃げてきた」

「……そっか」


 アリサには悪いけれど。

 この上司を独り占めできることが、なによりも。なによりも、幸せで。

 ふと、竜基が何かを思案するような表情で呟いた。


「ふむ」

「どうしたの?」

「いやな、恩返しのつもりでこういうことをしていると、とっても気分が良いのは間違いないんだ。けど……」


 そこで、真剣な、それでいて疑問を帯びた瞳がヒナゲシを向いた。

 竜基のことを考えていたからか、思わず心臓が跳ねるような幻覚を抱いて、視線を返す。

 竜基はそのまま、本心であろう疑念を彼女に問いかけた。


「どうして、こんなになるまで俺を看病してくれたんだ?」

「……ぷっ」


 何だろうか。

 この男は本当に。

 本当に、バカだと思う。

 自分も相応にバカなことは理解したし、お互いが風邪を引いたことで「バカは風邪を引かない」を反証できたは良いとして。

 呆れて一瞬ものも言えないばかりか、そんなことにも気づかない軍師様がおかしくなってつい笑ってしまった。


 バカにされたと思ったのか、ちょっぴり眉根を寄せた竜基。

 なら、その難しいことばかり考えている脳味噌に、ちょっぴり刺激を与えてやろう。


 悪戯心と、乙女心を混ぜ合わせたような、そんな笑顔を浮かべて、ヒナゲシは口を開く。

 竜基をまっすぐに、そして柔らかく優しく見つめて。




「だって、竜基が大好きなんだもん」




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