ある晴れた日に
特に変わったこともなかった。遊んでいて、リューキが居て、凄く楽しかった、そんな一日。
ライカの手記より
この世界に来て初めて、俺の推測が外れた日。でも、こういうものなら、悪くないと言えるのかもな。
リューキの手記より
木造の家というのは珍しくないが、森の中にある家というのは珍しい。夜獣の森となればなおさらで、そんなところにある家は一つしかない。
最近村人たちの手で改修の行われた、リューキとライカの住まう家だ。
午前中、暖かな日の出ているこの時間は魔物が出てくることも無い。であればこそ、一人の少年が屋外で何やら工作に勤しんでいた。
「中々、上手くはいかないってところか」
ため息を一つ。今日も一つの設計図をもとに、新しい物の開発に挑んでいたらしい。
この村にリューキが逗留することになってからというもの、彼は頻繁に設計図を持ち込んで村の改修ならぬ改造や、農業・工業をより円滑に進める為の道具を開発し続けていた。千羽扱きを自力で作りあげた辺り、工作の才能も有るのかもしれない。
「碁盤作った時は上手く四角にできたんだがな……中を空洞にするだけでこんなにバランスが崩れるとは……」
歪な四角の桶のようなものを日に翳して、リューキはその小道具を睨んだ。
こういう段階では、何を作っているのかなどリューキ以外に分かりはしなかった。
いったいなんだろうと思いつつも、リューキのことだからきっと間違いないのだろう、と変な信頼を寄せられてさえ居た。いくつもの工具で村を発展しつつある今だからこその信頼なのだろう。村長からそう教えられて、リューキも半分疑問を浮かべながらも納得を見せていた。
「俺が勝手に村改造しようとしてるのに、皆文句の一つもないからなぁ」
首を傾げながら、呟いた。ちなみに今作っているのは村の模型である。これから村へ水路を引こうと考える中で、模型はあった方が随分と楽なのだ。確かに四角く、堅牢な壁が周りを囲んでいる点では似通っていると言えなくもない。変に波を打った壁でなければ、の話ではあるが。
「……また今度にして、別の物でも作るか」
まだまだ正午にもならない時間。他にも設計図だけで実物が無いものも沢山あるのだ。実用出来るかも試してみなくてはならないのだから、最近のこの有り余る時間は有難かった。
「リュウウウウウウウウキいいいいいい!」
「……ん?」
ほぼ自宅と化した木造の家に、一度入ろうとしたちょうどその時のことだった。ちらりと声の方を見れば、森の奥から楽しそうに駆けてくる一つの影。そのものよりも武器のシルエットを見た方が本人を特定しやすいというのは、いかがな物だろうと思いつつ。
かなりの速度で近づいてくる少女に対し手を振った。
「おりゃ!」
「うぉっと!?」
目前で大斧をほっぽりだし、突撃よろしく飛び込んできたライカを、竜基は辛うじて受け止めることに成功した。よろけついでに扉に頭を打って凄く痛いのは、プライド上口には出さずに我慢する。
胸元に埋めた顔を勢いよく上げ、嬉しそうに「ただいまっ!」と言う彼女に「おかえり」と返す。年下の家族が居なかった竜基にとっては、とても大切で、小さくも心の温まる一連の流れだった。
「なーなーリューキ! 聞いてくれ! あっちにすっげーきれーな湖があったんだ!」
「……湖?」
両手をがばっと広げて屈託ない笑みを浮かべるライカに対し、竜基は顎に手をあてて思考する。
水路を開発しようという事案は、前々から考えてあった。実行に移せないのは、川が遠く地下水路も目途が立ちそうにないからだ。もしその湖が使えるのなら……悪くない。
問題は、あっち、とライカが指差す方角が村とこの家に並行な南、という点だけだ。近ければ良いが、そうでなければ難しい。
「その湖、近かった?」
「う~ん……よく分かんねー。でも午前中にこーして帰ってこれたんだ。そんなに遠くねーと思う。な、一緒にいこーぜ! ぜってーリューキも気に入るよ!」
その位の距離であれば、一考の余地はあるか。そう考えつつ、竜基は家の扉を開く。
「リューキ?」
一転して不安げに首を傾げるライカ。そういえば返事もせずに扉を開けたのだから、無視の挙句却下されたのかもしれないと思っても仕方のないことかと思い直す。最近、彼女がどこかに誘ってきても、村からの依頼やら何やらで断り続けていたのだから。
(だからって、無視したことは無いのにな)
肩を竦ませて、笑う。
「早お昼でも食べて、その湖に出かけようか」
「……! うん!」
花の咲くような笑みを浮かべて、ライカは力強く頷いた。
最近リューキが忙しいのは知っていた。村のことを第一に考えて、もう二度と盗賊に襲われて哀しむ人が居ないようにと一生懸命頑張ってくれていることも。
村長曰く、森の少年賢者。どこからともなくあの森に現れ、ライカを助け、村を救った。それ以降もこの村に尽くしてくれているあの少年を、大事にしなくてはならないと村の人々に言っていた。
そのくらい、リューキは村にとって大事な存在で、大変なのも分かっている。分かっていたから、一生懸命我慢してきた。
そして今日、リューキが一仕事終えたことを村長から聞いた。
嬉しかった。
ライカも、まだ十二歳。遊びたい盛りの子供。性格からして家でおとなしくしていることなど好まない、アウトドア派の少女なのだ。
外で沢山遊びたい、けれど、リューキはきっと忙しくて来てくれない。
そんな折に、一人で散歩していて見つけたのがあの湖だった。
実は今日あの湖に出会った訳ではない。リューキといつか一緒に行きたい、そう思っても今まで誘うことはできなかったのだ。
あの日わがままでこの村へと引き留めてから、多少申し訳ない気持ちが積もっていたのもあったのだろう。
だから、今日。村へ遊びに行って、リューキが一仕事を終えていると聞いて。今日しかないと思って飛びついたのだった。
「~♪」
ついつい浮かれて、ふにゃっと笑った顔も戻らない。仕方がないのでリューキの前に立ち、先導して進んでいた。
「この辺は……来た事がなかったな」
「あたしの散歩コースだからな! あの辺とかの木を跳び移って進むのも楽しーぞ!」
「それは遠慮しておくよ」
苦笑い混じりのそんな声が聞こえてきて、嬉しさが湧きあがる。こうやってリューキと話しながらの散歩は、一人で歩くよりもずっと楽しかった。
飛び移りながらのお出かけを拒否されたのは、少々寂しいものがあったが。
家を離れて、少し。お日様が傾き始めた頃。
蔦や蔓をばっさばっさとなぎ倒し、もう少しでその湖へと辿りつく。
夕日がとてもきらきらと輝いて綺麗な湖なのだ。夕日の時間には少し早いが、それも少し待てばいいだけ。天気の補正がなくとも、あの翡翠色に輝く湖はどこか、艶やかな美しさがあった。
「どのくらいの大きさなんだ?」
「んー、そーだな。うちが五つは沈むな!」
「……せめてうち五個分とか言って欲しかったな」
「?」
振り返れば、口元をひくつかせるリューキの姿。首を傾げつつも、ライカは進む。
さあ、この角を曲がればその湖だ!
「……どうした? ライカ」
「………………ない」
「へ?」
勢いよく叢から飛び出したライカの後を追い、竜基も蔦を払いのけて彼女の姿を捉え……ついで辺り一帯が奇妙なことに気が付いた。
あるのは土のみ。叢から一歩足を踏み入れれば、そこは黒い土が広がっているのみで、それもぐるりと穴の開いたように象られていた。周囲に群生する草木は、この黒い土の場所には一つも棲息していない。
「な、なんで!? 無い! 湖は!?」
聞く人が聞けば驚くだろう、いつもは殆ど見せないライカの動揺したような声。
と、唐突に竜基の方を振り向くライカ。その瞳には、珍しく涙を溜めていた。
「嘘じゃねーんだ! 本当にここに湖があったんだ! すっげーきれーな湖があったんだよ! ……なんで……なんで……騙したんじゃねーんだ! ほんとなんだ!」
……何故ここまでライカが動揺しているのかは措いて。竜基はぽん、とライカの頭に手を置くと、しゃがみ込んで土を一つまみ。
未だに困惑を抑えきれていないライカは、その様子を見ながらも声すら出せないようだった。
「……湿っているな」
改めて周りを見る。湖があった、と言うライカの言葉通り、確かに中心へ行くに連れて地面がくぼんでいるようだった。水深があったとすれば、最深が竜基の胸辺りまでだろうか。
「りゅ、リューキ……」
「ん?」
「ほ、本当にあったんだ……あ、あたし騙してなんかない……」
大丈夫だ、と一撫でして、ふと竜基の脳内に疑問が浮かぶ。
何故そんなことを思ったのだろうか。竜基がライカを疑うようなことが、今まで一度でもあっただろうかと考える。思い出す限り、それはない。
「りゅ、りゅーき?」
「ん?」
「何で体術してんだ……?」
「……あ」
また癖で体術を放っていたことに気付き、一旦留める。
見れば不安そうな表情で竜基を見つめるライカ。
とりあえずは、彼女を落ち着かせる必要があった。
「ライカが俺を騙したとは思ってないよ。大丈夫だ」
「……ほ、ほんとうに……?」
「ああ」
実際に、湖のあったような形跡はある。疑問点があるとすれば、土が湿っていることと、ライカが今日の午前中に出かけたということだけだった。
湖の形状を止めながら水が干上がったというのであれば、ライカが午前中に綺麗な湖を見たということも説明が付かない。早過ぎる。
逆に、夜獣の森の何某かが水を飲み干したという線もあるが……なんだかそのレベルのバケモノさえ居そうではあるものの、ライカが午前中に来ている以上、夜獣が蠢く可能性は極めて低い。だがこれは、土が湿っている理由にはなる。
答えが見えてこない。空を見上げれば、到着してから少し経っているようだった。
あと少しで、陽が沈み始めてしまう。そろそろ帰らないと夜獣が恐ろしい。
「……どうしてだ……?」
悩み続けて、再度ライカを見た。「騙してなんかない」と、必死に否定してきた彼女の悲壮さ。これがらしくない。確かに現状、騙していたことにもなり兼ねないが、そう簡単にライカを疑うようなことはしない。それは彼女も分かっているはず。
にも拘わらず彼女がここまで必死になる理由は……。
「なあ、ライカ」
「……ぇ?」
「騙してるとは思わないけれど……何か、隠してない?」
「!?」
問いかけた結果が案の定だった。びくっと肩を震わせて、視線を逸らす。……心理戦は絶対に出来ないのだろうな、と思いつつ、両肩にそっと手を添えた。
「ライカのことだからさ。きっとわがままで隠してるとかじゃないと思うんだ。別にこんなことでライカを嫌いになったりはしない。だから、隠してるなら、教えて欲しいな」
「……ほんとに、嫌いになったりしないか……?」
「しないしない。大丈夫」
小さく、微笑んだ。するとライカも少々安心したようで、ふ、と息を吐いた。
それにしても、このような小さなことで嫌われると思うところが、まだまだ十二歳なのだろうなと思う。精神年齢が幼く、信頼は出来ても信頼されることに慣れていない。
「……今日の朝は、そんちょーのところに行ってた。リューキがやっと一仕事終えたって聞いたから、前から知ってた湖に行こうって……思って……」
「……なるほどね」
思っていたより、簡単で、深刻だった。
簡単で小さな嘘。今日の午前中ではなく、この前行った場所に連れていきたかった。それも、夕日が反射して綺麗な湖だったから、時間の誘い方も考えていたとのこと。
純粋な優しさが籠った、嬉しい嘘だった。
深刻なのは。竜基が思っていた以上に、ライカに心労を強いていたことだろう。心労などと大げさな、と思うこと勿れ。子供にとって、遊びたい、甘えたい相手がいつも忙しく気を使わねばならないというのは、それだけで強いストレスなのだ。
紐解いてみれば、全て竜基のせいであった。ライカにその気がなくとも、竜基はそう考える。
自分のしたいことがなまじ評価されるからと言って、小さな同居人の気持ちをおろそかにしていたこと。これが、ライカの心を今も苛んでいるのだ。
反省すべきは、圧倒的に竜基であった。
「……怒って、ない?」
「むしろ、俺がいつも遊んであげられなくてごめんな」
「ふぇ?」
両肩に乗せていた手をそのまま背に回して抱きしめた。
今まで苦労させていたこと、心労を重ねさせていたこと、そして今も、精神を苦しめたこと。この小さな嘘だって、自分を犠牲にして竜基に楽をさせるためのもの。こんな健気な少女に、自分は依存していたのだと。
「湖はきっと、夜の間にバカデカい獣が飲み干したんじゃないかな? 俺はそんなものが居るとは思えないけど、悔しいことに一番現実的だ」
「……ごめ――」
「謝る必要なんかない。俺がライカにずっと苦労を強いていたんだ。あの嘘だって、俺の為なんだろう? 嬉しいと思いこそするけれど、ライカを嫌いになったりは絶対にしない」
竜基の腕の力が強まる。ライカの瞳はいつの間にか細く潤んでおり、涙を堪えようと必死だった。
「ごめんな、ライカ。あと、ありがとう」
「ぇぐ……ふぇえええ」
小さかった嗚咽はだんだんと声をあげ、次第に強まる。
やはり、無理をさせていた。一緒に住んでいながら、妹分のような少女に自分のことでストレスを積ませていたのだ。反省の一手しか、竜基の手には残されていない。
と、地面に付いていた竜基の膝に感覚が宿る。
冷たい、と反射で膝を立てれば、水を打ったような音がした。否、水を打ったのだ。
と思うより早く水は勢いを増し、早くも立てたばかりの膝まで浸水をきたしていた。
「なんだっ!?」
「リューキ、下がれ!」
慌てて涙を拭ったライカが跳び下がる。竜基も後を追って叢付近まで戻ってきた。
竜基が叢に辿りつく。ライカの差出した手に捕まって引き上げられると同時、彼女の瞳が驚愕に染まっているのを見た。振り返れば、竜基達の居た場所は既に水の中。あのまま居れば風邪を引いていたなと思いつつ、ふと気づく。随分と綺麗な水だなと。
「……湖だ」
「わぁ……」
小さな感嘆をしている相棒の隣で、竜基も改めて、先ほどまで黒く湿った土だった場所を眺める。そこは一転して翡翠色が夕日に輝く湖と化しており、その美しさは竜基達からしばらく言葉を奪い去っていた。
「……み、湖だ!」
「それさっき俺が言ったぞ」
「湖だぞ! 嘘じゃなかっただろ! あ、あたしの言ってた湖だ!」
「……そうだな。凄く綺麗だ」
何もかものパーツが埋まった。ここは、そういう湖なのだ。
午前中に来ても何もない。夕日が綺麗なこの時間だけ姿を現す、翡翠の錦。
どうしてこの時間だけ増水するのかなど分からないが、夜獣の森そのものが竜基の理解の外なのだ。考えるだけ、きっと無駄なのだろう。
獣の仕業だと考えていた予測が、外れた。もうこんなふざけたクイズはやりたくないなと嘆息すると同時、一つの思考が生まれた。
とりあえず、良いじゃないか。
必死に考え、考えることで生きている自分が、頭をからっぽに出来る場所。それが、理解の外にあるこの森、獣、湖。
皮肉にも賢者と呼ばれる自分が住んで居るこの場所こそが、思考放棄が許される唯一の場所なのだ。
ライカと二人。ぼぅっと湖を眺める。
「今日は、ありがとうな」
「ううん。あたしが連れて来たかったんだ。気に入ってもらえてよかった」
この湖は、水路には使えそうにないな、と考えかけて、辞める。
たまには、何も考えずにいよう。
「しばらくは俺の趣味で何かを作ってるだけだ。いつでも誘ってくれ」
「……いいのか?」
未だに不安げな少女。気を遣わせていることが申し訳なくもあり、そうして気を遣ってくれる少女を誇らしくも思い、そしてこの存在がありがたい。
だからこそ、今は。彼女の慰労も兼ねて自分も沢山遊ぶとしよう。
「そうだ、ライカ。少し前に作った玩具があるんだが、帰ったら試してみるか?」
「……いーぞ! やるやる!」
「よし、じゃあ帰るか! 家まで競走だ!」
叫ぶと同時に走りだす。ライカが大斧を振り回してきた道くらいは分かるというもの。このくらいのハンデは良いだろう? そう思い、後ろで「ずりーぞー!」と本気の目で怒鳴る少女に苦笑する。
「待ってやがれちくしょー!」
思わず綻びる口元。ライカも、この楽しい時間をめいっぱい満喫しようと走り出す。
「作戦! 木々飛び移り!」
「それありかよ!?」
「作戦勝ちだ!」
「俺がソレで負けるって洒落にならないからやめて!?」
(こんなことなら落とし穴でも仕掛けとくんだったか!)
くだらないことに必死になっている自分に、竜基も次第に笑顔となって。
家へ駆け抜けた頃には、二人とも屈託なく笑い合っていた。
ちなみに、その後渡した玩具は、触れて数秒ライカが大斧を振りかぶったので慌てて止める嵌めになった。
半年ほど後に、この玩具を引きちぎったり(木製)延々と唸り続ける人間も出てくることになるとは、竜基は思いもしなかった。