第八話
ここでは主人公、ナタスの至った”不老不死”の理論を説明しています。
小難しく、また矛盾もあると思われる理論ですが、お付き合いください。
ナタスは哀れむように、諦めるように、目を伏せる。
「俺の、不死の秘法の核たる理論……」
だが、次の瞬間には顔を上げて、悪魔を前にして臆することなく悠然と向かい合い、力強く語り始めた。
「それは、“時間の永続回帰”だ」
もはや迷いは無いというように、月の瞳がさらに激しく輝度を増して光を放つ。
その圧倒的な貫禄は、並みの者ならば睨むだけですくみあがり、動けなくなってしまうだろう。
目の当たりにした男、“黒の主”ファラヴァールもそうだった。
すくみ上がったりこそしなかったものの、密かに気圧されて、気付かぬうちに後に下がってしまっていた。
彼にそうさせたのは他でもない、あらゆる生物の持つ“生存本能”である。
「時を戻す、と?」
本能的な恐怖というものは、理性を働かせることで払い去ることができる。
得体の知れないものを見た時、それは何か、と思考を巡らせて観察するのは、無意識のうちに感じてしまった恐怖を、無意識のうちに処理しようという、人間の防衛反応とも言える。
ファラヴァールは今まさに、それを『無意識に』行っているのである。
恐怖の意識など、欠片も感じてはいないだろう。
そうして、彼は気を取り直す。長年探し求めてきた悲願がそこにあるという思いと、現状の優勢さを盾に。
「ああ。揺れる振り子のように、また同じ円を描く時計板のように、一定の周期をもって元の位置に戻ってくる」
「ふざけているのかね? 嘘をつくのは良くないな。時間とは常に不変・一定のもの、それが“摂理”。如何に魔法とはいえ、自然の摂理に逆らうことはできないと、君も知っているだろう。
時を操るというのは、もはや人の為せる業ではないのだ。人の力を遥かに超えるもの、そのようなものを、われわれは“奇跡”と呼ぶ」
しかし、ナタスはファラヴァールの目を睨み付けたまま、挑戦的にも平然と答える。
「俺は、いたって真剣だよ。信じるか否かは、貴様の勝手だがな」
逆にファラヴァールの表情には怒りが顕わになっていた。自分が有利な立場にいるはずなのに、それが先程と入れ替わっているような気がして、面白くなかった。
そんなことは気にもかけず、ナタスは話を続ける。
「お前も聞いたことはあるだろう? “相対性理論”というものを」
「……『慣性座標系において、全ての物理法則は同形で表される』という理論だな?」
「そうだ。わかりやすく言えば、特定の観測者から見た物理現象は、全て同じように数式で書き示せる、という理論だな。
そこには『光速度不変』という原理がある。その名の通り、観測者がどんな状態であっても、光速度は常に一定の値cを持ち、なおかつそれが速度の上限である、という原理だ。ここに人間が体感できる程度の普通の考え方を持ち込むと、説明がつかなくなる事態が起こる。
今、お前は列車に乗っていると仮定しよう。そしてその中から、外でランプを灯して立っている俺を見ている」
そう言ってナタスは人差し指を立て、ランプに見立てて火を点けた。
「動く列車内からでも、お前にはランプの光――光線は前に進んでいくように見えるだろう。当然だ、普通は光速度の方が圧倒的に速いのだから、相対速度という奴からそう見える」
パチパチと音を立てる、線香花火のような淡色の火を見やりながら、ファラヴァールはやはりわからない、というように顔を顰めた。
ナタスは説明しながら、指先の火をゆっくりと動かしていく。
「では、この列車が光速度で進むとしたらどうなるだろうか? ランプの光と列車の速度は同じ、ならばその光線は果たして前に進んで見えるか……?
答えは“NO”だ。ランプの光と列車の相対速度はゼロになってしまうからな。
だが、どのような状況でも光速度は常に一定――列車の中のお前にとっても、外で眺めている俺にとっても、ランプの光は“同じ光速度c”で進むように見えなければいけない。だとするならば、光速列車の中のお前が、『ランプの光が光速度で進んでいる』ように見えるときには、外にいる俺には相対速度の関係から、ランプの光は“光速の2倍”に見えなければいけないことになるのだが、“光の2倍速”は在り得ない。
ほら、矛盾が生じるだろう? 光速は常に一定、上限のはずなのに、この場合はランプが2倍速にでもならない限りは光が前に進むようには見えてくれないのだから」
ナタスは自分の顔の前で指先を立て、火をかざす。
その明り向こうにあってなおギラギラと輝く瞳は、灯火の創り出す影によって、より不気味に光って見えた。
「その矛盾を無くすにはどうするか…… それこそが『時間は相対的なものである』という考えだ。
“距離・速度・時間”の関係から、物体の進む距離は“速度と時間の積”で表される。
光速で運動する列車内からも車外の光が光速cで見え、かつ車外からも光線が光速cに見える、つまり“光速度が不変”になるということは、光の進む距離は常に一定、ということになる。
距離も等しく、速度も一定だというならば、変化するのは時間の値しかない、ということになるだろう?
こう考えれば、時間は可変である、と言える。だから、時間を操るのも不可能ではないのさ」
――在り得ん……
突如として現れ、常識を覆していく“天才”が考え出す理論。
その理論に、ファラヴァールは愕然とする。
そんなことは、考えたこともなかった。
正確には、考えようともしなかった。
人というのは所詮、観測によってしか世界とのつながりを認識できない生き物だ。
その『人間が認識できる世界』の中では、いかなる場合であろうと変化することのない“時間”という概念は、絶対的なものである――そう信じてきた。
しかし、そう『思われる』だけで実際は違うと、『時間は絶対ではない』と、この男は言っているのである。
「信じられん……」
「さっきも言っただろう。信じるかどうかはお前の勝手だと」
「だが、しかし……!」
今まで信じていたものが崩れ去ったため、混乱しているのだろう。ファラヴァールは虚ろに目を見開いている。
それにかまわずにナタスは続ける。
「時間とは、“川の流れ”のようなもの。局所ごとに見れば、時にうねって向きを変え、岩に当たれば二つに分かれ、崖に至れば滝となって下に落ちる。だが大きな目で見れば、それは『海へと向かう流れ』と言える。
時流に関して、俺達人間は大きくしか捉えられないんだ。しかし、その中にも小さいながらに違う方向へと向かう流れは確実に存在している」
「時間とは、絶対のものだ! それが真理だろう!?」
頭を振りながら決して認めようとしないファラヴァールに、ナタスははっきりと言い切る。
「真理とは一つではない。人が存在すれば、その人の数だけ存在するものであり、また移り変わるものだ。
例えば、かつて“天動説”という理論があった。『太陽が空を動いている』というやつだな。当時の人々にとって、それは真理だった。だって、そうだろう? 『そう見える』のだから。
だがこれは、後の“地動説”に取って代えられる。そして俺達は今、これこそが真理だと信じている。
どうだ、真理というものが入れ替わっただろう? 人間にとって、“真理”と“常識”は同じなのさ…… 信じ、望むことで世界は変わる!」
これこそが、ナタスの心の根底にある、唯一絶対と“信じている”もの。
人には、世界を変えるほどの可能性がある、と彼は心から思っているのである。
――在り得ん在り得ん……
それでもファラヴァールは、“正しい”と思わされてしまう理論に、必死に抗おうとする。
「か、仮に、その理論で、時間が戻せたとしても、それがどうして、“不老不死”につながる?」
「では逆に問おう。“老い”とは何だ? “死”とは何だ? 何よりもまず、それを定義しなければ、それを避ける術など見つかるはずも無いだろう。原因がわかってこそ、解決の手段が導き出せるのだから」
ナタスの問いかけに、混乱した頭でファラヴァールは考える。
“老い”とは、歳を取り、その結果『心身が衰えること』。
心は自身の在りようによって矯正・鍛錬もできるが、身体はそうはいかない。生物の個体・器官・細胞など、あらゆる面で生理的機能が低下する。脳の萎縮や内臓の機能低下などが主な例であろう。
つまり“不老”とは、その身体機能の衰えを止めることになるはずである。
“死”とは、生物学的には生命活動が不可逆的に停止している状態を言う。哲学的には『新たな旅立ち』とでも言えばよいのか。肉体は滅んでも、霊魂は変わらずにいる、という考えだ。
これは翻せば“肉体死”と“精神死”があると考えられるだろう。
仮に肉体が滅びても、培ってきた記憶と経験さえ残されていれば、精神が消えない限り、それは“死”ではないとも言うことができる。
つまり“不死”において守るべきは何よりも、“自身の精神”のはずである。
しかし、ファラヴァールの得たこれらの結論は、いずれも“時間の回帰”とは遠いものであるように思えた。
「すまないがやはり、理解に苦しむな…… それで不老不死になれるとは、到底思えん」
では、とナタスがつなぐ。もはやナタスは議題をまとめる議長のように、その場を支配していた。
「順を追って話そうか。まず“老”についてだが、なぜ歳を取ると身体機能が低下するのか。
これは“ヒト”を構成する種々様々な『細胞』に原因があると言える。皮膚なら皮膚を、臓器なら臓器を成す細胞が寄り集まって“肉体”になっているのだが、これらはほぼ例外なく、とても脆弱だ。簡単なことで機能停止、すなわち“死”んでしまう。ところが、そうした欠落によってできた“穴”は、周りにある細胞が分裂することで埋めていく。だから傷を負っても治癒するのだな」
――在り得ん在り得ん在り得ん……
そこで一息つくように、自分の火で遊び始める。
聞き手に理解の間を与え、また次にどう進めていくかを考える、話を円滑にするための、これは一種の話術だった。
若干の間をおいて、ナタスが再び告ぐ。
「しかし、ヒトの体細胞が一生のうちにできる分裂の回数は決まっているんだ。分裂できなくなる、ということは、欠落によって生じた穴を埋められなくなる、ということ。つまり、時が経てば経っただけ、自身を構成する材料が無くなって、スカスカになってしまう。それならば、機能が低下するのも当然というものだ。
だから俺は時を戻した。常に分裂する前の状態に戻せば、回数制限など無いも同然だからな」
ナタスはおもむろに、自分の指先の火を反対の腕にかざす。
火に当たった部分の皮膚は焼けて赤くなり、やがてただれてきたが、火を離すとそこは何事も無かったかのように元に戻っていた。
「元の状態が傷も病も無い万全の状態ならば、歳を取ることなく常に“健康体”でいられる、というわけだ。これは同時に、“肉体の死”を回避する手段でもある」
その現実を見せ付けられて、ファラヴァールは絶句するしかなかった。
もはや、ただ何かをぶつぶつと病的なまでに呟き続けるばかりである。
――在り得ん在り得ん在り得ん在り得ん……
そんなことは気にもかけず、ナタスは話を続ける。
「さて、次は“死”――肉体死については今ので良いだろうから、ここでは“精神死”についてだな。
ところで“精神”というやつは、“心”というヤツはどこにあると思う? 俺は、実はそんなものは無いと思っている。いや、『この世界には無い』と言うべきだな。人それぞれが“精神世界”――『無意識中の意識』というものを持っていて、そこからそれぞれの自我を引き出してくる。
“夢”というのがその存在を示す良い例だ。人が眠るとき、身体は休止状態に入るため、精神が一時的に戻っているのさ。“精神世界”というのは、万人のためにあるのではなく、個人のためにあるものだから、見える形も時々に応じて、また個々人々によって違ってくる。“正夢”とか“予知夢”というのは、“精神世界”が“現実”に流れ出してしまった結果だろう。
また、妄想癖の……想像力の豊な人間ほど、この世界との行き来が多く、巧い。考え事をしている時、周囲の音が耳に入りにくいのもこのせいだし、各々の世界を行き来するのは自由だ、ということになる。
では、“この世界”と“精神世界”をつなぐのは何か。俺はそれこそが“脳”だと考えている。形の無いものを形のあるものに変換できる、唯一のものだとな。だから“精神死”を避けるにおいて、もっとも守られるべきは“ここ”なんだ」
ナタスは言いながら、トントンと頭を指で叩いた。
その挙動は、『銃で撃ち抜いてみろ』、という挑発に似ている。
――在り得ん在リ得ん在リ得ンアリ得ンアリエン……
「ならば話は簡単だろう? “精神の行き来”が自由できるならば、脳の損傷を避けることで“精神死”は避けられる。即ち、これも先の肉体死を防ぐ手段で避けることができる……」
「在り得ん在リ得ん在リ得ンアリ得ン在リエンあり得ん在りエン在りえんアリ得ん在りエんアり得ン在リえんありえんありえンアりエんあリエんあリエンアりエンアリエン!!」
ファラヴァールに、今までの落ち着き払った余裕は無くなった。
両腕を大きく広げて、目を血走らせながら奇声を発し続ける。
居もしない誰かに向かい答えを求めるように虚空を仰いでいる。
そして、いきなりバネ仕掛けの人形のように、カクンと前のめりに顔を突き出す。
「ソうか。あクまで詭弁ヲ続けルというノだなぁ? ならバもうイイ、貴様ノようナ小僧に期待シタ私が愚かだったヨ……!
『時を戻す』なド、オコがましイにも程がある。時間とハ型にはまッタ、型通りニしか在り得なイもの。立方体の容器に水を注イだとて、水が球形にハならナいヨうになァ…… そンナ理論、可・不可ヲ検証すル以前の問題。摂理ニ逆らイ、奇跡ヲ起コせルト言イ張るトは…… 神ニデモナッタツモリカ、痴レ者メ!」
もはや、正気のそれではない。
彼の理性は、完全に壊れ去っていた。
彼は、既に『人にあらざるモノ』となっていた。
「信じるか否かは、貴様の勝手だと言っているだろう。だがしかし、そうして俺がここにいる、という現実はどうする?」
「私モ『モウイイ』ト言ッタ筈ダロウ。ソノヨウナ見エ透イタ嘘ナド、必要ナイ! 大方、コノ娘ヲ助ケル算段デモシテイタノダロウ? ナラバ、ソンナ心配ハ無用ノモノニシテクレル!」
叫びとともに、握るナイフに力を込める。
それは、アリアムの首の皮を破り、肉を裂き、骨を貫いていく、
はずだった――。
いかがでしたでしょうか?
理論について、次の”番外編”にて簡単な補足をさせていただきます。
そちらもぜひ、ご覧下さい。