第五話
☆
空を駆けるように舞っていた獣が、その鷲の翼を獅子の胴に貼り付けるようにたたんだ。
鷲の首を屈め、嘴を伸ばして両足とともに前へと突き出す。
魔獣、突撃の体勢である。
一直線となった魔獣は、落下の勢いと巨重を乗せた、流星のごとき槍と化す。
その威力は、おそらく山をも貫く程だろう。
しかし、その突撃の際には必ず“予備動作”が含まれるため、回避のタイミングを計るのは簡単だった。
距離を置いて魔獣の挙動を見ながら水路沿いの道を走り、翼がたたまれたのを確認したら道を折れて反対のブロックへ。
魔獣が再び突撃の体勢を整えたら、また別のブロックへ抜ける。
その中、魔獣が空へ戻る一瞬の隙をついて一気に走り、距離を離す。
そんな“いたちごっこ”を続けながら、ナタスは港を目指していた。
港にある、荷の積み下ろしを行う場所ならば、周囲への被害も少なくて済む上に広さも充分にあるはずだ。威力の大きい魔法を使うこともできるだろう。
ナタスはそこを決戦の地と定め、港へ向かう最後の水路に渡された橋を駆け抜ける。
そのわずか後を追いかけて、魔獣が巨体で橋を打ち砕いていった。
――よし、ここならば!
埠頭に辿り着いたナタスは、開けた視界を見て確信する。
最近、工業化が進んだこの町の埠頭は想像通りに広く、周囲に倉庫がいくつかあるだけだった。
船が二隻ほど停泊しているが、ここならば被害を気にせず存分に戦える。
ナタスは埠頭の中央付近まで来ると、立ち止まって魔獣の方へ向き直った。
やや遅れて港上空に侵入してくる、魔獣。
再度突撃をかけるべく、嘴と手足と伸ばしてその身を槍へと変貌させる。
その鏃の先端を真っ直ぐに睨み返しつつ、ナタスは考えていた。
ナタスは“跳ぶ”ことはできても“飛ぶ”ことはできない。相手が空にいる限り、絶対的に不利な立場にあるのだ。距離を保ったままの攻撃をかけられれば、それこそ打つ手がない。
にも関わらず、魔獣は炎を吐いたり、羽を矢のように飛ばしたりといった攻撃をする様子は一切なく、突進を繰り返してくる。
なぜ魔獣は先程からあの突進しか繰り出してこないのか。無論、それが彼の最大の攻撃であろうことは容易に想像できる。
だが、この攻撃には相手とすれ違う、すなわち相手の間合いに自ら飛び込まなければならない、という欠点がある。
それを押してなお、突撃を繰り返す理由――
そこから導き出される結論は一つ。魔獣には突進以外の手段がない。
――それは、つまり……
まだ勝機がある、ということ。
一瞬でも交錯する時間があるのなら、攻撃を加えることができる。
――一撃で、決める!
狙うは全生物の急所の一つ、首。
機は突進をかわした直後、空へと舞い戻るために翼を打った瞬間。
それならば、相手の上昇のための力を利用できる。
ナタスは己の剣を握り直し、魔獣の突進を斬り返す、その機を探る。
だが、
「っは!?」
魔獣は突如、落下の途中で翼を広げ、急制動をかけた。
巨体が、空気を押し流す。
そして、押し出された空気は弾丸となって、ナタスに襲い掛かった。
「ぐ、あああ!」
身を砕くほどの、莫大な衝撃。
骨が軋む。
巨大な圧力をもろに受け、ナタスは紙のように吹き飛ばされた。
そのまま倉庫の壁に激突する。
それでもその圧力は減衰することなく全身を打ちつけ、壁を突き破った。
――しまった、
肺を押し潰されるような痛み。
身体が酸素を求めて暴れまわる。
それでも頭は戦いのことを考える。
――油断した!
魔獣は突撃しかできなかったのではなかった。
“突撃しかしていなかった”のである。
戦いの中で起こる微妙なバランス。
それはたった一度、虚を突いた攻撃でいとも簡単に崩れ去る。
かの魔獣は均衡を崩すため、自分の身を囮にしてまで、この一撃を隠してきたのである。
その効果は言うまでもなく、絶大だった。
「見誤ったか……」
ナタスが粉塵と瓦礫に埋もれた身を起こしながら呟いた。
手の内を隠すなど、高い知能を持っている証拠に他ならない。
相手は“獣”。知能はそう高くないだろうと、知らずのうちに慢心していたらしい。
それを思い知るには、これは少しばかり高い代償だ。
「肋骨が何本かイったな」
自分の脇腹に手を当てて、傷の程度を確かめる。
それでも頭は戦いのことを考える。
どうやら、あの空気弾は充分な落下の勢いがなければ撃ち出せないのだろう。連射が利かないようだ。
そのおかげで、しばしとはいえ、ゆっくりと思考を巡らせる時間ができた。
「やれやれ…… “この世”というのは、やはり苛酷だな……」
ぺっ、と吐き出した唾液は、紅くなっていた。
その鮮やかな紅をぼんやりと見ながら、思うこと。
――また、君との約束を破ってしまうな。すまない……
久しぶりの血の味は、やはり慣れないものだった。
敵手が吹き飛ぶ様を見下ろしながら、魔獣は内心で舌打ちしていた。
――悪運の強いことですね……
あの空気の弾丸は、確かに痛恨の一撃となったことだろう。だが、あの程度で仕留め切れるような相手ではないだろうこともわかっていた。
だから魔獣はあの攻撃で相手の体勢を崩し、その直後の本命――駄目押しの突進で追撃をかけ、止めを刺すつもりでいたのだ。
しかし、ここで彼にとって誤算が生じた。
まず、あの空気弾はできるだけ低い位置で発射して、ナタス自身に収束するように放つつもりでいた。
が、ここは港。周囲にあった船のマストが障害となり、彼はあまり低空まで落下できず、結果として威力が分散してしまった。
そしてもう一つ。
その中途半端に拡散した空気弾は、ナタスを吹き飛ばしたまでは良かったが、そのまま壁までも打ち抜いて、敵を屋内に隠した。
そのため彼は標的を見失い、追撃をかける機を逸してしまったのだ。
そう、ナタスは運が良かった。
――ですが、無傷のはずもないでしょう
両者の均衡は崩された。
――このまま出てこないつもりなら、
あとは完全に崩れ去るまで、攻撃を加え続けるだけだ。
――もう一度、空気弾を撃って建物ごと…… いや、もっと確実に、
それだけで、自分は勝利できる。流れに乗るだけで、良い。
――この爪で直接、引き裂いて差し上げましょう!
魔獣は翼を打って、再び空高く舞い上がる。
そして滞空すること数秒、翼をたたみ降下する。
巨体が裂く空気の層が、身体との間の摩擦で甲高い音を立てた。
まるで彼を鼓舞しているかのようである。
しかし、魔獣は気付いていない。
その音が、彼にとって警笛だったということに――。
魔獣が倉庫の屋根を踏み抜いて、降りてくる。
屋内はあの巨体には狭くて、満足に翼を広げられなかったらしい。着地の衝撃で大きな音を立てて、床が踏み砕かれた。
それでもやはり、奴は“魔”の獣。
圧倒的な威圧感は、それが“死”に直結していることを容易に想像させる。
しかし、ナタスの心は少しも揺らぐことはなく、どころか口惜しささえ気色に滲み出していた。
「まずは詫びておこう。見くびっていた」
だが、と後を続ける。
「やはりお前も無理だ…… お前に俺は殺せない!」
そして、瞳を閉じて静かに口ずさむ。
We waited in darkness. We wanted the light emits in an abyss.
(僕達は、不安の中を歩いてた。果てなく続く、暗い暗い深淵を。)
However, even I lost the sight of myself because there is only “nothing”.
(しかし、そこにあるのは暗闇だけで、自分さえも見失う。)
Then, You were struck with terror frightened you.――
(その時、君は怖いと言って、小さな肩を振るわせた。)
――呪文。強力な魔法を発動させる際に詠唱される、“儀式”の一。
魔法というのは、ある数式からは一つの解しか得られないのと同じように、使い手に応じて性能の増減があるわけではなく、それに定められた効力しか発揮しない。
つまりは誰が使おうとも、“同じ魔法”からは“同じ効果”しか得られないのである。
ただ、“呪文”だけが個々の魔導師によって変わってくる。
魔法を実行するには、魔力を周囲の外界に広げ、それを世界に作用させる必要がある。言うなれば“魔力”とは、およそ何にでも利用できる“エネルギー”であり、また“世界に作用させる”ので、自然現象に反するような効果を得られない、ということになる。
“呪文”というのは『自己は世界と一体である』という自己催眠に他ならない。
魔力を内から引き出してくるためのものなので、発現のための意味合いとキーワードさえ含まれていれば良いのだ。
そして、優れた魔導師ほど、その呪文の内容は詩的にさえなってくる。意味とキーワードを簡潔にまとめ、なおかつ自己を昂揚させるに足る内容を含んでいるもの。
このナタスの呪文こそが、まさにそれだった。
――So I will become light. Like the moon lighting up dark nights.
(ならば、僕が灯となろう。闇夜を照らす月のように。)
And I will become light. Don't be at a loss, and you can catch the sights.
(そして、僕は光となろう。君が明日に迷わぬように。)
ナタスが片腕を鋭く振り上げた。
応えて渦巻くように、彼を中心とした強大な魔力の奔流が巻き起こる。
――何だ、これは!?
魔獣をさえ驚愕させるまでに膨れ上がった魔力は、ナタスの身体から噴水のように湧き上り、烈火のごとく燃え盛り、大気を震わせ、大地を揺るがす。
ナタスはゆっくりとその腕を下げ、顔の前で覆うように手を広げて、指と指の間から相手を強く睥睨する。
そして魔獣は気が付いた。
瞳の色が変わっていることに。
先程までの灰色ではない。やや蒼みがかった白色、しかし黄金にも似た輝きを放っている。
黄金の輝きは力強く、蒼白い光はどこまでも冷たい。
それはまるで――否、まさに“月”だった。
「さあ、幕だ。殺せないのならせめて、楽しませてくれ。この俺を、“サームーン”を……」
暗き闇に月二つ。
不死者――サームーンが蛇のように邪悪な瞳をギラつかせ、深く、重く、吼えた。
初の本格的なバトルシーンでしたが、いかがでしたでしょうか?
スピーディな感じがでるように注意して書いてみました。
皆様をドキドキさせるような展開になっていれば良いのですが……
ちなみに、英語の部分は間違いがあると思いますが、これも愛嬌と言う事でお願いしますw