表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/44

第三十一話

 

 ぱりん――

 皿が割れたような音だった。

 でも本当は、もっともっと大きなものが壊れた音。

 誰かの心が壊れた音。

 

 友達が、いなくなった音。

 

 また、駄目だった。

 せっかく、助けられたと思ったのに。

 結局、駄目だった。

 何より、一番最初に思うことが、これなのか。

 『また、駄目だった』――この言葉はつまり、友人が死んでしまったことを、もう受け入れている証拠ではないか。

 どうして、否定できないのか。

 たとえ、どんなに駄々だだをこねたって、叶わないとしても。

 どうして、認めてしまうのか。

 こんなにも、受け入れ難いことであっても、あっさりと。

 心が、無いからなのか。

 

――ワタシノ――ココロッテ、何? ソレハ、ドコニアルノ?

 

 その問いかけには、頭の中の声が答えた。

 

――『今は考えないで。瞳を閉じなさい。“なかったこと”にはできないけれど、せめてうれいは晴らしてあげる』――

――憂イ?

――『何もかもを受け入れるだけでは、辛いでしょう?』――

――ウン……

――『だから、私が代わってあげる。今はまだ、貴女にはできないかもしれないけれど、私がいるから。貴女が“否定わたし”の意志を外に示す、そのときまで』――

――本当ニ、代ワッテクレル?

――『大丈夫よ。ほんのちょっとの間、入れ替わるだけだから。さあ、瞳を閉じなさい』――

――ワカッタ

――『心配しなくていい。私は貴女だから。だから、今は休んでいなさい』――

 

 声に導かれ、アリアムはルビーの瞳を閉じた。

 

 

 

「終わったわヨ」

 ルフカロォは、いかにも不満ですという顔で、イニアに告げた。

「そうか。では、帰るぞ」

 ゼピュロスとにらみ合いを続けたまま、一歩退く。

 それを追おうとはせず、ゼピュロスは疑問だけを口にする。

「今日までのテロは、お前たちが?」

「否。ナタスには言ったが、テロ行為は末端の人間の仕業だ。すでに犯人は見つけ出し、厳罰に処している。また、二度とこのようなことがないようにすることも誓おう」

「ホ、期待はせずにおるわい。コロラーレは、そうそう簡単にしつけが行き届く組織だとは思えんからの」

「フ……それは、裏切らせてもらおうぞ」

 イニアがさらに一歩下がり、そしてきびすを返す。

 ルフカロォも、振り返りながらこちらに目を向け、

「また一緒に遊びましょうね、お嬢さん。それまで、壊れちゃイ・ヤ・ヨ?」

 言って、法衣をひるがえす。

 だが、

「待ちなさい。貴女は逃がさないわ……」

 黒い穴――自らの魔法で、それを阻んだ。

「っ!?」

 穴は桜色の粒子を放ちながら周囲の物を吸い込み、ルフカロォに迫る。かわそうと身を翻すが、周囲のものと共に穴に引っ張られる体は、満足に動かすことができなかった。

 そして黒穴は最後に、まるで狙い澄ましたかのようにルフカロォの左耳を呑み込んだ。

「キャアアアアア!!」

 “左耳があった場所”を抑えながら、ルフカロォが叫んだ。

 それをあざけるように、静かな抑揚のない声で語りかける。

「これで、ようやくわかり易くなったわ。私の友達を殺した人が」

「く、アンタ――」

 ルフカロォが、向き直る。

 と、表情が変わった。大部分は怒りに駆られたままだったが、ごく一部に疑惑の線が見える。

 案の定、あの問いが投げられた。

 

「……? アンタ、誰?」

 

 ルフカロォの疑問も当然である。なにしろ今、彼女の目の前には先程までの少女――と同じ姿の別人としか言いようのない人物が立っているのだから。

 容姿、格好は全く同じ。ただ、瞳の色がくすんだガーネットに変わっていて、まとう雰囲気も全く異なっていた。

 身に付けている黒の着衣が、その静謐せいひつさと相まって異様なまでに不気味に見える。


 そう――

 今、ルフカロォが目にしている人物こそ、アリアム=スクリッドの中に在る“否定”の感情を司る、“もう一人のアリアム”。

 彼女は、全てを受け入れる“許容”の裏人格アンチテーゼ

 すなわち、“拒絶を体現する者”――なのである。

 

「さあ?」

 もう一人のアリアムは、口元だけを曲げた作り笑いを浮かべながら小首を傾げて、冷たい瞳を向けた。

 問いかけに対し、答えを与えることはできない。“教える”ことは、自らの存在意義に含まれていないから。

 自分は“拒絶”の存在。故に問いを“受け入れる”ことはできない。それが自分だ。

 本当は教えられないまでも言いようはあるのだが、そんなことをしてやるつもりはなかった。

 魔導師とは、知的探究心の塊のような存在。そういった意味では、使い方こそ違えども科学の研究者と同じ。疑問があれば、それを突き詰め解明することは、自らの力量を示す材料であり、至福の瞬間でもある。

 だから必要最低限、いや、それ以下の言葉だけで返し、その神経を逆撫でするように挑発する。簡単には教えない、知りたければ自分で何とかしてみろ、と。

「いい度胸じゃなイ? それに左耳なんて、なんて皮肉カシラね!!」

「本当、皮肉なものね。でもいいじゃない。右が残っているんだから」

 実際、探究心が強いということは、この“消滅”の魔法を解明されてしまう恐れがあるということでもある。この魔法とて、理論に基づいて展開されているもの。そこに辿り着かれれば、打ち破られる可能性もないとは言えない。あくまでも、万が一の話ではあるが。

 だが可能性がある以上、それは排除すべきである。

 だから、時間はかけない。一瞬で終わらせる。

「実を言うと、その顔を消してやろうと思っていたのよ」

 挑発を繰り返す。

 逆上しろ。冷静さを失った者ほど制しやすいものはないのだから。

「貴女みたいな下衆げすが、私の友達と同じ顔をしているなんて、耐えられないもの……」

 あざけりをたっぷりと含ませた口調と、感情を“表せない”作り物の表情が効果的だったらしい。見る間にルフカロォに額に青筋が立っていく。

 事実、その視線と言葉に、ルフカロォの怒りは頂点に達していた。震える声が、オクターブ下がる。

「ハ、言ってくれるわネ……」

 乗ってきた。

 アリアムも、姿勢を全く変えずに反撃――“消滅”の魔法を用意する。

 これでいい。ルフカロォの繰り出す全てを消し去って、あいつにも“アリアム”の味わった無力さを思い知らせてやる。

 その上で、自分を呼び覚ましたことを、 “アリアム”を悲しませたこと悔いろ。

 そして――消えろ。

 

「殺ス!」

 ルフカロォが再び腕を振り上げた。

 様子を見ていたゼピュロスが、それに反応する。

 アリアムは動かず、しかし小さな黒い穴を正面に発生させる。

 逆巻く蒼い水飛沫。

 輝きを増す緑の本。

 光をも呑む黒い穴。

 それらが、同時に次の動きを見せようとしたまさにそのとき、白銀の剣が間に入り、紅蓮の炎が、全てを焼き払った。

「二人ともやめろ。大人しく退くと言っているのだから、放っておけばいいだろう」

 剣を掲げるナタスはボロボロになりながらも、しかしいつの間にか傷は消えていた。衣服だけがそれを示すようにあちらこちらに穴を開け、肌を露出させている。

 ナタスの姿を見たゼピュロスは、溜め息を吐きつつ本を閉じる。

「ナタス……」

 アリアムもどこか寂しそうに呟くと、瞳を伏せて黒穴を消した。

 やっぱり、そうなんだ――。

 自分の胸の中で、自分の胸に、そう呟いた。

「お爺様、邪魔しないでと言ったでしょウ!? 邪魔をするなら、お爺様でも許さなイと!!」

「止さんか、馬鹿者が! 戯れが過ぎるから、そういうことになるのだ。いい加減、自らを律することを覚えい!」

「く……」

 ルフカロォもイニアに制され水を鎮めたが、息は荒げたままだった。大きく息を一呑みし、ルフカロォは少女への言葉に殺意を乗せる。

「イイ? アンタは、私が殺ス。必ず私が、斬って、叩いて、裂いて千切って潰して、粉々のバラバラにしてあげル!!」

「……」

 アリアムは俯いたままの沈黙で答えた。

「っ!! 絶対に、殺してやル……覚えておきなさイ!!」

 

 きりが集まる。

 絶叫を残響に、イニアとルフカロォの姿が霧の中にかすんで消えた。

 そうして、“紅の王”と“紺碧の賢者”は嘘のように、あまりにもあっさりと去っていった。

 

 

 

 ぽつり、ぽつり――雨が降り始めた。

 幕の下りるように、とばりが広がっていく。

 空気は冷たく、息が色付いていた。

 ここは、小高い丘陵。平地よりも、季節は一足早い。

 深夜には、雪になるかもしれない。

 そうすれば、全てが覆われるのだろう。

 真っ白に染め上げられるのだろう。

 まるで、何事もなかったかのように、何事も。

 

 ざあ、ざあ、ざあ――。

 

 全身が濡れる。

 足も、腕も、胸も、髪も、頬も。

 とても、冷たい。

 でも、もう少し濡れていたい。

 

 だって、

 一箇所だけ、温かいところがあったから。

 それが、本当に温かいものだと、わかるから。

 

 だから、もう少しだけ傍にいさせてください。

 友達のわがままだと思って、許してください。

 

 誰も、何も言わない。

 ただ、それぞれの場所に立ち尽くしている。

 中央に横たわる、一人の女性の姿を、見つめながら。

 その心の行く先を、思いながら。

 

 ざあ、ざあ、ざあ――。

 

 雨だけが大声で泣いていた。

 

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ネット小説ランキング>異世界FTシリアス部門>「Moon at Tomb」に投票 ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。(月1回)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ