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第二十九話

 

 赤い輝きがシルファとルフカロォふたりのおんなを照らし出す。

 出逢った頃は鮮やかなルビーのようだったシルファの左耳のピアスは、今やわずかに赤とわかる光を茫と放つのみ。

 儚い輝き。力無い腕の動き。それでも応えて、ようやく泥は再びの流れを持ち始める。

「あ、あああ!」

 だが、少し前まで滝とも見紛うたそれは、もはや雨のそれにも敵わなかった。押し流すことはおろか、服を濡らす程度が関の山だろう。

 

 それでも――それでもと、シルファは最期の力を燃やす。

 どのみち、もう長くはない。文字通り、風前の灯火ともしび。息を吹きかけなくとも、もう消える。そんな命だ。

 ならばせめて、この最期の一瞬を、誰よりも輝かせてみせよう。

 そうすることで、大切な友達の未来が繋がるならば、ここで燃え尽きることに後悔はない。

 仮初の身体。偽者の意識。失われていたはずの、命。

 それで、代償となるのならば、惜しくはない。

 だから――。

 もっと、もっと、もっと、

 この身の破滅と引き換えに、

 もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、

 燃えろ。輝け。光を放て。

 

「アリアムさんから……私の、友達から離れなさい!!」

 

 光が弾ける。

 左耳のピアスに付けた、赤い宝石――現在いまのシルファ=ムルルームをシルファ=ムルルームたらしめた魔法石が、その最期の光を鮮烈に輝かせる。

 周囲を照らす赤色の濃度は増し、雪崩れる泥が勢いを取り戻す。

 泥の波は、二つ。一つは、アリアムの正面に盾として。そしてもう一点は、ルフカロォの心臓目掛け、彗星すいせいの如き刺突となって繰り出された。

 

「チ……!」

 

 ただまっすぐに、一直線。小細工をろうする暇はなく、また余力もないが故の、真っ正直な攻撃。

 しかし、とにかく“当てる”ことだけに、文字通り残る命を賭けたその攻撃は、回避することすら許さない。

 

「永遠に消えなさい、醜い、私!!」

「……!!」

 

 

 

 ドッ――重く鈍い音が響き渡った。

 その音を最後に、刹那の喧騒は再びの静寂へと帰っていく。

 風に揺れる枝葉の音が、やけに響いているように聞こえた。雲の切れ間からは、柔らかなカーテンのような月光が舞台を撫でている。

 照明スポットを受ける二人の女は動かない。

 シルファは極度の疲労と苦痛に膝を折り、ルフカロォは胸に受けた一撃に悶えるようにうずくまる。

 その姿勢は両者同じ。

 まるで鏡に映し出された幻想を見ているようだ、とアリアムは思った。

「あ、」

 思わず、息を呑む。

 幻想的な光景に、ではない。現実的な光景に、である。月光の優しさがそれを幻想に見せていただけのことだと悟るのに、時間はさしてかからなかった。

 漏らした吐息の代わりに返る空気には、鉄臭い香りが染み付いていた。

 吹き出た赤い液体はかすみのように広がって、ほつれた糸くずのように肌に絡んでくる。

 アリアムはその光景が意味するところを理解して、それでもやはり認めたくなくて、ただ小さく首を振りながら子供のようにあえいでいた。

「う、」

 これが夢ならば、どれほど良かったことだろう。これが幻ならば、どれほど嬉しかったことだろう。

 しかし、現実はどこまでも過酷で、そして残酷だった。

 そう思った瞬間、月明かりの優しい微笑みはその実、そんな現実を見せつけるだけの無慈悲な冷笑であったことに気付かされる。

「あ、う……」

 シルファの付けていた、宝石をあしらったピアス。――あらかじめ魔力を篭めておくことで、電池のように使える魔法石。

 シルファが魔法を使うたびに輝いた、光。――魔力の篭もった魔法石の放つ、光。

 どれも、赤い色をしていた。

 そして、その赤が消え去った。

 月の光だけを残して。

 その月もかげりを見せ始め、やがて闇に戻る。

 シルファは動かない。

 ルフカロォは言っていた。シルファは自分の魔法生物ニンギョウだ、と。

 主人である魔導師の魔力を擬似生命力として動くのが、魔法生物。

 故に主人の意のままに――であるからこその“ニンギョウ”という俗称である。

 だが、シルファはシルファとして動いていた。ルフカロォのニンギョウなのに。

 主人の命に反し、己の意思をそのままに。一人の人間として。

 ならば、その魔力の源が別のところにあったとしたら。

 それが、ピアスに付けられていた魔法石だったとしたら。

 

 光を失くしたピアス。今は小さなビー玉のよう。

 動かない、シルファ。糸の途切れた人形のよう。

 

 それらピースをつなぎ合わせて得られる解は――シルファの、死。

 

 

 

「フ…… アハハハハハハハハハハハ!!!!」

 解を証明するように、声が上がる。

 友人と同じものなのに、耳障りでしかないルフカロォの声。

 何も憚ることなく、ただ愉悦に溢れる、品のない高笑い。

 粗暴に裂け、歪む口元。

 邪気に満ち満ちているが故に、に濁らない瞳。

 大きく胸を反らせ、両腕を広げて勝ち誇ったようにそれらを天に向けている。

 そして、ルフカロォはひとしきり嗤うと、表情を歪めたまま声を静めて呟くように言った。

「どうしたの、もっと頑張ってヨ? じゃないと……」

 言うと突如、ルフカロォはアリアムに向き直った。

 空色の瞳の奥に見える、不気味な眼光。獲物を見つけた蛇のそれのようだった。見るものに生理的な恐怖と嫌悪を与え、心を締め上げることで動きを封じる、そんな瞳。

 アリアムは思わず身をすくめた。

 いや、竦んだのは心だ。身体はにらまれた蛙の如く、動かすことはおろか、目を逸らすこともできない。

 自分で比喩したように、アリアムの心はあの蛇に締め上げられたのだ。

 もう、できることはない。ただ、真っ直ぐに見つめること以外には。

「貴女の守ろうとしたこのコも、こわしちゃうワよ!?」

 ゆらりと伸ばされる毒蛇ルフカロォうでいぶくろに誘うように、あごが開かれる。

 それを、ただ眺める。時が止まったと錯覚するほど、動きはゆっくりとしていた。いや、『ゆったり』と言う方が正しいかもしれない。

 まるで、一秒一秒を切り取った連続写真。それが、少しずつめくられていく。そんな感じだ。

 だが、その一枚一枚の間に別の絵が挿入されていることに、アリアムは気が付いた。

 かつての日々――脳裏に焼き付いた昔の記憶が、そこには写っていた。

 人は死ぬ直前に過去を見ると言うが、本当のことなんだなと、ふと思った。

 

 楽しかった日々。家族皆で笑っている。

 それが終わった日。自分とあの子が泣いている。

 祖母の差し伸べてくれた手。とても温かかったのを覚えている。

 それが冷たくなってしまった日。やっぱり自分は、泣いていた。

 何かと目をかけてくれた、神父さん。今も元気だろうか。

 あの子と二人、過ごした日々。大変だったけど、頑張った。

 そして、あの子さえも失ってしまった、あの日。

 

 “生きることは素晴らしいこと”――そう信じて、今までがむしゃらに生きてきた。

 なのに、他人の命を利用する技術を目の当たりにして、感じてしまった。“すごい”、と受け入れてしまった。あんなに嫌った“死”を、認めてしまった。

 

 嫌だ――。

 それは、裏切りだ。

 色んなことを教えてくれた祖母への。影で支えてくれた神父への。何より、あの子への。

 それなのに――無意味な“死”が嫌だったはずなのに、受け入れてしまった。それも、できたばかりの友達の死を。

 なんて勝手なんだろう。絶対的に信じているものが違うのに、簡単に許容してしまう自分は。自分の望みを叶えるのに、利用できるかもしれないと打算する自分は。

 何もできないくせに、嫌なことには嫌だ嫌だと一丁前に足掻く振りをして、実は何もかもを認めて受け入れる。矛盾も甚だしい。

 自分には、 “自分”というものが何一つとして存在していないのではないか。空っぽなのではないだろうか。そうとさえ思えてくる。だから、何もかもを受け入れることができるのではないか。

 だとするのなら、本当の意味での“人形”とは、まさしく自分のことだ。

 そんな人形が望みを掲げる、それを思い上がりと言わずしてなんと言おう。

 なぜならば、その“望み”さえも自分のものなのかどうか、わからないのだから。

 本当に、嫌になる。

 

――もう、いいや……

 

 心の中で呟いた。

 すると不思議と、身体が弛緩しかんした。

 もはや動こうとは思わない。

 正直もう、どうでもよかった。

 だって、何も変わらない、変えられないのだから。

 どうせ動けたって、どうにもならない。どうにもできない。どうしようもない。

 自分は結局、どこまでも無力だから。

 ならば、足掻いたって意味はない。

 このまま自分も消えてしまう方が、きっと楽だろう。

 もとより、自分は自分ココロのないニンギョウ。

 たいした苦痛もなく、すぐに終わりにしてくれるはず。

 なら、足掻くのは、もう止めよう。

 友人の死を受け入れられたのだ。自分が死ぬのも受け入れられるはず。

 ただ、待っていればいい。そうすれば、あの腕がこの命を攫ってくれるだろう。

 受け入れればいい。この空っぽのココロに。

 

 そう思って、改めて腕を見つめたとき、

 

――『それは困るわ』――

 

 頭の中で、声がした。

 

――誰?

――『皆、そればかりたずねるのね。どうせ教えられはしないのに』――

 

 呆れたような声は、溜め息を吐くように言う。

 

――何を言ってるの?

 

 訊ねてみるも、答えは返らない。ただ淡々と話し掛けてくる。

 どこか不思議な艶やかさを滲ませながら。

 

――『もういい、というなら瞳を閉じなさい。少しの間、私が代わるわ。そうすれば……』――

 

 その声を、アリアムはどこかで聞き覚えがある、そう思った。

 どこで聞いたかは思い出せないけれど。

 

――『そうすれば、私が全てを“拒絶”してあげられる。貴女を苦しめる、全てを』――

 

 そうか――。

 瞳を閉じれば、それでいいのか。

 それも、いいかもしれない。

 でも、怖い気もする。

 どうしようかな。

 

 迷いながら、

 死を見つめながら、

 ただぼんやりと、

 アリアムは、

 瞳を――

 

「ぐあああ!!」

 

 だが、そんな躊躇いを払うように、伸びる腕を分かつように、何かが凄まじい勢いで飛び込んできた。

 影は二つ――少年と、紅の老人おにだった。


 


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