第二十八話
お待たせしました、二十八話〜です。
なんとも味気の少ない感じになってしまいましたが、楽しんでもらえたら幸いです。
☆
「貴公に、我らコロラーレの最高指導者、“白の帝”を名乗っていただきたい」
イニアはナタスにそう言い、泥に座して深々と礼をする。
「白の、帝……俺、が?」
様々な魔導師で構成されるコロラーレは、組織でありながら“個人主義”を基本理念としている。
そもそも、“魔導師”という人種が、そういう生き物なのである。
己を高め、その魔法――すなわち研究成果を内外に訴えて知らしめる。そこには、他者が介入する余地などない。同じ思想、似たような研究を行う者同士ならいざ知らず、全く違う理念の者とは、意見を交わすことさえないのである。
「うむ」
だがしかし、それが大多数、大規模な組織であれば話は変わってくる。
例えばここに、A、B、Cの三人がいるとする。AとBの研究は互いに類するものであり、BとCの意見はよく似ているとする。すると、AとCの間には交流がなくとも、Bを中心とした関係性が出来上がることになる。
それがさらに、D、E、F――と連なっていけば、全く関わりのない者同士が、同じ組織に属することも有り得るのである。
「何を馬鹿なことを……余所者の俺がいきなり組織に現れて、幹部になりましたなどと、誰が認めるものか」
「それができるのがコロラーレ。我らは来る者は拒まない。それが、強大な力を持つ者ならば、尚更のこと」
“実力主義”――それは、“個人主義”を主体とした彼らのためにあるような思想だ。
力が有り、有益な成果を示す者は、どんな若輩であろうとも評価され、上席に徴用される。個人の力を突き詰めていく人間だからこそ他者の優れた力を認め、ならば自分もと、その思考、理念、成果を吸収、改善、発展させて更なる高みを目指す。
圧倒的な横の繋がりの果てに生まれる、ほんのわずかな上下関係。それこそが、コロラーレが短い期間で急速に力をつけ、強大な組織となった最たる理由なのである。
その中、コロラーレにおける力の象徴――自らの魔法になぞらえた“色”を冠する“称号”を持つ者の一人、“紅の王”イニアは、座礼を解かぬまま語る。
「そも、“白の帝”は幹部ではない。最高指導者――コロラーレの全ての人間を率い、また導く者だ」
「ならば尚のこと、いきなりやってきた余所者が認められるはずがない」
「元来“白の帝”とは、誰もが認める“究極の一”を手にした者のみが得られる称号。故に貴公にそれを得られぬ理由はない」
その言葉を耳にして、ナタスは更なる憤りを覚える。
“究極の一”―― “不老不死”のことを喩えているのだろうか。だとするならば、甚だしい思い違いと言わざるを得ない。自分も得て初めて理解したことだが、知っているからこそ、ナタスははっきりと言うことができた。
それは“過ち”である、と。
知らずに、語気が強められていく。
「究極だと? 俺はそんなものは手にしていない!」
「今さら嘘は吐いてくれるなよ。その出逢った頃と変わらぬ姿……貴公が“永遠”を手にした証拠ではないか」
「永遠など、どこにでも転がっている! “記憶”、“血縁”――それ以外にも、そこら中にな!」
「それはあくまで“連鎖”、“継承”の話。一個人で“永遠”を得た者は古今東西全てを洗っても、どこにも存在しない」
「ぐ……」
思わず言葉に詰まる。怒りが先行して、説き返すだけの言葉が思いつかない。
だがそれでも、ナタスは認める気にはなれなかった。イニアの言う、“究極”で得た物は決して、断じて、“究極”などではなかったから。
長い年月の中で、自分が本当に得たものを振り返る。それは、対価として支払ったものと等価だった。
“不老不死”の代償――ありとあらゆる哀しみと、数え切れぬ苦しみ。
親しい友人が衰えていく。病に伏せて喘いでいる。そして、いつか別れ逝く。それでも、“あの世”で会うことも叶わない。
沈められても、焼かれても、殴られても斬られても、抉られても潰されても千切られても裂かれても、楽になることは許されない。
悲しみも苦しみも傷みも、全て背負わされた上でなお生きていなければならない。
これが、“究極”などであるものか。
「ふざけるなよ、イニア。お前も、結局は“不老不死”が欲しいだけだろう!?」
「確かに、欲しくないとは言えぬ。我もまだ、やりたいことが沢山あるからな。このまま死ねば、間違いなく“悔い”となろう。だが貴公に来て欲しいのは、それ故ではない」
言うとイニアは、さらに深く頭を下げた。地に付けた拳が強く握り締められる。
「先程言ったように、愚行に走る輩が増えている。このままでは本当に、かつてのような大戦となろう。そうならないためにも、誰かが絶対的な力を以って、時には畏怖を、時には尊崇を、また時には羨望を、与えしめて導かねばならん……
絶対的な牽引者――誰もが認める圧倒的な力とカリスマ性を持つ者が、我らには必要なのだ」
口調は変わらずとも、表情は見えずとも、その言葉がいかに切実なものであるか、想像は容易だった。
まるで津波のように、イニアは言葉を溢れさせる。
「この、我の古ぼけた記憶を深く掘り返しても、貴公ほどの適役はおらぬ。今日、その姿を見て、改めて実感した――否、確信した。
頼む、我が古き友よ。我らを導いてくれ。全ての色の根源にして、全てに影響を与える“白”の名を、その身に継いで高らかな宣布を……さすれば我ら皆、貴公について行こうぞ。それこそ、永遠に……」
戦争を未然に防ぎたい――それは、平和を望む者、戦争の悲惨さを知る者ならば、当然の希望だろう。
“生きる”ために人が人を“殺す”、そんな矛盾が正義となるのが戦争。その矛盾はやがて、強者が弱者を嬲るためだけの、嗜虐の渦に変わっていく。
少なくとも、“大焔災”と呼ばれた戦争では、そうだった。
そもそもの始まりが、己の主張を押し通し、相手の思想を根絶しようとする風から起こったものだったのだから、えてして当然である。
存続――貧困に瀕した国に利益を齎すためならば、あるいは独立――独裁を敷く権力者に抗うためのものならば、多少なりとも正義があろう。
だが、大焔災には正義など一切ありはしなかった。ただ自分たちの考えを、力で真理にしようとしただけの、愚かとしか言いようのない争いだったのだ。
犠牲になった者は数知れず、得られたものはほとんどない。それを“過ち”と呼ばずして何と呼ぼう。“過ち”と知って何故歩みを進めよう。
“過ち”を繰り返す道を遮る手段があるならば、全てを講じる。泥に汚れるくらい、どうということはない。
イニアは己の意志が届くよう、腹の底から搾って声を発した。
「ナタスよ、この通りだ」
「……」
対してナタスは、
「断る」
一言、それだけを返した。
イニアが驚きに眼を見開き、顔を上げる。
「何、だと?」
「断ると、そう言った」
「バカな、戦争が起こっても良いと言うのか、貴公は」
「そうだ」
「な……」
その言葉に、今度はイニアが憤る。
確かにナタスという男は、弱きのために強きを挫くような人間ではない。だがさりとて、助けを求める者をむざむざ見殺しにするような輩でもなければ、まして争いを求める人間でもなかった。
それが、言ったのである。戦争が起きてもかまわない、と。
ナタスは続ける。
「戦争とは、人が人を殺す場。殺した分だけ評価される。ならば、絶対的な死を与える術が生まれる可能性は高い。
俺は、俺の望みはな、イニア。他ならぬ自分自身の死なんだ。お前の言う“永遠”に、苦しみだけの“生”に終止符を打つ。そのためならば、俺はどんなことでもしてみせる」
小さく身体を震わせるイニア。それを、ナタスは無表情で見つめていた。
否、必死にそうあるように努めていた。仮初にでも情を捨てなければ、こんな暴言を吐くことなどできなかったのだ。
戦争が起これば、自分を殺せる人間が現れるかもしれない。そう考えたのは確か。
だがそのために、関係のない人間を代償とするのは、ナタスとて望むところではない。戦争など起こらない方が良いに決まっている。
ならば何故、ナタスはイニアの申し出を頑ななまでに断るのか。
強いて言うのなら、それは“わがまま”だった。
「わかったのなら去れ、イニア。俺はお前たちとは相容れない」
たとえ“自分の”であったとしても、“死”を望む人間が組織の頂点に立つことは許されない。指導者の思想は、間違いなく組織に浸透し、影響を及ぼす。“死を望む”思想が組織に広まれば、結果は同じ。争いに進む道を模索するだけ。
そして何より、組織の頂点に立つには、その構成する人員全てを把握する必要が出てくる。そうなれば、親しみを覚える人間も現れるだろう。自分が死を手にするまで一体いくつの、それらの死を見ていかなければならないのか。
数えたくもない。
だから、嘘を貫いてでも拒む。
「去れ。世界がどうなろうと、俺の知ったことではない」
そう言った瞬間、再びイニアの炎が燃え上がった。
“怒”の感情を具現化するように、地獄の劫火が天上を焦がす。
形相は、鬼のそれに変わっていた。
「……危険だ。貴公は危険過ぎる……戦争が起きても良いだと? 世界がどうなろうと構わないだと? バカなことを。世界があってこその我ら人間であり、人間があってこその世界だぞ! それを、知ったことではない、とは……」
そこまで言うと、イニアは荒ぶる呼吸を束ねて空気を深く吸い込み、怒りに固まった全身の無駄な力を抜きながら呼気を吐き出す。
武道の達人などが見せる、呼吸法。自らの身体に争いの起こることを伝え、心をシフトするスイッチ。
「貴公のことはよくわかった。貴公はその力に溺れただけの、ただのうつけ。もはや害意すら感じるわ。頼った我が愚かであったわ……だがそれでも、愚かと知りつつ貴公に頼らねばならぬのだ。その力を、示してもらわねば、未来がない」
撃鉄は起こされた。
後は、打ち下ろされるのみ。
「ならば、我が全てを以って、貴公を屈服させてやる。それで貴公の命が失われるのであれば、それもまた良し。我にとっては己の力量の証明となり、貴公にとっては悲願の成就となろう」
「そうか……」
ナタスは小さく呟く。
こうは、なって欲しくなかった。
できることならば、話し合いだけで終わって欲しかった。
だが、彼らは“魔法使い”。
ただひたすらに望みを目指す者。
だから、これも、
「仕方がない、のだろうな……」
交わす言葉は、それきりに、
イニアは静かに片腕を伸ばし、
ナタスは己が愛剣を正眼に構え、
互いの再会を喜び合う間も持たず、
共有する過去を懐かしむこともせず、
ただ静かに自分の意志を輝きに乗せる。
色は――“紅”と“白”。
奇しくも、対決を運命付けられた色だった。
争いを示す光が暗夜の森に閃き出す。
続きます。