第三話
第2話の続きになっています。前話をお読みになっていない方は、どうぞそちらからお願いいたします。
☆
「それよりも、さっきの魔法、どうやったんですか?」
ふと思い出したように、話が戻った。
上手く話題をすり替えられたと思っていたナタスにとって、これは大きな誤算である。
「ねぇ、ねぇってばねぇ!!」
アリアムの発言、最後の『ぇ』が裏返った。温度はかなり上がっているようだ。
「わ、わかった。わかったから落ち着いてくれ……」
随分興奮しているらしく、声も大きくなっている。ベッドという、座っていた場所も悪かった。彼女はものすごい勢いで迫ってきて、このままでは本当に押し倒されかねない。
大きな溜め息を一つ。彼女のこのしつこさに、とうとうナタスが折れることとなった。
「知りたいのはこの魔法の“理論”だな?」
現在、この世界における“魔法”は全て理論の上に成り立っている。
どこか一ヶ所に雨を降らせるとするならば、それを為すためには相応の理論が必要なのだ。
雨を降らせるには、当然、そこに“雨雲”があることが絶対条件になる。
ところが、その地域が高気圧に包まれていたり、あるいは元々乾燥気候帯であるならば、周囲から雨雲を集める、または海水などを気化させて雲を作らなければならない。
しかし、そんなことをすれば、世界の気象が崩れてしまうのは明白である。
周囲から雲を集めれば、雨が降るのはその場所だけで、周囲には渇きが訪れる。新たに雲を作り出せば、高・低気圧のバランスが崩れ、異常気象が引き起こされる。
ある場所で干ばつを回避しても、別の場所がその犠牲になるのでは本末転倒なのだ。
故に、絶妙のバランスの上にある世界に、できるだけ影響を与えないように、かつ目的だけを達するには熟考に熟考を重ねねばならない。
どんな魔法であろうと、簡単にいくはずがなかった。
「言っておくが、難しいぞ」
「う゛……」
『難しい』。その一言で一気に興奮から覚め、どころか怯んだ表情を見せたアリアムを、ナタスはクスリと笑った。
適当に答えることもできるだろうが、そんなことをしては益々(ますます)彼女の好奇心に火をつける結果になるだろう。ナタスは嘘偽りなく教えてやることにした。
雰囲気としては、できの悪い妹に優しく説明してやる、といった感じだろうか。
「空間を歪曲させたのさ」
「?」
「時計台から宿屋までの道は一本道。だからこれは平面と見なすことができる」
「??」
「そして、その空間を曲げる事で距離を縮め――」
「マスター、わかってないみたいですわ……」
とそこで、割り込むようにディアナが言った。
なるほど、アリアムの瞳はぐるぐると渦巻きのように、頭はくらくらとして定まらず、である。
「道は空間で…… ナタスさんを縮めて、時計が宿屋に曲がって……」
しかし、それでも何とか理解しようと考えているらしい。額に両の人差し指を当て、必死に思考を巡らせている。
上がりきった熱で、今にも頭の後ろ当りから煙を噴出しそうだ。
「わ、悪かった! もっとわかりやすく説明しよう」
そう言うと、ナタスは鞄の中から長方形の紙を取り出した。
「いいか? この紙を宿屋までの道と考える。で、この角を俺達が立っていた位置として、」
話しながらその紙の対角線上、反対の角を指差す。
「こっちの角を宿屋の位置としよう。では、これの最短距離とは?」
「対角線、じゃないんですか?」
「二次元だけで考えるとな。だがこれは、三次元上の二次元、すなわち“空間にある平面”だ」
「!?」
アリアムが再びわからない、という顔になる。少しでも複雑な概念を入れると、この娘はオーバーヒートするようだ。
ナタスは考える間を与えないよう、すぐに次の説明に入る。
「こうすれば、距離はほぼゼロになるだろう?」
ナタスは紙を折って見せる。二つの角は見事に重なり合って、一つとなった。
「あ、本当だ……」
「要するに、道をこの紙のようにみなせば、それを折り曲げることで距離が縮められる。これが先程の、“空間歪曲による距離短縮”の魔法だ」
「すごいです! こんな発想、普通の人じゃ思いつきませんよ」
アリアムは瞳を輝かせながら、まるで新しい発見に喜ぶ子供のようにはしゃいでいた。
その純真さに、ナタスはなんとなく心が温かくなるような思いを感じつつ、言葉を続けていく。
「そうか? だが欠点も多いぞ。
第一に、基準点――今の場合は俺たちの立っていた場所だな。それと終着点――宿屋の位置が平面とみなせなければならない」
「えーと……」
「平面でなければ、折り曲げることはできないでしょう?」
三度思考モードに入ったアリアムに、ディアナができるだけわかりやすく補足した。
それを聞いたアリアムは、なるほど、と左掌を右拳で叩いて鳴らす。
「第二に、指定平面内に障害物、および“高さ”のある物が入らないこと」
「壁抜けはできないし、高さのある物が入ると、紙が折り曲げられないってことッスね」
と、続けて間髪居れずに要約したのはセレス。それを聞いてアリアムがふむふむと頷く。
「このように制約も多いわけだ。最近は『魔法は何でもできる』という風潮があるようだが、それは全くの間違いだと言える。魔法でも、不可能なものは不可能なんだ」
最後に、魔法に夢を見ている様子のある少女に向けて、釘を刺すように話を締めたナタスだったが、アリアムはまた思考を巡らせ始めた。
そして、わずかな沈黙の後に、こう切り出した。
「でも、“不老不死”は不可能じゃないんですよね……?」
「!」
彼女の明るい普段の声は、真剣さと事の大きさで深く、険しく変わっていた。
「実際に何らかの方法がある…… ナタスさんならどうやって――」
「知らん。そんなものに興味はないな」
ナタスは言葉の途中で遮るように答えた。顔を背けてはいるが、あからさまに表情を厳しくして、怒りにも似た声を発している。
その豹変振りに驚いたアリアムが、何か悪い事をしてしまったのかと不安げに聞く。
「ナタス、さん?」
「……」
二人の間に、長く思えるような一瞬の間が流れた。
そして、ナタスが急に、ふっ、と鼻で笑い、冗談めかして言う。
「そろそろ自分の部屋に行ってくれないか? この状況を誰かに見られたら、説明するのが大変だ」
「え?」
この状況――アリアムがベッド脇でナタスに迫っている、を理解したアリアムは、その顔を真っ赤に染め上げた。
「ごご、ごめんなさい〜!!」
「やれやれ……」
ナタスはものすごい勢いで部屋を出て行く――その際に机の角に足をぶつけていた――アリアムを見送って、小さく笑いながら呟いた。
――この町にいる間は、どうやら暇をしないで済みそうだ。
★
窓の外、宿屋前の家の屋根に、一匹のカラスがとまっている。
(主、見つけました。久しぶりの獲物ですよ)
その真っ黒な瞳に一人の少年の姿を写し、己が主へと声を飛ばす。
(それも、かなりの上物のようです)
(よくやった。では、今夜決行としよう。お前は引き続き監視をしろ。逃すなよ……)
(かしこまりました)
いつしか日の傾き始めた空に漆黒の翼がはためいて、そのまま茜色の中へと溶け込んでいった。
「ククク…… 貴様は、何を持っている? 何を知っている?」
主と呼ばれた初老の男が、暗闇の中で呟く。狂喜と狂気に表情を歪めながら。
ここまでお付き合いくださって、ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?
この物語における魔法には、このように何らかの屁理屈が付きます。
ちなみに今作中の『空間歪曲による距離短縮の魔法』は、俗に『ワープ』と呼ばれる理論から考えた物です。
ツッコミどころも満載と思いますが、愛嬌ということでご容赦ください。