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第二十六話

 相変わらずの遅筆でごめんなさい。ようやくの二十六話です。

「シルファ、さん……?」

 そっと、アリアムは自分の腕の中でうずくまる友に呼びかけた。言葉にはせず、ただ、その名に思いを込める。

 大丈夫か、と。

「アリアムさん」

 シルファも、同じように名を呼ぶことで応えた。

 大丈夫だ、と。

 それを示すために、ゆっくりと立ち上がってみせる。

「貴女のおかげで、やっと気付きました。あの子たちのことを、あの子たちの望みを。そして、己の愚かさを、己の罪を……」

 瞳からは大粒の涙を零していた。隠そうともしないで、どころか、まるでそれが誇らしいことであるかのように、柔らかく微笑みながら。

「ありがとう、アリアムさん……本当に、ありがとう……こんなバカな私に、気付かせてくれて」

「いいえ、わたしは何も。気付いたのはシルファさん自身ですし、気付かせてくれたのは“子供たち”ですよ」

 アリアムは柔和に笑みながら、意図せずして謙遜した。

 この可愛らしくて優しい少女は、その凄さがわかっていないのか。シルファは苦笑を微笑みに混ぜ、改めて親愛と尊敬の念を抱く。

「シルファさん、犯した罪は消えることはありません。でも、あがなうことはできるはずです。だから、これから一緒に探しましょう。少しずつ、一つずつ、つぐなっていきましょう」

「ええ……多くの生命をないがしろにした私は、本当ならば死をもって贖うべきなのでしょうが……それもできませんからね。あの子たちに、望まれてしまいましたから。この命が、少しでも長くあるように、と……」

 どこか冗談のように、けれども、はっきりと、シルファはその言葉に決意をめた。

 罪を償っていくこと、そして、生きていくことを。もう二度と、決して、生命を蔑ろにするようなことはしない。

 

 そんな決意と、それに気付かせてくれたことへの感謝と、傷つけてしまったことへの謝罪と、その他、色んな気持ち全てを一言で表す言葉が見つからなくて、シルファはただ微笑むことにした。

 アリアムもそれを感じ取って、応えるように笑みを返――そうとした、そのとき。

 

 不意に、手を打つ音が聞こえてきた。

 

 シルファが、鮮血と共に膝を折った。

 

 

 

 

 パチ、パチ、パチ――。

 聞こえた音は、三回。

 軽く、小気味よく、快い音が、三回――それだけ。

 それだけで、シルファは全身を激しく揺さ振られ、気付いたときには、口内が血で満たされていた。

 肉体という肉体は痙攣けいれんを起こし、血液という血液は逆流し、神経という神経は切断され、血管という血管がぼろぼろに引き裂かれていた。

 もはや、痛みすら感じない。どこにいるのか、どうなっているのかもわからない。痛覚どころか、触覚そのものが死んでしまったようだ。

 だがそれでも、口の中の血液だけは無理矢理に押し戻した。

 汚したくなかった。

 自分を救ってくれた、大切な人を。

 一緒に罪を償おうとまで言ってくれた、友を。

 このけがれた人間じぶんの血液などで、汚したくなかった。

 だから、飲み込んだ。

 味がなく、匂いもしなかった。目は、とうに見えなくなっている。

 どうやら、五感のうち、四つを失ってしまったようだ。

「シ――ァさん、―ルファ―ん!!」

 ただ一つ、未だ何とか機能している耳に、自分を呼ぶ声が聞こえる。

 不安そうに、悲しそうに、泣いている。

「ア、アム、さ……」

 手を、伸ばした。

 その頬に、触れた。

 涙を、ぬぐってあげた。

 

 泣かないで。

 もういいから。

 もう大丈夫だから。

 そんな、悲しそうな顔はしないで。

 あの、可愛らしい顔で、笑っていて。

 ね、お願い。

 

 涙を、拭った。

 その頬が、離れた。

 手が、落ちた。

 

 これが、最期か。

 あっけない。

 せっかく、わかりあえたのに。

 せっかく、気付いたのに。

 本当に、あっけない。

 あの子たちにも怒られてしまう。

 でも、仕方ないよね。

 放っておけないもの。

 皆、ごめんなさい。

 皆の願いを無駄にしてしまうけど、

 あの人は、大切な友達だから。

 だから、この命を賭けても、守りたい。

 

「ア、リアムさ、ん……逃、げて……」

 

 シルファは、最後の力を己の鏡に向けた。

 

 

 

 

 後ろで、音が鳴った。

 なんてことはない、軽快な乾いた音が、踊りの拍子を取るように、ゆっくりと三回、パン、パン、パン、と。

 正面で、友が揺れた。

 三度の拍手に、反応するように身体を痙攣させて血を流し、天を仰ぎながら膝を付いて――そして、倒れた。

 地に伏す姿はまるで、畏怖する神に礼をはいする敬虔けいけんな教徒のよう。見る間に赤い水溜りが領域を広げていく。

「シルファ、さん……?」

 一瞬、何が起きたのか、アリアムにはわからなかった。否、今も理解が追いつかない。解を得ようと今一度、頭の中で起きた事象を再生する。

 

 闘いを終えて、ようやく自分の言を、涙と共に受け入れてくれたシルファ。

 傷付いて、ただ胸の中で蹲るだけだったその人が、力強く立ち上がって見せた。

 呼びかけに応えるように、優しい声で、柔らかな笑みで、自分の名を呼んでくれた。

 そうして、立ち上がったところに鳴った、わずか三度の柏手かしわでに全身を揺らした。

 そして今、さらに血を流しながら地面に倒れ、立ち上がる様子を見せない。

 

 そう。血を流しながら倒れ、立ち上がらない。

「シルファさん!?」

 咄嗟とっさにしゃがみ込んで、呼びかける。

 応えはない。

 その代わりのように、後ろから声がした。

「ああ、なんて良いお話なのカシラ……感動しちゃっタ」

 そう言って、もう一度音が鳴る。

 パチ、パチ、パチ――。

 茶化すような、あざけりのような、軽い声。その不快極まりない音に、アリアムは怒りを隠しもしない表情のまま後ろを振り返り、そして、

驚愕に目を見開いた。

「――っな!?」

「素敵な人形劇だったワァ、お嬢さン」

 そこには一人の女が立っていた。

 古の文字を想起させる銀の刺繍ししゅうをあしらった、鮮やかな蒼の法衣。痩身を包んで風に舞うその衣は、清涼な空気を思わせる。

 いや、

「あ、あなた、は……?」

 衣服など、どうでも良かった。

「あら、ごめんなさイ。自己紹介がまだだったわネ」

 アリアムはただ、目の前の女を茫然ぼうぜんと見つめる。

 幼げながら大人の女性を思わせる、端整な顔立ち。

 輝かんばかりの金の髪。

 空そのものの蒼の瞳。

 そう、それは――

「はぁい、はじめましテ。アタシはコロラーレ幹部の一人、“紺碧の賢者”ルフカロォ。これからよろしくネ〜」

 

 それは、自分の脇に横たわる、シルファ=ムルルームと“全く同じもの”だった。





 いつしか森は静まり返っていた。

 先程までの濁流のような轟音も、地割れのような振動も、今はもう聞こえてこない。

 ざわざわと木々を揺らす風はわずかに湿り気を帯び始め、大地を照らしていた月明かりも雲にかげりだしている。

 もうすぐ、雨が降ってくるだろう。


 そう予見しながら、ナタスは走っていた。向かう先は無論、アリアムの下である。

「チ……」

 苛立たしげに舌を打って、足元を見やる。

 低木と落ち葉に大部分が隠れながらも、わずかな光沢を帯びた黒い土と、ところどころ穴を開けたような水溜りが、見える限り広がっている。

 まさしく、悪路と呼ぶに相応しい地面。いつもならば何も考えずに駆け抜けられるものを、今は一歩一歩、感触を確かめながら進まなければならない。

 静けさゆえか、一歩を踏む度に鳴る粘着質な音がいやに耳障りだった。

「アリアムは無事だろうか」

 ぼそりと、念じるように呟く。

セレスたちあのふたりもいるから大丈夫だとは思うが」

 ナタスは遠くを見通すように、視線を前へと向けた。視界は木々に遮られ、月明かりも失せた今、その先はよく見えなくなっている。

 まさに一寸先は闇。常に予測困難にして予知不可能な事象が発生する“未来”を象徴しているようだ。

 そして、その闇の中に、なお“黒い”とわかる、一つの影。

「……急がなければな」

 不穏な影が横切ったのは、魔法生物との戦闘を終えた後のことだった。始めはなんてことはない、ただふと浮かんだ疑問に過ぎなかった。しかし、それは今、考えたくもないような万が一の事態へと変貌している。

 全ては仮定の上に立てた仮定の話。直感と言ってもいい、推論の域を出ない、“もしも”のこと。

 しかし、予感は寒気がするほど鮮明に浮かんでくる。


 灯火てがかりは、五つ。

 赤い光を放つ魔法石。

 それを体内に持って、半自律の魔法生物となっていた老人。

 “ニンギョウ”という俗称。

 魔法石の光とよく似たものを身に付けていた女。

 そして、以前港町で見た、人体を改造する術。


 もし、この予感が正しいとするならば、アリアムの相対している人物は――。

「ええい……!」

 ばしゃん、とまた飛沫しぶきが上がった。コートの裾がまだらに染まる。くつは重く、足が冷たい。

 いっそ魔法を使ってどうにかしてやろうか――そう思ったとき。

 

 正面に一つ、炎が灯った。

「何だ?」

 揺らめく明かりは横に鏡を並べたように、両の脇に一つずつその数を増やし、気が付けばナタスはその炎の玉に取り囲まれていた。

 まるで夜の海に浮かぶ漁火いさりびか、獲物を追い詰めた狩人のく松明である。だが周囲に人の気配はなく、無論、船が浮かんでいるはずもない。

「!」

 と、突然、正面を塞いでいた炎の一群が宙に打ち上がった。それは緩やかな曲線を描くと向きを変え、さらにその身を分けて無数の炎の弾丸となってナタスへと降り注ぐ。

「くそ!」

 ナタスはぬかるむ地面に力を込めて、後ろに跳ねる。すると、扇状に広がりながら飛んできた炎の一群は全て地面に着弾した。ジュっという音と白い蒸気を上げて、水溜りがいくつか、その姿を消す。

 炎の着弾に遅れること四半秒、ナタスも地面へと舞い降りる。空中でくるりと一回転。体勢を整えながら、重心を低くするために腰を落として前かがみに。左足はやや広げて着地に備えて伸ばし、右足は万一のフォローに動かせるよう、力を抜いておく。

 そうして、爪先が地面に着いた瞬間――

「ぐッ!!」

 ナタスは足に激しい傷みを感じ、倒れ込んだ。見れば、左足は何本もの針に貫かれたかのように、そこだけズタズタに引き裂かれ、焼け焦げ、その下の皮膚はただれていた。

 一体どういうことか――。

 炎は確かにかわしたはず。炎という攻撃に対して“紙一重”という無謀な回避手段も取ってはいない。実際、水溜りが蒸気となったのも見た。

 ならば、左足だけは避けきれなかったとでもいうのだろうか。

 いや、それはあり得ない。仮にそうであったとしても、松明のような炎弾で残る傷は、このような裂傷ではなく、火傷であるはずである。衣服を、しかも狙いを澄まして貫くような傷跡が生じるはずはない。

「いかんな、そのようなことでは……」

 と、そんなナタスの戸惑いを助長するように、声が聞こえてくる。

 そして、炎の明滅を背に、一人の人間が姿を現した。

――な、んだと?

 あまりにも細い(シルエット)は、木の枝のようで見搾みすぼらしい。低木が燃えて裸になったものが、照らし出されているのかとさえ思えた。

 だが直後に襲ってくる、身をすくませる猛風のような圧倒的な威圧感。

 その姿は威風堂々――まさに業火の顕現である。

 仁王立ちの全身を包み込む、紅蓮の法衣。そこに散りばめられた金の刺繍ししゅうが、舞う火の粉のように煌めいている。風に流れる灰色アッシュの長髪は、まるで煙霧えんむ。瞳は日輪にちりんの如く、炎に身を包んでなお輝き、吊り上がった目尻と太いまゆは、鬼のそれを思わせる。

――気配など、どこにも……

 本当に、炎が人の形をとったのではないかと錯覚する。

 揺らめく炎邪は落ち着きを保ったまま、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「貴公は、もっとを振るった姿勢でいてもらわなくては。それが、地に這いつくばって泥にまみれているとは……」

 腹の底から響かせるような、深い老人の声。その声はゼピュロスとは違う、しかし同様に老輩ゆえの重さと威厳を伴っていた。ある者には力強さからの頼もしさを、またある者には威圧感からの畏れを抱かせる、いかずちの遠鳴りのようでもある。

「なんと無様なことか」

 男はそう言ってわずかにトーンを下げると、応じたように背後の炎がかげり出し、次第に炎邪えんじゃの影があらわになっていく。

 それは倒れ伏し、汚れた少年を儚げに見下ろす、老人だった。だが決して、少年を“見下みくだし”ているのではない。老人は背筋を伸ばして姿勢を正し、あくまでも地に伏した少年の姿をうれえるような瞳で見つめている。

「……随分と久しいな、我が友――ナタス=アインシース」

「お前、は……まさか」

 老人の相貌そうぼうまなこに捉え、ナタスは驚きに声を震わせた。

「イニア――!!」


 紅蓮の衣を翻し、老人――“紅の王”イニアが、小さく笑んだ。


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