第二十五話
ようやくの更新です。長らくお待たせいたしまして、大変申し訳ありませんでした。
――喩えるならば、それは色鮮やかな活動写真だった。
秋――
あの子たちが、教会へとやってきた。
皆、亡き家族に思いを馳せて、汚れた顔で泣きじゃくる。
泥と涙と鼻水で、ぐちゃぐちゃだった。
その涙を拭いたかった。皆の笑顔が見たかった。
冬――
外は一面に純白の雪が積もっていた。
凍えるような寒さを忘れ、皆で大きな雪だるまを作った。
石の瞳に枝の口。小さな箒が腕代わり。
皆一緒に、笑ってた。私もつられて、笑ってた。
春――
私たちは、ピクニックに繰り出した。
ランチバスケットにはサンドイッチと熱いハーブティー。
あの子たちが、花の冠を贈ってくれた。
それがとても嬉しかった。皆の心が嬉しかった。
夏――
子供たちが海に行きたいとせがんだ。
けれども私は、この教会から離れることができなかった。
だから庭に、プールを作って楽しんだ。
水の飛沫が眩しかった。皆の笑顔が眩しかった。
そして、季節が巡った。
あの夜、私たちを襲った突然の炎。
夕焼け空に似た炎の中へと、あの子たちは消えていった。
どんなに叫んでも応えは返ってこない。
だから、取り戻したかった。そして、抱き締めたかった。
あの日々を。
あの時間を。
あの幸福を。
あの笑顔を。
それだけが、私の望みだった――。
「あ――」
遠い記憶。
音を立てて崩れていく。
動かない――身体はもはや自分のものではないかのように、指一本として動かせない。
倒れる――倒れたくない。倒れれば、あの笑顔は、もう二度と戻ってこない。そんな気がする。
それでもやっぱり、身体は動いてくれなかった。
――ああ……
魔力を使いすぎた。
魔力とは生命力――いわば血液と同じ。それを使い切ることは、人が生きる力を失くすことに等しい。過度の消耗には十分な食事と休養が必要となる。
身体は「休め」と訴える。いや、問答無用に“休む”ことを強行してくる。もはや地面に立つ、などという余分なことに力は割けないのだ。
故に――
――私は、
景色が流れる。
眼前の世界こそが動いているのではないか、と錯覚する。
日の沈むように地面は視界の外に消え、気が付けば頭上にあるはずの夜空が目の前に広がっていた。
――負けた……?
そうしてようやく、シルファは己が地に伏したことを理解した。
「く……」
力が入らない。自由が利かない。景色も、身体も、感覚も、全てが裏返ったようだ。
それでも何とか立ち上がろうと、シルファは首を持ち上げる。
濃紺だった修道服が、血と泥で黒く変わっていた。
これではまるで、あのとき見た像と同じではないか。“救い”と“幸福”を与えてくれると信じ、自分の全てを捧げる覚悟で祈り、しかしその果てに“不幸”と“絶望”しか齎さなかった、醜い“神”と。
結局は自分も、アレと何ら変わりはなかったのか。
「こんな、ところで……」
いや、そんなはずはない。そうであるはずがない。
あの子たちの笑顔を取り戻す――それは、欺瞞でもなければ、偽善でもない。それだけを望みとし、それだけを願って進んできたのだから。
だから、立ち上がらなければならないのに。だというのに、身体は動いてくれなかった。
「こんなところで、私は!!」
吐き出すように声を上げる。
立ち止まるわけにはいかないのだ。立ち止まれば、それで何もかもが終わってしまう。
あの日々が。
あの時間が。
あの幸福が。
あの笑顔が。
全てが、水泡に帰してしまう。
だから、立ち上がらなければ。立ち上がって、前へ――
「もう、止めてください、シルファさん……」
そのとき、少し向こうで声がした。
見れば、“少女が”立ち上がっていた。
「どんなに願っても、どんなに祈っても、」
彼女は少しずつ、こちらへ近づいてくる。足を引き摺りながらも止まることなく、歩み続ける。
治癒魔法は使えなくなったのか、先の泥を破った魔法の影響で掌がボロボロになっているのに、それを治そうとはせず、体中も汚れきっていて、あちらこちらに傷がある。
その傷の痛みに表情を歪めながらも、少女は一歩一歩を踏み締めていた。
「死んだ人は――けほっ、甦ったりは、しないんですよ? 悲しいけれど、それがこの世界の理。足掻いても、抗っても、どうすることもできない、悲しい運命……」
咳き込みながら紡ぐ声、朧な足取り――そこには確かに、強さを感じさせられた。
まるで自分にはできないことを見せ付けられているようで、胸の奥が熱くなる。
シルファは思わず、全身に力を篭めるように拳を堅く握り締めた。
「そんなこと、とっくの昔にわかっている……祈りや願いだけでは救われないことなど、わかっている。それでも、私は、あの子たちと共に生きる――あの子たちが幸せになってくれる、その手助けとなれるならば、それだけで良かった。それだけが望みだった!」
動かぬ体で、それでも声を張り上げる。ただ空を見上げながら、何をするでもなく、仰向けのまま、遠くを見つめて。
動かぬからこそ、” 己の想い”を、せめて声に紡ぐ。
「なのに、それを奪ったのは神の方ではないか!! 神は“平穏”と“安息”を与える存在。なのに、あの子たちの命は奪われた。“死”という絶対の苦しみを与えられた!
あの子たちはずっと辛い目にあってきた……普通の子供が当たり前に得ている、当たり前の幸福さえも、持つことが許されなかったのに――それなのに、どうしてあの子たちだけが、こうも苦しめられなければならないのか! 何故ささやかな平穏と安息が齎されないのか!
それが、神の定めし“運命”だというのならば、私はそれを変えてみせる!! 蘇生の法を――理を破る術を――神を超える技を、この手に!!」
「……」
それを、少女は黙って聞いていた。
その想いが何なのか、知っていたから。
知っていてなお、その歩みは止まらない。
――目が霞む。
知っているからこそ、それが理解できる。
――頬が濡れる。
その言葉が、いかに矛盾しているか、が。
――胸が痛い。
「平穏と安息を、取り戻すために!!」
聖女の叫び――それは確かに、“祈り“でも”願い“でもなく、己に課した”誓い“。決して破られることはなく、決して揺らぐことのない、心からのもの。そう、信じてきたもの。
しかし、
「その“平穏”と“安息”は、誰のための、ですか?」
「っ!?」
傷だらけの少女はそれに――揺るがぬはずのその誓いに、たった一つ、言の葉を投げた。
葉の舞い落ちた水面が、わずかに揺らぐ。
「あなたの言う、“あの子たち”のですか? それとも、“自分の”ですか?」
「……」
そして広がる、動揺の波紋。
聖女は答えない。答えられない。
「もし、自分のだというのなら、それはただの“わがまま”です。自分の幸福を、不条理に奪われてしまったと、八つ当たりをしているだけ。他に同じことを強いているだけ」
「違う……」
その言葉はさらに波を広げ、やがて聖女の全体を揺さ振り始める。
「シルファさんの気持ちはわかります。何かを憎みたくなる思いもわかります。でも、でも……」
一息、詰まらせるように飲み込んで、今度は少女が声を荒げた。
瞳は憂いに滲んでいた。
「でも――少なくともあなたが“犠牲”にした命は、本来死にゆくべきものじゃなかった! あなたのただの八つ当たりで、あなたの言う“絶対の苦しみ”を強いられたんですよ!?」
「違う! 私は、私は――あの子たちのために……」
「だったらどうして――こんな、無意味なことを……」
「無、意味……?」
「そう、ですよ……だって――たとえ死にゆく運命だったとしても、その子たちはあなたから貰っていたはずです。“平穏”も、“安息”も、“幸福”も……笑っていられたはずです……」
「あ……」
「シルファさんは、『何を犠牲にしても、あの子たちを生き返らせる』と言いました。それが望みだと……
でも、それは“あなたの”望み。子どもたちがそんなことを本当に望んでいると思いますか? “何かを犠牲にして”生き返らせてもらって、それで喜ぶような子たちなんですか? それであなたは、幸福なんですか?
それは違うでしょう、シルファさん。子供たちの本当の望みは、あなたの本当の願いは、違うでしょう……」
「……」
シルファは思う。
心を揺らす波が、身体までも揺さ振っているのは、何故だろう。
胸の痛みが、増しているような気がするのは、どうしてだろう。
ぽたりと一つ、雫が落ちた。
とても温かかった。
これは、何だっただろう。
「見えませんか? 子供たちの顔が」
皆の、顔。
忘れるはずがない。自分に喜びを教えてくれた、あの子たちの顔。
必死に脳裏に彼らを描く。けれど浮かんできたその顔は、自分の求めてきた笑顔ではなく、辛そうな、泣いている顔だった。
――見える……
「聞こえませんか? 子供たちの声が」
皆の、声。
今でもよく覚えている。頬を綻ばせてはしゃぐ、あの子たちの声。
耳の奥で繰り返す。けれど聞こえてきたその声は、自分の求めていた楽しかった日々のものではなく、悲痛な叫び声だった。
――聞こえる……
彼らは、涙を湛えながら呟くように叫ぶ。
――『お願いだから、もうやめて』――
――『私たちのために、これ以上罪を重ねないで』――
――『シルファ姉ちゃんが悪い人になっちゃうなんて、そんなの嫌だ』――
――『何かを犠牲にしなきゃいけない幸福なんて、そんなのいらない』――
――『そんなことで生き返せてもらっても、嬉しくなんがない』――
そう――皆、泣いていた。泣きながら、訴えていた。
「ああ、ああ……みん、な――皆……」
それで、やっとわかった。
ずっと拭ってあげたかった涙は、その実、自分のせいで流れていたのだ。
ずっと拭えなかったと思っていた涙は、その実、この手が拭ってやれていたのだ。
でなければ、自分の求めた笑顔が――あの幸福そうな顔が、嘘になってしまう。
幸福であったが故の笑顔だったからこそ、自分はそれを、もう一度と望んだのではないか。
「ああ、そうか……」
そう悟ったとき、この胸を締め上げていた傷みの意味も理解できた。
「私は、あの子たちの死を口実に、己の不幸を釈明に、してはならない罪を重ねていたんですね。間違っていたのですね……」
それは、悔恨――。初めは『守ってあげられなかった』という、自責からの悔い。次に『何故あの子らが死ななければならないのか』という、自責を逃れるための恨み。
それらを理解してなお、わざと感じぬよう心を殺し、見て見ぬ振りをし、自分は正しいと信じて考えることもしなかった。
その驕りこそが、この胸を締め付けていた傷みだったのだ。
――『もう、いいから』――
――『僕たちは大丈夫だから』――
――『お願いだから、苦しまないで』――
――『私たちは、本当に幸せだったから』――
――『だから――お願いだから、泣かないで』――
ただ、一つだけ。
彼らが真に望んだものは、この世での転生などではなく、遺された者の、幸福。
ただ、それだけ。
たとえ死にゆく宿命でも、一つでも多くの幸福を、その短き“生”の中に――。
ただ、それだけ。
何の枷も重荷もなく、己の為に生きる、そのわずかな時を、大切にして欲しい。
ただ、それだけだったのに。
『何を犠牲にしても』――そんなことをしなくたって、あの子たちはいつだって傍に居てくれたというのに。
どうして、それを見ようとはしなかったのだろう――
「皆、ごめんなさい……私は、決して赦されないことをしてしまった……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
――『ううん、いいよ』――
――『僕たちのためだったんだもんね』――
――『だから、僕たちはあなたを赦します』――
――『私たちも、あなたを苦しませてしまった』――
――『それをあなたは――赦してくれますか?』――
「ええ、もちろん、もちろんよ……私は貴方たちを、赦します……」
頬を流れる、光の筋。
とても、温かい。
何故こんな大切なものを、忘れてしまっていたのだろうか。
涙を拭いたくて、手を伸ばした。
その後に見せてくれた笑顔が嬉しくて、
もっと、もっと、と手を伸ばした。
けれど、
それが届かないところへ逝ってしまったと、
勝手に目を瞑ってしまった。
自分の涙を言い訳にしたくせに、
涙の意味が何なのかにも、気付かずに。
でも、
もう、忘れないから。
この温もりを。
ずっと、覚えているから。
そうしてシルファは、涙を――あの日に失くした温もりを、取り戻した。
いかがだったでしょうか?
ここしばらく忙しくて、まったく手を付けられない日が続いていたため、なんか納得のいかない感じになってしまったのですが……ともあれ、楽しんでいただけたなら幸いです。
第二章、もう少し続きます。続きはまとめて投稿、という形にしようと思うので、また今しばらくお待ちください。