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第十九話

 大変長らくお待たせいたしました。

 定期的に見に来て下さった方々、長くお待ち下さった方々、本当にありがとうございます。

 随分間を開けてしまいましたが、ようやく続きを投稿いたします。

 なお、本文はどれも結構長いです。携帯の皆様方、醜いと思いますが、何卒ご了承下さい。

 


 激突する光と光。

 流れるように舞い乱れ、二度、三度と鋼の音を響かせる。

 双方の剣は流れる水か、はしる風か。

 それは、ぶつかり合ってなどいないかのように滑らかで、衝突したことさえ微塵も感じさせない。

 軌跡は全く乱れずまま流れ、返され、再びすぐに標的を目指して駆けていく。

 それらが互いにかれ合い、絡まり合いして、美しい楽曲ともとれる音色を奏でていた。

「っ!!」

「――!」

 剣戟けんげきの証たる光の筋が、あちらこちらで交錯、収束し、つぼみとなって膨らんでいく。

 花開くは、鮮やかな橙赤色。しかし、それもまた、すぐにその身を花弁に変えて、刹那の内に散っていった。

 交わり合った二つの煌めきが、火花が散りきるよりも速く、再び別れて奔り出す。

 長刀の一撃は、真横から半円を描くように。骨の槍のもう一撃は、地上から伸び上がり線を引くように。

 その斬撃もまた、相手に届くことはなかったが。


 逆巻く風――一撃。

 爆ぜる火花――二撃。

 揺らめく身体――三撃。

 月の光を弾く汗――四撃。

 響き渡る鋼の剣戟――五撃。


「ふっ!」

「オ――」

 ナタスは斬り結ぶ中で、ふと思う。

 この場面だけを切り取れば、優雅な踊りか、あるいはそれを描いた絵画と見間違みまごううかもしれない。

 血のような橙赤色の光を照明に、心音のように止まぬ刃音を拍に、踊り続ける二人の男。

 互いに肉迫し、躍動する姿を写す、現実でありながら神秘的なこの光景は、しかし現存するどんな思想の絵画も敵うまい。

 それほどまでに、今のこの闘いは美しかった。


「はっ!!」

「アァ!!」

 丹青たんぜいの役者たちが正面から斬り付け合い、激突する。激しい衝撃は、空気を振動させ、木々を大地ごと揺るがした。

「ち!!」

「ゥ――」

 その、あまりの斥力せきりょくに、踏み留まることをせず、二人は流れに乗って後ろに大きく弾け飛ぶ。

 そして、彼らは引き絞られた弓のように、着地に縮めた身体を伸ばして大地を蹴ると、

「てぇああ!!」

「ウゥオオ!!」

 奔る矢となり剣を交え、すれ違った。


 ――美しいはずだ。

 まさに互いの命を削った、一瞬の輝きを咲かせているのだから。


 だが、こんな皮肉もあるまい。

 死を望んで生きている自分と、死んだはずなのに生きている老人。輝くほどの生命とは、およそ縁遠い二人が、それを示すようなやり取りをしているとは、何という“あてつけ”か。

 死にたくないという、強い意志など持ち合わせていない。むしろ逆のことを願っている。

 人の生命というのは、儚いものだ。喩えるならば春の桜、夏の花火、秋の夕日、冬の雪。

 一瞬で消えゆくものだからこそ美しい。限りあるからこそ、価値がある。

 その瞬美も価値も、自分は永遠の代償に失ってしまった。

 いかなる苦しみの中にあっても、死に逃げることもできず、どころか人としての尊厳さえも有りはしない。

 だから、自らの死を望むのだ。

 もう、生という苦痛の大河に在り続けたくはないから。


 この闘いに咲く花が美しいのは、それを生命の光と思うのは、一瞬の輝きであるが故。永遠の灰色を優美と感じる者はなく、曇った空を愛でる人間ヒトもいない。

 自分はそういう、光を失したハイイロの人間なのだ。不老不死という、妄想にかれ色をくした人間なのだ。

 いや、もはや人間などと名乗ることもおこがましい。

 人間とて自然の一部。その摂理せつりから外れたモノが、何故人間などと言えるものか。

 自分は消えなくてはならない。

 白でもなく黒でもなく、ただ不透明ににごっているモノなど、セイジョウな世界を汚すだけ。

 まわり巡る世界に於いて、不変ではなく、普遍でなければならないのだから。


 そういう意味では、あの老人も同じだろう。

 自我に基づいた、人間贔屓ひいきの倫理や道徳を語る気は毛頭ない。

 だがそれでも、正常な循環に戻りたいと願うのは、当たり前のこと。平穏安定を求めるのは、至極当然。

 いびつかどを持つなら円がいい。どうせ果てなく進むなら、輪がいい。

 それこそが、輪廻りんね。真なる永遠とはそういうことではないか。


 だから終わらせたい。ただ無為に進むだけの生命を。

 だから終わらせよう。同じ苦しみを持つモノとして。


 先にも増した大輪の花が咲く。それは、“火花”と称するにはあまりに雄壮で、しかし儚く消えていった。


「ふぅ……」

 再び間が開く。

 それで得た余裕を使い、ナタスはこれまで経験と直感だけで動かしていた身体に、思考という理知を挟ませる。

「このままでは睨み合いになってしまうが……」

 距離は約七メートル。

 一足で踏み込むにはやや遠く、二足踏んでは相手の間合いにも入ってしまう。

 このまま睨み合いを続ける気はないが、老人の間合いにまで踏み込むつもりもない。

 さりとて、これといって良い案が浮かんでいないのも実情だった。

「さて、どうするか」

 手を探るように、ナタスは老人の武器を見やる。

 相手ニンギョウの持つ武器は、自らの肋骨を利用した槍。

 “槍”とはいえ骨である以上、大した長さはなく、穂先が研ぎ澄まされた針のように鋭いことを除けば、その形状は短い “曲刀”という方が正しかった。

 故に、絶対に相手の間合いに入ってはならない。

 いかに速さで誤魔化そうと、小回りの利かない長刀では懐に入られてしまえば、対応しきれなくなる。至近距離クロスレンジに持ち込まれては、不利どころか斬り負ける可能性すら有り得るのだ。

 こちらの攻撃が届くギリギリの線に相手を留め、触れさせることなく仕留める。

 それが理想、だが――

「アレはそうさせてくれるほど、容易な相手ではない……」

 ナタスはニンギョウに成り果てた老人に、敬意の念を抱く。

 “生物”と銘を打ってはいても、魔法生物とは所詮、操り人形だ。操作にどんなに技巧を凝らそうと、微細な動きなど到底できるはずもなく、結局は愚鈍で大雑把な動きにしかならない。

 にも関わらず、あの老人は“自分の意志で動いている”かのように、精密かつ正確な動きでナタスの攻撃をここまで防いできたのである。

 いや、長尺刀という圧倒的に間合いに勝る相手に、短剣のみでこれほどの攻防を繰り広げた――それだけでも、賞賛に値するだろう。

「生前は、一体どういう人物だったのか……」

 見ればいつしか老人は、骨の短剣を両の手に握っていた。

 そう、かの老人は、あの“骨”でナタスの攻撃を防いできたのである。

 いかに堅かろうと、所詮は“骨”。鋼の剣を打ち付けられれば、簡単に折れてしまうは当然のはずである。

 が、老人は骨の持つ丸みを巧みに利用し、衝撃を分散させて自らの武器を砕くことなく、こちらの刃筋を寝かせて寸断させることなく、実に器用に捌いていく。

 とても常人の技とは思えなかった。

「全く、興味深い――、っ!?」

 と、ナタスの感想を他所に、老人が鋭く一歩を踏み出してくる。

 左手の短剣を大きく前に、右の短剣は後方に引き絞って水平に――左を盾に右で貫く、まさに双剣士の姿。

 あの老人、かつては名を馳せた剣士か、殺し屋だったのではないか。

――ちっ、長々と考えすぎか……

 などと、このに及んでまだ思考を働かせるナタスは、己の悠長なくせを胸中で罵り、すぐさま迎撃の体勢に入った。


 二人の距離が半分ほどに縮まる。

 ひらけた距離は、老人にとっても一歩では踏み込んでこれないものだったのだろう。二人の中間点付近で、一回目の着地をしていた。

 ナタスは相手の二歩目に意識を集中させ、踏み出した瞬間に剣を振るって迎撃する――

「その程度!」

 と見せ、突如振りかぶった剣を身体の正面に立てるようにかざし、防御の姿勢を取った。

 長い刃に軽い音が二つ、続けざまに響き渡る。

 剣にぶつかり、足元に落下したのは、骨の短剣。老人は二歩目を蹴る直前――ナタスが迎撃に入るその瞬間を狙って両手の短剣を投擲していたのである。

 だが、その程度、見切れぬナタスではない。

 いとも簡単にいなし、逆に無防備となったニンギョウに、両手での打ち下ろしの斬撃を見舞おうと、ナタスはその構えを直す。

「っ!?」

 しかし、老人は攻撃を躱され、武器を失ったにも関わらず、すでに二歩目を踏み込んでいた。

「まだ向かってくるか…… ならば!」

 構わず迎撃の体勢を取るナタス。

 もはや策らしい策があるとも思えない。

 故に臆すことなく、次の一撃に渾身の力を込める。


「オ……」

 だが、老人も浅はかではなかった。

 手にした武器を投げたのは、相手を仕留める一手ではない。これはあくまで、自分の距離に入るための布石。

 防御のため剣を前にかざすという一動作を挟む少年が、改めて斬撃を放つには、幾許かの時間を要する。それが長刀ならば、なおさらだ。

 時間にして数秒にも満たない、わずかな差。しかし、それが好機。その刹那に、自らの間合いに踏み込む。

 もとより老人の狙いはそこだった。

 傷を負わせられれば上々。避けられたとしても、あとは自身の間合いから逃がさぬよう追い続けていけばいい。

 一度懐に飛び込んでしまえば、圧倒的優位になるのだから。

「オオ……」

 老人は最後の一歩を満身の力で踏み込み、さらに加速した。

 瞬く間に、間合いを侵略する。

 そして、再び胸から引き抜いた骨を、両の逆手に携えた。

――狙いは肩の筋肉と鎖骨の狭間。

 ここからならば、脆い骨でも容易に貫くことができ、また肺や心臓を傷つける、致命傷に至らしめることができるだろう。

 敵の守りの隙を突き、

「オオオ――!」


 老人が短剣を振り下ろす――。





 ――駆ける。

 自分の位置と相手の位置、双方を瞬時に見極め、その最短距離――すなわち直線を描いて、

 ――駆ける。

 まわりのことなど気にしない。自分のことも後でいい。今はただ、相手が動くよりも速く、

 ――駆ける。

 今のアリアムにとって、できることはそれだけだった。

 攻撃のための魔法など、知らない。応用できそうなものもない。

 仮に知っていたとて、攻撃に使えるほど自分は器用ではないこともわかっている。

 だからといって、小賢しく策を練るほどの頭はないし、隠しごとも根本的な部分から不得手。

 伏線を張っても、どうせ気付かれてしまうのがオチだ。だから、

 ――駆ける。

 小難しいことは考えない。

 今はただ、自分にできることをやる。

 それだけだ。


「すっ――」

 アリアムは小さく息を吸い込んだ。腹に息を溜めること、四半秒、

「やっ!!」

 気合と共に、高速の刺突を放つ。

 ガキン、と金属音にも似た音を立てて止まる、杖の先。

 また、防がれた。

「やれやれ、ですね……」

 突如として現れ、アリアムの杖を阻んだ、半透明ながら黒く薄い壁の向こうで、シルファはどこかで聴いたような言葉と共に溜め息を吐いた。

「先程からずっと、真っ正直に突っ込んできての攻撃ばかり…… 猪ですか、貴女は……」

 説法のように皮肉をノタマうその笑みは、しかしあまりに無機質なものだった。

 笑みの表す感情は、何かを痛めつけることを楽しんでいるものか、あるいはその果てを見ているのか。その瞳はあまりに遠すぎて、もはや思考を読み取ることはできない。

「全く、自身を止めることもできないクセに、私を止める、とは大きく出たものですね」

 言いながら、シルファは腕を前に伸ばす。

 すると、アリアムの杖を押さえていた薄い壁は、杖の穂先を止める部分だけをわずか残して、硝子ガラスの割れるように四方に散った。

「それとも、何かとっておきの秘策でもあるのでしょうか? そのために私を油断させよう、と」

 シルファは無造作に、開いたてのひらを握り締めた。

 それを体現するように、周囲に散った黒硝子が一点、アリアムを中心に集まっていく。

「く……」

 アリアムは泥の壁を突き放し、跳び退すさる。

 刹那、前方の空間で鈍い音が連鎖的に響いた。それは硝子ような薄片が発するとは思えない、大質量の物体がぶつかり合う音。腹を叩く轟音は、まるで土砂崩れの中に身を置いているようで、寒気がする。

 硝子片は互いにぶつかり合うと、また粘土のように膨れ上がって、一つの球体を作り出していく。

「もしそうなら、早く見せていただきたいものですね、その秘策とやらを」

 抑揚なく声を紡ぐシルファ。

 握った拳を後ろに引き、拳打を虚空に放つ。すると、アリアムの杖を防いでいた、わずか残されていた泥が渦を巻き、きりのように撃ち出された。

 それは前方、泥の球を貫き、飲み込んでさらに増大、唸りを上げる。

「アリアム、左に跳んで!」

「!」

 と、近くから、白猫セレスの声が響いた。

 導かれるように、アリアムは力を込めて大地を蹴る。

 足元を掠める風切音。つい先程までいた空間が、薙ぎ払われていく。後には、何かに引きられたようなあとが地面に突き刺さっていた。

「さあ、見せてください――」

 シルファはさらに、突き出した拳を開いて横に振る。応じて、飛ぶ錐が四散、向きを変えてアリアムを追う。

「――貴女の力を、言葉を、想いを!」

「ぐっっ!!」

 着地と同時に襲い来る、無数の弾丸と、耳をつんざく轟音。

 地をえぐり、風を裂き、樹を削り、肌をぎ、服をき、髪を断つ。

 が、それでも――。


 泥が、雪崩てきた。




「もう、終わりですか?」

 動く気配のなくなった少女にシルファは言った。

 しかし穏やかな声とは裏腹に、顔はいまだ緊張を解いていない。

 結果を確認するまでは、いつでも応戦できるようにと、構えを直す。

「だとしたら、実にあっけないことです……」

 臨戦体勢のまま、あざけるように溜め息を漏らす。

 ぬかるんだ地面をして、なお濛々もうもうと舞い上がる土煙。老木と枯葉の砕片を混ぜたそれが、パラパラと小さな音を立てている。

 まだ、動く気配はない。

 まさか、本当に今ので終わりなのか。あれだけの大口を叩いておいて、自分に触れる間もなく倒れてしまったというのか。

 だとしたら、興醒めもいいところだ。

――もう少し、頑張って欲しかったものですね……

 『止めてみせる』、などと言っておきながら、何もできないとは情けない。

 とはいえ、それもまた一つの運命。

 どうにもならないことなど、この世にはいくらでもある。いかに足掻あがこうと、決して抗えないものが。

「貴女もまた、無力な人間でしたか……」

 シルファはそう言って腕を下ろした。そして、煙に向かって、一歩踏み出す。

「けれど、“無駄”にはしませんよ。貴女の遺体からだは、私が丁重ゆうこう埋葬かつようして差し上げます」

 口元を曲げ、歪に笑みながら、一歩一歩、近づいてゆく。

 と、そのとき、

「アリアム、右前方、一時の方向ッス!」

 白猫がまた声を上げた。

 鎮まりかけていた煙が、再び流れ出す。

「!?」

 突如、片手で煙を振り払いながら飛び出してくる少女。

 髪が風に乗り、踊る。

 全身は汚れ、服は襤褸ぼろになっても、それでも瞳は微塵も揺るがず、力強い輝きを放ちながら前を見据えていた。

「まだですよ、シルファさん!」

 アリアムは手にした杖を、脇に深くい込んだ。

 迂闊うかつにも悠々と近づいてきた聖女に、全身に溜めた力を、突進に乗せた勢いを、合わせて杖の先に込め、突き出す。

「くっ!!」

 対するシルファも、咄嗟に両手を前に突き出して、泥の盾を展開した。


 激突の感覚は一瞬。

 後を支配するのは力の奔流。

 周囲を散らすほどの風が吹き荒れる。

 激しい衝突は空気を震わせ、音となって過剰なエネルギーを放出する。

 打った者と打たれた者、双方は等しく力の奔流に呑まれ、分かれるように弾き飛ばされた。


 くるりと宙で一回転、アリアムは地面を擦りながら着地する。

 びょん、と傍らに降り立ったセレスに、小さく一声、礼を言う。

「ありがとう、セレス」

「どういたしまして。でもアリアム、アイツじゃないけど、もう少しなんとかならないッスか? その、闘い方……」

「う〜ん、でも他に方法がわからないし……」

 と、歯切れも悪く、とても言い辛そうに尋ねてきたセレスに対し、アリアムは全くの本心から、そう答えた。

「わたしの知ってる闘い方って、ほとんどが反撃中心のものなの。要するに“護身術”。相手の出方に応じて動きを決め、相手を制する。だから、こっちから攻撃を仕掛けるようなこと自体、本当はおかしいんだけど……」

 思わず、苦笑いを浮かべる。

 もともと、体術は旅の道中、危険から身を守るために覚えたものだった。

 旅は“安全第一”。こちらからやぶをつついて、蛇を出すことはない。

 自分は闘いに生きる戦士ではなく、ただの旅人なのだから、相手を殺すことを目的とした闘い方は知らないし、覚えようとも思ったことはなかった。

「でも、」

 アリアムは継ぐ。

「シルファさんのあの魔法は、相手に近づかなくても攻撃できる。ということは、ただ待っているだけじゃ駄目でしょ?」

 言いながら、アリアムは前方、やや離れたシルファの方を見た。

 彼女は攻撃してくる気配はなく、今はただこちらのやり取りを眺めていた。様子見か、あるいは余裕、なのだろうか。

 おそらく、後者だろう。

 その左右両脇と足元では、泥がゆっくりと、蟲の這うように蠢いている。

 先程、魔法生物を泥で包んで炎から守っていたことからも、彼女の魔法は、泥を扱うものであることは察しがついていた。

 それが“泥”自体を操るものなのか、それとも“流動”という現象を操るものなのかはわからない。が、いずれにしろ厄介であることに変わりはない。

 自分から近づかなくても攻撃ができるということ。そして――おそらくは、この地の粘土質の土壌がそうさせているのだろう――、攻撃だけでなく、防御にも転用が可能であるということ。

 全く、不思議なものだ。

 優しく触れれば何の抵抗も感じず、少しばかり粘りのある水程度でしかない泥が、しかし強く叩けばそれ以上の力をもって反発してくるのだから。

 となれば、攻撃にも防御にも転用できるはずである。

 通常はむちのようにしなやかにうねりながら、衝突の瞬間のみ鋼鉄の如き高硬度を見せる。前方に膜状に広げれば、その質量をもって衝撃を防ぐ。

 打撃を中心としたアリアムの戦闘法では、それを破る術はないだろう。

 全く、厄介と言う他ない。

――本当に、どうすれば……?

 アリアムは息を呑む。

 打撃は通じず、かといってそれ以外の攻め手に欠ける状態。

 体術で勝ろうと、間合いに大きく劣る。こちらの攻撃が届かない位置から攻撃され、それを掻い潜って捉えても、その頃には防御が完成している。

 為す術がない。

――せめてナタスさんみたいに、炎の魔法が使えたら……

 シルファの左耳で光る、赤いピアスを見つめながら、ふと思った。

 蒼の双瞳と金の髪を燃やすように照らす、赤い光。

 それはまるで、空。

 日中の蒼天。黄金の朝焼け。そしてぼうと赤い夕暮れ。

 それらを文字通り体現しつつ、操るのが泥と死人というのは、面白くもない冗談だ。

――シルファさん……

 感情を交えることなく、ただ佇むだけの堕ちた聖女シルファ

 “心ここに在らず”――いや、“心在らず”とすら、思えてしまう。

 そのくらい、彼女の顔には、感情が見えなかった。


 いかがでしたでしょうか?

 今回は三本まとめて投稿いたします。

 続きも、ぜひどうぞ。

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