第十六話
「ゼピュロス様!!」
秘書が自室に飛び込んでくる。
解けぬ謎に頭を悩ませていたゼピュロスは、その慌てふためいた秘書の叫びで、何事かと我に返った。
「ホ、何じゃ一体…… そんなに大きな声を出さんでも、まだ耳は遠くなっておらんぞい」
あまりにも狼狽していた秘書を落ち着かせようと、自らは努めて普段と変わらない素振りで答えてみせた。が、秘書の面持ちは変わらない。
「あっち……あの教会がある方向に、巨大な火柱が!」
「何!?」
座っていた椅子を蹴り倒してしまいそうな勢いでゼピュロスは立ち上がり、秘書の指す方角を見る。
天を焦がすほどの業火は、一瞬だけ猛烈な紅い光を放って、すぐに消えていった。
――あれは……!
考えるまでもない。ナタスたちに何かあったのは明白だ。
ならば、と思う間も刹那、ゼピュロスの決断は迅速だった。
「すぐに兵を集めて調査隊を結成せよ。指揮はわしが執る」
「は!」
号令一閃、秘書はぴしりと敬礼すると、すぐに駆け出していった。
その姿を見送りつつ、ゼピュロスは思う。
これで彼らに何かあれば、それは自分の責任。
この時刻では人員も満足には集められないだろう。調査を極秘に頼んだこともあって、すぐに助けに行ってやることもできない。
――ナタスに限ってよもや、とは思うが……
だが、その程度の時間、耐えられない友ではない。ナタスは簡単に倒れる男ではないということは、よく知っているつもりだ。
そのはずなのに、何故か無性に嫌な予感がする。
――ナタス、アリアムさん…… 無事でいてくれ……
言いようのない不安を押し止めるように、ゼピュロスは力を込めて奥歯を噛み締めていた。
「シルファ、さん……」
アリアムは喉を詰まらせながら、くぐもった声でようやくそれだけを言葉にする。
いや、それだけしかできなかった。
辛うじて抜け出る息は戻ること叶わず、激しさを増した胸の鼓動で体が震える。体は熱を帯びて仕方がないのに、流れる汗は氷水のように感じられた。
晴れたはずの霧が、再び自分の頭の中だけに現れたような感覚。思考は現実に追いつかず、故に理解は到底及ばない。
心の内を駆け巡るのは、“信じたくない”という縋るような願いと、そして“認めなくてはならない”という使命感にも似た思い。
――その中で、感情が『全てを“拒絶”しろ』と命じ始めていた――。
「どうして……」
アリアムは、今にも崩れ落ちそうな膝に必死に力を込めて、問い掛ける。自分の言葉の後に続く問いがなんであるのかも、判然としないまま。
その求めに、蒼瞳の聖女はくすりと笑った後、
「己の、望みの為に」
何に躊躇うこともなく、確固とした意思の篭もった声で答えていた。
「己の望み……?」
「ええ。私の望みを現実のものとするために、彼らにはその代償となってもらいました」
唇を噛み締めて尋ねるアリアムに対し、あくまでも穏やかにシルファは告げる。
足元に一つ落ちた、何かの骨など意にも介さず、微動だにすることもない。ただ佇むだけの彼女はどこまでも無機質で、そして歪だった。
確かに微笑を浮かべているはずなのに、人間らしさというものがひどく欠けている。
言うなればそれは、貼り付けられた仮面――いや、アレは本当に人間なのかという疑問さえ、アリアムは感じていた。
「昨夜の、河辺でのことも、シルファさんが……?」
何かに身を振るわせながらも、問いを重ねるアリアム。
その姿にシルファは何かを感じ取ったのか、今まで端的にしか語らなかった言葉を連ね、縷々(るる)と語る。
或いはそれが彼女の感情の一表現なのかもしれないが、今のアリアムは、そのような考えに及ぶべくもないほどに、混乱させられていた。
努めて冷静であろうとする少女を、シルファはその蒼い瞳で見つめ続ける。
「そう。アレも実験の過程。もっとも、アレは完全な失敗作でしたけどね。どうやっても、私の思い通りにしか動いてくれない、ただの操り人形にすぎなかった。だから川に流して捨ててしまおうと思っていたのですが、最期の最期で急に自分で動き出した。その時ですよ、貴方が現れたのは」
アレはアレで嬉しい誤算でもあったのですが、と付け足す言葉にも感情は篭もらない。眉一つ動かさず、淡々と語るその姿は、まさに人形のようだった。
それが、アリアムを余計に困惑させる。
「思い通りに動く魔法生物が“失敗作”で、自分で動き出すのが“嬉しい誤算”……?」
その問い掛けに、今度はシルファは答えなかった。代わりに機械のように目を細め、口元を吊り上げて、“笑顔のような表情を造り”、その仮面の微笑を深める。
まるでアリアムが戸惑う姿を愉しむように。
――っ!!
またアリアムは困惑に息を呑む。
シルファの見せるその姿は、かつて自分が出逢った彼女のそれとは、遠くかけ離れたものだったのだ。
自分の知る彼女は、あのような歪な笑みを浮かべたりはしない。どこか儚げで、憂いに満ちたような笑顔だったが、そこには通じて優しさが篭もっていた――はずだ。
その笑顔が、今は霞んでいる。
だからなのだろうか。未だに彼女を拒絶することができず、あろうことか、今目の前にいるのは“自分の知っているシルファ”ではないとさえ信じたくなるのは。
そんなわずかな希望にすがるように、アリアムはあえて主語をぼかして問い続ける。
「そこまでして、手に入れたい物があるというんですか、あなたは……?」
「ええ。そのために、私は実験を繰り返してきた。“輪廻転生”の実験を」
そう――
あの獣の魔法生物は“死んだ者を生き返らせる”、その秘術を得るための実験だったのだ。
“魔法生物”という魔法は、対象の物体に魔力を通すことで擬似的な生命体として操作を可能とする魔法である。
しかし、それはあくまでもモノを扱う術。“生きているよう”に見えるからといっても、そこに“生”はない。言うなれば不完全な生であり、故に意志はなく、ただ誰かの言いなりになるだけの存在。
しかし、彼女が求めるものは意志をも持った “完全な蘇生”なのである。
だから、彼女は試行錯誤を重ねた。
まず、治癒の魔法に救いを求めた。だが、死者の傷を癒したところで、生者に成り代わることはなかった。
次に、人体の細胞から同種の個体を生み出す“複製”技術に賭けようとした。しかし、如何に“同じ細胞”を持つ生体だからといっても、それは“同じもの”にはなり得ないと知って、絶望した。
そうして結局、行き着いたのは“魔法生物”だった。
魔法生物という技術が、不完全ながらも“生”であると言えるのならば、それを追求し続けることでやがて“完全な生”に近づけるはず。
今までに無かった手法、概念、機軸――思いつく限りのことを試してみよう。
それがシルファの答えだった。
だが、それを為すためには、クリアしなければならない絶対の条件があった。
“蘇生”を為すための、絶対の条件――それは言うまでもなく、魔法を行使される対象が“死者”であるということ――。
「あなたは――シルファさんは、そのために、これほどの、命を……?」
「そうすることで“生命の循環”を解することができるのならば、それは尊いことでしょう? 彼らの生命も決して無駄にはならない。その果てに生まれる世界が、誰もが“死”から解放される世界――死者を甦らせることができる世界になるのだから」
シルファは空を仰ぎながら、高々と宣言する。吹く風をその身で受け止めるように腕を広げて頭上にかざし、その向こう側にあるものを掴もうとするように拳を握る。恍惚に染まる表情――それは、人としての感情なのかさえ、もうわからない。ただうっとりと、三日月に並んだパーツを夜空に向けていた。
「――そうして私は神の定めた“運命”という名の輪を排し、この身を神に近づけ、私の愛しい者たちを憎き神の下より取り戻す――それこそがこの私、シルファ=ムルルームの望み!」
アリアムはかすかな望みが潰えたことを悟って、瞳を伏せる。吹く風があまりにも冷たくて、それを避けるように身を縮め、何もできぬ己の無力さを噛み締めるように拳を握る。胸に迫る感情――それは、誰に対して、どのように抱いたものなのか、わからない。ただそのココロを、暴走だけはさせないようにと、目を伏せる。
「――だったら、あなたは、どうして……」
心の奥から、声を漏らす。巧く言葉にならない。
ただ自分の胸の中だけで強く響いて、嗚咽の中に埋もれていく。
それでも――たとえ胸の中だけであろうとも、アリアムは精一杯叫ぶ。
――どうしてそ が、 し いる う と 付 い ?――
必ず、届いてくれると信じて。
だが、それは、一瞬、一言、それだけで、脆く、易く、あっさりと、壊れて、散った。
「邪魔をするなら――殺します」
――カチリ。
奥歯が鳴った。体の熱が別のものに変わっていく。
シルファの顔は、再びの無表情。その声は、無感情。蒼の双眸には光を灯さず、どこまでも冷たい眼差しで見つめてくる。
それで、ココロは決まった。
「させない…… これ以上は」
アリアムは伏せていた顔を上げ、真っ向からシルファを睨み返す。
もとより、このような行いを許せないと言ってここに来たのだ。
たとえ目の前にいるのが誰であろうとも、それを裏切りだと悲しむのではなく、絶望に流されるのではなく、正面から向かい合おう。
それが、“友”と呼び合えるものであるはずだから。
「わたしは、あなたを止めてみせる!」
――胸の奥の、“拒絶”を命じる声は、大きくなっていた――。
いかがだったでしょうか?
なんか何度も言っているような気がしますが、ようやく佳境です。ここからは戦闘シーンが続いて、んでサクっとエンディング…… ってできればいいのですが…… 一体何話まで続くのかな……