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第十話

 西の外れ、市街地から離れた場所にある林を抜けると、小高い丘陵が広がっている。

 日の沈みゆくその丘は、夕暮れ時ともなれば、夕日と共に鮮やかなあかね色に染まり、周囲の林の深い緑色がそれを覆う、美しい姿を見せる。

 そしてこの季節、夕日は丁度、丘の頂上と重なるように沈んでいくという。それは、まるであかい土台に置かれたルビーのような、筆舌には尽くし難い、とても幻想的な光景なのだそうだ。

 人々はその丘を“紅玉こうぎょくの台座”と呼んで、この季節のわずか一時ひとときだけ見ることのできる光景を昔からとうとんできた。

 そんな紅玉の台座のいただきより少し下、丘をはさんで街の反対に位置する側。

 そこに、小さな教会があった。

 街が大きく発展するよりもずっと昔、“教団”として成立するよりも少し前、信仰が広がり始めた丁度その頃、この教会は建てられた。

 街の西側に位置するこの丘で、一日の終わり――太陽が沈むのを見届けるために。

 そうしてまた太陽が昇ることを願い、夜の明けるように、人々に幸福が訪れることを、祈り続けてきたのである。


 しかしある日、その歴史ある教会を、不幸が――突然の火災が襲った。

 深夜遅くに起きたことに加え、この教会が山肌の向こうに建っていたために、市街地からの発見は大きく遅れ、消火と救助が訪れた頃には、すでに手の付けられない状態だったという。

 焼け跡からは、一名の成人女性と五名の子供のものと思われる焼死体が見つかった。教会を預かっていた聖女と、そこに身を寄せていた五人の孤児たちが炎に呑みこまれ、その尊い命を落としたものと見られている。

 教団による調査の結果、教会の聖堂とつながる、彼らが生活をしていた小屋に備えられていた調理場付近の燃え方が最も酷かったことから、火災の原因は“火の不始末”によるものとされ、事故であると断定された。

 なお、犠牲となった六名の遺体は、そろって神像の前で発見された。おそらく、逃げ場を失った彼らは、最期に神に助けを求めたのだろう――。


「――だ、そうだ」

「……」

 街外れにある林の中、木にもたれ掛かりながら座っていたナタスが、手にしていた紙に書かれた最後の一行を読み終えて、そう締めくくった。

 彼らが調査しに行く事件、その公式発表の見解である。

「なお、この事故で犠牲になった六名は、有志ゆうしが催した葬礼そうれいにおいて、丁重ていちょうとむらわれたらしい」

「……」

 静かに話を聞いていたアリアムは、虚ろな瞳で膝を抱えて座り込んでいた。

 頭上から、くすんだ木の葉がひらひらと舞い落ちて、足元に広がる赤と黄と茶の色とりどりの絨毯じゅうたんに、また新しい模様を増やしていく。

「感想は?」

「……」

 ナタスが「何か質問はないか」という意味を込めて、やや意地悪に尋ねる。

 しかしアリアムは俯いたまま、何も話そうとしない。

「マスター」

 と、そこに、セレスが咎めるように割って入った。落ちていた団栗どんぐりに、じゃれついていた手を止め、恨みがましい瞳を主人に向けて叱責する。

 その視線を受けて、ナタスが申し訳なさそうに詫びる。

「すまん。失言だった」

 冗談も、時と場合を選ぶべきであろう。

 六人もの犠牲が出たという事故の詳細を聞いて、明るい気持ちになるはずがない。人の痛みを、己の痛みのように感じ取ってしまうアリアムにとっては、尚更なおさらである。尋ねられるまでもないことだった。

 “死”を侮辱するつもりは毛頭なかったが、どこか軽んじる節のある自分の愚かさを彼女に向けてしまったことを、ナタスは迂闊うかつだったと後悔する。

「いえ……」

 アリアムは表情を下に向けたまま、小さく応えた。表情は相変わらず、暗いままである。

 とそこに、今度はディアナが続きを促すように主人に尋ねた。

「それで、“次”は?」

「ああ……」

 それを受けて、ナタスがポケットからもう一つの紙の束を取り出す。その影でアリアムの様子をうかがうが、すぐに視線を紙に戻して、

「これは、ゼピュロスからもらった事件の調査報告書の写しだ」

 先と同じように読み上げていく。そこにも、公式発表と“ほぼ”同様のことが書かれていた。

 ただし、二点ほど、公式発表のものとは違う点があった。

「まず、火元とされた調理場以外にもう一箇所、神像の足元あたりの燃え方が激しかったらしい。もっとも、火の気のないところだったために、何か燃えやすいものが置いてあったのではないか、というのが大方の見解だ」

 それともう一つ、とナタスが手にした紙からアリアムの方へと視線を改めて、続ける。

「発表では、遺体はその教会の聖女と孤児たちのものとされているが、実際は損傷が酷くて身元の確認ができていないそうだ」

「え、それじゃあ……」

 それを聞いて、黙り込んでいたアリアムが顔を上げた。その表情は一縷いちるの希望を見出したかのように、わずかに明るくなっている。

 その肩に、鮮やかな紅葉もみじが一枚、はらりと落ちてきた。

「孤児たちじゃないという可能性も……?」

「なくはない。だが、その夜から彼らの行方がわからなくなっているらしくてな。それで、犠牲者を彼らとしたんだろう。だが、遺体があることには変わりないぞ」

 しかしそれには、ナタスが戒めるように返す。

 犠牲者が出ていることに変わりはないのに、表情を明るくするのは間違っているだろう。

 アリアムもすぐに気が付いて、申し訳なさそうに謝罪する。

「あ、そうですよね…… ごめんなさい」

「いや」

 ナタスが紙に視線を戻しつつ、小さく応えた。

 これで“おあいこ”という風に、調査の目的を語る。

「まず現場に着いたら、なぜ神像の足元の燃え方が酷かったのかを調べよう。それの如何によっては、テロなのかどうかもわかるかもしれない」

「はい。それと私、その孤児たちの行方を調べたいんですけど…… いいですか?」

 応えるアリアムの手は固く握り締められ、瞳には力強い意志が込められていた。

 やたらと“孤児”にこだわりをみせるアリアムを多少、怪訝けげんに思いながらも、ナタスは彼女の意思を感じて、無碍むげにしたりはしなかった。

「ああ。現場の調査を済ませたら、調べてみよう」

「ありがとうございます!」

 明るい声で感謝を述べると、アリアムは立ち上がって、林の向こうの丘に目を向ける。


 西の外れ、市街地から離れた場所にある林を抜けると、小高い丘陵が広がっている。

 人々はその丘を“紅玉の台座”と呼び、この季節のわずか一時だけ見ることのできる光景を、昔から尊んできた。

 そんな紅玉の台座の頂より少し下、丘を挟んで街の反対に位置する側。

 そこに、小さな教会“跡”があった。




「フウ、ようやく一段落じゃ」

 教団の一室、自分の部屋の机に腰掛けながら、ゼピュロスが息を漏らした。

 管理職にある人間の宿命とでも言うべきか、机の上に積み上げられた大量の書類に目を通し、必要ならばその一つ一つにサインを入れていく、という単純な作業を一通り済ませ、ゼピュロスがり固まった肩をさすりながら椅子の背に体重を預ける。

「お疲れ様です」

 そこに彼の秘書が熱いコーヒーを注いだカップを持って来た。真っ白で飾り気の少ない、ゼピュロスお気に入りのカップである。

「ホ、すまんの」

 ゼピュロスは嬉しそうにカップを受け取ると、その中身を一口啜ひとくちすする。コーヒー独特の苦味の中の、わずかな甘さが疲れた体に染み渡っていく。

「砂糖を一つだけ入れておきました。お疲れのようでしたので」

「気が利くのぉ、お前さんは」

 ありがとう、と秘書に礼を言い、また一口、コーヒーを口に運ぶ。ほのかな南国の花のような甘い香りと、大地のような優しい風味が、口の中に広がった。

 その余韻を楽しみながら、ゼピュロスがふと世間話のように秘書官に尋ねた。

「お前さんは、“シルファ=ムルルーム”という人物を知っておるか?」

「ええ、存じてますよ。教団ウチの人間の、ならば」

 秘書が自分の机に戻りつつ、答えた。

 その答えを聞いて、自慢のひげさすりながら、得心したようにゼピュロスが大きくうなずく。

 秘書は、不意の質問に加え、妙に真剣そうな表情で頷いている上司を不審に思って尋ね返した。

「なんでまた、急に?」

「いやいや、どこぞで耳にしたんじゃが、誰だったかどうにも思い出せなくてな。いや歳を取ると、記憶の引き出しを開けるのにも苦労するのぉ」

 それを聞いて秘書は、またこの老人の戯言たわごとだったか、と疑念を取り払う。このような道化どうけは、ゼピュロスにはよくあることだった。

 だから大して気に留めることもせず、皮肉めかして言った。

「歳は取りたくないですね」

「お前さんも、油断しとるとすーぐに老いぼれるぞい」

 売り言葉に買い言葉、とでもいうように、ゼピュロスも笑って返す。

 秘書は今度はそれに取り合わず、手をひらひらと振って自分の机に戻っていった。

 そうして秘書が自分の仕事――机の上の書類に向かうのを見て、ゼピュロスは思いを巡らせる。

――そうか、教団の人間じゃったか…… ならば、資料室に行けば、何かわかるじゃろう


 わざと音を立て、また熱いコーヒーを啜る。

 カップの底はまだ見えない。




 『KEEP OUT』――。

 立ち入り禁止と書かれた黄色いテープが、小さな鉄製のハードルのような仕切りの両端に結ばれて、これより先の道を塞いでいる。

 人間とは兎角とかく、“さかい”を設けるのが好きな生物である。国境や塀から、窓につけるカーテンに至るまで、様々な物を用いて、人間は自分の“領域”を作り出す。

 しかし、この場に設けられた境界は、本来この土地に住んでいた人たちが作った境ではない。事故の後、それを調べるためにやってきた者たちが定めた領域である。

 そんな、“後からやってきた者たち”が誰の了承もなしに勝手に作った領域を、果たして“ここに居た人たち”はどう思っているのだろうか。喜んで迎え入れてくれるのか、あるいは『出て行け』と抵抗するのだろうか。


 そんな思いが、アリアムの胸を激しく波打たせていた。

「ここから先、なんですね……」

 黄色いテープを前にして、高鳴る胸を押さえつける。

 自分たちの手で事件の真相が掴めるかもしれない、という期待と、これから“してはいけないこと”をしようとしている、という罪悪感にも似た思いが手伝って、それでも動悸は静まらない。

「覚悟はいいか?」

 一方のナタスは、何食わぬ顔でスタスタと歩いている。彼は全く、いつも通りの冷静なままだった。

「はうう…… ドキドキします」

 アリアムは引きるように足を前に出し、何とかそれについていく。

 本当に自分のものなのか、と思うほどに重さを感じる腕が小刻みに震え、血の気を無くしたようにとても冷たくなっていた。

 それでも鼓動が『前に進め』とうずいて促して、激しく胸を叩き、気分を昂揚こうようさせる。

 全くもって、“スリル”とは厄介な毒である。

「ここから用意しておくか……」

 独り言のように呟くと、ナタスは境まで歩いていき、ポケットから赤いビー玉らしきものをいくつか取り出した。

「何ですか、それ?」

 アリアムが尋ねると、ナタスはああ、と言って振り返る。

「これは“魔法石”。ある特殊な宝石に前もって魔力、あるいは使いたい魔法を込めておくことで、後々使用できるようになる代物だ。魔力電池とでも言えば、わかりやすいかな」

「へぇ、便利な物があるんですね」

 アリアムが手渡された小さな赤い、半透明の石を太陽にかざして、感心したように頷く。

「早く入ってくれ。魔法を発動させたい」

 と、ナタスがアリアムに促した。

 見れば彼はすでにテープを超えて、境の向こう側に立っていた。慌ててアリアムもテープをくぐる。

「魔法って、何のですか?」

 テープを潜りながらアリアムが問い掛ける。途中、帽子が引っかかったり、髪が絡まったりと、細いテープを抜けるだけで四苦八苦していた。

 その様子に、ナタスは苦笑を浮かべる。

「“隠れ身”の魔法ッスよ。何しろ、内緒で行動するッスからね」

 主人に代わって、セレスが魔法の説明をした。

「かくれみ?」

 それに反応して、アリアムが小首を傾げる。顔はハニワのような表情になっていた。

「特定の人物の存在を、人の“無意識”の内に隠してしまう魔法ですわ」

 ディアナがわざと難しい方の説明の仕方をして、主人と共にアリアムの方を窺う。すると予想通り、アリアムは世にも奇妙な形のしかめっ面に変わり、固まった。

 相変わらず、からかうと面白い。

 その予想通りの反応に、ナタスは必死に笑いをこらえながら、簡単な方の説明をする。

「街中で知り合いとすれ違っても、気付かないことがあったりするだろう? それは、そこに“その人がいる”なんて思っていないからさ。注意して見ようとしない限り、見逃してしまう。そんな風に、隠れ身の魔法とは、そこには“誰もいない”という無意識の裏に身を隠してしまう魔法だ」

「なるほど」

 アリアムは納得したのか、両手をぽんと合わせ、しかしすぐに慌てたように両手を下ろして仏頂面になった。自分の“わかりやすい”行動を見て、ナタスたちがまた笑いを堪えているのがわかったからだ。

 せめてもの抗議、予想のできないような行動をしてやろうとしたのである。

「く、くく…… あははは!」

 だが逆に、ナタスたちはアリアムのその仕草が、妙にコケティッシュに思えて、大笑いしてしまった。

 それに大いに腹を立て、アリアムは膨れて顔を背ける。

「ぶぅ」

「ごめんなさい。気を悪くなさらないでくださいまし」

「ごめんッス、アリアム」

 それを見て、猫たちが二匹して並びながら、微笑みをまじえて詫びた。

「いや、すまん。まぁ魔法を発動させたら、こんな風に大きな声を出したりはしないでくれ。声が聞こえれば“誰かいるのか”と注視されてしまう。そうなれば、隠れ身の魔法は台無しだ」

 何とか笑いを押さえてナタスも謝罪し、ついでのように注意事項を付け加える。が、それでもアリアムは膨れたままで、目一杯の抗議を示す。

「ナタスさんたちがからかったりしなければ大丈夫ですよ」

「わかった、気をつけるよ。その魔法石は、ポケットにでも入れておいてくれ」

 そう言うと、ナタスは持っていた石を握り締めて目を閉じた。続けてそのまま、アリアムの持っていた石を指す。すると、握られた手の中から小さな赤い光が広がり、二人と二匹の体を包んでいく。

 そうするうちに、やがて光は何事もなかったように消えた。

「これで良し。以降は、できるだけ目立たないようにな」

 それだけを言うと、急に静かになったナタスがきびすを返し、それにならうように二匹の猫も歩き出す。

――何も変わった様子はないけど、隠れ身かぁ…… やっぱりナタスさんはすごいな……って、ああ!

 しげしげと自分の身体を眺めていたアリアムは、自分が置いていかれそうになっていることに気付くまで、少しだけ時間がかかった。

 ちなみに、“隠れ身”の魔法を見たその時に、不機嫌さなど吹き飛んでしまっていたことには、アリアムは最後まで気付かなかった。

 

 徐々に日が短くなっていくこの季節。太陽は、早くも傾き始めている。




「すまんが“シルファ=ムルルーム”という人物について知りたいのじゃが、資料はどこにあるかの?」

 教団の資料室。

 ゼピュロスが、教団に所属する人物の情報が集められているリストを開きながら、資料室の管理官に尋ねた。

 彼は、今朝アリアムたちの話に出てきた“シルファ=ムルルーム”という女性について調べていた。

 だが、リストをめくれども捲れども、“シルファ=ムルルーム”の情報は出てこない――否、抜き取られているようだった。その名前だけを残して。

「ああ、それでしたら、今朝処分しましたよ」

 管理官の答えに、ゼピュロスは驚く。

「処分? 何故じゃ」

 それに返された答えは、ゼピュロスをもっと驚かせた。

「何故って、決まっているじゃないですか。先日の教会の火災で、亡くなったからですよ。あそこを預かっていたのは、彼女でしたからね」

「なん、じゃと……?」

 その名前をどこかで聞いたことがある、しかしそれが思い出せなくて気になった、ただそれだけの、好奇心程度でしかなかった。

 だがそれは思いの外、不可解な事実として浮かび上がり、不可思議な謎を呼び起こした。

「ですから、お亡くなりになったので処分しました」

 知識、経験共に豊富なこの老人をして、事態が異常にして混迷を極めていることを、今更に気付かせる、謎――。

「どういう、ことじゃ……?」


 しばらく前のこと。街外れの教会に務めていた聖女が死んだ。

 昨日の昼過ぎのこと。アリアムは駅前でとある女性に出会った。

 その聖女は葬礼の儀において、丁重に埋葬されたはずなのである。

 しかし昨日の夜にも、アリアムは同じ女性に河原で再会したという。


「死人が、動いているとでも言うのか……?」


 その女の名は、どちらも“シルファ=ムルルーム”――死んだはずの、人間だった。



 いかがでしたでしょうか?

 ようやく話が佳境を迎えるに至りました。一章ではここが最終話だったのに、すごい時間掛かってますよね……

 猛反省。

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