表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/44

第七話

 

「どうして……」

 アリアムは野犬たちから目を離さずに、しかしわずかに目を伏せる。睨むのではなく、見つめるように。

「あんなに、傷付いているのに……」

 憤る思いに、身体が震えるのを感じる。

「とっても、痛かったよね…… 苦しかったよね……」

 彼らを思うと、胸が痛い。

 響くうめき声は、「痛い」と訴え続ける悲痛の叫びにさえ聞こえてくる。

「怖かったはずなのに…… それなのに…… どうして!」


 アリアムは瞬間、息を飲み込むと、一気に彼らの前へと飛び出した。

 一方に狙いを定め、本を納めたかばんを横から勢いよくぐ。

 その側頭そくとうを狙った一撃は、狙いすぎたのか打点が少し高かった。からだを下げるだけで、いとも簡単に野犬に回避されてしまう。

 だが、アリアムの真の狙いはここからだった。薙ぎ払った鞄を重石おもしに、くるりと一回転すると、同じ軌道の杖による第二撃を正面に、振り抜いた第一撃をもう一方に繰り出し、二匹を同時に牽制けんせいする。

 これにはたまらず、野犬たちも咄嗟とっさに大きく飛び退いて回避した。それによって、二匹の距離が離される。

 アリアムは――遠のいた一匹が、一跳びで攻勢に出られない距離に着地したことを確認すると――千切れそうになる腕に痛みを感じつつ――、地面を蹴って、分たれたもう一匹へ向かっていく。

 それに反応した野犬が、迫る敵をみ砕かんと微かに黒ずんだ牙を見せて、大きくあごを開いた。

 しかし、アリアムはその牙を、今度は受け流すことをしなかった。大きく開いた顎の中に、左手に持った鞄を一気に押し込む。


――ガァッ!!


 突如、口の中に打ち込まれた異物に、野犬は思わずたじろぐ。無意識の内に異物を吐き出そうとしたのだろう。カッという小さな嗚咽おえつが響き、唾液にまみれた鞄が地面に落ちた。

 その隙を突いて、アリアムは腹部を杖で突き上げる。そして続けて、痛みに悶え、庇うようにして丸めた身体に、振り下ろす一撃を加えた。

 そのまま勢いで地面に叩きつけられた野犬は、意識を失ったのか、横たわって動かなくなった。


 その一部始終を見ていたもう一匹が、やや遅れてアリアムに襲い掛かる。同じてつを踏まないように――という思慮があったのかはわからないが――、両の爪を大きく前に向け、駆け抜ける。

 利き手の逆、死角からの攻撃に、アリアムの反応がわずかに遅れてしまった。そのわずかな時間差が、アリアムの左腕をえぐる。

っ!」

 痛みに表情を歪めるも一瞬、アリアムは後ろに大きく下がる。見れば、野犬は次の突撃のために肢を曲げ、力を溜めているところだった。すぐに反撃の体勢を整える。

 が、その機先を火柱が阻んだ。

「させませんよ」

 シルファが投げ、魔法によって火の勢いを増加させた松明たいまつだった。

 野犬は溜めた力を、アリアムに向けてではなく、その火炎から逃げるために使う。アリアムと野犬との距離は、炎を中心にして再び大きく開いた。

 シルファは攻撃の手を緩めない。さらに、己の最も得意とする魔法を発動させていた。

 見れば彼女の後ろで、河の水が渦を巻くようにしてうねっていた。それはまるで龍か蛇かのようにどぐろを巻きながら、その頭をきりのように尖らせて、野犬に向かっていく。

「お黙りなさい!」

 シルファの声を号令に打ち出された水の錐は、しかし、寸前のところで飛び下がった野犬にかわされていた。代わりに、アスファルトの地面に深い穴が穿うがたれる。


「はあああ!」


 そのかわした先、野犬の動きを読んでいたかのように、アリアムが飛び込んでいた。着地に合わせ、体勢を低くして振り抜いた杖が肢を払う。

 唐突にその支えを失った野犬の躯が大地に打ち付けられる。そして気付いたときには、体勢を立て直す間も無く、ようやくもたげた首筋、その後ろに杖による打撃を受け、もう一匹の野犬も動きを止めた。


 一瞬の攻防、ただそれだけで全ての事が静まった。




「はぁ、はぁ……」

 アリアムは振り下ろした杖もそのままに、荒く肩を振るわせていた。やがて呼吸を整え終えたのか、立ち上がって残心を解く。

 だが気丈に佇んだと思ったのもまた一瞬。数歩後ろ、横たわる野犬たちを視界に収める位置にまで下がると、不意に力が抜けたように、がくりと膝を落した。

「シルファさん」

 片膝を付き、頭を垂れたままの姿勢でアリアムが小さな声を搾り出す。

「……この子たちは何なんですか?」

 泣いているのだろうか。それとも、彼らの苦痛を思い、安息を祈っているのだろうか。夜の闇も手伝って、その表情をうかがい知ることはできない。

「……」

 シルファは無言のままアリアムの横を通り過ぎると、野犬を抱え上げ、棺に遺体を納めるように、その体をかたわらに落ちていた大きな布の袋に入れた。袋の口を紐で強く縛る。

「アリアムさん、まきを集めるの、手伝って下さいませんか?」

 シルファが言うとアリアムは黙って立ち上がり、やはり無言のまま、歩き出したシルファの後を追う。

 これから行われるであろうことを思うと、また胸が痛くなるのを感じた。


 シルファは河辺まで下りると、そこに落ちていた流木を拾い上げる。

「さっきも言った通り、彼らは魔導師たちが自身の魔力を注ぐことによって、生きているかのように動かす人形……」

「……」

 言いながら、木をアリアムに手渡す。アリアムも黙ってそれを受け取った。

 季節柄、河の勢いが増しているのだろう。流木はあちこちに見つけることができた。すぐにその数はいっぱいになる。

「俗に“魔法生物”と呼ばれるもの。魔導師の意のままに操られる」

「……」

 着火剤に使うのか、次にシルファはあしの枯れ葉を刈り集め、束ねて抱える。手が泥で酷く汚れていた。

「でも、彼らは違ったみたいね。魔法生物は魔力が供給されなければ存続し得ないし、あるじたる魔導師が近くにいなければ自発的に動くことはない」

「違う!」

 と、不意にアリアムが大声を上げた。眉根を寄せ、奥歯を噛み締め、目には今にもこぼれそうなほどの大粒の涙を浮かべていた。

「私が聞きたいのは…… 私が聞きたいのは」

 その涙を隠そうとするように、アリアムはまた俯く。流木を抱えた腕に、力が込められているのがわかった。

 そしてそのまま、再び黙り込んでしまう。

 アリアムにはまだ心の整理がついていないのだろう。いつだって彼女は、生きることを喜びと感じてきたのだから。だからこの、一度死に伏した者を“再び”葬らなければならないというあまりの現実を前に、ただただ憤り、困惑するしかないのである。

「どうしてこんなひどいことができるの……」

「そう、ね…… でも、きっと答えは簡単」

「……?」

 アリアムは涙を浮かべたまま、シルファを見る。だがシルファはその視線から目を背けた。表情も変わらない。

「コレを作った魔導師にとって、コレはただの道具だったというだけのこと」

「道、具……?」

「ええ。あなたもそうでしょう? 使い終わった“紙くず”はゴミ箱に捨てて燃やしてしまう…… それと一緒よ」

「そんな、でも、あの子たちは――!」

「一緒よ」

 反論しようとしたアリアムを、シルファが言葉で静止する。

 それは優しくたしなめるような声ではなく、静かながらも強い怒気が込められている声であるのがわかった。

「一緒なの…… あなたにとっては、どうかわからないけれど」

 シルファは対岸の河辺をじっと見据えていた。つられて、アリアムも対岸を見つめる。

 彼女――シルファの、その睨みつけるような視線の先には、そしてその瞳には、何が映っているのだろうか。

 何故かふと、そんな疑問が頭をかすめていった。





 二人は炎を眺めていた。河縁で轟々と上がる、真っ赤な炎を。

 普段ならば心弾むような光景も、今のアリアムにとっては暗鬱あんうつなものでしかなかった。

 これはキャンプファイアではない。

 それを、“喜”あるいは“楽”の象徴とするならば、これは“怒”と“哀”の象徴だった。

 そう、これは死者を火にそうして弔うための炎なのである。


 あのあとしばらくして、アリアムとシルファは集めた薪でやぐらを作った。そして、櫓の中心に野犬を納めた袋を置いて火を点けた。

 アリアムにはそれが、まるで棺を載せる輿こしのように思えて、胸が苦しくなった。

 火葬を選んだのは、二度とこのようなはずかしめを受けることがないように、との配慮であろう。利用される肉体が灰になってしまえば、いかに魔法でも操ることはできないからだ。

 鎮魂の炎は高く煙を上げつつ、猛っている。

 それを眺めて見ても、アリアムの心はこの炎のように力強くなることも、明るくなることもなかった。


 あれ以来、二人は一つとして言葉を交わしていない。

 だが、それもどうでもいいと感じていた。今はただ彼らのために祈ろうと思う。


――ごめんね、私たち、“人間”のせいで

 瞳を瞑り、

――苦しい思いをさせて

 膝をついて、

――本当に、

 手を組み合わせる。

――ごめんなさい……


 火照る頬をしてなお“暖かい”と感じるものが一筋、流れていた。


 炎が、燃える。

 どうしようもない、怒りを表すように。

 白煙は、昇る。

 不幸な魂魄を、連れて逝くかのように。

 少女が、祈る。

 こんな悲しみが、繰り返されぬように。

 女は、誓う。

 二度と同じ過ちを、繰り返さぬように。



 時が経つにつれ、辺りを照らす光は薄らいでいった。



 いかがでしたでしょうか?

 迫力とスピード感のある戦闘シーンを目指しました。自分としてはイマイチ納得のいかない部分もあるのですが……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ネット小説ランキング>異世界FTシリアス部門>「Moon at Tomb」に投票 ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。(月1回)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ