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第九話

 正気が失われ、理性は壊れ去り、『人にあらざるモノ』となったファラヴァールは、叫びとともに、握るナイフに力を込める。

 それは、アリアムの首の皮を破り、肉を裂き、骨を貫いていく、


はずだった――。


 だが、力を込めたその先、アリアムの肌に触れているはずのナイフの先端が赤い光を放ちながら、消えていく。

 そこに異界の入り口でもあるかのように、黒い穴に吸い込まれるように、銀が失せていくのである。


――瞳の聞く余韻はまるで桜の花弁。風に踊るように薄紅色の粒子が舞い踊る。


 そんな薄紅色の光と円形の闇の中、魔法で縛られ、催眠状態にあるはずのアリアムが、はっきりと自分の意志を示す。

「いい加減に、離してくれないかしら?」

 声にも表情にも感情はこもらず、瞳の輝きもまた常の明るさを失ってややくすんで見える。

 常を鮮明なルビーと喩えるならば、今はガーネットと言えるだろう。

 そのガーネットの瞳をゆっくりと向けて、無表情のままもう一度、命じるように告げる。

「離して、くれないかしら?」

 声はあくまでも穏やか、されど全てを否定するように冷たい。

 目の前で起きている事態は、今の彼女の感情を具現しているかのようである。


「ナ、何ダ……?」

 ファラヴァールは駭然となった。

「コレハ……」

 次第に消えていく刃を見据え、呟く。

 今のファラヴァールにできることは、それ以外に無かった。

 彼はもう、力を込めてさえいない。

 それでも“それ”は、刃を勝手に飲み込み、消し去っていく。

 魔導師としての性か、ともすれば命を落とすかもしれない状況の中でも、つい考えてしまう。消えていったものは、どこへいったのだろう、と。

 もしこれが“化学変化”、あるいはそれに類するものならば、“質量保存の法則”という、“世界の摂理”が適用されるはずである。反応の前後で、質量は不変のはずなのだ。

 だが目の前の“それ”は、法則を無視して飲み込み続けているのである。代わりの物体が生成されている様子も無い。


「消失シテイル、ノカ……?」


 在り得ない――このわずかの時の間に、何度そう思わされたのだろうか。

 これはもはや“現象”ではない、“奇跡”――いや、言葉を与えることさえも無意味だろう。

 名前を付ける、それはすなわち『人の認識のための定義』であり、理解の第一歩になるからだ。

 それができない、故に、人に理解することなど、到底できはしない。

 そんなものが存在するのかさえ、わからない。

 “無い”、“ない”、“ナイ”……

 あるのはただ、圧倒的なまでの、“無”――。


「一体、何ダトイウノダ…… オマエハ!!」


 解せぬ謎を身体から吐き出そうとするかのように、ファラヴァールが叫ぶ。

 だが、如何にしたところで、既に理性を失くした彼には、理解できようはずは無かった――。



 同じく、何が起きたのかを理解しかねていた者がもう一人。

 桜の光子が舞い散る中、その光景を見た少年――ナタスは、体中が震えているのを感じていた。

「こ、これは……」

 彼の心を支配したのは、“恐怖”。

 この圧倒的な虚無を前にすれば、誰もが感じることであろう。

「見つけた……」

 だが同時に、彼の心を満たしたものがあった。

 それは、“歓喜”。

「これならば、終えられる……」

 “永遠”を手に入れてからの長い年月の間、ずっと探し続けてきた“望み”が、自分の“生き甲斐”が、目の前に存在している。

 そのことが、彼にとてつもなく大きな喜びを感じさせていた。

「俺の“永遠”が、終えられる……!」

 彼の望み。それは、“自らの死”。

 永遠の命を得てしまったがために、永遠に失われてしまったもの。

 だから彼は、人としての“限りある生命”を、誰よりも望んでいたのだった。


「やっと、死を迎えられる…… 君に、会いにいける……」


 ナタスは薄紅色の光に照らされて、涙を流すように微笑む。

 そして、その根源に向かい、己が願いを掴むために走り出した。



 アリアムは、やはり抑揚の乏しい声でファラヴァールの叫びに答える。

「私は私。それ以外の何者でも無い。まぁ、少しばかり事情があるのだけれど、今のあなたには理解できないし、させてもあげられない」

「ドウイウ、意味ダ……?」

「私の存在理由は一つだから。その中に“教える”ことは含まれていない。だから、できないのよ」


 そう言いながら、アリアムはファラヴァールの腕を軽く払い、己の自由を確保する。

 いつしか、首元に押し付けられていたナイフが完全に消え去ると共に、紅色の光子もその輝きを失っていた。

 強張った身体をほぐすように、小さく伸びを一つして、言う。

「そう、私が存在する理由はただ一つ。あなたも見ていたでしょう?」

「先程ノ消滅ハ、貴様ノ魔法ダト言ウノカ!?」

 表情を変えることはなく、しかし語気にはわずかに嘲りを含めて。

「どうかしらね。さっきも言ったけれど、私には“教える”ことはできない」

「信ジラレン…… オマエハ一体何ナノダ!!」

「何度も言わせないで。問いに答えることはできないの。それに、そんな事には意味も……いいえ、もういいわ。あなたにはどうせ、理解できないのだし。

 それとね、あなたはもう、終わっているの。だから……消えて」


「ッ!?」


 次の瞬間、ファラヴァールの視界に飛び込んできたのは、新たな光。

 細く、長く、しかし力強く、妖艶な、白銀の刃。

 そして、金色にして蒼白の、真円の月を宿す瞳。

 ナタスが、二人の間に割って入るように、剣を振りかぶりながら駆けて来る。


「グワァァァ!!」

 気付いた時には、銀の閃光がファラヴァールの左腕を通り抜けていた。

 老衰を迎えつつある彼の腕は、何の抵抗もなくボトリと地に落ちる。

「アアアアアア!!」

 異様な喪失感が彼を襲っている事だろう。

 どうしたら良いかわからない、というように、『失くした腕』を振り上げて叫ぶ。

 噴出す紅い液体は地面に着く前に血霞となって宙に漂っていた。

「散れ!」

 ナタスは絶叫する男、“黒の主”目掛けて、再度剣を振り下ろす。今度は腕ではなく、肩口から、脇腹までを銀光が通過するように。

「グ、ヌゥア!」

 しかし、ファラヴァールとて幾度もの戦いをくぐり抜けてきた戦闘術者だった。

 すんでのところで冷静さを取り戻し、ナタスの必殺のはずだった剣の致命傷を避けて、その反攻として火の魔法を、残された右腕でナタスの腹に直接撃ち込む。


 ドン、という炸裂音。それは、すでに“火”を超えて、“爆発”になっていた。

 その爆発に、ファラヴァールの右腕が吹き飛ばされた。

 苦痛に表情を歪めつつも、その爆風に乗って、ファラヴァールは大きく距離を開けることに成功する。

 右腕一本の犠牲で、ここまでの『命の距離』を稼げたのは、上出来と言えるだろう。


――コンナ所デ、死ンデタマルモノカ……


 一方、同じく直撃を受けたはずのナタスは、わずかにも揺らぐことなくその場に踏みとどまり、ファラヴァールを睨みつけている。

 冷たい瞳から得るイメージは、“死”。“視線で殺す”とは、まさにこのことであろう。

 その死の視線に抗うために、ファラヴァールは最後の力を振り絞る。


――コンナ所デ、死ニタクナイ……


 ファラヴァールの最後の力。人として在りたかったがための抵抗として、“最後まで隠していたかった力”。生き残るために、それを使う事を選択する。

「コンナ所デ、私ハ、貴様ラナドニ、殺サレタリハセン!!」

 叫びと共に、背中の衣服が裂けていく。そこに現れたのは、“二本の腕”と、“尾”だった。

 腕は長く鋭い爪を持ち、丸太のように太い。骨が浮き出て見える程に痩せた自身の身体とは、あまりにも対称的である。

 尾は先端に鋭い棘がついた、 “サソリの尾”だった。その部分にだけある甲殻は、骨と皮だけの身の装飾としては、歪に過ぎた。


「そうか、お前は“生体改造”のスペシャリスト……道理で合成した魔獣を使い魔に持っている訳だ。

 それにしても、自身も“四本腕”だったとは。まぁ戦いには、それくらい数があるほうが都合もいいか。“人間離れした戦い”にも対応できる」


 ナタスが嘲るように言う。もちろん、ファラヴァールの陳腐なプライドを見抜いた上での発言である。


「ヤカマシイワ、化け物ドモガァ!! 」

 ファラヴァールは『三本目と四本目』の腕を振り上げると、その掌の間で大きな火球を作り出す。

「燃エ尽キロ!」

 お辞儀をするような格好で腕を前に放り出し、火球をナタス目掛けて撃ち出す。

 轟々と燃える灼熱の球は、さながら月を炒る“太陽”か。


「下がって」

 だが、その太陽に対したのは、アリアムだった。小さく言うと、ナタスを庇うように前に出る。

「こんなものは、いらない。“消えなさい”!」

 アリアムの命と共に再び桜の光子が舞い踊った。その黒い闇に呑まれて、太陽は即座に輝きを失い、月夜の世界となる。

 まるで申し合わせていたかのような絶妙なコンビネーション、太陽が消えると共に今度はナタスが前に出る。

 双月は瞬時に距離を詰め、更にその前、閃きを伴った一撃を降らせる。

――だが、

「カカッタナ」

 刃が脳天に直撃する寸前、ファラヴァールはその一撃を、背中の両腕で押えつけた。

「何だと!?」

 握り込むように受け止められたナタスの刃はビクリとも動かない。筋肉を纏った太い腕は、虚仮威しではなかった。

 ファラヴァールは掌から血を流しながら、刃の向こうで、ニヤリと嗤う。

「捕マエタゾ」

「ほう、血はまだ紅いままなのだな」

 ぎりぎりと握る剣に力を込めて、ナタスは挑発する。

「ホザクナ! コレデ、終ワリダ!!」

ファラヴァールの股下から、ナタスの胸目掛けてサソリの尾、その棘が向う。

「“消えなさい”」

 しかし、その棘も、やはりナタスに届く事はなかった。

 後ろを追走していたアリアムが、再び前に立ち、その尾に触れる。

「ナ……?」

 すると、その尾は薄紅色の光の中で消えていった。

 痛みもない。血も出ない。喪失感さえもない。

 ただ、『消えた』。

「オノレ……オノレ!!」

 ファラヴァールは憎悪に満ちた表情で、悔恨を込めた声を上げた。

 そのわずかな時間こそが、彼の命の刻限、残されたわずかな時間である事も知らずに。

「ああ、これで終わりだ……」

 アリアムが後ろに飛び退いたのを確認して、ナタスが静かに告げる。

 そして、彼は己が握る魔剣――細雪――に魔力を込める。

 その主人の力を受けて、魔剣は白い輝きを放ち、その真なる能力を発揮した。

 ナタスの最後の切り札――接触面を分子レベルで分解しながら切り裂く――、それこそが、“細雪”の真なる能力だった。


 それは舞い散る雪のように、ファラヴァールの腕を、肩を、胸を、胴を、分解して切り裂いていく。


 右腕を代償に開けた、”命の距離”。

 それが失われた時点で、ファラヴァールの命運は尽きていた。


「ギャアアアアアアアア!!」


ぐしゃり――。


 独特のぬめりを帯びた湿り気と、柔らかくも重たいモノが地面に落ちる。

 噴水のように噴出す鮮やかな紅い液体は、喉に絡みつくような匂いを鼻に突き刺してくる。

 円形に広がった池は、赤い雛罌粟ひなげしの花にとてもよく似ていた。



「うう……」

 雛罌粟の中央で上がる、唸り声。

 それに気が付いたナタスが、冷徹な瞳のまま、近づいていく。


「まだ、息があったのか……」

 ファラヴァールがアリアムにそうしたように、 ナタスが足元に転がる“黒の主”の首に剣を突きつける。

「私は、こんなものでは……死な、ない……」

 今にも消え入りそうな、それを拒むために上げられた、ファラヴァールの小さな声。

 しかし、そんな彼の願いも、少年の携える絶対的な死の前には、虚しいだけだった。


「自身を改造していたために、生命力も強くなっていたか……

 最期に一つだけ聞かせろ。貴様は本当に、あの魔法集団、“コロラーレ”の“黒の主”なのか? 本当に彼らが、“永遠の秘法”を求めて動き出したのか?」

「そ、そうだとも。魔法ならば、どんな事も可能になる。それこそ、神の領域でさえも、軽々と踏み越える事ができるのだ……

 我々は、必ず永遠の命を手に入れる…… この世界に、科学など要らぬ。魔法だけが唯一にして絶対の力だと、魔法こそが世界を支配するに相応しい力だと、知らしめるために!」

「そうか……残念だ」

 ナタスは一瞬だけ淋しそうな顔をした。しかし、血を流しすぎたファラヴァールにはもはや、その姿は見えていないだろう。


 ファラヴァールは咳き込むように、身体にほとんど残されていないだろう血を吐き出した。

 苦しみに喘ぐ姿に、ナタスが告げる。

「安心しろ、すぐに楽にしてやる……」

 死を命じる――否、死を“約束”する言葉を。

「死ね……」

「!? い、嫌だ!」

 ファラヴァールは振りかざされた白銀の刃に、目を見開いて叫ぶ。

「私はまだ……死にたくない!!」

 それは“生命”あるものならば誰もが抱く、“死にたくない”という願い。

 故に、“生命”あるものならば誰もに届く、“生きたい”という強い想い。

「死にたくない、か…… そう思うのが、普通なんだろうな……」

 だが、唯一の例外たるナタスには、その願いが届く事はなかった。その想いを抱ける事を、羨むように、冷たく言い放つ。

「死ねるだけ、幸福と思え……」

「嫌だ、嫌だぁああああ!!!」


ぐしゃり――。


 その音を最期に、“黒の主”ファラヴァールの全てが、途絶えた。


 断末の悲鳴は誰がためか。

 それを境に、悲嘆の夜は、ようやくの静寂を迎えようとしていた。


 いかがでしたでしょうか?

 雰囲気の豹変したアリアムと彼女の使う謎の魔法。

 アリアムの新たな魅力となっていれば良いのですが……

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