序章
皆様を驚かせられるようなものが描ければ良いな、と思っています。
ありきたりな設定かもしれませんが、もしよろしければ、お付き合いください。
これは古い古い言い伝え。
書き記されることはなく、人々の口承だけで語り継がれてきた、昔々の物語――
――昔々、あるところに一人の魔法使いがいました。
全ての魔法を極めた彼は、自分の魔法を皆のために役立てようと考えました。
渇きに苦しむ村に雨を呼んだり、魔物に怯える町を護ったり……
それはとても険しく、厳しい道のり。それでも彼は、人々の笑顔のためにと、決して諦めませんでした。
そんな彼にも、彼の努力を心から認め、支えてくれる女性が現れました。
彼は、その女性と共に暮らすようになります。
とてもとても、幸せな日々を。
しかし、それは訪れました。
突然の病で、彼女は命を落としてしまったのです。
彼は自分の無力さを痛感します。
どんな魔法をもってしても、どうしても“それ”を払うことができなかったのです。
全てを極めたはずの彼の魔法でも、どうしてもできないこと。
それは“あること”から、幸せを取り戻すこと。
あることとは、“死”。
死んでしまった彼女を、生き返らせようとしたのです。
でも、どんなに望んでも、それは不可能でした。
彼は絶望します。
所詮は人の力。神の定めし運命には逆らえないのか、と……
だから彼は、自分の全てを賭けて生み出したのです。
決して死することのなく、命を永らえる不老不死の術――『永遠の秘法』を。
運命を、神を嘲笑うために――
魔法――呪文などを用いて超自然的な力に強制的に働きかけ、代償――大抵の場合は生命力――を払うことで、自身の願望の具現化など、世界法則を無視した行為も可能となる技術。
科学――自然に属する諸対象を扱い、その法則性を明らかにし、機械装置などを用いることでそれに働きかける技術。
それら魔法と科学が共存する世界、――『スコリオン』――
『永遠の秘法』伝説が人々の記憶から薄れ、ただのおとぎ話となりつつある時代。
この世界は近年、科学によって生み出された機械装置を魔力によって制御するという、独自の文明を築き上げていた。
科学は基本的に物理法則に従う必要があるが万人に扱いやすく、完成された機械装置さえあれば特に優れた技術を必要としない便利なものである。
一方、魔法は高い知識と技術を要するが、様々な“在り得ないこと”を起こすことができる。
物理法則や因果関係を無視することも不可能ではないが、その際にはより高い代償――場合によっては人としての生さえも失いかねない、という諸刃の剣でもあったため、自然法則に逆らうような使い方がされることはほとんど無かった。
また、どちらも“理論”に基づいて展開されるものであり、『高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない』と言われるように、魔法と科学というものは相反するものではない。
つまり、 “科学”と“魔法”には明確な境界が存在しないのである。
それ故に、双方の利点を掛け合わせた、欠点を補い合う文化が創られ、人々の生活を豊かにしてきたのである。
そんなある日、一人の魔導師が伝説の“永遠の秘法”を手にするという、世界中を震撼させる事件が起きた。
これにより伝説はただの伝説ではなく、現実に実現可能なものだという事実が明らかにされたのである。
そしていつしか伝説は、それらを極めた者たちの求める“理想の姿”となった。
己の持つ、ありとあらゆる手段をもって、不老不死の身体を得る。
人間の飽くなき探求と果てない欲求の、究極にして最後の形として。
“永遠の秘法”を手にしたものは、幻想の象徴たる“月”の覇者、“サームーン(Sir.Moon)”と呼ばれる……
「んっ…… はぁ、着いたぁ!!」
少女は船を降りると、空も掴めそうなくらいの大きな伸びを一つした。
久しぶりの地面の感触を確かめるように、コンコンと靴底を鳴らす。
「嬢ちゃん、お疲れさん!」
「あ、船長さん」
黒い丈長のワンピースに黒い帽子を被り、古い樫の杖と、細い体躯には不釣合いなほどの巨大な鞄を持った少女は、可愛らしい仕草でペコリとお辞儀をする。首から下げた指輪のペンダントが明るい日差しに小さく応えていた。
「色々とお世話になりました」
「何、良いってことよ。これが仕事だしな」
そう言って船長はガハハ、と豪快に笑った。いかにも“海の男”といった気風である。
「にしても若い身空で、しかもあんたみたいな美人さんが一人旅たぁ、たいしたもんだな」
「まぁ色々と苦労もありますけど…… 世界中を見て回れるのは、とっても楽しいです」
少女は潮風に長く美しい栗色の髪をなびかせて、真紅の瞳で本当に楽しそうに微笑んだ。
「それに、こう見えて武術の心得もありますし、魔法だって使えるんですよ?」
エイっ、と言いながら杖を構えてみせる。強そう、というよりはやっぱりどこか可愛らしい。
そんなあどけない少女を見て、船長も楽しそうに笑った。
「あんた、魔導師さんなのかい!」
「まだ見習いなんですけどね」
ぺろっと小さく舌を出し、ほんの少しだけ頬を赤らめる。くどいようだが、やっぱり可愛らしい。
「そうかい。なぁ嬢ちゃん、これから酒場に繰り出して、酒でも飲まねぇかい? 俺に魔法のこと、色々教えてくれよ」
「あ、それってナンパじゃないですか? でも私、遠慮させてもらいますね。教えられるほど、魔法に詳しくないし」
「なるほど、しっかりしてらぁ! っハハハ!!」
「さて、と…… それじゃあ私、行きますね」
「おう、気ぃつけてな」
もう一度、ペコリとお辞儀をして少女は歩き始める。
その背中に向けて、屈強な海の男が思い出したように大声で問い掛けた。
「お、そうだ嬢ちゃん、名前教えてくれねぇか?」
少女は聖母のような微笑で、綺麗で朗らかな音色で答えた。
「私の名前は、『アリアム』です」
「ようやく着いたか」
町の入り口である石門を通りながら、少年は呟いた。
黒に程近い臙脂色のジャケットに黒のズボンを纏い、上から白いコートを羽織っている。左肩にかけられた赤い布が、潮風にはためいていた。
肩くらいまでの青紫の髪の内にある灰色の瞳からは、感情というものは見えにくい。
表情も変化に乏しく、どこかやる気の抜けたような、そんな印象を受ける少年だった。
「前の町を出てから三日、山歩きばっかだったッスねぇ」
肩の上に乗っていた白猫が少年の声で言った。
それを咎めて、少年が反対の肩から掛けた荷物の上にちょこんと座り込む黒猫が言う。
「セレス、もう町に入るのですよ。無闇に声を出してはいけませんわ」
「っと、すまねッス」
「まったく、もう少し場をわきまえて――」
「ディアナ、お前もだ」
感情を交えない声で、少年がその猫たちのやり取りを制する。
黒猫ディアナと、白猫セレスはただの猫ではない。優れた魔導師である少年によって魔力を与えられ、人の言葉を解して魔法さえも繰ることができる、“使い魔”だった。
「失礼しました。マスター」
ディアナは姿勢を変えず、首だけを曲げて詫びた。
マスターと呼ばれた少年は小さな溜め息をしつつも、ゆっくりと町の中心を目指して歩く。
海に近いせいか、潮の香りがまとわりついてくる。だがそれにも、別段なんとも思わないらしい。
山歩きばかりだったにも関わらず、港町なのだから当然だ、とばかりに少年は無感動にただ歩く。
その代わりか、セレスが今度は声無き声――互いの間でのみやり取りする魔法で言った。
(いや〜、それにしても海はイイッスね。なにより魚が美味いし)
(何かと思えば、食物の話…… もう少しマシな話題はないんですの?)
ディアナが呆れたように返す。こちらはマスター似のようだが、やや不平が多いか。
「二人とも、いい加減にしてくれ」
再び溜め息をつきながら、少年が二匹に言った。もうだいぶ町の中心に近づいている。
(はーい)
(……)
ようやく大人しくなった使い魔たちに目配せし、今度は労うように少年が語りかける。
「とりあえず、食事にでもしようか」
(やりぃ!)
(よろしいんですの、マイマスター、『ナタス』?)
少しだけ口元を曲げて、ナタスと呼ばれた少年は言った。
「ここの魚は美味いらしいからな」
――港町“ミチカス”――
奇しくも時同じくして、少年と少女はこの町を訪れた。
だが、彼らはまだ知らない。
これが全ての始まり。決して逃れることのできない運命の胎動。
その歯車が、静かに回り出していたことを――
いかがでしたでしょうか?
気が向いたら、コメント等をいただけると幸いです。