表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/15

やっぱり懲りないやつら


『久しぶりだな。まさかこの場に居合わせるとはな。嬉しいぞ』

 耳ではなく、意識に直接流れ込んでくる声は年齢でいえばリバーと同じぐらいかもしれないが、妙に落ち着きはらった雰囲気がそのあたりを不確定にさせる。

「ああ。俺もこんなところでそれを目にするとも思っていなかったし、まさかお前がそんな姿で生きていたとはな、ウォード」

 右手をゆっくりと眼球に向ける。ほんの数センチの存在だと言うのに、その圧力はブランの比ではない。

「あの美人はいいのか? 偉くお前にご執心だったようだけど」

『あれは駒に過ぎない。自らもそれを自覚していた。そして見事、トリガーとしての役割を果たしてくれた』

「お前のそういうところ、相変わらずで安心した。遠慮なく憎み切れる」

 銃口が、ぴたりとプレッシャーの中心をとらえる。

『そんな無粋なものを俺に向けるのか? お前が一番わかっているはずだ、これを破壊することはできない、と。かつてこの目を持って命という命を狩り尽くそうとしていたお前ならな』

「だから俺はその目を捨てた」

『皮肉なもんだ。俺の意識が覚醒した時には、すでに俺はこの姿だった』

「お前が生きているとわかっていれば、何が何でもこの目をえぐった時に消滅させていたんだがな」

 リバーの口ぶりが少しずつ穏やかなものになり、まるで旧知の間柄と話すかのようだった。ただ、その間もずっと銃口はぶれることなく一点を突き刺し、びりびりとしびれるような緊張感が周囲に張り巡らされているのは、異常としか言いえない。

「リ、バー」

 苦しそうなラシルの声に、リバーの意識は急速に冷静さを取り戻す。完全に頭に血が上っていた自分をぶん殴ってしまいたい気分だったが、それは後回しにする。今はただ、

「ラシル、今は逃げるぞ。ここにいちゃだめだ!」

 手を握り、地面を蹴りつけた。

「え?」

 失われた手の中の感触とともに、空を切った左手が虚しく拳を握っていた。

 確かに握ったはずのラシルの華奢な手首が、視界の中で陽炎のように揺らいでいる。

『種と世界樹の同化はすでに始まっている。あとはその無限のエネルギーを以て肉体を再構成するだけだ、時間の問題さ』

 声はただ淡々と事実を告げる分、どこまでもリバーの胸を深くえぐる。勝ち誇るでもあざけるでもなく、ただそれが純然たる事実であると聞かされた時の絶望感に、底はない。

「ごめんなさい」

 明滅する淡い光の中、ラシルがさびしそうにほほ笑む。

「結局、私は自分の目的も果たせなかったし、リバーの役にも立てなかった。送り状も、書けなかった」

『すべては終わっていた。お前がここに来た時には、もう決定されていたことだ』

「やかましい!」

 ドンッ! ドォンッ!

 炸裂音が響くと同時に、弾けるように光の粒子が舞い、何事もなかったかのように再び周囲は静寂に包まれる。物質はおろか、音でさえもがエネルギーとして昇華されている。

 そんな中に声が響く。

「だったら今からでも遅くない! 送り状を書いてもらう。俺は、どこからどこへでも、何でも届けてやるって、言っただろう!」

 再びラシルに手を差し出すが、触れることもできずに虚しく空を切る。

「ごめんなさい、でも、私は、もう」

 そっと、ラシルの手のひらがリバーの頬をなでる。すでに物理存在ですらなくなりかけているラシルの手のひらに感触があるはずもなかったが、それでもリバーの頬には確かに柔らかな温かさが触れた。

「だめみたい」

 ラシルの頬を一筋の涙が伝わり、光になってはじける。

「ごめんなさい」

「認めねぇ」

 立ち上がり、殴りつけるようにしてトリガーを引くがやはり発砲とほぼ同時に光になってはじけて消える。それでもリバーは止まろうとはしなかった。

「俺は、絶対に認めねぇからな!」

 一歩の重さが何十キロも走るような疲労感を伴い、何十トンもある重りをくくりつけられたように足が進まない。

『何をしている、それ以上こちらに来ればいくらお前と言えど』

 ウォードの声に、初めて感情がともる。

「俺は、こんな結末は絶対に認めねぇ。その種は、ちゃんと芽を出させるんだろう!」

 さらに一歩を踏み出す。そのつま先から光に代わり、徐々にリバーの輪郭がぼやけ始める。

『やめろ、何をするんだ。そんなことをすればお前まで消えてしまう、俺はそれを望んではいない、世界樹に選ばれた者同士、ともに』

「やかましい!!」

 すでにそれは、声ですらなかった。

 音すらもかき消える世界で、存在そのものに叩きつけるようにぶつけた意識。その重みに、世界樹がざわめく。

「俺が認めないこんな結末なら、俺が」

 半ば以上粒子に変わりかけている左手を投げ出すようにして振りかざし、力任せに突き出す。

「ぶち壊してやる!」

『やめろ!』

 毒々しいまでにの赤い光を放つ眼球が、リバーの手の中に収まる。

 力の限り上半身を振りかぶり、顔面をその手のひらに叩きつける。

「あぁぁああぁあああああぁあ!!!!!」

 リバーの絶叫に、光に包まれた世界が壊れてゆく。

 真っ赤な光の柱が、世界樹を貫くように天に向かって伸びる。

 リバーを飲み込んだ真っ赤な光はすでに世界樹を半分以上飲み込み、膨大な量のエネルギーを生み出しながら世界樹の作り出す光の粒子を分解しては取り込んでいる。

 世界樹を、食っているようだった。

「リバー!」

 輪郭のぼやけた体で這うようにして近寄ろうとするラシルだが、力の入らない体では思うように進むこともできないのだろう。その場で無様に足掻いて、地面に爪を立てる。

 膨大な量のエネルギーは世界樹によるものだけではない。ラシルを介して生み出された種の力も、そしてそれらを媒介してウォードの瞳に集めらていたものもある。その量はブランの言葉を借りるなら紛れもなく神を創造してあまりあるほどの総量だ。

 それが、一気にリバーの左目から体に流れ込む。

 おそらく、制御など最初からできてはいなかったのだろう。

 弾けるようにして広がった真っ赤な光が、世界樹を、リバー自信を、森を、そしてラシルを包み込む。



「姉ちゃん、あれ、何かやばそうじゃない?」

「明らかにやばいわね。っつか、あんなでっかい森がいきなり現れた時点で普通に考えればアウトなんだけどね」

 すべてのライフラインが途切れたかと思えば、うっすらと世界樹が光に包まれ、いきなり街の真ん中に巨大な森が現れた。地響きとともに聞こえてきたのは、速すぎる成長速度にきしみを上げる無数の木の音だった。

 悲鳴のような音だったが、恐怖を感じなかったのはなんとなくそこに微かな温かみを感じたからかもしれない。ただ、のうのうと事態を見つめられたのはそこまでだった。

「もう、誰も出てこないね」

 鎧戸を締め切り、時折その隙間からのぞきこむようにして目だけで外をうかがう人間がいるほかは、完全な闇に包まれた街には人の気配は皆無だ。息をひそめて引き籠った、街全体が怯えているような空気が沈殿している。

 今は無人の建物の屋根を陣取っている二人の物好き以外は。

「そりゃそうよ。みんなわかってんのよ、街から出ようがどこまで逃げようが、同じだってこと。それなら、最後ぐらいは家族と一緒に住み慣れた家で過ごしたい、ってね」

 誰もが恐怖にひきつった目を外に向けていた。ライフラインが落ちた瞬間こそパニックに落ちた街ではあったが、今では実に落ち着いたもので、死刑宣告を待つ死刑囚でも見ているようだった。

「僕らもやばいのかな?」

「さあね。でも、二回もあんなもんに付き合わされるって、あたしらよっぽどついてないのは確かね」

「あの時と、ほとんど同じだもんね」

 セフィの顔を見つめながらロトは記憶の海を泳ぐ。セフィもすでに、五十年前の記憶を引きずり出そうとゆっくりと思考を巡らせていた。

「急に世界樹が活性化したと思ったら今度は街のすべてが光に変換されて、気が付いたらあたしらは廃墟さえ残らない街の跡にポツン、だったもんね」

「で、あいつがいたんだ」

「何もかもあいつのせいよ。忌々しい」

 二人の旅の始まりにいた男は、ボロボロの布をまとい、獣のようにぎらついた真っ赤な瞳で周囲を睥睨したかと思うと、いきなりその場にくず折れて半日ほど動かなくなった。

 それがセフィ、ロト姉弟とリバー・Dの出会いであったことは言うまでもない。

「こうならないように、あいつを追っかけてきたのにな。なんか、これはこれで悔しいな」

 忌々しげに拳を叩きつけると石造りの天井が小さく陥没して放射状のひびが走る。

「でも、あれなんだ?」

 奥歯をかみしめて悔しがるロトをいなしながらセフィが指さしたのは、かなり距離があるのに直視できないほどにまぶしく輝く世界樹。そして、その光を飲み込むようにして空に向かって突き立った一本の巨大な柱。

 真っ赤な光の柱が、世界樹の高さを超え、濃紺の夜空を覆っていた雲を突き抜け、ついにははるか上空に浮かぶ二つの月の片方にまで届きそうに見える。

「まさかね、錯覚よね」

 言う間にも光の柱は上空を目指して伸び、すさまじい衝撃波が街を吹き抜ける。

 まるで、それまで直進していたものが壁に突き当たった余波とでもいうような振動と、衝撃波。

「うそだろ?」

 自分の目が信じられずに目を凝らしてじっと月を見つめるロトだったが、残念なことに真っ赤な光の柱は依然として大地と空を貫いて伸びている。

「ねえちゃ」

 もちろん、セフィは走り出していた。二階建ての屋根の上だと言うのに勢いよく飛び降りたセフィは、着地の衝撃に危うく転びかけていたが、その勢いも利用してやるとでもいうように思いきり地面を蹴りつけて駆け出す。

 もう一度地響きが来る前に、ロトもセフィの背を追った。

 五十年前も確かこうして旅に出たな、と思いながら。


 記憶がフラッシュバックする。

 無限と錯覚するほどの力に任せて、命をもてあそんだ記憶。

 賞金首を追い詰める。嵐のような銃弾も決して自分に当たることはなく、情けも容赦もなく相手を引き裂いた。力任せに殴り、叩き伏せ、面倒になれば左目の力を解放してすべてを焼き尽くした。

 高濃度のエネルギーは刃のようにあらゆるものを切り裂き、触れるものすべてを蒸発させた。

 何百何千という断末魔が次々に目の前に、まるで現実を見ているように再生されては消えてゆく。そして、かつての自分にはそれが当たり前だった。

 人のエゴの醜さにも反吐が出た。自分以外のすべての存在が憎くて憎くて仕方がなかった。生まれてきたことを呪った。この星に生きていることに呪詛の言葉しかおぼえなかった。正義なんていうちゃちな気持ちを振りかざすつもりは最初っから毛頭なかった。あるのはただ自分勝手に他人を食い物にする、身勝手な生き物に対する憎しみ。

 本気で人を滅ぼしてやろうかとも考えた。

「だから、俺は左目をえぐり捨てた」

 軍の命令でハラヴァルの街に駐屯し、人類最高の天才と言われる男の実験を護衛した。

 実験の失敗とともに自らが手に入れたのは、その男が手に入れようとして手に入れられなかったものだと知ったときに、何かのタガが外れたように思う。数え切れない人の命と、世界樹と、街、そして仲間の命を犠牲に自分が手に入れてしまったものに、精神は押しつぶされた。

 何かに取りつかれたように人を憎み、殺し、壊し続けた。

 狂っていた、などと言い訳をするつもりはない。目の前で繰り広げられている凄惨きわまる情景は、すべて自分の手が築き上げた血と死体の海だ。

 冷静さを取り戻した時には、どれだけ洗ってもぬぐいきれない血と脂のにおいが体中に染み込んでいた。

「逃げた。すべてをこの目のせいにして、実験のせいにしてな」

 左手を顔の高さに持ち上げて、自分の顔をなでる。微かに硬さのある感触がまぶたの向こうに感じられると同時に、ジワリとした熱がまぶた越しに手のひらを包む。

 また、逆戻りだ。嫌悪感さえ抱くだろうと思っていたあの時の記憶も、いつの間にかそれが自分の願望であるように思えてくる。

「これが俺だ。赤い目の悪魔、なんてお笑い草だ。ただの臆病な人殺しだ」

 左目を手の平で覆ったまま振り返る。まるでその覆いをとらない間は、配達屋のリバー・Dでいられるとでも言うように、かたくなに左目を隠した顔は、どれほど惨めだっただろうか。

『誇るべきだ、この力を』

 目の前に男のシルエットがある。

『ふぅん…意識だけの世界まで昇華されたか。ということは、あと一歩だな』

 すらりとした長身に、線の細い体は学者肌のイメージを与えられる。ただし、ギラギラと鋭すぎる目を見さえしなければ、だが。

「反吐が出るな。あの目が、お前だったなんてな」

 それが誰であるのかなど、考えたくもなかった。

『人は遠からず世界樹さえ搾取の対象にする。ならどうなる? 搾り取られた世界樹は命としての尊厳を失い、人はその力で必ずさらなる力を求める。血を求める。それがわかっていて、何故のうのうと暮らしていける? 俺の半身として、目的を遂行した時の快感を、忘れたわけじゃないだろう?』

 まるで演説でもぶっているかのような大仰な口調が、その男の繊細な顔立ちには妙にミスマッチで、それが奇妙な魅力を持っていた。

「だからお前は、その力で神にでもなろうとしたのか?」

『そうだ。永遠の存在と絶対の力、この二つを持つ世界樹は神と呼ぶべき存在だ。しかし、そこに意思が介在しない。いや、しているとしても人のエゴに呑み込まれてしまう。俺にはそれが許せなかった』

「嬉しかっただろう、俺が殺す姿を見るのは」

『そうなることは織り込み済みだ。それが俺の、実験の趣旨だったからな。それにしても、あそこまでの結果を出したのにはさすがの俺もも驚かされたよ。なあ、兄弟』

 こいつはいつもこうだった、そう思いながらリバーが記憶の中のウォードと目の前の男をぴたりと重ねる。

「反吐が出る」

『いずれ、人の行いは全てを滅ぼす。人のエゴはそれだけのものを孕んでいる』

「それでもな」

 右手が翻る。いつ握ったのかもわからなかったが、その手の中にはいつものリボルバーが握られている。きっちり六発の弾が装填されているのは重さだけでわかる。

「俺に、これを使わない方がいいなんて言うやつもいる」

『世界樹の種の女か?』

 いつの間にか、二人の間にはラシルの姿があった。所在なさげにポツンと立ちつくすラシルの胸元には、心臓の鼓動のようにゆっくりと明滅する世界樹の種が淡く赤い光を放っている。

 先ほどまでの力強い輝きはすでになく、申し訳程度にほの赤く輝いているだけだ。

「それは俺にとってはどうでもいいこった」

『あの無限の泉が手に入ったのは僥倖だったよ。あれさえあれば、俺は本当に神の器と神の力を手にすることができる。それももう目の前』

「俺は、あいつを守る」

 グリップを握る右手の親指が、ゆっくりとハンマーを引き起こす。

 祈るように胸元で手を合わせるラシルが、今にも泣きそうな顔で口を開くが、漏れてくるのは喘ぐような吐息ばかりで声にはならない。

『撃てるのか?』

 引き金にかかる人差し指がぴたりと止まる。

『己が半身でもある、俺を撃つことができるのか、お前に? それで、お前の罪が消えるとでも言うつもりか?』

「ああ、撃つさ」

 震える銃口を必死に抑え込む。

『笑わせるな。そうしたところで、人はきっと世界樹をむしばみ続ける。世界樹の種さえもな。俺がこうして呼び出されたのがいい例だ』

「リバー、お願い! もう、もうあなただけでも」

 精一杯の叫びに、ラシルの瞳は涙を浮かべている。

 頬を、一筋の涙が伝う。

「言っただろ。俺にはこれを持たなきゃならない理由がある、って。それが、これさ」

 リバーの人差し指が引き金を引く。

『待て、それは、それだけは、やめろぉォぉ!!!!!』

 ウォードが絶叫する。

 銃口が火を吹き、炸裂音とともに吐き出されたフルメタルジャケットの弾丸が、真紅に染まる左目を貫いた。

 世界を包む光が、はじけた。


「で、結局は元通りってわけだ」

 体中が鉛に変わったかのように重い。指一本でも動かそうものならつま先から脳みそのてっぺんまでを雑巾のように絞られたみたいな痛みが突き抜けた。

 倒れこんだ背中には柔らかな下草の感触と、微かな温かさを感じさせる世界樹の幹が触れている。鬱蒼と茂る木の葉の向こうには、青白い月の明かりが空を薄い紺色に照らしだしている。

 ただ、それだけだった。

 それ以外には、虫の声一つしない、静かな夜があるだけだった。

 世界樹の脈動も、光の粒子も、まるでそこにははじめからそんなものは存在しなかったかのように淡い月の光だけが照らす場所だった。

「よぉ、あんたも帰ってきたか」

 すぐ隣には、半身を血に染められたた純白のコートが茫然と立ち尽くしていた。

「どうして…」

 出血はすでに止まっているようで、乾いた血が黒く変色していた。たぶんあのコートはどれだけ洗ってももう元の純白には戻れないだろう。

「ざまぁみやがれ、実験は失敗だ」

 右手に銃把の感触があるが、それだけだ。この皮肉が今のリバーにできる最大の攻撃だ。

「あの方は? ウォードは?」

 あせったように体中をまさぐり、ついには勢い余ってシャツの胸元を引き裂いてようやくそれを見つける。下着に収まり切らないほどの豊かな胸元とともに、鎖に繋がった小瓶が現れる。

「くそ…やっぱだめだったか。ほんとならあそこで完全に消してやるはずだったのにな」

 心からの本音だった。自分がやるべきことは、決してあの男を復活させないこと。どこかで生きているのであればそれを、殺すことだった。なのに、その瞳を見たときに微かな安堵が浮かぶのを止められなかった。

「万死に値する」

 ブランの瞳が深い憎悪の淵からリバーを睨みつける。禍々しいまでに淀んだ闇は、裏を返せばウォードに向けられた純粋すぎる思いがあればこそなのだろう。

「死なねぇけどな」

「いつか必ず殺してやるわ。でも、今はあの方のほうが先。あの方はこの世界に必要な方だと、どうしてそれを、あなたほどの存在が理解しないの?」

「そりゃ御遠慮願いたいね。俺はどうあってもあいつだけは世に出すわけにはいかない。それに」

 本当ならかっこよくびしっと指さしてやりたいところだったが、無理に無理を重ねた体は一切言うことをきいてくれない。かろうじて数センチ浮いただけの左手で、頼りなく指さした。

「そりゃ、俺の眼だ。いずれ返してもらうからな」

 だから、今はどこへなりと消えろ。

 そこまでを汲み取ったのか否かは定かではないが、くるりと踵を返したブランはコートの胸元を抱き寄せるようにして世界樹の森の中へと姿を消していった。

 しばらくその闇を見つめているが、緊張の糸はさほど長続きはしなかった。

「はぁ~…やばかった」

 深いため息が漏れ、今度こそ本当に指先一つ動かせなくなって、ぐったりとその場に沈み込む。今畳みかけられたらきっと子供にも太刀打ちできないだろう。

「不死身が聞いてあきれる」

 目玉だけですぐ隣を確認する。

「なぁ」

 死んだように眠るラシルを確認して、ゆっくりと眼を閉じた。

 すべては元通りだ、また、昨日までと同じ毎日が始まる。

 だから、今だけはゆっくりと休みたかった。

 意識が暗い深淵に落ちてゆく。温かく、やわらかく、心地よい世界樹のふもとに。


 夜明けの光が東からうっすらと斜めに差し込み、少しずつ夜の濃紺を切り取るように染めてゆく。

 まだ青白い光に包まれる空の端っこには二つの月が寄り添うようにして輝いているが、その一つにはシッカリと巨大なクレーターが刻まれている。それが何であるのかを知るたった二人の人間は、実にふてぶてしい態度で天下の往来を通せんぼしている。

「んだよ、邪魔だぞ。轢くぞ」

 図体のでかいほうが一歩前に進み出ると、まだ暖機運転も終っていないようでマフラーから真っ白な煙をもうもうと吐き出すバイクに掴みかかる。

「もう行くのか?」

 ごつい手はまるでグローブでもはめているようで、こんなもので殴られた日にはよほどの体力自慢でもひとたまりもないだろう。

「怖い顔すんなよロト。言っただろ、ここにいても仕方がないって」

「それはあんたが決めたこと。こっちの用はまだ終わってないんだからね」

 その横から見上げるようにしてセフィが相変わらず胸を張ってけんか腰だ。

「俺は行かなきゃならんのだって。このままここにいても脱走扱いだし下手すりゃあの領主の件でもいろいろうるさく言われるはずだ。だったら、とっととバックレるに決まってんだろ」

 アクセルをひねると、徐々に温まってきたエンジンが勢いよく吹き上がる。腰から突き上げるような振動が、リバーにはえらく久しぶりにものに感じられた。

「何があったのかを聞く権利ぐらいはあると思うけど?」

「話す義務がねぇ」

「話せ」

 強情なセフィが絶対に折れないのは知っている。ため息をつきながら、せっかく暖まってきたのにな、などと愚痴りながらリバーがイグニッションキーをひねってエンジンを止める。

「何を?」

「何もかもよ」

 何が気に入らないのか、ふてくされたように腕組みをするセフィは鼻息が荒い。組んだ腕の間から押し出されるように飛び出した胸は、もう少し露出が少なくてもいいんじゃないかと思う。

「俺が追わなきゃならん男が、生きてるのがわかった。くたばってりゃそれでよかった、生きてりゃ殺すだけだった。それが、めんどくさいことになってた。それだけだよ」

「わっけわかんない。そんなもんでこんだけの大災害を片づけられるとでも思ってんの?」

 セフィは早朝の静けさを引き裂くように叫ぶと、吹っ飛ぶような勢いで世界樹を指さし、次いで空を指出した。

「世界樹はわけわかんない力を出す、挙句に月にあんなでっかい穴までこしらえて、それがただあんたの人探し? ふざけないで。あんたらはどれだけの人間を巻き込まなきゃ気が済まないわけ? あれから二日たっても街はゴーストタウンのままよ」

「だからその間に逃げるんだろ。街が動き始めれば俺は無関係ではいられない」

 セフィは振り上げたこぶしの下ろしどころが見つからないとでも言うように渋い顔をしていたが、やがて振り上げた足で思いきりロトの決を蹴り飛ばした。もちろん、体格から言ってロトの痛みなど高々知れていたが、それでも大げさに痛がってやるあたりが、実にいいコンビに見えた。

「今回も、そして前回も、原因は俺の半身だ。俺にはあれを止める義務がある。止められないなら、それなりの覚悟が必要だ。それに、これは俺にしかできない」

 半世紀もの長い時間を超えてまだ人はあの男のエゴを欲している。私利私欲のため、人類のため、どんなお題目を掲げようと結局人は力を欲しがる。それが今回、実にきわどい形で証明されたと言わざるを得ない。

 一歩間違えば人は、自らの歩みをその手で止めてしまうところだった。

 それを目的としているかのような輩までいる。

「五十年たっても、俺もあいつもゆっくり眠らせてももらえない」

「あんたの場合は永遠に眠らせてあげないけどね」

 セフィの言葉にリバーは皮肉っぽく口元をゆがめてやる。

「そうだな、お前らとの鬼ごっこにも付き合ってやらなきゃいけないしな」

 再びイグニッションを回す。今度はまだエンジンが温かかったおかげでスムーズに回転数が落ち着く。

「勘違いしないで。どんな話を聞かされても、あたしたちは絶対にあんたを許さない。だから」

 すっと、セフィが道を開ける。

「絶対に、答えに行きつきなさいよ。あたしたちはずっとずっとそれを追いかけて、何が何でも真実にたどり着いてやるわ。で、見届けてやるわ、あんたの最後を」

 クラッチをつなぎ、アクセルを吹かす。

 体をすり抜ける加速感と、朝独特の青く澄みきった空気が頬に心地よかった。


「何ぼやぼやしてんのよ、ウド!」

「え、なに? 何だよいきなり」

「あたしらもあいつ追っかけんのよ。何が『俺の半身』よ。あんなわけわかんない説明でこのセフィ様が足止めされてるわけにはいかないのよ」

「でも、じゃぁなんで行かせたのよ」

 ずかずかと歩き始めていたセフィの足がぴたりと止まる。

「ばっか。あんたはだから、女心ってもんを分かってないのよ」

 セフィは見た。リバーの横でサイドカーに乗っている『荷物』を。あれがきっと、今回の配達物なのだろう。いい度胸だ、あんな荷物を持って自分達から逃げ切るつもりがあると言うのなら、逃げてみろ。そんなことを思いながら、実におっさんくさい動作で荒い鼻息を漏らす。


「よかったの?」

 サイドカーで荷物が口を開く。

「ああ? いいも悪いも、俺は俺の仕事をするだけだ」

 すでに街を抜け、徐々に強くなり始めた日差しを背中に受けながら走るが風はまだ冷たい。

「それに、配達の、荷物が…」

「いっただろ? 世界樹の種を配達するのが俺の仕事だって」

 言いながらリバーは、器用に片手でバイクを操作して、もう片方の手で何やらカバンから一枚の紙を取り出した。

「じゃ、今はお前がそれだろ? それに、どうやらあの男を追うとお前にもいきつくみたいだしな、好都合なんだよ」

 ぶっきらぼうな言い方のくせに横を向かないのは、照れくさいからだ。ただ、耳まで真っ赤にしながらそっぽを向いたところでばればれなので意味はないのだが。

 白紙の送り状をうけとりながら、ラシルは自分の胸元に視線を落とす。決して大きくない胸元は実は少しコンプレックスだったが、今はそこは見ないようにする。胸の中央、鎖骨の間あたりで今も微かに輝いている赤く小さな球体。

 自分の体が、世界樹の種と同化してしまったのはにわかには信じがたいが、実はそれはそれで嬉しかったりもしている。だって、そのおかげでリバーに「配達」を依頼できるのだから。世界樹の種を。自分を。

「それじゃ、改めてよろしくお願いしますね、配達屋さん」

 送り状は書かずにカバンにしまいこんだ。今までは世界樹の種を後生大事にしまいこんでいたが、どうやらこれからはこの紙きれを大事にしなければならないようだ。

 リバーが口元を釣り上げて笑う。相変わらずへたくそで、幼い子供が見ればトラウマになること請け合いの不器用な表情だったが、ラシルにはそれが嬉しくて仕方がなかった。

「でも、一つだけ約束して」

「んあ?」

 真剣そうなラシルの一言に、少しだけ速度を落として耳を傾ける。

「もう、あんな危ないことしないで。あんな、一か八かみたいなこと、もう…」

 最後の瞬間に自分に向けた銃口は、いくら意識体の世界だったとはいえ一発勝負だったのは紛れもない事実だ。

「わかったよ、もう」

「もう、ほんとに…ばかっ!」

 寄せていた耳元ですさまじい絶叫を浴びせられ、思わず肩をすくめて目を閉じてしまった。危うくハンドルを切り損ねてしまうところで、非難の声を上げようとして、

 ちゅっ

 ほっぺたに、やわらかい何かが触れる。

 ありがとう、その一言が結局ラシルは言葉にすることができなかった。セフィあたりが見ていたら、不器用な二人だと笑ったかもしれない。でも、それはそれでよかったのかもしれない。

 リバーはアクセルをひねり、まだ月の残る西を目指してバイクを走らせる。

 実に楽しそうなでもちょこっとだけ照れくさそうな歌声が、風に乗って流れてゆく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ