黒幕はいつでも裏から
動かない、正確には動けないフリードの体を横たえながらリバーは切り裂かれて使い物にならなくなった義眼をもてあそんでいる。幸い眼窩に傷はなく、見事に眼球だけに刃があたっていたようだ。とはいえ、視神経に繋がって視力も持っている目であるだけに、神経を切断するまでの痛みは思い出すだけで股間が縮みあがる。
「そりゃ、そうなるわな」
修理が不可能だと判断した眼球を投げ捨て、リバーがフリードの呆けた表情を覗き込む。ラシルは隣で泣きじゃくってリバーの外套のすそをつかんで離さない。義眼であることを知らなかったラシルにとってはかなりのショックだったようだ。
「バラバラになりそうだ」
「本来は器のほうを作ってから使うべきなんだ。それでも生半可な人間なら精神から何からぶっ壊れて廃人になることもあるのに、生身で生きてるお前なら、あいつらには格好の研究材料かもな」
通常の色に戻った両目は、ブラッディ・アイの効果が切れていることを示している。
「で、何が聞きたい?」
声を出すのもつらいのだろう、うめき声と判別のつかないような喋り方でフリードが言う。
「主犯はだれだ? どうせそいつらがアヴァルタってのをそそのかして実験するように仕向けたんだろう?」
「名前は知らん。ただ、恐ろしくいい女だってことだけだ」
「女? 男じゃなくてか? 本当にか、男じゃないのか?」
意外だったのか、リバーが表情を曇らせる。
「くどい。絶世の美女ってのはああいうのを言うんだろうな。あれなら神だろうがなんだろうがたぶらかせる。最初はアヴァルタからの命令でそこの女をさらってくるだけだった。それがいつの間にか、アヴァルタ本人じゃなく、そのパートナーだとかぬかす女から話が来るようになった」
「俺の邪魔をするように、って?」
頷く代わりにまばたきをする。
「薬もその時にもらった。それでもお前は殺せないなんてぬかしやがった。まさかその通りになるなんてな、くそったれ」
毒づく声音にも力がない。
「何のためにラシルが必要だ?」
その問いにフリードからは返事はなかった。
「教えてあげよっか?」
問答無用で振りかえりざまにリバーは引き金を引いた。隠そうともしない殺気はフリードの比ではない。抜き身の刃を無数に突き立てられたような暴力的な殺気が、何の前触れもなくそこに現れた。
「あら、ごあいさつだこと」
「リバー!」
銃弾はかろうじて背後に現れた女のうなじをかすめて外れ、幾筋かのプラチナブロンドが月の明かりに輝いた。
女の腕が、ラシルの首にかかっている。殺そうと思えばいつでも殺せる、というアピールに見えたのは先ほどの殺気にあてられたからかもしれないが、それでもリバーの神経を逆なでするには十分だった。
「へぇ、実物は初めて見たけどほんとに若いのね。あなた、ほんとに五十年前の被験体?」
「あの目薬が使われてたからまさかとは思うったけど、まさか本当にあいつに行きつくとはな。そいつを返せ。俺の荷物だ」
クスクスとあいている左手を口元にあてて笑うさまは、フリードの言葉通り絶世の美女と呼ぶにふさわしい。ただ、リバーがそれを特定したのは女の美しさではなかった
「まだ配達屋さんを気取るつもり? みんな探してるのよ、あなたのこと。なにせ唯一の生存者だし、成功例なんですからね」
どうやら、本命ではないもののあたりを引いたようだった。
「探したのはこっちだ。あいつのこと、洗いざらい吐いてもらうぞ」
長い時間の中でも決して忘れることのできないにおいが、嫌というほどにおってくる。
女の、ルビーのように真っ赤な瞳を睨みつける。ただし、それは宝石の赤ではなく、血の赤。
「あなたが探してるのは私じゃなくて彼でしょう? だとしたらあなたは、最高のタイミングで現れたわ」
実にうれしそうに女は微笑む。確かに美しい。が、人の表情の柔らかさではなく、氷の彫像のような冷たい美しさに背筋がぞっとする。
「あの男は、やっぱり生きてるんだな?」
憎しみのこもるリバーの声は高ぶるあまりに震えている。
「それは自分で確かめて。私はただのコマでしかないわけだし」
馬鹿にしたような口調だが、リバーはその声に唇をかむ。圧倒的すぎる存在感に、次の一手が見つからなかった。
「ふふ、今ここで事を起こさないところを見ると、やっぱりさすがって言わなきゃいけないわね。伊達に長生きしてるわけじゃないってことかしらね」
「何をたくらんでるのか喋って、ラシルも置いてってもらうぞ」
空になった薬莢をばらまき、新しい六発をシリンダーに詰める。その間も女は余裕の表情でその動きを見つめている。
「どっちもできない注文ねぇ。ただ強いて言うなら、前者にちょっとだけお答えしようかしら」
女が覗き込むのは、空になった左の眼窩。
「この街の世界樹はこの星でもかなり古い株なわけ。知ってるかもしれないけど、世界樹の力は長く生きればその時間だけ強大に、そして純度が高く成長するの。それを使ってあの時と同じ実験をするつもり。あなたならこれでわかるでしょう?」
「ふざけるな! あの実験でどれだけの犠牲が出たかわかっているだろう!」
リバーの顔が怒りに歪む。かみしめた奥歯がぎりぎりとなり、握りしめた銃はがカタカタと震えている。
「えぇ、資料で見ただけだけどね。街一つに世界樹が一つでしょ? その程度の被害ならむしろ実験の誤差として考えるべきね。ゾクゾクしちゃう。さすがはあの方の研究だわ」
リバーの右手が最速の動きを見せる。
「なんせ、あの方の肉体まで失われてしまったんですからね」
引き金にかかった指がけいれんと同じ動きで止まり、それを見た女がいやらしい笑みを見せる。
「やっぱり知らなかったんだ。そうよ、あの人はあなたの実験の成功の横で肉体を失ったの。あれだけの力の余波を受けて、あなたが無事ではいられなかったようにね」
リバーの脳内で映像がフラッシュバックする。
真っ白い光に包まれる街、世界樹、数え切れない人間。全身を引き裂かれるような痛みの中で体に流れ込む真っ赤な光の帯は自分ではない何かの意思が語りかけているような気がした。そして、光の中に溶けるようにして消えた、あの男の傲慢きわまる笑顔。すべてをあざ笑い、己の命すらもちりあくたと考えるような狂人にふさわしい笑みだと思った。
失ったのは、左目と、
「俺は死ぬ自由を奪われた」
「そう。なのにあの人は精神だけの存在となって、世界を漂い始めた。最初はもう駄目だと思ったわ、だって幽霊と同じですもの」
言って、ラシルの頬をなでる。
「でも、見つけたの。絶対の存在である世界樹さえあれば、そこを依代に彼をもう一度呼び出せる。彼がいないせいで研究は数十年足踏みせざるを得なかったけど、ようやくそこにたどり着いた」
「何のためにだ?」
ラシルの背筋を冷たい何かが駆けあがってゆく。
リバーの声に、それまでリバーが見せたことのない感情があふれるほどに込めら得ている。
憎悪。
言葉に込められた憎しみは、場の空気を一気に凍らせる。
「それはあとでのお楽しみ。私もこんなところで油を売ってるわけにはいかないの。興味があるならまたあとでね。あたし、ブラン。ブラン・ヒルデ」
ラシルを盾にするように、首根っこを捕まえたままリバーに向けてラシルの体を突き出したかとおもうと、予備動作なしの拳を地面にたたきつける。
「しまっ」
引き金を引くのが一瞬遅れた。
その場にあった何もかもがすさまじい振動に包まれ、足元が崩れてゆく。
「ぅわぁぁあ!」
空が驚くような勢いで遠ざかってゆく。自分の足元が陥没しているのだとわかった時には、隕石の墜落現場もかくやというような巨大なクレーターがすべてを飲み込んでいた。
ブランと名乗った女の姿は、当然のように、ない。
「ざまぁねぇな」
クレーターから這い上がったリバーを待っていたのは、よりにもよっての顔が二つ。
「今はお前らと遊んでる暇はない」
「かっこ悪。あたしらだってこんな、女寝とられるようなへたれの根性無し相手にする気はないわよ」
コンパクトな体で目いっぱいふんぞり返るセフィと、表情を殺して見下ろすロト。
「で、どうせこの街でまた五十年前みたいなことしようとしてるやつらがいるんでしょ?」
自分ではどんな顔をしているのかはわからなかったが、さぞ間抜けな顔をしていただろう。
「なんで知ってる?」
「何よその顔? あたしらが何にも知らないとでも思ってんの? だとしたら馬鹿にされたもんね。あんたらの実験のせいでこんな体にされて、何も知らないままでいられるほどのうのうと生きてたつもりはないわ」
息継ぎの間もないほどに一気にまくしたてる。
あとを、ロトが続ける。
「あんたたちがやった世界樹の実験、あれを許すつもりはない。だれが一番悪いかじゃない、かかわったやつらは全員僕らの敵だ」
ロトの一言に、リバーは言葉を持たない。
「あの時、軍として来ていたあなたは、どれだけ被害者面をしようとあたしらにはただの敵よ」
ぐっとリバーが言葉に詰まる。自分がかかわっていなかったわけではない。それは言い訳のできない事実だ。五十年前のあの日、確かにリバーはあの街にいた。そして、あの実験を目の当たりにした。知らなかったですまないことは、わかっていたはずだ。
「でも、今回はどうもそうじゃないらしいし、あの子も無関係なんでしょ? まさか、行かないとか言わないよね?」
答えがわかりきっている質問をするとき、人はどうしても挑発的になる。セフィの表情はいい例だ。
「お前らには関係ないだろ?」
先ほどの衝撃から回復した体を引きずるようにしてリバーは立ち上がる。さすがにまだ頭の中が震度三か四と言った感じだが、それほど肉体的なダメージを負っていないことだけを確認するとキョロキョロと周囲を見回す。が、わざわざ探す必要のないそれはどうぜんのごとく町の中心にそびえ立っている
天に向かって開かれた傘のようなシルエットのところどころに、赤い実が発光している。
「どこに行けばいいのか、わかって言ってるわけ?」
実に挑発的なその一言が、セフィの性格をよくあらわしている。まるで、次のこちらのセリフを誘導するかのような一言は、会話術の賜物だろう。
「ああ。どうにも、色々とやらなきゃいかんみたいだしな」
ズボンについた埃を払い、外套を羽織りなおしたリバーが睨みつけるようにして世界樹を見る。
「ったく、面倒な荷物を預かったもんだ」
吐き捨てるような言葉にセフィとロトは互いに顔を見合わせ、してやったりの笑顔を見せあった。そこら中の瓦礫を蹴散らしながら歩く背中には今にも走り出したいような焦りがはっきりと見てとれたのが、少しだけ微笑ましかった。
「素直じゃないんだから」
「姉さんもだけどね」
ぼかりと、セフィの拳骨がロトの後頭部をとらえていい音を上げる。
「痛ったいなぁ…でも、ほんとにあいつを行かせてよかったの? もう帰ってこないかもしれないし、もし誰かが実験しようとしてるならそれを止めるか、街の人を逃がさなきゃいけないんじゃ…」
リバーの背中が消えた通りを眺めながら、ロトがぼんやりとそんなことを言う。
「なんて言って逃がす? 世界樹を使った実験でこの街が消え去ります、って? それとも、みんな逃げないとあたしらみたいに時間の流れから切り取られた存在になります、って?」
「あ、いや」
ロトの返事を一瞬だけ待ってセフィは続ける。
「信用されないどころか、完璧にあたしらが逮捕。よくて留置場罰金計、最悪はあたしらは実験動物のモルモット、結局はあたしらも表の道は歩けない存在よ。だったら」
ロトの見つめる同じ場所を見つめていた視線を世界樹に向ける。
自分たちから何もかもを奪った憎い存在でありながら、生きる上で不可欠であり、この星の命そのものと言っても過言ではないその神の木は、やはり少しだけセフィの心に重い。
「だから、今回ばかりは、あのバカが何とかしてくれるって思わなきゃやってらんないのが癪だけどね」
足元の瓦礫を、底のほうがまだ煙ってるクレーターに向かって思いきり蹴飛ばす。
「さすがにこんな化け物相手じゃ、あたしらじゃ荷が勝ちすぎるしね」
からからと音を立てて転がる石ころに改めてこの穴ぼこの深さと、これを作り出した力のすさまじさに息をのむ。どうやって作ったかなどは二の次、そもそもこんなことができてしまう力と言うのが存在するということが脅威でしかない。
「で、姉さんは何にもしないわけ?」
「は?」
クレーターの底が見えるようになり、蹴りこんだ石ころが転がっているのが何とか見えるようになったころに、唐突にロトが立ち上がる。
「だからさ、何があるかはわかんないけど、またあのときみたいなことが起ころうとしてるんでしょ?」
五十年前、自分たちの故郷で起こったことを知った時には、ショックのあまり三日ほど食事ができなかった。セフィのヒステリーは思い出すだに恐怖しかおぼえず、あの時は二人して精神を壊してしまうのだとロトは半ば以上本気で思っていた。
世界樹の力を絞りだし、人に永遠の命を与える。
狂気の沙汰としか思えない実験は、結局は自分たちの故郷を滅びし、世界樹を奪い、数え切れない犠牲者とともに失敗したのだと言う。こと切れる寸前の研究者崩れにそんな話を聞くことができたのは不幸中の幸いだったが、その中でもセフィの精神を追い詰めたのは間違いなくリバーという男の存在だった。
自分たちが追っている男も、結局は被害者でしかない、そのことに至った時に泣いたのはロトではなく、やはりセフィだった。その姉が、あの男に接触している。だとすると、
「たぶんね。あんだけ誰もが世界樹世界樹って騒いでてあいつがいれば、そうじゃないかってあたりをつけた。で、あいつを煽ったら見事に大正解って感じ」
やっぱり、とロトは肩をすくめる。少なくとも自分が旅をしている中でそれと確証を得られるようなものはなかったはずなのに、あそこまでこの街で何かがあると言いきれるのかとおもっていた。
「姉さんらしいや」
「ってわけでロト」
立ち上がり、強気な話息ととも目の前の背中を思い切りひっぱたく。
体力差からいってさほど痛くはなかったのだが、ロトは大げさに痛がるふりをしておく。それが不文律、お約束と言うやつだ。
「行くわよ。あたしらだって、五十年間無関係ってわけじゃないんだからね」
「ここであったが百年目、だね」
得意そうにほほ笑むロト。なくなりそうなほどに目を細めて笑うが、セフィは眉間にしわを寄せていぶかしげに睨みつける。
「何言ってんの、五十年だって言ったじゃん」
「あ、そ、そうだね、うん。ここであったが五十年目、だ」
「きっちり、見届けてやるんだから」
体の小ささを感じさせない力強い足取りで、セフィが一歩を踏み出す。
「そうだね。でも姉さん」
いつも通り姉の後ろを歩くロトが、ふと疑問を口にする。
「どこに行けばいいの?」
一瞬だけセフィの足取りが止まる。
かと思えば何事もなかったかのように、むしろ先ほどよりも勢いづいた足取りで通りを歩き始める。
「何とか、なるか」
ロトの言葉が二人で歩いてきた長い年月を感じさせた。




