ティファニーで朝食を食べないで(2)日本人が登場
『ティファニーで朝食を』に隠された、もう一つの顔
映画版の華やかなイメージとは裏腹に、トルーマン・カポーティの原作は、ある種「発禁本」に近い危ういリアリズムを孕んだ作品です。カポーティが主演にオードリー・ヘプバーンを据えることに最後まで難色を示したのは、彼女の清純さが、物語の根底にある複雑な現実を覆い隠してしまうことを危惧したからかもしれません。
この物語のリアリティを支えているのが、安アパートの最上階に住む日本人写真家、ユニオシの存在です。村上春樹氏が「カポーティは直接体験したことしか書けなかった」と評するように、彼には実在のモデルがいました。それが、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで教授を務め、アメリカ美術界の重鎮であった画家・カメラマンの国吉康雄(Kuniyoshi)です。カポーティは、その名前から「K」の一文字を取り除いただけの「ユニオシ(Yunioshi)」という名を彼に与えました。この露骨なまでのネーミングに、カポーティの冷徹な写実主義が透けて見えます。
時代は日米戦争の真っただ中。ユニオシが収容所送りを免れ、ニューヨークで活動し続けられた背景には、自らのアイデンティティを否定するかのような「反日表現」という、生存のための切実な選択がありました。カポーティは、華やかな都会の片隅で、そうした時代の歪みの中に立つ表現者の姿をありのままに書き留めていたのです。
ここで、カポーティが晩年にジョディ・フォスターを見て放った「彼女こそが私のホリー(ジュリー)だ」という言葉が決定的な意味を持ちます。カポーティが理想としたその面差しは、国吉康雄が描いた婦人像と驚くほど重なります。国吉の描く女性たちは、どこか東洋的な、日本人のような面差しをしており、その静謐で謎めいた陰影は、ジョディ・フォスターが持つ知的な鋭さと不思議な一致を見せています。
もしホリーがユニオシのカメラの前でモデルを務めていたのだとしたら、その肖像はオードリーのような「妖精」ではなく、国吉のキャンバスに描かれた、あの日本的な面影を持つ女性の姿であったはずです。カポーティの記憶の中にあった「本物のホリー」の肖像は、今もニューヨークの博物館の壁に、国吉の描く深い色彩とジョディ・フォスターにも通じるあの面影を宿して、静かに存在し続けているのです。
こうしたカポーティの隠された意図を現代に繋げるべく、私は自著『カサブランカで朝食を』において、ヒロインを「堀井幸枝」として登場させました。国吉が描いたあの日本的な陰影を持つ女性の系譜を、物語の中で再び蘇らせるために。




