表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フェイドアウト断章  作者: 石藏拓(いしくらひらき)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
690/762

苗場のマンション、30万円

苗場のマンション、30万円


その文字を見た瞬間、松島は心が揺れた。


東京で四十年以上暮らしてきた。町工場で働き、定年まで真面目に勤め上げた。だが、退職した途端に現実が迫ってきた。毎月の家賃。年金は十一万円。貯金は七百万円ほど。贅沢をしなければ生きていける。だが、“家賃を払い続ける老後”に、どうしても不安が消えなかった。


独身。身寄りなし。


病気になったらどうなるのか。

働けなくなったらどうなるのか。


そんな時に見つけたのが、ネットの不動産広告だった。


「苗場エリア・リゾートマンション 30万円」


思わず二度見した。


東京では駐車場も借りられないような値段で、“自分の家”が持てるという。


しかも苗場――。


若い頃、スキーブームの時代に憧れた土地だった。テレビで流れる苗場プリンスホテルのCM。白銀の世界。ユーミンの曲。あの時代の空気が、一気によみがえった。


「最後は、こういう場所で静かに暮らすのも悪くない」


そう思った。


翌日には不動産会社へ電話していた。


現地で見たマンションは古かった。バブル時代の名残を感じさせる建物だったが、部屋は意外と広い。窓の向こうには山が見えた。


「ここが、自分の城になるのか」


松島は即決した。


三十万円。


東京で払う家賃数か月分だった。


管理費や修繕積立金、固定資産税を合わせても年間四十万円以下。計算上では、東京にいるよりはるかに楽になる。


移住した最初の頃は、本当に天国のようだった。


夏は涼しい。

空気はうまい。

夜は静か。


「もっと早く来ればよかった」


そう思っていた。


だが――。


十二月。

地獄が始まった。


朝、玄関を開ける。


そこには、腰の高さまで積もった雪。


駐車場の車は完全に埋まり、出勤前に一時間近く雪かきをしなければならない。スキー場で始めたアルバイトに向かうだけで、体力が削られていく。


雪は美しいものではなかった。


命を削るものだった。


腰が痛い。

膝が悲鳴を上げる。


転倒したら終わりかもしれない――そんな恐怖が、六十九歳の身体に重くのしかかる。


さらに追い打ちをかけたのが光熱費だった。


暖房。

プロパンガス。

灯油。

冬タイヤ。

車の維持費。


東京時代より金が飛んでいく。


「話が違う……」


思わず呟いた。


だが、誰に文句を言えばいいのか分からない。


安さだけを見て、自分で選んだのだから。


春になっても、不安は消えなかった。


ここで十年後、生きていけるのか。


七十歳を超えた時、自分一人で雪かきができるのか。


もし病気になったら。


もし車を運転できなくなったら。


そして松島は、あることに気づく。


東京へ戻ろうにも、戻れない。


苗場のリゾートマンションは、買う時は三十万円だった。

だが、“売る”となると話は別だった。


問い合わせは、ほとんど来ない。


「無料でもいらない、という人も多いですよ」


不動産屋は苦笑した。


その瞬間、松島は理解した。


自分は「終の棲家」を買ったのではない。


“出口のない部屋”を買ってしまったのだ、と。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ