蒸発の男 第三章 女の正体
第三章 女の正体
女は、部屋の中を静かに見渡していた。
管理人は、少し離れたところで立っている。見知らぬ女に部屋へ入ることを許していいのか迷ったが、その落ち着いた様子に、つい鍵を開けてしまった。
女はテーブルの上の本を手に取った。
ページの途中に、折り目がついている。
「ここまで読んでいたんですね」
まるで、その男の癖を知っているかのようだった。
管理人は尋ねた。
「あなたは……ご親戚ですか」
女は首を横に振った。
「いいえ」
少し間を置いてから言った。
「仕事です」
その言葉が、妙に静かに響いた。
女は部屋をゆっくり歩いた。窓の前に立ち、外を見た。古い商店街と、狭い路地。どこにでもあるような町の景色だった。
机の引き出しを開ける。
そこには、財布と腕時計が残されていた。
女は腕時計を手に取り、しばらく見つめた。
「時間を持っていかない人だったんですね」
管理人は意味がわからなかった。
「え?」
女は腕時計を元に戻した。
「蒸発する人には、二種類あるんです」
管理人は黙って聞いた。
「何も持たずに消える人と、すべてを持って消える人」
女はゆっくり続けた。
「この人は、前者です」
管理人は不安になってきた。
「あなた……いったい何の仕事なんです?」
女は少しだけ笑った。
しかし、その笑いはどこか冷たかった。
「探す仕事です」
管理人は、ますますわからなくなった。
「探偵さんですか?」
女は首を横に振った。
「いいえ」
そして、静かに言った。
「蒸発した人間を見つける仕事です」
部屋の空気が、急に重くなった。
女は窓の外を見ながら続けた。
「この国には、毎年何万人も消える人がいます。借金、家族、仕事、理由はいろいろ」
女は振り向いた。
「でも、この人は違います」
管理人の喉が、ごくりと鳴った。
「違う?」
「ええ」
女ははっきり言った。
「この人は、逃げたんじゃない」
そして、ゆっくり言った。
「消された可能性があります」
管理人の背中に、冷たいものが走った。
女はカバンから小さなノートを取り出した。
「最後に、この人を見たのは誰ですか」
管理人は少し考えた。
「たしか……」
そして言った。
「昨日の夜、この人を訪ねてきた男がいました」
女の目が、初めて鋭くなった。
「どんな男です?」
管理人は思い出すように言った。
「黒いコートを着ていました」
女はペンを止めた。
「顔は?」
「よく見えませんでした。でも……」
「でも?」
管理人はゆっくり言った。
「あの男、部屋から出てくるとき、笑っていたんです」
女は何も言わなかった。
ただ小さく、つぶやいた。
「やっぱり始まったか」
管理人は聞き返した。
「え?」
女はノートを閉じた。
「この蒸発、普通じゃありません」
そして、はっきり言った。
「もう一人、消えます」
その言葉が、静かな部屋に落ちた。




