蒸発の男 第二章 消えた朝
『蒸発の男』
第二章 消えた朝
男がいなくなったのは、雨の止んだ翌朝だった。
アパートの管理人が最初に気づいた。郵便受けに新聞が二日分、折り曲げられたまま差し込まれていたからだ。普段は几帳面な男だった。新聞を取り込まない日など、これまで一度もなかった。
部屋の前に立つと、妙な静けさがあった。人の気配が、まるで消えている。
管理人はノックをした。
返事はなかった。
鍵穴をのぞくと、内側から鍵はかかっていない。少し迷ったが、合鍵を使って扉を開けた。
部屋は整っていた。
テーブルの上には読みかけの本。灰皿には一本だけ吸い残しの煙草。コーヒーカップには、黒い跡が乾いてこびりついていた。
だが、男の姿はなかった。
クローゼットを開けると、背広が三着並んでいる。旅行鞄もそのままだ。逃げたような形跡は、どこにもない。
財布も、腕時計も、机の引き出しに残っていた。
まるで男だけが、すっと空気の中に溶けてしまったようだった。
管理人は警察に電話をかけた。
しかし、警察は最初、あまり本気にはしなかった。
「大人の失踪はよくあるんですよ」
電話口の声は、事務的だった。
だが、管理人は言った。
「この人は、そんな人じゃないんです」
それでも警察は動かなかった。
だが、その日の夕方。
一人の女が、アパートを訪ねてきた。
男の名前を、まっすぐな声で言った。
「ここに、住んでいましたよね」
管理人はうなずいた。
「ええ。でも、いなくなったんです」
女は少しだけ目を閉じた。
そして静かに言った。
「やっぱり……」
まるで、それを知っていたかのようだった。




