カオスの母星 5話
観測される母星
通知の嵐は、翌朝になっても止まなかった。
スマホが熱を持ち、まるで掌の中に小さな恒星を抱えているようだ。
「……あきさん。これ、あなた?」
ジムの受付に立つ私に、店長がスマホの画面を突きつけてきた。そこには、地下の階段で撮ったボロボロの私と、何十万もの「いいね」の数字。
ごまかしようがなかった。
「ええ、まあ。ちょっとした暇つぶしですよ」
私は努めて軽快に笑い、入館証をピッ、と処理する。けれど、周囲の空気は昨日までとは一変していた。
「あ、あの動画の人だ」
「本物の学者なの? なんでこんなところにいるの?」
ひそひそ声が、さざ波のように広がる。
昨日まで私を「派手なだけの掃除のおばさん」や「融通の利かない受付」として扱っていた人たちの目が、急速に焦点を結び始める。
(観測されることで、存在は確定する。量子力学の基本だけど、これほど居心地が悪いものだっけ?)
そんな時、一人の女性が私の前に立った。
いつも不機嫌そうに、重い足取りでジムに通っていた二十代の会員だ。彼女は私の顔をじっと見つめ、声を震わせた。
「あの動画……星の子の話。私、昨日ずっと死ぬことばかり考えてたんです。でも、私の体も星からできてるんだって思ったら、もう少しだけ、ここにいてもいいかなって思えて」
彼女の瞳から、一粒の涙がこぼれた。
私の胸の奥で、カチリ、と何かのスイッチが入る音がした。
「そうよ。あなたは宇宙の最高傑作なんだから。自信を持って」
私は彼女の手を握り、最高の笑顔でピースを作った。
その瞬間、確信した。
私が泥水をすすってきた十年間も、このジムで誰にも気づかれずに笑っていた時間も、すべてはこの一瞬のためにあったのだ。
その日の午後、私のメールアドレスに一通の奇妙なメッセージが届いた。
差出人は、海外の有名な科学教育プラットフォーム。
件名はこうだ。
「親愛なる母星へ。あなたの言葉を、世界に翻訳させてくれませんか?」




