芥川龍之介がかつて激しい論戦の最中に、「つまり、どういうこと?」
芥川龍之介がかつて激しい論戦の最中に、「つまり、どういうこと?」という問いを何度も突きつけては相手を困らせていた、という昔話があります。それが久保万太郎だったか、小島政二郎氏だったか、詳しいことは忘れてしまいましたが、その語り口は実におっとりとしたものでした。「あれには私たちも、本当に参ってしまいましてね」といった、どこか懐かしむような調子だったのです。
しかし、そののんびりした回想の裏側で、芥川本人がどれほどの地獄を見ていたか、当時の人々は知る由もなかったのでしょう。彼はその「つまり」という結論、人生の究極の正体を手に入れたくて、血眼になって追いかけ続けました。そして追い詰められた果てに、専門知識のない看護婦や幼い子守娘でさえ実行できてしまうような、あまりに呆気ない毒薬自殺という手段で命を絶ってしまったのです。
かつての私もまた、彼と同じように「つまり何なのか」という答えを急いで求めていました。曖昧なままではいられず、どうしても白黒はっきりさせたかったのです。目的地へ向かう途中の道草を楽しむ余裕などありませんでしたし、割り切れない循環小数が描き出す無限の不思議に目を向けることもありませんでした。ただ、決して揺らぐことのない「永遠の真理」というやつを、今この瞬間に、この手でぎゅっと掴み取りたかったのです。
けれど今は違います。一晩中、喉が枯れるまで議論し尽くした挙げ句、最後には畳の上にごろんと寝転がって、「つまりは、お互いにもっと勉強しなきゃいけないってことだよな」「全くだ」と、うそぶき合う。そんな、身も蓋もない、けれど温かい着地点。それが結局のところ、私たちが辿り着ける唯一の結論であり、それでいいのだと、最近の私は思うようになっています。
太宰語録




