第二話 なぜ、神は浄化をお選びになる?
第二話:なぜ、神は浄化をお選びになる?
レイとカナの逃避行は、雨の滴る廃倉庫で一時的な足止めを食らっていた。 ジャンヌ・モローを模した黒いドレスの裾は泥に汚れ、レイの口紅もわずかに滲んでいる。しかし、その瞳に宿る復讐の炎は、湿った空気の中でも消えることはなかった。
「なぜ、私を助けたの? 教団を敵に回せば、救いなんてどこにもないのに」 怯えるカナの声が、コンクリートの壁に虚しく反響する。
「救いなど、最初から期待していない。俺が欲しいのは神の赦しではなく、あんたが自分を取り戻す瞬間の、その『叫び』だ」
レイが答えようとしたその時、背後の闇から拍手の音が聞こえた。 「素晴らしい。まるで安っぽい聖劇のワンシーンね」
闇を割って現れたのは、ミサだった。 彼女にはジャンヌ・モローのような気品も、カナのような透明感もない。ボサボサの髪に、焦点の合わない湿った瞳。しかし、彼女がそこに立つだけで、周囲の空気が重く、粘りつくような死臭を帯びる。その異様な不気味さは、言葉を超えた圧倒的な生命力を放っていた。
「レイ。あんたの父親と同じね。結局は女を連れ回して、愛だの何だのと自分を酔わせているだけ。そのドレスの下にある醜い本性を、神様が見逃すとでも思ってる?」
ミサは一歩ずつ、引きずるような足取りで近づいてくる。 彼女は教団の中で「痛み」を管理する役目だった。自分自身がかつて受けた虐待や絶望を、信仰という名の狂気ですべて正当化し、他者をいたぶることで「神との一体感」を得ている女。
「神は、苦難の時になぜ沈黙するのか。……教えてあげましょうか?」 ミサはカナの頬を、蛇のような指先でなぞった。 「神様は沈黙してるんじゃない。私たちが絶望して、のたうち回る声を楽しんでいるのよ。それが一番の『捧げもの』だから」
「黙れ」 レイの声が、静かに、しかし鋭く響いた。
脳内では、ワーグナーの楽劇が鳴り響き、破滅を予感させる旋律の果てに、最後の女性の叫びが木霊した。それは浄化への願いか、あるいは根源的な呪いか。
「神が沈黙を愉しむサディストだというなら、俺は地獄の底から怨み節を歌い上げてやる。あんたたちの偽りの聖域ごと、焼き尽くしてな」
レイは泥に汚れたヒールを一歩踏み出し、ミサの首元へ、ドレスに隠し持ったナイフを突きつけた。
「さあ、殉教の準備はいいか? 偽物の聖女さん」




