神は、苦難時になぜ沈黙するのか? 第一話:黒衣の花嫁と硝子の瞳
『神は、苦難時になぜ沈黙するのか?』
――「愛のむきだし」からインスパイア――
第一話:黒衣の花嫁と硝子の瞳
男は、夜の街を漆黒のドレスで歩いていた。 つばの広い帽子、顔を半分覆うベール、そして計算し尽くされた完璧な立ち振る舞い。 それは、かつて古いスクリーンで出会った女優、ジャンヌ・モローへのオマージュだった。彼女が愛する人を奪った者たちを一人ずつ葬ったように、彼もまた、自分から「家族」を奪った偽善者たちを裁くための、これが戦闘服だった。
彼、レイにとって、この姿は父への最大の反逆だった。 高名な神父である父は、教会の奥で聖書を読み上げながら、その裏で新興宗教の幹部である女と密通し、家庭を崩壊させた。父が説く「忍耐強い愛」など、ただの空虚な欺瞞に過ぎない。
(神よ。あなたがもしおられるなら、なぜ父の背徳を許し、母の涙に沈黙したのか?)
レイは、自ら引いた真っ赤な口紅を歪め、路地裏に佇む一人の少女、カナを見つめた。 彼女はカルト教団の白い制服に身を包み、まるで感情を抜き取られた硝子の人形のように、虚空を見つめていた。
レイが彼女に惹かれたのは、彼女が放つ「凍てついた孤独」が、かつての自分とあまりに似ていたからだ。 誰よりも救いを求め、誰よりも優しくあろうとした結果、自分自身の声を失ってしまった魂。彼女が強いられているのは、日々繰り返される精神的な「踏み絵」だ。自分を殺し、組織に従順な聖者であることを強要され、その内側では魂が悲鳴を上げている。
神がその悲鳴を聞いてもなお沈黙を貫くというのなら、俺がその沈黙を切り裂いてやる。 彼女を奪い去ることは、天に向けた俺なりの「異議申し立て」だった。
「そんな重い仮面、被ったままじゃ息もできないだろう」
レイの低く、しかし凛とした声に、カナの肩が震えた。 「あなた……誰? 死神?」
ベールの奥で、レイはジャンヌ・モローのような氷の微笑を浮かべた。 「いいや。あんたの葬式を台無しにしに来た、ただの不届き者だ」
その瞬間、夜の静寂を切り裂くように、彼の脳内でベートーヴェンの交響曲第7番「第2楽章」の重厚な旋律が鳴り響いた。 運命の歯車が、むきだしの情熱を伴って回転し始める。




