『Juno/ジュノ』が辿り着いた、もう一つの椅子の正体
「最後は椅子で終わった」が最後の台詞
『Juno/ジュノ』が辿り着いた、もう一つの椅子の正体
2007年、その独創的な台詞回しと構成で世界を驚かせ、アカデミー脚本賞をさらった『Juno/ジュノ』。この物語の幕引きが「一脚の椅子」であったことに、皆さんはお気づきでしょうか。
かつて映画『フェノミノン』で、ロバート・デュヴァルは「女はそれぞれ椅子を持っている」と説きました。そこで描かれた椅子は、女性の自立やプライド、そして男が買い取るべき「覚悟」の象徴でした。
では、ディアブロ・コディは、ジュノの物語の最後に椅子を置くことで、一体何を伝えたかったのでしょう?
置き去りにされた椅子、あるいは「居場所」の確立
物語の序盤、あのお気に入りの椅子は、ジュノにとって「予期せぬ妊娠」という現実を突きつけられ、途方に暮れる場所でした。しかし、多くの葛藤を乗り越え、出産を終えた後のラストシーン。椅子は家の中にではなく、外の風に吹かれる庭に置かれています。
これは、誰かに「買い取ってもらう」ための商品としての椅子ではありません。
『フェノミノン』のレイスが、生きるために椅子を「売らなければならなかった」孤独な戦いに対し、ジュノが最後に提示した椅子は、他者との関係を整理し、自分自身の足で立った「新しい居場所」の象徴に見えます。
脚本家が椅子に込めた「フェノミノン」への回答
もしかすると、脚本家のディアブロ・コディの頭の片隅には、あの『フェノミノン』の「椅子の定義」があったのかもしれません。
『フェノミノン』において、椅子は男が女を支えるための「フック」でした。対して『Juno/ジュノ』では、椅子は誰の手にも渡らず、ただそこに在ります。
「椅子とは女性の夢そのものだ」
その解釈を借りるなら、ジュノは自分の夢(椅子)を誰かに売り渡したり、依存したりすることを選びませんでした。酸いも甘いも噛み分けた少女が、自分だけの特等席を見つけ出した。それこそが、あのラストシーンが放つ爽快感の正体ではないでしょうか。
結びに代えて
「椅子は何か?」という問いに対し、私たちは『フェノミノン』から連なる一つの系譜を見出します。それは、女性が自分の人生をどう定義し、どこに腰を据えて生きていくかという、時代を超えたテーマです。
一見バラバラに見える二つの映画が、「椅子」という補助線を引くだけで、一つの太い物語として繋がり始める。これこそが、映画を観る醍醐味と言えるでしょう。
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