たそがれマイラブ:石狩の風に吹かれて
たそがれマイラブ:石狩の風に吹かれて
国道231号線、日本海から吹きつける地吹雪は、視界のすべてを白一色のホワイトアウトに変えていた。石狩の沿岸にぽつんと佇む、古い木造のバス待合所を兼ねたドライブイン。そこには、運休を決めた路面バスから降り立った数人の男女が、ストーブの熱を囲んで身を寄せ合っていた。
主人公の幸子は、窓際のパイプ椅子に腰を下ろし、冷えた指先をニットのカーディガンに潜り込ませた。彼女は七十歳を迎えた先月、四十年連れ添った夫と別れたばかりだった。
「どこへ行く、なんて目的はないのよ」
幸子が誰に言うでもなく呟くと、隣に座っていた派手な防寒着の若い男が、手持ち無沙汰そうにスマートフォンをいじりながら顔を上げた。
「おばさん、こんな嵐の日にあてもなく旅なんて、まるで映画のヒロインみたいっすね」
「ヒロインなんて器じゃないわ。ただ、自分の足でどこまで行けるか試したくなっただけ」
幸子の手元にあるのは、色褪せた文庫本と、片道切符。家を出るとき、子供たちは「この年で離婚なんて」と呆れたが、彼女にとってそれは、人生の夕暮れ時にようやく見つけた、自分だけの朝だった。
ストーブの反対側には、無口なトラック運転手の男と、地元の漁師と思われる老人が座っている。
「北海道の冬は、余計なものを全部隠してくれるからな」
漁師が、ストーブの上で躍るヤカンの湯気を見つめながら言った。
「あんたの過去も、誰かの後悔も、雪が降ればみんな白くなる。でも、春になればまた出てくるんだ。それまでに、どう向き合うかを決めるのが、ここで足止めを食らう意味さ」
幸子は、窓の外の猛烈な吹雪を見つめた。風が建物を揺らすたび、死んだように静かだった彼女の心に、小さな波紋が広がる。寂しさがなかったわけではない。けれど、この見知らぬ人たちとの、行き止まりの時間は不思議と心地よかった。
「たそがれ、ね……」
幸子は、かつて好きだった古い歌のフレーズを思い出した。
夕暮れ時は、何かが終わる時間ではない。次の場所へ向かうための、静かな準備の時間なのだ。
一時間ほど経った頃、除雪車の音が遠くから響いてきた。バスの運転手が「道が開いたぞ」と声をかける。
客たちは一人、また一人と立ち上がり、それぞれの続きへと戻っていく。若い男が「おばさん、風邪ひくなよ」とぶっきらぼうに言い残して去っていった。
幸子は最後の一人として立ち上がり、鏡の中に映る自分を見た。皺の刻まれた顔は、かつての自分よりもずっと自由に見えた。
「さて、次はどこへ行こうかしら」
彼女はバスのステップに足をかけ、広大な雪原の先へと視線を向けた。たそがれの光はまだ遠いが、幸子の旅は、ここからまた新しく始まろうとしていた。




