恋愛地獄〜裸足の伯爵夫人(第1回)
裸足の伯爵夫人(第1回)
恋愛が地獄に変わる瞬間を、私はいつも探している。脚本家として、あるいは一人の女性として。
裸足の伯爵夫人(1954年)
私は好んで観ようとはしないが、なぜかこれまで何度もテレビで観る機会があって、本作の全セリフが私の頭に自然に忍び込んでいた。 1966年、日曜洋画劇場が産声を上げたとき、その第1回を飾ったのがこの作品だった。 実はそこには、一人のプロデューサーによる、どきどきわくわくさせるような「賭け」があったという。
この名作をぶつければ、あの淀川長治なら必ず、自分に解説をさせてくれと言い出すはずだ。
その読みは、見事に的中した。淀川さんはテレビ局側の意図を汲み、あるいは騙されたふりをして、自ら解説の座を求めた。そこから伝説のサヨナラ、サヨナラ、サヨナラが始まったのだと思うと、胸が躍る。一人の作り手の執念が、映画解説という文化を日本に根付かせたのだ。
物語の入り口も、そんな制作陣の熱量に応えるかのようにドラマチックだ。 イタリアの空、降り注ぐのは陽光をはらんだ天気雨。 その不思議な光の中で、ハンフリー・ボガードがトレンチコートを濡らして墓前に立つ。 カサブランカの残像をまといながら、彼はこの物語の目撃者としてそこにいる。
名作には、必ずと言っていいほど不可解な女が登場する。 エヴァ・ガードナー演じるマリアも、その一人。 彼女がなぜ裸足で踊り、なぜ破滅へと急いだのか。脚本を書く私のペンが、彼女の心理という暗闇に触れようとするたび、土埃を巻き上げるジプシーの雨の匂いがする。
(第2回へ続く)
「最後までお読みいただきありがとうございます。 普段は舞台プロデューサーとして劇の原案も手掛けております。 舞台化・映像化された情報は、こちらの特設サイトにまとめています。 [URL:http://tengyu2.web.fc2.com/0produce_butai.html]
興味のある方はぜひ覗いてみてください」




