西城秀樹と出会ったキャンティ SAKIMORI没原稿
**出版元・幻冬舎「SAKIMORI」からボツにされた原稿です。**
幻冬舎の編集のエースが関わってくださり、7章ほどがボツになりました。
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### **飯倉のレストラン「キャンティ」の章**
SAKIはケイコと「キャンティ」にいた。
店のオーナーが声をかけてきた。
「受賞おめでとうございます。亡き母も喜んでいると思います」
「あなたのお母様、私は“六本木のママ”と呼んでいたけれど、とてもお世話になったわ」
「それはどうもありがとうございます。でも、母のことを知っている方がだんだん少なくなってきて、寂しいかぎりです。
それでは、ごゆっくり」
オーナーは軽く会釈して退いた。西城秀樹が来店したからだ。
ケイコがエスプレッソをひと口飲んで尋ねた。
「“六本木のママ”って呼ばれていたんですか?」
「梶子っていうんだけど、“六本木の女王”と言われていたのよ。
私、20代・30代の頃は六本木に住んでいて、ママに恋愛相談にのってもらっていたの。キャンティにはよく通ったわ」
「ママの頃の六本木って、もう伝説ですね」
「そうね。今は“六本木歌舞伎町”なんて言われて物騒な街になったわ。若者が多くて、昔はほとんどいなかったのに」
「『キャンティ物語』を読みました。
川添浩史・梶子夫妻はパリにしばらく住んでいて、帰国後、日本で初めてイタリア料理の店を開いて、ヨーロッパの香りを持ち込んだんですね。
お店には、日本とは思えない雰囲気があります」
「井上順さんも“キャンティにはヨーロッパがある”ってインタビューで答えていましたね」
「そう。ヨーロッパに行かなくても、キャンティに来ればその気分が味わえるのよ」
「大きなレストランだと思っていましたが、こじんまりとして、まさに隠れ家ですね。
狭い入り口を入ると、中は意外に広い。
サーキーさんは、キャンティにはいろんな思い出があるんでしょう?」
「キャンティは、日本の文化の発信基地だったのよ。
ジャン・コクトー、川端康成、三島由紀夫、岡本太郎……
東京にいるありとあらゆる芸術家や有名人が、こっそり訪れたわ」
「ユーミンも高校時代から通い詰めていたそうですね」
「梶子ママがユーミンを可愛がっていたの。
ユーミンのアルバム『MISSLIM』のジャケット写真に写っているグランドピアノは、梶子ママのものなのよ。
ユーミンはスパイダーズにも曲のアドバイスをしていたし、スパイダーズの事務所『田辺エージェンシー』はキャンティの隣にあったわ」
「“野獣派”の話を聞きたいですね」
「“野獣派”は、加賀まり子、石坂浩二、大原麗子らが作った六本木の遊び人グループよ。
ママが私だけに話してくれた秘密の話があるの。
まり子が私生児を産んだの。
絶対に父親の名前を言わなかった。
20歳の時、彼女は女優として頂点にいて、私と同じことを考えたのね。
人生をリセットする目的で、単身パリへ渡った。
それまでに稼いだお金で豪遊して、イヴ・サン=ローラン、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワーズ・サガンらと交友したの」
「サーキーさんと似ていますね」
「私なんか、最後は悲惨よ」
「それで、どうなったのですか?」
「えっと、何の話だったっけ?」
「父親の名前の話です」
「ああ、そうそう。もう時効よね。
ママは、まり子の相手は〇〇〇だって言っていたわ。
未婚のまま女児を出産したけれど、7時間後に亡くなってしまったの」
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### **西城秀樹さんとの思い出**
西城秀樹さんとは、お店で3度お会いした。
ご冥福をお祈りします。
いつも彼は、「今日は何を食べさせてくれるかな?」って言っていた。
キャンティは、有名人が来ても素知らぬ顔で迎える。
キャーキャー騒ぐ客はいない。
有名人が来ても、無視するような空気が漂っていた。
数多くの芸能人の私生活や恋愛を見てきた。
悲しい“トッポ”の話もボツになった。
当然に 実在の芸能人と出会った思い出だから 出版はNGです。