子供部屋おばさん
現代のシンデレラ
秋田の冬は、すべてを白く塗りつぶして閉じ込める。
43歳になった石原和美は、幼少期から変わらない六畳間の学習机に向かい、ノートPCのキーボードを叩いていた。階下からは、二度目の離婚で戻ってきた弟の子供たちが騒ぐ声と、それを見守る父の満足げな笑い声が聞こえてくる。
「和美、ネットが繋がらねえぞ! 何やってんだ!」
階段下から父の怒鳴り声が響く。和美は溜息を飲み込み、反射的に立ち上がった。
かつて、この家でスイカが振る舞われた夏の日を思い出す。父と弟の皿には真っ赤な果肉が積み上がり、和美の前には、包丁で薄く削ぎ落とされた緑色の皮だけが置かれた。
『お前は皮だけ食ってろ。どうせ肌が汚ねえんだ、中身を食っても無駄だ』
祖母の言葉に、隣でうつむく母は何も言わなかった。母はいつも「お金がない」と嘆き、学年一位の成績を収めた和美の進学の夢を、その一言で縛り付けた。
二十代でうつを患い、自立の足がかりとなる運転免許の更新すらできなかった。車がなければどこへも行けないこの町で、彼女は「家事代行兼、無償のベビーシッター」として、家族という名の檻に収監された。
そんな彼女の指先が、スマートフォンの画面をなぞる。
画面の向こうには、マッチングアプリで出会った「彼」がいる。
『和美さんは、本当に綺麗だよ。もっと自分を大切にして』
その文字が、乾ききった心に染み込む。彼は王子様だった。彼と結婚して、この家を出る。それだけが、今の和美を支える唯一の細い糸だ。
「お姉ちゃん、コーヒー。あと、あいつらの宿題も見てやってよ。暇でしょ?」
部屋にノックもせず入ってきた弟が、当然のように命じる。
「仕事中なの」
「在宅なんて遊びみたいなもんだろ。俺は外で稼いでるんだよ」
弟の背中を見送りながら、和美はそっとスマホを握りしめた。
まだ彼には言えていない。自分が「子供部屋おばさん」として、家族の世話を一身に背負わされていること。車の免許も持たず、貯金も母の「生活費が足りない」という言葉に吸い取られてほとんどないこと。
ある夜、和美は勇気を出して彼にメッセージを送った。
『もし、私が何も持っていなくても、一緒にいてくれますか?』
数分後、通知が鳴る。
『もちろんだよ。早く会いたいね』
その言葉を信じて、和美はクローゼットの奥に隠した古いボストンバッグを引き出した。
中には、少しずつ買い集めた新しい下着と、彼に会うためのワンピース。家族には内緒で、深夜にこっそりとパッキングを進める。
「お前ときたら、何の役にも立たない……」
毎日浴びせられる父の嫌みも、今は遠くの雑音のように聞こえる。
和美は窓の外を見た。しんしんと降り積もる雪。
この雪が溶ける頃には、私はこの「子供部屋」にはいない。皮ではなく、真っ赤な実を食べる人生を選ぶのだ。
たとえその先に、また別の困難が待ち受けていたとしても。
今の彼女にとって、この檻の外にある絶望は、檻の中にある安寧よりもずっと輝いて見えていた。




