表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フェイドアウト断章  作者: 石藏拓(いしくらひらき)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

583/662

子供部屋おばさん

現代のシンデレラ

秋田の冬は、すべてを白く塗りつぶして閉じ込める。


43歳になった石原和美は、幼少期から変わらない六畳間の学習机に向かい、ノートPCのキーボードを叩いていた。階下からは、二度目の離婚で戻ってきた弟の子供たちが騒ぐ声と、それを見守る父の満足げな笑い声が聞こえてくる。


「和美、ネットが繋がらねえぞ! 何やってんだ!」


階段下から父の怒鳴り声が響く。和美は溜息を飲み込み、反射的に立ち上がった。


かつて、この家でスイカが振る舞われた夏の日を思い出す。父と弟の皿には真っ赤な果肉が積み上がり、和美の前には、包丁で薄く削ぎ落とされた緑色の皮だけが置かれた。


『お前は皮だけ食ってろ。どうせ肌が汚ねえんだ、中身を食っても無駄だ』


祖母の言葉に、隣でうつむく母は何も言わなかった。母はいつも「お金がない」と嘆き、学年一位の成績を収めた和美の進学の夢を、その一言で縛り付けた。


二十代でうつを患い、自立の足がかりとなる運転免許の更新すらできなかった。車がなければどこへも行けないこの町で、彼女は「家事代行兼、無償のベビーシッター」として、家族という名の檻に収監された。


そんな彼女の指先が、スマートフォンの画面をなぞる。


画面の向こうには、マッチングアプリで出会った「彼」がいる。


『和美さんは、本当に綺麗だよ。もっと自分を大切にして』


その文字が、乾ききった心に染み込む。彼は王子様だった。彼と結婚して、この家を出る。それだけが、今の和美を支える唯一の細い糸だ。


「お姉ちゃん、コーヒー。あと、あいつらの宿題も見てやってよ。暇でしょ?」


部屋にノックもせず入ってきた弟が、当然のように命じる。


「仕事中なの」


「在宅なんて遊びみたいなもんだろ。俺は外で稼いでるんだよ」


弟の背中を見送りながら、和美はそっとスマホを握りしめた。


まだ彼には言えていない。自分が「子供部屋おばさん」として、家族の世話を一身に背負わされていること。車の免許も持たず、貯金も母の「生活費が足りない」という言葉に吸い取られてほとんどないこと。


ある夜、和美は勇気を出して彼にメッセージを送った。


『もし、私が何も持っていなくても、一緒にいてくれますか?』


数分後、通知が鳴る。


『もちろんだよ。早く会いたいね』


その言葉を信じて、和美はクローゼットの奥に隠した古いボストンバッグを引き出した。


中には、少しずつ買い集めた新しい下着と、彼に会うためのワンピース。家族には内緒で、深夜にこっそりとパッキングを進める。


「お前ときたら、何の役にも立たない……」


毎日浴びせられる父の嫌みも、今は遠くの雑音のように聞こえる。


和美は窓の外を見た。しんしんと降り積もる雪。


この雪が溶ける頃には、私はこの「子供部屋」にはいない。皮ではなく、真っ赤な実を食べる人生を選ぶのだ。


たとえその先に、また別の困難が待ち受けていたとしても。


今の彼女にとって、この檻の外にある絶望は、檻の中にある安寧よりもずっと輝いて見えていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ