女と男のいる舗道~フランソワ・トリュフォー監督の恋 その2
ゴダールの映画は
哲学的、明解より曖昧抽象的、映画を芸術と考える。
絵画に例えるとピカソで、
映画でピカソをめざそうと思ったようだ。
カメラを固定しないで、追いかける撮影
映画の中でつぶやくかと思うと、映画を観ている僕らに語りかけたりする。
ゴダール、ゴダールと周りが騒ぐので
数多くの作品を観たが、
正直に言うと「女と男のいる舗道」 以外は
画期的な映画技法は素晴らしいが、
映画の中身で感動したことはない。
トリュフォーは「女と男のいる舗道」を観るたびに涙したと、自伝にある。
アルベール・カミュと親交のあった哲学者ブリス・パランが、
ナナと愛について論じあう場面が素晴らしい。
「愛は唯一の真実なの?」
「愛は常に真実であるべきだ。
愛するものをすぐ認識できるか。
20歳で愛の識別ができるか。
できないものだ。
経験から"これが好きだ"と言う。
あいまいで雑多な概念だ。
純粋な愛を理解するには成熟が必要だ。
探求が必要だ。
人生の真実だよ。
だから愛は解決になる。
真実であれば」
ゴダール作品で、もうひとつは「勝手にしやがれ」の前半部分
後半は僕的に勝手にしやがれです。
この人のおかげで
フランス映画を嫌いだと言う人がいるのでは??