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フェイドアウト断章  作者: 石藏拓(いしくらひらき)


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妻とのなれそめ編 ヴィオロンの妻あとがき

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妻とのなれそめ編 ヴィオロンの妻あとがき


妻とのなれそめは三月の土曜日だった。

僕は住んでいた六本木から地下鉄で上野駅に行き、

湯沢行きの新幹線にスキー道具を持って乗り込んだ。

自由席の車内は混んでいた。

空いてる席を探すがみつからず、一輌二輌と進んで、

左にひとつだけ空いていた席をみつけた。

窓側に女性が座っていたが、僕は女性の横顔すら見ずに黙って着席した。

女性には声をかけないようにしていた。

僕の映画好きは恋愛に影響していた。

オードリー・ヘップバーンみたいな女優としか結婚しないと決めていた。

着席すると、早起きしたので眠気が襲ってきた。

三十分ほど経過しただろうか?

車内販売の声で目が覚めた。

朝はコーヒーを飲む習慣なのでホットコーヒーを注文した。

一分もしなかった。

隣に座っていた女性も同じコーヒーを注文した。

女性がコーヒーを受け取る時、僕は女性の顔を初めて見た。

コーヒーで目を覚まそうと思ったが、

飲む前に女性の顔を見て目が覚めてしまった。

僕は話しかけずにいられなかった。

「朝はコーヒーがないと落ち着かないんですよね」

とコーヒーをひとくち飲んで言った。

女性は肯いて

「朝のコーヒーは欠かせませんね」と話しに応じてくれた。

会話が始まった。女性もスキー道具を持ち込んでいた。

女性が「一人で行かれるの?」とたずねた。

「スキーがうまくなりたくて、特訓をしに行くんです」

「わたしも、いっこうにうまくならないの」

「そちらも、一人で行くんですか?」

「仲間が先に行っているので、一日遅れて合流するの」

「仕事かなんかで、仲間といっしょに行けなかったんだ」

「お稽古があったの」

「お稽古?」

「わたし、バイオリンとピアノを教えているの」

「バイオリンですか。難しそう。

僕は左利きだし弦関係は上手になれなかった」

「弦? バイオリンなの? 弾いているの?」

「いえ! 弦が違うギターですよ。僕は左利きなんです。

小さい頃に右へ矯正をされて箸と書くのは右です。

でもフォークや絵は矯正されなくて左のままなんです」

「矯正すると、子供には良くない影響を与えるようね」

「ドモリになったりするようですね。

僕の場合は反抗心が人以上にあるかもしれません」

コーヒーをひとくち飲んで応えた。

「え!どんな?」

「えらそうにしている人が嫌いなんです。

意味なく命令されると腹が立つんです。

学生の頃デパートでバイトをしていて、

朝礼で軍隊のような挨拶をさせようとする。

デパート側の若い社員なんです。

社員なのでバイトの僕たちを見下して命令する。

「お前ら!整列しろ!気をつけ!」

長い物には巻かれろで他のバイトの仲間は従っている。

僕はなぜか腹が立って気を付け姿勢をしなかったんです。

納得のいかない命令には反抗してしまうんです。

全部反抗するんじゃないけど。

気分もありますが許せないと思うと反抗しちゃうんです」

「わかるような気がする。幼少の頃に受けたのが影響しているのよね」

女性はコーヒーを飲んで言った。

「ギターの話、聞かせて」

「僕は下手なんですよ。

ビートルズのポールみたいに、左で弾こうか悩みました。

左用のギターだと高価ですよね。

右用で練習してとりあえず伴奏程度はできるけど、上達しませんでした」

「バンドとかやっていたの?」

「一応。僕は中学生からバンドに目覚めたようです」

「誰でもが通る青春よね?」

「バンドの経験あるんですか?」と、僕はたずねた。

「高校の頃バンドというかミニグループを作っていた経験はあるけど。

私はオケに入っているんで、オケが忙しく余興程度に終わった」

「オケってオーケストラ?」と僕はたずねた。

「アマチュアだけど設立は古いオケに所属しているの。

今日合流するのはオケの仲間たちなの」

「クラシックか。難しそう」

「父がクラシック好きで幼稚園の頃からバイオリンを習ったの。

ずっとバイオリン一筋で練習ばかりしていて、一時期反抗してやめたの」

「ヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し。なんですかね」

「ヴィオロンってフランス語でバイオリンの意味よね」

「どうしてもバイオリンというとヴィオロンって言ってしまうんです。

ごめんなさい。それで反抗してどうしたんですか」

「親はバイオリンをやれと命令するかと思ったら、なにも言わないの。

バイオリンなんかなかったかのような感じなの」

「かしこい親だ。北風と太陽の法則だ。ウチもそうだったらよかったのに」

「同じことがあったの?」

「母が僕をピアニストにしたくて幼稚園の頃北風攻撃にあったんです。

記憶だと二年程度でピアノ教室をやめたんです」

「強制されると子供って嫌がるよね」

「覚えているのは幼稚園が終わっても

音楽教室に行かなかったこと。

家に帰らないで幼稚園の友人の家に行ってました」

「やるわね」

「中学生になって同級生がバンドやっていてピアノを弾きたくなったんです。

うちにあったオルガンで最初は『蝶々』から独学で練習を始めました。

高校の頃はクラシックをちょっとかじる程度だったけど。

譜面の初見はできない。壁にぶち当たりました。

小さい頃にやっていればと後悔したんです」

「ギターじゃなくてピアノなの?」

「ピアノも好きですがやっているのはキーボードですね。

今はヤマハでエレクトーン教室に通っているんですよ」

「熱心ね」

「先輩たちとロックバンドを組んでいて

週に一回は渋谷の道玄坂にあるスタジオで練習しているんです。

アドリブがうまく弾けないので音楽教室に入ったんですよ」

「ねえ、聞いていい? 仕事はなにやっているの」

「サラリーマンやってます」

「わたしは東京の笹塚生まれだけど言葉のアクセントがちょっと違う。

どこ出身?」

「ばれたか。九州の福岡県です。

アクセントの強弱が九州と東京では正反対ですよね」

「東京にはいつから?」

「大学で上京したんです」

女性は次に聞こうかためらっていた。

決心したような顔になって僕にたずねた。

「聞いていいですか。大学はどこなんですか?」

「『仁義なき戦い』って映画を知っています?」

女性はきょとんとして答えた。

「観た覚えある。ヤクザ映画よね」

「そうなんです。主演の菅原文太さんのいたヤクザな大学ですよ」

「え!どこどこ?」

「じゃ!ちょっとヒントを甘くしますね。タモリのいた大学ですよ」

「ワセダ」

僕は女性の表情を見た。

顔を見るといい反応をしているので安堵した。

ワセダと言って女性に嫌われた過去がある。

やぼったい大学で貧乏そうに見えるからだ。

村上春樹氏も小説『ノルウェイの森』で「二流の私立大学」と書いている。

東京には一流大学が多く劣等感を持っていた。せめて慶応。

早稲田は僕には学風は合わなかった。

慶応には気の合う仲間が多かった。

慶応に行きたかったが父は慶応受験には猛反対だった。

「大学は、どこの音大ですか」

「音大ってわかります?」

「なんとなくカンで」

「国立音大。中学から入学したの」

「クニタチか・・・」と僕はつぶやいていると、

「まもなく湯沢に到着です」とアナウンスされた。

「僕はこれで。湯沢で降りますから」

女性も立ち上がった。

「わたしも湯沢で降りるの。湯沢からバスで苗場に行くの」

急いでスキーの荷物を通路に出して湯沢駅で降りた。

駅構内を二人でスキー道具を持って歩いた。

女性は長身でやせていて脚は日本人ばなれして長かった。

苗場行きのバスまで時間はあると言うので

駅前の喫茶店に入ってコーヒーを注文した。

喫茶店で椅子に座った。

正面から女性を見ると僕のタイプを超えていた。

普通の美人のもうひとつ上の美貌。

普通の女性として扱えばいいのにバッターボックスに入ると力んでしまう。

顔だけでなくスタイルも雰囲気も

トップクラスの美人女優を観ているようだ。

好感を持ったのは美貌をひけらかして僕を見下さない。

誇らしげに自分の美貌を称えたポーズをしなかった。

コーヒーを注文して沈黙が怖くて得意の本の話に持って行った。

「読書しますか?」

最近は横溝正史を読んだと女性は言った。

典型的な文学少女ではないようだ。

一般女性がよく好む猟奇ホラー系だ。

女性は数名の好きな小説家の名前を挙げた後に言った。

「あとは川端康成を読んだ。

湯沢は『雪国』の舞台となったところよね」

「日本で初めてノーベル文学賞をとって晩年は重圧に負けたみたいですね」

と僕は応えた。

「なぜ?自殺なんかしなくていいのにね」と女性は言った。

「作家の表現方法に自殺があるらしいんです。

芥川龍之介が自殺したときに書き残した『末期の眼』に

川端は影響されたそうです」

「末期の眼?」

「これが最期だという思いでのぞむと見える景色も変わってくる。

たとえば引越しするときとか会社をやめるとき

今まで見えなかった景色に気づいたりする。

引越しのときに物を整理していると

見つからなかった探し物がでてきたりする。

芥川は死を前にして『自然がこんな美しいと思わなかった』

『美しいのは僕の末期の眼に映るから』と書いています。

川端康成も『末期の眼』という題でまとめているんですよ」

僕は女性の顔をうかがった。僕の話題についていけるのだろうか。

一方通行の話に反省しながら言った。

「三島由紀夫が自決したときから

川端は精神的におかしくなったという説もあるんですよ。

川端は『三島君が呼んでいる』と言ったようです」

「詳しいのね」

「僕は自殺賛美者じゃないんですが、気になると調べるクセがあるんです。

なぜ自殺したのか解説している本を読んでいるだけです。

なぜ作家が自殺するか理解できません」

話題は限界かなぁと思いつつ女性の顔をうかがった。

顔からは読めないので付け加えた。

「作家の自殺の謎の追求をしていて、

とうとうヴァージニア・ウルフにたどりついてしまったんです」

「それで?」

初対面で自分ばかり話すなんて恋愛失格だと思った。

女性は聞き上手だと僕は勝手に思いながら

読みかけのウルフの本を取り出した。

「ヴァージニア・ウルフはイギリスの作家なんです。

女性です。日本では大正時代の頃ですね。

自殺についてウルフは持論を述べているんです。

読んでみますね。

『人生は影の行列にすぎない。

死は挑戦である。死は伝達の試みである。

死は、ものの本質・実在・現実に達するのであり、

そのとき精神は不滅の魂となり永遠になる』」

女性の顔を見た。退屈しているように思えた。

「難しくて僕にはまったく意味がわからないんですよ。

ヴァージニア・ウルフは狂っているとしか思えません。

僕は思うんです。死ぬときはお迎えがくるんですよ。

人は死神だというけれど自殺もお迎えがさせるのでは」

「霊的な話ね。そんなに難しい本ばかり読んでいるの?」

「好きな作家は別にいるけど。

僕は変わっているので言ってもわからないかも」

「たとえば?」

「大学の頃に図書館通いをしながら

千作読破に挑んで一応世界の名作はひととおり読みました。

特に好きなのはフランスの作家ですね。

モーパッサンとかフランソワーズ・サガンとか。

日本だと夏目漱石ですね」

再び女性は話に興味のありそうな顔になって話し出した。

「サガンなら『悲しみよこんにちは』は読んだわ。

夏目漱石だと『坊ちゃん』」

「僕は『悲しみよこんにちは』と『坊ちゃん』は映画で観ました。

原作は読んでいないんですよ。

サガンの作品なら『悲しみよこんにちは』以外の作品は夢中になりました。

中学生の頃です。

夏目漱石も『こころ』から始まる三部作が好きですね」

「本当に変わっているわね」と女性は言った。

「サガンを好きな人が周りにいなかった。今もそうかな」

女性は趣味の合わない話に深入りするのをやめたのだろう。

「湯沢で滑るの?」とたずねてきた。

「駅から十分ほど歩くとレンタルルームがあります。

ゲレンデは隣にあるんですよ」

「それは便利ねえ」

「ただのファミリーゲレンデで本格的に滑るには

そこからリフトで上にあがるんです。

低い山なので三月だから雪質は悪いかも」

「それだったら一緒に苗場へ行かない?」と女性は言った。

僕は警戒して、なぜ?という顔をした。

「苗場にはダウンヒルコースもある。雪のコンディションはいいはず。

オケの仲間だけど大勢で滑ると楽しいよ」

苗場にはオケの仲間が大勢で来ていて男性もいるらしい。

行った場面を想像した。

電車で会ったばかりの僕が行ってもプラスにはならない。

スキーも下手だしマイナスになるばかりだ。

とびっきりの美人を追いかけてやってきた間抜けな男でしかない。

美人過ぎるので交際できるわけはないと思った。

「苗場まで行ったら帰りが大変なので湯沢で滑ります」と答えた。

女性は納得した顔になって時計を見ながら言った。

「そろそろバスの時間」

別れの時がきた。男は目で女は記憶で恋をするという。

僕はひとめぼれしてしまった。

喫茶店を出ようとする最後のタイミングで勇気をもって

電話番号を聞くと二秒もしないでOKをもらった。



六本木に住む

僕は四年で無事大学を卒業できた。

新宿区に住んでクラブに踊りに行き映画鑑賞が好きだった。

東京は最高の遊び場だった。

就職を迎えて遊んでいたツケがきた。

学生時代はキリギリス生活だった。

蟻の生活を送った同級生は損保や銀行に内定していった。

僕の成績は最低だった。

大学を卒業して仕事は何をしたいか決めかねていた。

どんな仕事をしたいのか。

突然パリに行って修行したい思いが起こった。

ケンゾウになりたいと思った。

ケンゾウはパリに単独で飛び込み最初にパリのプレタポルテで成功した日本人だった。

僕の母は洋裁屋をしていた。人も雇っていた。

家には女性服関連の雑誌ばかり。自然と女性服に興味が向いた。

女性服のデザインをしたい。

できなくても女性服に関わる仕事がしたい。

人生の優先順位にあるのは絶対に貧乏にならない生活だった。

パリに飛び込む前に文化服装に入学するか検討した。

学校に通い、学校を卒業して、パリ修業と、貧乏生活が想像できた。

ファッション関係の会社に就職すると決める。

浮き沈みが激しい業界である。

一番安定している「東レ」を第一志望に決めた。

東レは炭素繊維の技術を持っている。

炭素繊維は車体や飛行機の機体に使われているのだ。

一次選考で「東レ」は落ちてしまった。

他のファッション関係の会社は受かったが流行の浮き沈みを考えて躊躇してしまった。

十社の大企業の面接に落ちてしまう。

松下の人事採用から「君の顔は何万人もいるわが社にふさわしくない顔だ」と言われた。

僕は考えを変えた。

東京暮らしを社会人になっても続けたいと思った。

大企業だと東京にいられる確率は低くなる。

転勤のない東京にいられる会社に絞った。

絶対に倒産がありえない業界はどこだろうと考えた。

僕は製薬会社だと思った。

病人がなくならない限り倒産などしないだろう。

製薬会社でも大企業に就職すると東京に配属されないかもしれない。

中堅の製薬会社を十社ほど面接した。

僕を本社の事務部門で採用してくれる会社に絞った。

日本橋にある製薬会社に決めたがすんなりと入社とは行かなかった。

僕の採用をめぐって人事部では激論になったそうだ。

「目つきが気になる」

「なぜ?うちの会社に? もっと上の会社があるだろうに」

僕の目つきがおかしいとは二十歳代頃に言われていた。

知人、先輩からも言われた覚えがある。

不遇な幼児時代が影響しているのかもしれない。

いつの日か忘れたが村上春樹さんの店で

ピアノを弾いて『イマジン』を歌った。

春樹さんが見ていて言った。

「君の目を見ると何かしでかす目だ。

悪い方にゆくか良い方にゆくかはわからないけど」

入社後に人事部の人から聞いた。

人事部は僕を革マル派テロリストだと疑ったと言う。

僕の素性を調べた。

僕の下宿先のアパート管理人にも電話した。

管理人が人事の人に電話で話した。

「あの人がいなかったら、このアパートは全焼していたんですよ。

深夜のことで。火元の部屋をいち早く見つけ消火。

ボヤで済んだんですよ。夜中なので誰も煙に気づかなかった。

火元の女性は鍋に水を入れて沸かしたまま泥酔していてそのままで寝てしまっていたんです」

僕は製薬会社のIT部門に配属となった。

会社は僕をコンピュータの学校へ行かせた。

転職は考えられない僕を転職男にしたのはヒデキだった。

ヒデキとは大学三年生の時に知り合った。

ヒデキは慶応大学の学生だった。

ヒデキが創部した慶応の社交クラブを早稲田の僕が手伝った。

ヒデキは一流広告代理店に勤めたが会社をやめて米国へ行った。

MBA(経営学修士)を取得するための渡米だった。

三年後にヒデキがMBAを取得して帰国した。

ヒデキは外資系の広告会社に勤めた。

MBA資格を持っていれば最低年収一千万は保証される。

世間知らずの僕はヒデキからスカウト会社を紹介してもらった。

スカウト会社が僕に外資系の会社を紹介した。

会社から提示された給与に目がくらんで

製薬会社をやめてしまった。

以前から夢だった六本木に住んだ。

ツインタワーにある職場まで歩いて通勤した。

人生はうまくゆかない。

転職して一年経過したころだ。

上司が米国からやってきた。

上司ウィリアムは千葉にある工場のシステム化をするために

千葉で暮らすと言う。

僕も千葉工場に行くしかない。

僕の人生の目的は六本木暮らしだった。

僕は転職を決意した。

次の会社は医療機器の会社だった。

会社で眠っていて使われていない汎用コンピュータを稼働させた。

転職三社目の医療機器会社で順調に働いていたころに女性と知りあった。



湯沢から東京に戻って女性に電話をするタイミングを考えた。

電話はすぐにかけないほうがいいと思ってしまう。

男の不思議な心理。

男が「また会おう。あとで電話するよ」と言うと

女は明日電話してくれるものと思い込む。

三日経っても電話がないと女は「私に気がない」と思う。

同じ三日後でも男の方は「すぐに電話をかけて熱心過ぎると思われたら嫌だな」と考える。

学者によると男は本能的に女性への興味や期待を表に出さないようにする。

モテナイ男だと思われたくないらしい。



三月の下旬だった。

女性に電話を三度したが留守で四度目で電話はつながった。

「初めて電話します」

「あら~」と女性の第一声。

電話の第一声の言葉は一生忘れない。

僕の名前を呼んだのだ。

高音の僕の声を聞いただけで僕の名前を告げた。

よく覚えていたものだ。

僕はデートに誘えると確信した。

「どこに住んでいるの?」と僕はたずねた。

「センゴク」

「センゴク? それ、どこだっけ?」

「巣鴨駅からも歩けるよ」

「ああ三田線の千石駅。文京区だね。白山駅の隣だ」

「よくわかるのね」

「白山の隣駅の春日に会社がある。

僕は後楽園駅から通っているけど」

「会社、ここから近いのね」

「たしかに、近いね」

「どこに住んでいるの?」と女性はたずねてきた。

「六本木」

「嘘でしょ」

「六本木だよ。

東京に来てから六本木に住むのが夢になって」

「あんなところに住むところあるの?」

「地下鉄の六本木駅からアマンドを通って数分にあるマンション。ロアビルまで行かないよ」

「どうして住みたいと思ったの?」

「六本木のイタリアレストラン『キャンティ』に初めて行ったときからかな。

将来六本木に絶対住みたいと思った。

六本木は日本じゃない。

ヨーロッパみたいな場所に思えた。

僕は田舎者だから都会に住みたくて東京に来た。

郊外に住むなんてありえない。

年をとったら青山に引っ込むつもり」

「サラリーマンよね?」

「六本木に住むために外資系の会社に転職しちゃった」

「どんな仕事なの?」

「コンピュータの仕事」

「プログラマー?」

「プログラマーは卒業」

「じゃ、システムエンジニア?」

「それも一応卒業した」

「じゃ、なに?」

「システムアナリスト」

「なに、それ?」

「システムを分析する仕事。

事務作業の仕事を分析してコンピュータ化する。

どんなメリットがあるかユーザーや経理部門やトップに提案する。

システムのグランドデザインを設計して

開発に必要なシステムエンジニアとプログラマーは何名必要とか、立案する。

開発がスタートしたらプロジェクトのお守りをする役になる」

「わあ~難しそう」

「ユーザーはコンピュータに素人だから、

わかりやすく説明しなければ理解されない。

誤解されてしまう。

コンピュータが勝手にやってくれると思っている。

ひとつひとつ編み物のようにプログラムで縫い上げているなんて思われていない。

政治と同じですね。必ずバグがでる。

するとクレームの嵐になる。

いつも難しい顔をしていると言われる。

他の人から何に悩んでいるのかも理解されない。

頭だけが疲労する頭脳労働で体力勝負なんですよ」

「大変そうね」

「そっちの仕事はどうですか?」

「そうね。バイオリンの生徒が少ないの。

ピアノの方が多いわ。

稽古だけでは生活できないので

秋葉の会社でバイトをしているの。

基盤回路を作る仕事でハンダ付けをするの」

「ハンダ付けか苦手だったなぁ」

「やってみるとわたしに向いていたの」

とりとめもなく電話での会話は進んだ。

「良ければ映画でも観ませんか?」

「いいわよ」

次の日曜に銀座で待ち合わせとなった。

映画館に向かうと予想外の行列待ちだった。

入場まで二時間以上はかかるらしい。

断念して喫茶店に入った。

女性は濃紺に白い水玉のワンピース。

やせているのでウエストのルーズな仕立てがサマになっていた。

普通の体型だと妊婦服に見えてしまうのを

見事に着こなしている。

女性は服を「パッパラ」と言った。

ウエストがルーズなワンピースが大好きで何着も持っていると言った。

僕の前にいる女性を見て、

映画『ローマの休日』のオードリー・へップバーンが

スクリーンから飛び出してきたと思った。

喫茶店で女性がたずねてきた。

「ピアノを幼稚園でやめて中学から独学で始めたのよね。

どうして習わなかったの?」

ピアノ教師だから興味があるのだろう。

「受験生だから時間はないし。

習うといったら親からは猛反対だったと思う。

高校は受験校でした。早朝と夜も補講があって進学塾に行かずに済んだスパルタでした」

「受験地獄の頃ね。

わたしは中学から大学までスライドだったから

受験で悩まなかった。

そんなスパルタならピアノの練習なんかできないじゃない?」

「高校に入ってピアノのある場所へ足を向けたんですよ。

音楽部でした。

部室に『サウンド・オブ・ミュージック』の

映画ポスターが壁一面に張ってあった。

コーラス部にはあこがれの映画だよね」

「知ってる。ドレミの歌とか名曲が多いよね」

「部長がピアノの前に座っていた。

メガネをかけていて髪はセミロングで背は高い。

ときどきメガネを取ると美人顔でした」

「恋したの?」

「いえ。姉さんのような感じだね」

「ふ~ん。それで?」

「部長が『どう、入部する?』と聞いてきた。

部長は『男性コーラス部員が少ないので助かるわ』と続けた。

僕は『いいけど・・・部長さん、ピアノ教えてください』とかえした。

部長が『ピアノでなにを弾きたいの?』と聞いてきたので、

『ビートルズです』と答えた。

『じゃ、まずコードを覚えないと。いい、Cはこう弾くの』

と教えてもらった。

高校一年のときでした。

部長からピアノのコードを教わり昼休みと放課後に練習するようになった」

「わたしはビートルズをよく知らないの。

好きだったのはゴダイゴ」

「ゴダイゴか」と僕はつぶやいた。

「ボーカルのタケカワさんの大ファンよ」と女性は言った。

「たしか東京外語大卒業で英語の発音は日本人ばなれしているよね」

と僕は思い出したように言った。

「タケカワさんの母方がバイオリン一家で

鈴木と言ってスズキメソッドで有名なの」

「スズキメソッドって?」

「バイオリンの教育方法なの。

鈴木家は国産バイオリンのパイオニアでもあるの」

「バイオリンがからんでいるんだ」

「タケカワさんは五歳からバイオリンを始めたの。

十歳から作曲を始めているの」

「それは知らなかった。加山雄三みたい」

「そう、作曲もしているの」

「ヒット曲は多いよね」

「わたしは『ガンダーラ』が一番好き」

「有名だね。僕は『ビューティフル・ネーム』かなあ」

「コーラスに興味あるの?」と女性は聞いてきた。

「高い声が出るし中学の頃『ウィーン少年合唱団』が人気だったよね」

「美少年ばかりでびっくりした。覚えている覚えている」と女性は言った。

「中学でもコーラス部にいたんだけど、

だんだんに男が部をやめていき自分一人になった。

僕は女性コーラスのマネージャーになった。

覚えているのは大会での移動の手伝いかなぁ。

出演時のリハーサル室や待機室への誘導とか。

のどを痛めないようにキャンディを買いに行ったりした」

「男一人で恥ずかしくなかった?」

「他からなんと言われようと平気な性格なんですよ。

別にそれでイジメはなかった」

「今はバンドやっているのよね?」と女性はたずねた。

「大学時代の先輩に誘われて週一回スタジオを借りて楽しんでいるだけかな。

バンドのメンバーが広告代理店に勤めていで

最近テレビ向けのコマーシャルソングを録音したんですよ」

「え!スゴイ」

「とんでもない。地方のテレビ局で曲が流れただけ」

「歌なの?」

「バンマスが作曲した結婚式場用のオリジナルソング。

一応僕が歌とピアノ担当だけど」

「聞きたい」

「今度、そのテープ持ってきますか」

「ぜひ」

喫茶店での会話は一時間経過しただろうか。

「じゃ、これで」と僕が言うと。

女性は「え!もう帰るの?」と聞いてきた。

今思うと飲みに行きたかったのだろう。

長居はしないと決めていたので銀座で解散となった。



二回目の電話は新宿信濃町の話になった。

「学生の頃はシナノマチに住んでいたよ」

「シナノマチ?信濃町って四谷の次の駅よね?」

「そう。慶応大学病院の隣に住んでいた」

「びっくり。わたし、そこの慶應大学病院で生まれたの。

近くに花屋なかった?そこは親戚で、よく行った」

「あった、あったよ。アパートの隣だ」

「ふ~~ん。不思議ね。もしかしたら顔を合わせていたかもしれないのね」

「ニアミスだね」

「あそこは神宮外苑のイチョウ並木も近いし、いいとこよね」と女性は言った。

「イチョウ並木は絵になる場所だよ。

散歩がてらにその先の青山まで行ってブラブラしていたよ」

「それで青山に住みたいんだ」と女性は言った。

「キラー通りとか骨董通りとか。青山は日本じゃない。

パリみたいな感じがする」

「確かに青山は日本じゃない感じね。

わたしには縁のないところだわ」

「信濃町もいいところだったよ。

住んでいたアパートは高桑アパートメントと言った。

カルフォルニアみたいだと書いた新聞があった」

「新聞に出たの?」

「ちょっと待って。その新聞記事をファイルしてあるから」

僕は高桑アパートの新聞記事をとりだした。

「新聞の記事によると

廊下はエンジと黒の市松模様に壁はピンク。

敷石はトルコ石のような深いブルーで虚無感覚というか、

すごくいい昔の雰囲気だと書いてある」

「想像つかないけど。イーグルスの歌にでてきそうな建物ね」

「地上げ屋に三百万の札束を見せられて一週間で十五名が立ち退いた。

不審火で建物はなくなり借地権を約十六億円で売却した」

と記事を見ながら話した。

「東京の真ん中にマンションじゃなくてアパートがあるだけでも不思議ね」

「日本には滅多にない建築物で二階建てで部屋数は二十二室。

僕が印象深いのは水タンクが上にあるオールドファッションの水洗トイレ。

あれは昭和初期か大正時代のトイレだろう。

とてもレトロだった」

「お風呂はついていたの?」

「いや。アパートなんで銭湯をやっとみつけた。

行って驚いたよ。

そこは幽霊エリアなんだよね」

「どんな。どんな」

「アパートを出て外苑東通りを渡って左門町から右折する。

しばらくして左折したところに銭湯があった。銭湯の並びにお岩神社があった。

その日は夜で不気味だった」

「ああ!そこは四谷エリアだよね。四谷怪談だ」

「いつだったか散歩していて番町なんて地名が出てきた。

ビクっとしたよ」

「出た出た。一枚二枚の番町皿屋敷」

「怖いけど。

新宿も近いし赤坂や六本木もタクシーですぐだった。

下手したら歩ける」

「どうして信濃町に住んだの?」

「その前はババに住んでいたんだ」

「高田馬場ね。早稲田大学のあるところね」

「そう。大学に歩いて行ける。

その頃はバンドでバイトしていたので

小さなマンションに暮らしていた」

「学生なのに贅沢ね」

「キーボードができる人って少なくて。

僕のようなアマチュアでもバンドで需要があった。

いくつかのクラブで演奏して収入が多かった」

「すごいわね」

「深夜の仕事だから報酬がいいんだよ。

でも月一の休みで夕方六時に店に入って次の朝四時まで演奏する。

そんな生活を続けていて大学に行けなくなった。

キーボードの練習もできない。

それに才能がないと見切ったんだ。

このままプロのバンドを続けていて、

もしかして一曲くらいはレコードがヒットするバンドにいるかもしれないけど。

将来、生活ができるような世界じゃないとわかった」

「ふ~ん」

「それで、下宿を探したんだ。

夢は六本木だけど二番目に住みたかったのが新宿でね。

物件を見てまわったよ。

新宿といっても新大久保あたりだけどね。

新宿の延長で信濃町のアパートが見つかった。

二階の六畳一間で窓の下は慶応大学病院。

通学には交通の便が良かったよ。

総武線の信濃町駅から千駄ヶ谷、代々木。

次の新宿駅で降りる。

同じプラットフォーム上で山手線に乗り換えができた。

ほとんど待ち時間がなく乗り換えができたよ」

「代々木駅でも乗り換えができるけど。

新宿へは階段で隣のプラットフォームまで歩くからね」

と女性は言った。

「そうだね。代々木駅では渋谷への乗り換えは便利だったよ」

女性との電話の最後は結婚式場のCMソングの件だった。

「例のCMソング・テープだけど。いつ持って行こうか?」と僕はたずねた。

「こんどの日曜はどう?その日は上野でオケの仲間と花見しているから」

「大丈夫?」と僕はたずねた。

「ちょっとなら抜け出せる」

電話を終えて思った。

運命的な出会いをする男と女は生まれたときから

お互いの小指と小指が目に見えない赤い糸で結ばれているという。

もし赤い糸があるとしたら二人は知り合う前に、

何度かすれ違ったり無意識に会ったりする。

赤い糸の結び目は強くなっているのかもしれない。

確認できたニアミスは信濃町だった。

それ以外にもあるかもしれない。

恋愛映画でも出会う前に知らずに

二人は素通りだけしている。

映画では伏線という。

現実には運命の赤い糸を少しずつ張っていく作業かもしれない。



四月の桜が満開の頃だった。

上野にある西郷隆盛の銅像の前にいると

女性は肩に黒いバイオリンケースをしょってやって来た。

「花見いいの?」と僕はたずねた。

「ちょっとなら、いい」

僕はテープを渡した。

「ありがとう。楽しみ」

バイオリンケースに注目してたずねた。

「お花見で演奏するんだ。クラシック?」

「まさか。歌謡曲よ」

ここでクラシックだと言われると近寄りがたい気がした。

歌謡曲と聞いて意外だったが親しみを感じた。

「カラオケなんか。するんだ?」

女性はうなずいて「『つぐない』が愛唱歌よ」と答えた。

「テレサ・テンか。ちょっと暗いね」

「歌詞がいいのよ」

たしかに歌詞はいい。

あとはどんな話しをしたかは記憶にない。

テープを渡すだけの立ち話だった。

「じゃ!またね」と僕は言うと、

「ねえ!今度六本木のカフェバーを案内してくれない?」

「ああ!いいよ。インクスティックでも行こうか」

「有名バンドが出演するバーね。楽しみ」



渡したテープには結婚式場のCMソングが二曲入っていた。

ひとつはバラードで『君はブライド』。

結婚するプロセスを僕が歌った。

もう一曲は速いテンポだった。

「good day good day。そうさ。今日はブライダル」という歌詞で始まる。

僕の声を二回重ねた。

部屋に戻ってテレサ・テンの『つぐない』の歌詞を思い出した。

「愛をつぐなえば別れになるけど」という歌詞だが

女は男を裏切る。

女はいっしょに暮らした部屋を出ていく。

裏切った以上はいっしょにはいられない。

『つぐない』の歌が好きなのは、

女性が過去につらい別れをしているからだと思った。



翌週の金曜日だった。

僕らは六本木のカフェバー「インクスティック」

に飲みに行った。

インクスティックはミントグリーンの色に統一されたインテリア。

時計は二十一時を過ぎていただろう。

飲んだカクテルはアルコール度が強いので

気づかないうちに酔ってしまう。

素敵だと思えた時間は長くは感じられず。

花火と似たひとときだけが残ってしまう。

人生八十年だとすると約七十万時間生きる。

時は無常で十倍速にしたかのようだった。

いつのまにか地下鉄の終電時間となっていた。

店を出たのは夜中の一時前だっただろう。

女性の住んでいる千石は六本木から遠くない。

タクシーで帰るだろうと思いながら

六本木交差点に向かって歩いた。

女性は「部屋を見たい」と言った。

交差点に着いて青信号を渡る。

六本木は真夜中でも常時お祭りのようなにぎわいがある。

外苑東通りを飯倉方面に歩き後藤花屋を右に見ながら進んだ。

最初の小道である饂飩坂を下った。

「ここだよ」

「こんなところに住んでいるの。駅から三分もしないのね」

六階建てのビルで一階はカフェバー、二階はパブ。

僕は三階の2DKで上には大家が住んでいた。

エレベータに乗ったときだ。

カクテルのしわざか女性は酔っていた。

涙目になって『信じていいのね?』と僕の両肩をつかんで言った。

懇願に近い感じだった。

女性の行動の理由は一時間前のインクスティックで『結婚してほしい』と言ったからだ。

僕は単刀直入にプロポーズした。

シンプルにひとこと言った。

僕は女性に「結婚してほしい」と言った。

早くも遅くもない。

決めるときは迷いのない一瞬の気持ちなのだ。

女性が涙を流した。

信じていいのねと言った。

僕には意外だった。

過去に泣くほどの別れがあったと想像できた。

僕の部屋はなんの飾りもない白い壁と窓は薄いピンク色のブラインド。

家電も含めてすべて薄いピンクで統一していた。

小さい頃から絵を描くと白と薄いピンクの桜色の背景にしてしまう。

部屋に物を置くのが嫌いだ。

ヴィトンのボストンバッグがあるだけだった。

女性は僕の部屋に泊まった。

朝の四時まで毎日繰り返されるお祭りのにぎわいは部屋にも聞こえてくる。

女性は眠れなかったかもしれない。

翌朝二人で徒歩一分もしない店で食事をした。

半同棲が始まった。二人で暮らせるかのテストだ。

寝食を共にすればやっていけるかわかる。

女性の両親に挨拶をした。

両親は猫好きで二匹飼っていた。

父親はすべてのクラシック曲がそろっていると思えるCDの棚を持っていた。

湯豆腐と日本酒の熱燗があれば毎度の夕食は十分と言っていた。

女性の顔は父親に似ていた。

母親は女性と同じく長身で後姿がそっくりだった。

僕は「結婚させてください」と言った。

両親からの返事は「娘に任せている」と反対はしなかった。

「娘はじゃじゃ馬だからね」と母親が口にした。

会社が終わると千石の女性の部屋に帰るようになった。

女性は両親の住む家からスープの冷めない距離にあるアパートに住んでいた。

「なにが好きなの?」と女性がたずねた。

「和食。肉じゃが、きんぴら、酢の物とか」

「そうなの。和食か・・・」と女性は困った顔をした。

近くに住む母親に習いながら肉じゃがやおひたしなどを作ってくれた。

「六月には結婚しよう」と僕は言った。

女性は時期尚早と悩んでいたが僕は迷わなかった。

出会って一ヶ月が過ぎたばかりだが、

長い春になってはいけないと思った。

「お互い思ったときに、さっと結婚しよう。

結婚とは賭けのようなものだ。

結婚はしてもしなくても後悔するものだよ。

思いっきり飛び込む勇気と度胸が必要」と主張した。

「清水の舞台から飛び降りるようなものね」と女性は言った。

求婚して数日たった頃だった。

「友人に相談したのよ」と女性は言った。

「なんて言われた?」

「結婚詐欺師だと・・・」

僕は納得した。

六本木に住んで外資系に勤めてバンドをやっている。

知り合って一ヶ月で結婚を急ぐ。

結婚詐欺師と言われても仕方がない。

女性は振り子のように激しく揺れるマリッジブルーの嵐の中にいた。

僕は毎日女性宅に泊まっていた。

女性が「影千代がわかっている」と僕の耳元でつぶやいて涙した。

布団で寝ている僕と女性の足の真ん中に猫が入ってきたのだ。

影千代は名前からするとオスだがメスだった。

黒と白のマスクをしていた。

名前は漫画『忍者ハットリくん』に登場する猫からつけた。

変わった猫で女性以外に誰にも絶対なつかない。

猫好きの両親や二人の弟にもなつかない。近寄りもしない。

影千代に近づこうものならさっと逃げていく。

なんとか捕まえても「フー」と威嚇したり爪を立てて激しく抵抗する。

女性の部屋を訪問したときいつも影千代はいなかった。

二階の窓から外に出てどこかの軒下などに潜んでいるらしい。

女性が在宅のときは部屋にいるが

他人が来ると逃げ出してしまう。人間嫌いの猫だ。

女性は言った。

「ビックリした。どんな人にも近づかなかった猫よ。

生まれたばかりの捨て猫だったときに拾ってきたの。

仕事で昼間は相手できないからずっと部屋に閉じ込めていた。

他の人に接しないで、夜帰ってきたときだけ可愛がった。

そんな育て方をしたので人見知りする変な猫になった。

不思議よね。

影千代はあれからあなたがいても逃げないのよね。

あなたと暮らすのを覚悟しているみたい」

女性の飼っている猫だと思えば無理しても積極的に僕から可愛がりに行くだろう。

でも僕はしなかった。

猫がおびえた顔をしていたからだ。

最初に足元にきたからといって僕になついたわけではない。

影千代は常に距離をおいて僕の前にいた。

逃げたり隠れたりはしなかった。

影千代が僕の膝まできたのは生涯でも一、二度だった。

犬を飼った経験はあるが猫を飼った経験はなかった。

犬のよさもわかるが気まぐれでプライドが高いが愛嬌のある猫のよさも理解した。

六月のジューンブライドに結婚する。

先延ばしをするとチャンスを逃す。

野球の試合でもチャンスをおろそかにすると次の回にピンチとなりゲームを失う。

人生も同じだ。タイミングが大事。

結婚式が来年に延びて結婚自体がダメになる話もある。

人生は絶対思い通りにならない。

なにが起こるかわからない。

四月の終わりに式場をどこにするか考えた。

理想の結婚式は目黒のサレジオ教会で式を挙げて帝国ホテルで披露宴だった。

僕は以前婚約が破談となり帝国ホテルにキャンセルに行った。

キャンセル料金をとらなかったホテルの真心は忘れられない。

さすが日本一のホテルだと思った。

縁のない教会とホテルでの挙式は女性に申し訳ないと思った。

ホテル・オークラも理想の披露宴ホテルだったが

バンドのバンマスが先に挙式していた。

バンマスの新婦はテレビ局のアナウンサーです。

仲人はテレビで有名な司会者だった。

芸能人並みの盛大な結婚式だっただけにバンマスと張り合う気はない。

豪華なホテルでの披露宴はしない。

質素な式にしようと思った。

クリスチャンでもないのに教会で式を挙げたいと思った。

信濃町に住んでいた僕は卒業論文に必要な資料を探すために

一番いい図書館を探した。

日本で一番の蔵書数を誇る国会図書館は

申し込み閲覧システムなので資料取り出しの効率は悪い。

港区麻布の有栖川宮記念公園にある都立中央図書館を見つけた。

国会図書館に次ぐ蔵書量で東京都一の図書館だった。

五階建ての近代的建造物で食堂もあった。

二十時まで篭って論文を書いた。

通うバスも乗換なしで、バス停は五つ目と便利だった。

図書館に通っているときに何度も映画に出てくるような結婚式を見た。

有栖川宮記念公園から見えるドイツ大使館の隣にある南部坂教会での挙式だ。

有栖川宮と和宮とのロマンスもかぶって微笑む二人へのライスシャワーは

幸福の絶頂にあるシーンで目に焼き付けられた。

二人は人生で一番の笑顔をしていた。

麻布南部坂教会で式を挙げようと思っていたら

有名な俳優同士がカテドラル教会で式を挙げるニュースを知った。

カテドラル教会は正式には東京カテドラル聖マリア大聖堂といった。

東京の教会の総本山で明治時代に日本で最初に聖堂が建てられた。

空襲で焼失してしまった。

建築家丹下健三が約四十メートルの高さの大聖堂

とフランスのルルドの泉の洞窟の岩場を再現した。

カテドラル教会には縁がある。

東京に来て初めて住んだ下宿の隣だった。

村上春樹氏の小説『ノルウェイの森』の舞台にある教会。

僕は十八歳のときにカテドラル聖マリア大聖堂の鐘を聞きながら寝起きしていた。

結婚式はカテドラル教会で、披露宴は目白通りを挟んだ椿山荘に決めた。

教会に申し込みに行くと毎週教会の講習会に参加すれば仮の教徒になれ、結婚式を挙げられると言う。

十九時に始まる講習会に女性と通う。

講習の内容は夫婦生活でのカトリックの教えや結婚後の人生教えだった。

椿山荘には思い出がある。迷い蛍だ。

小説『ノルウェイの森』でも蛍が登場する。





小説に登場するホタルとは椿山荘で、周辺は森になっている。



早稲田大学一年生の頃に椿山荘の前に住んでいた。

夜のアルバイトが終わって帰宅する。

地下鉄早稲田駅から馬場下町を左に早稲田高校を見ながら直進する。

左に早稲田大学正門のある早稲田鶴巻町の交差点に出る。

直進すると新目白通りに出る。

目白通りを渡ってジグザグに曲がって進むと神田川が見えてくる。

橋があって神田川を渡ると右に松尾芭蕉庵がある。

背後は椿山荘の深い森である。

「胸突坂」という名前のとおりに胸を突く急坂を通る。

街灯がなく夜は人気もなく暗闇で不気味だ。

僕が「ノルウェイの森」と呼んでいるエリアだ。

胸突坂を上がる途中に道案内にやってくるのが蛍だった。

坂を上がって進む。右は椿山荘の塀が続く。

左は永青文庫や妖しげな洋館や村上春樹氏が下宿した「和敬塾」があった。



結納は五月の終わり頃だった。

六本木飯倉にある「キャンティ」本店の二階を貸し切った。

九州から僕の両親や女性の両親の六名が集まった。

キャンティの洋一氏が鯛一尾で祝ってくれた。

「弟が下宿先でいっしょだったご縁なんですよ」

と洋一氏は言った。

弟の新さんとは結婚式をするカテドラル教会付近の下宿で一緒だった。

ふたつ年上で、ロックバンドのマザーブレインの紹介もしてくれた。

お互いに同じ三月に下宿を出る。

新さん兄貴が勤めるキャンティでのお別れ会になった。

新さんがいなかったらロックバンドに入ってクラブで演奏したり、キャンティとの縁もなかっただろう。

六本木に住みたいとも思わなかった。



三月いつだったか思い出せなかったが、

有名女優の誕生日で、二十三日だとわかった。

有名人が集うイタリア老舗レストランキャンティで

どんな有名人を見かけたかを列挙すると一ページ以上は必要となるので語るまい。

キャンティの良いところは有名人がいても完全に無視するところ。

井上順さんが「ここにはヨーロッパがある」と言った。

淡いピンク色の和服を着てきた女性に両親は

「女優のごたるね」と言った。

友人に会わせると同じ表現だった。

新居は六本木を離れて青山にしようと思っていた。

バンドの先輩を手本にすると妻の実家に近いスープの冷めない距離がいいらしい。

南大塚のマンションに新居を決めた。

最寄り駅は大塚駅で女性の実家とはスープまではいかないが

シチューが冷めない距離だった。

結婚式より先に入籍して良き日を選んで女性はマクラと猫を連れてやってきた。

女性が新居に来た日にビートルズの『She Came in Through the Bathroom Window』が、

僕の頭の中をかけめぐった。「彼女がバスルームの窓から裸でやってきた。

ひとつのスプーンで隠しながら・・・」

と歌詞を勝手に「裸で」と二文字だけ追加しているが。

結婚式では日本一のパイプオルガン(マショーニ・オルガン)が鳴り響いた。

式が終わったあとは椿山荘まで徒歩で三分だがリムジンカーに乗った。

披露宴では夫婦の共通点である「出たがり屋」が出た。

余興で妻は弦楽四重奏。

僕は『Let It Be』をピアノ弾き語りした。

披露宴での音楽は僕が選曲した。

お色直しの入場には新婦の好きな『真冬の帰り道』。

キャンドルサービスはビートルズの『ビコーズ』にした。

女性は僕の妻となった。

人生のゴールデンイヤーズだった。



七月にハネムーンに出かけた。

新婚旅行では冒険をしない方がいい。

ガイド付きツアーと安全策をとった。

ヨーロッパに行きたかったが爆弾テロが頻発していたので

避けてハワイとカリフォルニアに行った。

永住したいくらいにハワイが好きで 音信不通の祖母の姉がハワイに永住していた。

ツアーの間に仲良くなった新婚カップルから僕らは成田離婚だねと言われた。

成田離婚というのは死語になっているかもしれない。

新婚旅行からの帰りの空港で、すでに離婚状態という意味だ。

他の新婚カップルと違うのは親密度を周辺に

アピールしていないところかもしれない。

手をつなぐわけでもなく食事もセルフサービスでお互いに食べあわない。

黙々と食べる二人の食事風景は冷めた関係に見えたのだろう。

妻も僕も無口だしドラマで描かれるような新婚さんとは違い過ぎた。

僕らは熱々だったのだけど。

周りの新婚組とは違いすぎたようだ。

お互いに気を使う必要がなかった。



新婚生活が始まった。

家庭生活を始めるにあたって印象に残ったのは妻の宣言だった。

「自分で着て出社してくださいね。

帰宅したら自分で脱いでくださいね。

夫の身支度はしませんから」と言われた。

掃除洗濯は日に数回行うほどの神経質な妻だが

朝起きるのは苦手だった。

僕は弁当が嫌いだった。作ったものは、すぐに食べないといけない。

時間が経ったものは口にしたくなかった。

朝は妻の寝顔をみながら出勤した。

夫婦生活は初日から長続きできそうだったかもしれない。

夕食は作ってくれた。

帰宅すると妻は台所で晩酌をしながら料理をしていた。妻を「キッチンドランカー」と名付けた。

妻は酒豪だった。僕は酒より食事したいタイプだった。

「私だけでよかった。二人共酒飲みだと家計は破産しているわ」と酒を独占していた。



新婚旅行から帰った翌月の八月、新婚二ヶ月目だが、

妻は中国へ演奏旅行に出かけた。

フィルハーモニー管弦楽団の客演だった。

中国人は「運命」が好きだと言った。

練習部屋から名器ストラディヴァリの「運命」が流れた。

帰国後はオケの秋公演で真剣にバイオリンの練習をしていた。

毎週土日のどちらかはオケの練習に出かけた。

妻はコンサートマスターなので休めない。

僕はロックバンドのスタジオ練習とヤマハエレクトーン教室に通っていた。

コンサートマスターはオーケストラの演奏をとりまとめる職をいう。一般にはバイオリンの第一パートのトップ(首席奏者)が職を担う。

女性の場合は正確にはコンサートミストレスで妻はコンミスと呼ばれていた。

本番前は必ず胃が痛くなった。

二人で二度演奏した。鮮明に覚えているのは、

僕の従妹の結婚式の披露宴で

モーツアルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』を、

妻はバイオリンを弾き僕はピアノ伴奏した。

初めてのクラシック演奏に不慣れな僕は不安からテンポが異常に速くなっていく、

妻は見事に僕の異常な速さに合わせてくれた。

会社でも演奏した。

会長と家族がイギリスに帰国する。

池袋サンシャインのホテルで送別会が行われた。

社員で即席バンドを作った。

ビートルズの『イエスタディ』をピアノで弾きながら歌った。音合わせをしていないのに妻のバイオリンが見事にからんできた。

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