ヴィオロンの妻 改稿2024
ヴィオロンの妻 改稿2024
目次
##01 ヴィオロン
##02 子宮縛りの名医
##03 次女出産に車衝突
##04 妻の不倫目撃
##05 「公園で、初めてよ」と妻は言った
##06 不倫は別れる理由にならない
##07 李下に冠を正さず
##08 夫婦が落ちついた
##09 白血病
##10 再発
##11 麻薬でグッド・バイ
あとがき 妻とのなれそめ編
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##01
ヴィオロン――それはフランス語で「バイオリン」を意味する。
妻は東京・笹塚で生まれ育ち、国立音楽大学のバイオリン科を卒業した。学生時代、彼女はその優雅な身のこなしと、繊細な音色を奏でる姿から「蝶々」と呼ばれていた。まるで羽ばたく蝶が音楽を紡ぎ出すかのように。
現在はピアノとバイオリンの教師として生徒たちを導き、さらにオーケストラではコンサートマスターを務めている。女性の場合は「コンサートミストレス」と呼ばれるのが正式だが、皆からは親しみを込めて「コンミス」と呼ばれていた。彼女の指揮する弦楽器は、まるで彼女自身の内なる音楽を表現するかのように響き渡っていた。
妻は有名人だった。身長は約百七十センチ、痩せていて、欧米人のように長い足を持っていた。僕より一歳下で、若々しい美しさを誇っていた。彼女の姿は、どこか現実離れしていて、ただ歩くだけでも人々の視線を集める。だが、それも彼女にとっては、普通のことだった。
ある日、妻に主婦が参加するテレビ番組の出演が決まった。彼女は特に喜んでいたわけではなかったが、友人たちが一緒に出演するという話を聞いて、少し心が弾んでいるようだった。「みんなで出るなんて面白いじゃない?」と笑顔を見せていた。
だが、撮影日が近づくにつれ、状況が変わった。テレビ局から妻に連絡があり、「あなたは普通の主婦には見えない」という理由で、出演を却下されたのだ。「ヤラセはしたくない」というのがその理由だった。妻の美しさや存在感が、あまりにも「普通」でないと判断されたのだ。
その知らせを受けた妻は、静かに怒っていた。「何が普通の主婦よ」と、声に出さず呟いたのを僕は聞き逃さなかった。彼女にとって、自分が特別だという評価は、いつも通りのことだったが、それがこのように拒絶される理由になるとは思ってもいなかったのだ。
結婚した年の晩秋、妻が妊娠した。妻はオーケストラの活動を休んででも子供が欲しいと強く望んでいた。初めて新幹線で彼女の顔を見たとき、直感的に「この人は子供が好きだ」と感じたことを今でも覚えている。結婚したいと思った理由の一つがそこにあったのだ。僕は、なぜか女の子しか生まれないと信じていた。だから、名前も早々に「ミユキ」と決めていた。
その頃、僕は風邪を何度かひいて寝込んでいたが、妻は一度も体調を崩すことなく、家事をテキパキとこなしていた。「私は強いのよ」が妻の口癖で、実際その通りだった。お腹が膨らんできても、布団干しなどを怠ることはなかった。「毎日やらないと駄目なのよ」と言い張る彼女の姿に、僕は少し呆れながらもその強さを頼もしく感じていた。
しかし、布団上げが良くなかったのだろう。妻はある日、突然異常出血し、切迫流産の危険があると診断され、入院することになった。後々、これが妻の恨みの一つとなる。「妊娠中に家事の手伝いをしなかった」と、離婚調停の書類に真っ先に書かれることになる理由だった。千回は言われたかもしれない。幸いにも流産は避けられ、妻は一度退院したが、その後、正月明けに再び入院。今度は子宮口が緩い体質であることが判明し、医師は子宮口を縛る処置を行う準備をしていた。
五月六日、大型連休の最終日。子宮口を縛る手術の直前だった。担当医が休暇を取っていたその間に、妻は病院のベッドの上で流産してしまった。そんなことが、よくあるのだろうか?その報せを受け、僕は病院へ駆けつけた。妻の顔は青白く、無言だった。担当医に対する怒りがこみ上げてきた。あの時、適切なタイミングで手術をしていれば……医師がいなかったせいだ。裁判を起こしたいほどの怒りを感じたが、ミユキが戻ってくるわけではない。僕は何も言わなかった。
日々、病院へ通う日々が続き、家には猫だけが残された。男所帯の家で、妻の愛猫・影千代の世話が僕の新しい日課となった。
影千代はよく下痢をし、掃除が大変だった。飼い主の妻がいないからだ。ペットを育てるのもこれほど大変なら、子育てはどうなるのだろう?「子育てができるかどうかは、ペットを長年育てているかどうかで分かる」と聞いたことがあるが、今となっては、そんなことを考えてしまう自分が少し悲しかった。
流産の翌日には母が九州の大牟田から来て家事を手伝ってくれた。
母がミユキの遺体を引き取った。
福岡市祇園町にある菩提寺・萬行寺の墓に納骨してくれた。
母は僕らに遺体を見せなかった。
女の子かどうかわからないが母はミユキと呼んでいた。
大げさだが妻はマリリン・モンローに似ていると思った。
マリリンは二度流産している。
マリリンも子宮口が緩かったようで
自伝の中の流産で悲しむ部分は読んでいていたたまれなかった。
マリリンに子供が生まれていたら自殺はしなかったかもしれない。天は二物を与えない。
流産の後、退院して実家静養の妻に二度目の仕打ちが襲った。
母乳が定期的に大量に出る。出し切らなくてはならなかった。
妊娠後期には妻の胸は二倍以上に膨らんだ。
流産したが産道を通ったのでミルクタンクとなった。女体って不思議だ。
洗面器一杯に母乳を出す作業を見ていて痛々しかった。
家に戻った後は僕が飲ませてもらって妻の赤ん坊になった気分だった。
「名前を先に付けたから、早く出たくてしようがなかったのよ。
もうちょっと頑張れば未熟児でも生きて出られたのに」と妻は言った。
僕は、産まれるまでは名前を付けないと決めた。
女は無口なほうがいいと思う。
「なぜ、蝶々ってあだ名なんだ?」と妻にたずねた。
「蝶々みたいにあっち行ったりこっち行ったりしているからって言われた」
「漫画にある『エースをねらえ』のお蝶夫人からきたんじゃないか?」
「お蝶夫人ね、クールでかっこいいキャラクターよね」
「クールで派手なところはそっくりだと思う」
流産について愚痴を言うわけでもない。
いらだたず淡々としている。
自分を哀れんで泣くわけでもなく八つ当たりもしない。
妻の性格は、どこからきているのだろう、
バイオリンに集中して悲しさをまぎらわしているのだろうか。
僕に心配かけないように無理しているのだろうか。
妻は江戸っ子で前を向いて過去でクヨクヨしない、
竹を割ったような性格。
妻が男だったらカリスマのある良いリーダーになれたろう。
弟が二人もいるのも大きく影響していると思う。
僕の母はおしゃべりで話さずにいられない。
まるで機関銃のように話してきた。
聞き役が親孝行だと思い長時間じっと耐える。
テレビのようにリモコンのボタンがあれば消音モードにしたくなる。
妻は逆に必要以上しゃべらない。
語らずクールだ。
おしゃべりじゃない女性は僕を落ち着かせた。
歌謡曲の『船唄』に「お酒はぬるめの燗がいい・・・、
女は無口なほうがいい・・・」とある。
男の本音だろう。
僕には二十四時間ずっといっしょにいて疲れない楽な女性が好きだ。
母への反動で母とは別の女性を求めるのだろうか?
誤解しないでほしい。
妻も熱く語る日もあった。
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##2 子宮縛りの名医
五月、僕たちは子どもを失った。妻の体調が落ち着いたのは八月に入ってからだった。二人で気分転換に好きな京都へ行こうと決め、東京から自家用車で出かけた三泊の旅だった。京都の八月は暑いはずだったが、不思議と暑さを感じる思い出はない。ただ、穏やかな時間が心に残っている。
名所をいくつか巡る中でも、大原三千院の苔むした庭園はひときわ美しかった。静寂の中で、深い緑が包み込む庭園が目の前に広がる。まるで、そこに息づく生命が僕たちを迎え入れてくれているかのようだった。僕の嫌いな車の運転も、妻が率先して引き受けてくれた。彼女は運転が好きで、旅行中の六割は彼女がハンドルを握っていた。僕たちにとってこの旅行は、ただの観光ではなく、どこか再生のための儀式のように感じられた。
「場所を変えれば、子宝に恵まれるかもしれないわね」と、冗談めかして妻がつぶやいた。その言葉は、どこか願いを込めたもののようにも聞こえた。
不思議なことに、秋が深まる頃、妻は再び妊娠していることが分かった。女の体とは不思議なもので、産後や流産後は妊娠しやすいと言われているが、まさにその通りだった。しかし、その喜びに影を落とすのは、昨年の辛い経験だった。お腹が膨らむたびに、妻の心には流産の不安が広がっていた。
妻は少しの外出でも僕の付き添いを求めるようになり、僕もできる限り彼女を支えた。だが、ある日、平らな舗装道を歩いていると、ほんの少しの砂利が妻の足元をすくった。妻はバランスを崩し、尻餅をついてしまった。その瞬間、彼女は子どもを守るために身を縮め、体を庇っていた。
その場で妻は泣き出し、僕も慌てて手を差し伸べると、彼女はその手を強く握りしめて僕にしがみついた。いつもはクールで、どこか自立している彼女が、初めて心の内をさらけ出した瞬間だった。家に戻り、彼女の様子を確認したが、出血などはなく安堵した。しかし、その出来事を通して、僕たち二人の絆がより一層深まった気がした。
あの京都の苔の庭園が、僕たちに静かに囁いていたように感じる。「あなたたちの未来に、新しい命の芽吹きを祝福します」と。
妻が入院したのは、石川医院という小さな病院だった。そこには流産予防の施術で名を馳せた女医がいて、多くの女性たちがその医術を頼りに訪れていた。僕たちの自宅からは歩いてわずか七分ほどの距離。大塚駅北口を出て、左に少し進むと、ひっそりとした一角にその医院はあった。
医院のある場所は、どこか世間から隔絶されたような雰囲気だった。高架橋の影が覆う「空蝉橋」の下で、古びたコンクリートの建物が隠れるように佇んでいる。近くにはいくつかのラブホテルが並び、賑やかとは言えないその一角で、石川医院はまるで時の流れから切り離された場所のように感じられた。三階建ての古びた医院の中にある病室は数が少なく、十もない。妻のように子宮の悩みを抱える女性たちで満床だった。
僕はその頃、毎日自転車で通勤していて、会社までは自宅から十五分程度で行ける後楽園にあった。午前と午後、妻に会うために必ず二回、石川医院を訪れた。昼休みには、妻の好きなパンやモスバーガーを買っていき、ベッドの隣で一緒に食事をとった。病院の食事もあったが、妻は食欲があって、僕が持っていく外の味を喜んでいた。
ある夜、妻が笑いながら言った。「隣のラブホテルから声が聞こえるのよ」。小さな病院の壁一つ隔てた先で響く笑い声や囁き声、それに時折混じる微かな振動――そんな微細な音たちは、彼女の夜の静寂をわずかに侵していたのかもしれない。だが、彼女はそれを不快に思っているわけではなく、むしろ他人事のように楽しげだった。それは、僕たちにとっても、どこか張りつめた時間の中の小さな緩衝材のように感じられた。
病院までの道を何度も行き来しながら、僕の心はただ、彼女の無事を祈るばかりだった。
会社と病院は都道四三六号線という道路でつながっていた。
仕事を終えると四三六号線の文京区側千川通りを進む、
右に小石川植物園があり他には小さな印刷屋が立ち並んでいた。
千石三丁目交差点を越えると南大塚側はプラタナス通りと呼ばれる。
大塚駅に着くと都電の線路を横切った。
大塚駅北口のロータリーに出て病院へ行った。
大塚駅付近には小説『ノルウェイの森』で緑の住む書店があった。
入院といっても健康体の妻だ。
夜の差し入れは松屋かケンタッキーでサラダ。
大塚駅のコージーコーナーでケーキや牛スジ肉が子宮にいいというので、おでん種にした。
たまには、すじ肉をじっくり煮込んで持って行った。
家では家事と猫の世話を行う日々が続きマンションに住む住人から苦情を受けた。
猫のトイレで使う紙砂がドア経由で廊下にお邪魔していたからだ。
妊娠期間は十月十日という。
月は昔の「数え」で計算するので、正確には九ヶ月と十日になる。
出産予定の五月になった。
昨年の魔の流産の五月六日を迎えた夕方だった。
妻は異常に興奮していた。
僕の手を取って抱きついて来た。
妻の手は震えている。
異常な状態を石川女医に知らせた。
診てもらうと手術しなければならないと言われた。
石川女医は帝王切開すると言う。
なぜ帝王切開するのか疑問があった。
子宮は縛ってある。正確には卵管が縛られている。
細径のチューブのような硬いもので縛られていて手でさわるとわかる。
子宮縛りは腹を切らずにすべてを腟からの操作で行う手術のようで卵管術というらしい。
縛ったチューブを取れば赤ちゃんは出てくるはず。
卵管術を断念して手術になったので出産に立ち会えなかった。
帝王切開で女の子が生まれた。
同時に手のこぶしほどあった肉の塊を見せられた。
子宮筋腫だった。
昨年の流産の原因でもあるらしい。
母乳はなんと皮肉なのだろう。
帝王切開で産道を通っていないので母乳が出なかった。
妻の心は複雑だったに違いない。
母乳を飲ませたかったのだと思う。
赤ん坊はミユキのよみがえりだと思った。
昨年の五月六日の夜中にミユキを流産して一年違うが
翌日の五月七日に生まれたのだ。
誕生日に七がからむ因縁の数字のようだ。
僕は七月七日、父は二月七日、母は七月三十一日、
妻は七月十六日、義理の父母も七がからんでいたからだ。
妻のお腹には、正中線にミシンの縫い目のような手術跡が残った。
「これは女の勲章よ」と妻は言った。
僕は妊娠線がお腹にできるのを知った。
娘が産まれて妻を「ママ」と呼ぶようになった。
僕は「パパ」と呼ばれた。
妻は赤ん坊を「ハンコよ。私の判子みたいなものよ。
ミユキの生まれ変わり」と言っていた。
熟睡できない魔の嵐のクライ・ベイビー・クライの期間が始まった。
赤ん坊に深夜も未明もないのだ。
泣き出したら起きて対応するしかない。
長女が便秘になって深夜にミルクに混ぜる便秘薬のマルツエキスを探しに
巣鴨から池袋まで車で探しまわった。
長女は哺乳瓶を片手で持ち、片足を曲げた膝で瓶を固定させて飲む。
いかにも生意気そうに飲んでいる。
性格は持って生まれてくるようだ。
僕に似た頑固一徹さは飲む態度でわかった。
妻は僕の妻から完全に母に変わってしまった。
朝はきちんと起きるようになった。
今まで僕のために一度も朝は起きなかった。教育ママになり亭主より娘に集中していく。
命がけで授かった子は妻には宝だったのだろう。
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##3 次女出産に車衝突
長女が二歳の誕生日を迎えたある日、妻はぽつりとこう告げた。「次の子を、産もうと思うの」
それは突然の告白だった。彼女の目には決意が宿り、その言葉には強い意思が感じられた。僕の驚きをよそに、妻は続けた。「もしお産で母子どちらかしか救えない状況になったら、迷わず子供を助けてね」。彼女は命がけの覚悟で二人目に挑むと言っているのだ。
内心、不安でいっぱいだった。初めての帝王切開からまだ日も浅い。果たして再び手術はできるのだろうか?しかし、妻の決意を前に、僕も覚悟を固めるほかなかった。
七月十九日、ついに出産の日がやってきた。僕は車に乗り込み、石川医院に向かった。病院の隣の駐車場にはラブホテルがあり、僕はその隣に車を停めた。妻を連れて病院の玄関に向かおうとしたそのときだった――背後で、激しい衝突音が響いた。
振り返ると、僕の車の横腹に、ラブホテルから出てきた車がぶつかっていたのだ。瞬時に駆け寄り、運転席の窓を叩いた。中には男が運転しており、その隣には顔を伏せた女性が座っていた。どうやらこちらが病院に急いでいることに気づいたのか、彼はすぐに示談を申し出てきた。時間が惜しかったが、修理費用を全額負担する約束を取り付け、急いで医院に駆け戻った。
待合室に着いたとき、すでに妻は出産を終えていた。医師から「女の子が生まれましたよ。自然分娩で、母子ともに健康です」と告げられ、安堵と共に胸が満たされた。しかし、僕が出産に立ち会えなかったことが、妻には少し不満だったようだ。僕が衝突事故の話をすると、「大丈夫だったの?」とだけ、気遣うように尋ねた。
「乗ってるときじゃなくてよかったよ」と僕が言うと、妻はわずかに微笑んで頷いた。あの事故も、車が身代わりとなって妻と子を守ってくれたように思えた。
妻は強く、自然分娩で小さな命をこの世に送り出した。助手席に座る二人を見つめると、守り抜いた命の重みが胸に押し寄せ、僕もまた、彼女たちとともに生きていく覚悟を新たにした。
妻は再び胸が膨らんだ。
満悦した顔で母乳を与えていた。
「ずっと、こんななら、いいのに」と妻は豊満になった胸をみて言った。
見るたびに自分の胸じゃない。
他人の胸を見るような感じだったのだろう。
長女の時は帝王切開で産道を通らないので
母乳が出なかったようだ。
母体の不思議さをあらためて感じた。
妻が子育てに専念すればするほど、
僕の疎外感は強まった。
次女が幼稚園に行くようになると、
家庭内で女三名が一致団結した連帯感がある。
異性の僕は浮いていて、なにか疎外されているように思えるようになった。
積極的に育児に参加すればいいのだろうが、
子供は好きだが、なじめなかった。
妻はなんでも完璧にやらないと気がすまない性分だった。
幼児から塾に通わせる教育ママだった。
僕は反対したが、きかなかった。
僕自身は中学生になって塾に行った。
小学生の頃は勉強しろと親から言われなかった。
食事も娘中心で、妻は育児に没頭していく。
疎外感が増大した。どこの家庭でも起こるらしい。
子が生まれると妻の夫への愛情は消滅に近くなる。
「あなたにまでかまっていられない」
というのが妻の本音だ。
夫は大切だが子供が生まれる前の感情とは明らかに違う。
子供を絆にして繋がっている家族だ。
僕は家庭での疎外感を埋めるためだったか、
山登りを始めた。
金曜の夜に出撃して山に入り、
日曜の夜まで帰ってこない生活が始まった。
僕は凝り性で熱中すると周りが見えなくなってしまう。
やるとなればどこまでもやってしまう。
中途半端はできない。
反対にやらないと思えばどこまでもやらない。
春と夏だけだが週末は家からいなくなった。
妻からは「週末は母子家庭」と言われるようになった。
妻だけでなく長女も僕に反感をいだいた。
「あなたは、父親じゃない」と言われてしまった。
週末に家庭を顧みないで登山に逃避したからだ。
池袋の北部にある「上池袋」に移った。
上池袋という町名は池袋駅・大塚駅・板橋駅の中間に位置し、およそ真ん中を明治通りが通る。
東武東上線「北池袋」駅が近い。
町名を変えるにあたって地元住民に聞いたらしい。
新町名案は北池袋だったが、
地元住民が「北じゃない」と猛反対。
「上」になったと聞いた。
池袋の町名に南池袋はあるが下池袋はない。
退職金で新築の上池袋マンションを購入した。
妻が住みたいと強く希望した。
正月は母を連れて、ハワイに家族旅行に行き、
「一生に一度、あこがれのハワイに行きたか」と言っていた母の念願をかなえた。
長女は小学六年、次女は小学三年、妻は四十六歳になった。
妻の風貌は衰えてきたが、他人には変わらなく見えた。体の線も変わらない。
百七十センチになろうとする長身は、すらりとしたままだった。
妻は家庭でも女優を維持していた。
家にいても、いつも身奇麗にしていた。
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##4 妻の不倫目撃
十二月二十六日、夜が深まり、街の灯りもほとんど消えかけた午前零時前。自宅マンションの正面入口に佇む僕の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。薄暗がりの中、妻が見知らぬ男と腕を組み、恋人同士のように寄り添って歩いている。ふたりは親密そうに、建物の周りを一周、二周とゆっくり巡っていた。
息をひそめ、マンションの応接間の窓からその様子をじっと見つめていると、ふと妻がこちらに視線を向けた。まるで見られることを予期していたかのように、彼女は一瞬で僕を見つけ出し、その目が驚きに微かに揺らぐ。そして彼女は慌てた様子で男の腕から離れると、素早くマンションの裏口の門から中へ消えていった。僕は茫然としたままその場に立ち尽くし、冷たい夜風が頬を打つのも感じない。
気がつけば、僕の体は勝手に動き出していた。足はその男を追っていた。妻と別れてひとり路地へと歩き出したその背を、僕は早足で追いかける。ようやく男の進行を遮るように前に立ち塞がると、ゆっくりとその顔を見上げた。
男は、黙り込んで立ち止まった。僕に視線を合わせるでもなく、何かを隠すように顔を伏せている。酔いでぼんやりした目が、少しずつ僕の顔をかすめるが、その視線はどこか虚ろだ。何とか思い出そうと努めてみたが、この顔に見覚えはない。初対面の男だ。どこかで酔いに任せ、ふらふらと歩き出したかのようにも見える。その様子にますます何か言葉をかけるべきか戸惑い、二人の間に冷たい沈黙が流れる。
その静寂が続いたのは、ほんの十秒ほどだったかもしれない。それとも、数分だったか。けれど僕には永遠のように思えた。そして、ついに僕は諦めたように息を吐き、ふと目を逸らすと、自宅の方へと足を向けていた。家路を急ぐ背中に、夜の闇が静かに重くのしかかってくるのを感じた。
近くのエレベーターで七階の部屋に戻った。
僕が妻を探すと、妻はパウダールームにいた。
妻に「一階の入り口近くの応接間で待っている」と伝えた。
僕は先に一階の応接間まで行ってソファーに座った。
わけもわからずにいきなり人に殴られた気分だった。
どう妻に切り出すべきか、自問自答していた。
結論は出た。覚悟を決めた。
妻が十分もしないでやってきた。
いつもは平気で一時間でも待たせる。
早くやってきた妻の行動に、
僕は別の妻を見ているようだった。
妻と結婚して十五年が経過していた。
まさかの目撃だと思った。
誰もが経験するだろうか。
二人の歩く姿を見て、僕は覚悟した。
映画の名言だが。「別れるときは優しくあれ」
なぜか太宰治の小説「ヴィヨンの妻」がよぎった。
妻に浮気された太宰の中に逃避したかったのだろうか。
小説「ヴィヨンの妻」と同じ切り出しをしてしまった。
僕は何も言わない妻に言った。
「僕はコキュに、とうとう、なりさがったのでしょうか」
僕は小説の主人公に酔ってしまった。
重大な局面なのに。
僕は感情が高ぶると冷静になろうとして、
わざと他人めいた丁寧語になってしまう。
「コキュって?」と、言葉を知らない顔をした妻が問いかけた。
「フランス語で、妻を寝取られた夫のことです」
「絶対に、それはないわ」
「本当にそうなんですか?
じゃ、どんな関係なんですか?」
妻は男について、説明を始めた。
妻が何を言ったか覚えていない。
僕の心の防衛線が強固になっていた。
目撃以上にショックを受けたくない。
妻の言葉が外国語のように僕の耳に入ってきた。
なぜか、記憶にあるのは
「彼のことは好きよ、でも・・・」の妻の言葉だけだった。
僕は言った。
「好きなら、彼のところへ行ってくださいよ」
妻は黙秘したままだった。
妻は無口なタイプで、たやすく謝罪をしない。
長年一緒に暮らしているのでわかる。
妻は謝罪をして低いポジションになるのを嫌う。
僕は逆だ。謝罪する必要がなくても、
相手の感情を緩和するために謝罪をする。
真夜中でもあり、翌日に話し合いをしようと、
僕は提案した。
妻は一緒にエレベーターで部屋に戻りたくない。
僕は先に部屋に戻った。
僕はベッドに入ったが眠れなかった。
離婚しようと思った。
信じきっていた僕のハートは機関銃で蜂の巣のようになって、
寒い風が吹き荒れていた。
腹いせに自殺するのもいいかと思った。
自分に落ち度があるから浮気されるんだ。
本当にコキュになっていないのだろうか。
コキュの文字が頭の中に津波のように押し寄せた。
妻も眠れないようで、僕の部屋にやってきた。
僕はオスらしい行動をとった。
動物でも交尾をした後に、他のオスに交尾されると
再びメスに交尾して他のオスの名残を消すらしい。
なんだろう?
妻のお詫びなのか、なにも釈明もしないし、無口である。
スペインの女優ペネロペ・クルスのような顔と目でせまってくるし、オスはどうしてもメスの体で確かめたくなる。
男と今夜は、寝たあとなのだろうか?
惚れた女性だ。妻を娼婦と思えばいいのだろうか?
娼婦ならば離婚しないでやっていけるかもしれない。
井上陽水の『ジェラシー』歌詞がぐるぐる頭でまわっていた。
「ワンピースを重ね着する君の心は。
不思議な世界をさまよい歩いていたんだ。誰にも云えない事がある」
昨夜の目撃で、妻がなぜ、僕と結婚してくれたのか考えていた。
いつだったか、妻が結婚した理由について話した。
「あのCMソングが、いけないかもね。
ずっと聴いているうちに、歌が頭でグルグル回って、
この人と結婚するかもと思った」
テレビで流れた結婚式場のCMソングだった。
ボーカルは僕が担当した。ロックバンドは週一で活動していた。
ギター、ドラム、ベース担当は広告代理店勤務だったからCMの仕事が回ってきた。
妻に暗示、サブリミナル効果を与えたようだ
暗示させるつもりで妻に聞かせたのではない。
妻がバンドの曲を聴きたいというので、聴かせただけだった。
歌詞は簡単だった。
『グッデイ グッデイ そうさ 今日はブライダル
ハッピー ハッピー フィーリング そうさ しあわせさ
ラブユー ラブミー ドーリンミング
そうさ 僕と君 ハッピー ドーリンミング いつまでも』
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##05 「公園で、初めてよ」と妻は言った
十二月二十七日
マンションの応接間に、冷たい沈黙が漂っていた。僕は硬いソファに腰掛け、目の前に座る妻の表情をじっと見つめていた。
前日の出来事について、詳しく聞き出そうとしているのだが、妻の顔はどこか遠くを見ているようで、僕の問いには答えず、微かに震える唇を噛んでいる。
「彼は…」と妻が、何かを言いかけて声を詰まらせた。「オーケストラの仲間なの。名前は…沢田マサ。中央オーケストラで、一緒に演奏しているのよ」
僕はその名前を頭の中で反芻した。沢田マサ。確かに聞き覚えがあったが、顔までは思い出せなかった。ただ、ふと浮かんだのは、公園のイメージだった。僕はそれが妙に気になり、思わず口にした。
「公園があるよね?」
妻は驚いたように顔を上げ、目を細めて僕を見つめた。「見たの?どうしてそんなことを…」
その問いに、僕は静かにうなずいた。「ああ、見てた。明治通りの小道から、二人で出てくるところを」
妻は身じろぎし、視線をそらした。僕の言葉は、計算された嘘だった。けれど、どうしても妻の本音を引き出したくて、つい芝居じみた言葉が口をついたのだ。
「ねえ…」妻は言い訳を探すように、手を組みながら呟いた。「初めてだったのよ、公園でキスするなんて」
僕は、その言葉に苛立ちを覚えた。初めて?何が初めてだ?その言葉の裏には、どれだけの真実が隠されているのだろうか。
「それで?そのあとどうしたんだ?」僕は冷たい声で問うた。
頭の中には、妻がその小道の先にあるラブホテル街へと向かう姿が鮮明に浮かんでいた。
妻はしばらく沈黙し、まるで言い訳を考えているかのように目を伏せていたが、やがて妻は突然涙目になって声を荒げた。
「ただ見ていただけなの?
なぜ止めなかったの?
馬鹿なことをするな!
目を覚ませ!って言って
わたしをぶってほしかった」
妻の演技の涙なのか、
ホテルに行ったと白状しない防御線なのだろうか?
「人の恋を邪魔するほど、野暮なことはないよ」と僕は言った。
僕には静観して観察するクセがあった。
大学生の頃、交際女性とクラブへ行った。
ドリンクバーに飲み物を取りに行って、
店のテーブルで女性を一人にした。
僕が飲み物を持って戻ろうとすると、
見知らぬ男がナンパに来ている。
女性がどんな応対をするのか興味があり、
隠れて観察してしまう。
応対ぶりで、どんな女性か判断できるかもしれない。
ある女性はナンパした男と仲良くなった。
逃げ出して僕を探しに来る女性もいた。
僕は妻に言った。
「僕は二人の恋を応援するよ。いつ出て行く?」
妻は「離婚する気はない。オケは退団する」と言った。
僕は言った。
「君の生きがいを奪い取る権利は僕にはない。
バイオリンは君の命だろう?」
予想外のようで、感謝に満ちた妻の顔があった。
妻はオケをやめないかわりに、男とは会わないと約束した。
言った言わないで、もめたくなかった。
僕は取り決め事項を妻にメールすると言った。
妻は了解して話し合いは終了した。
「十六時頃だったでしょうか、仕事の最中に電話がありました。
貴方の友人の母が亡くなられたそうで、今夜は夜遅く帰ると。
二十三時頃に電話があり、友人宅にいる。これから帰ると言いました。
僕は、めったにない行動をしました。
電話の後、ウチのマンションの一階に降りて、
外を眺めながら、貴方が帰宅するのを待ったのです。
一時間が経過したでしょうか。
風呂上りだったので洗い髪は芯から冷えていました。
午前零時前に、お二人の歩く光景が目に入りました。
いつもの帰り道とはまったく違う、
人があまり通らない暗い道から出て来ました。
窓辺の僕をお二人は見られて、突然にお二人は離れられた。
男性は歩いていた反対方向へ足早に去って行きました。
貴方は、なぜか僕の方へは来ませんでした。
つまり正面玄関から入らず、裏口から入って、
僕を無視して部屋に戻ってしまいました。
僕は男性を追いかけて顔を見てしまいました。
会ったことない顔でした。
僕は部屋に戻り、貴方を一階の応接間に呼び、
いろいろと質問をしました。
あまりのショックに気が動転していましたので、
貴方が述べた話を議事録にしました。
一.男性と貴方は恋人同志と、よくオケの人から言われている。
二.男性とは九月頃から始まった。
三.男性とは非常に気が合う。
四.離婚する気はないので、オケはやめる。
貴方に、お願いしました。
夫婦間では嘘はつかないでほしい。
ショックを受けた僕に、貴方から謝罪の一言もありません。
僕はあなたに目撃した日の携帯メールを見せてくれと言いました。
携帯電話を見せるのを拒否しました。
疑惑は増すばかりです。
男性との交際については嘘のないように
なんでも話してくださいと要求しました。
貴方は、わかったと言ってくれました」
夜に、二回目のメールを妻にした。
「今後の夫婦生活についてルールを作りました。
一.嘘はつかない。
二.原則、オケの飲み会での門限は
夜中の三時までとさせてください。
三.夫に無断で自宅に男を引き入れない。
夫も無断で女性を自宅に引き込みません。以上」
僕は、大きなカン違いをふたつもしていた。
妻が恋をしているのはわかっていた。
顔の表情で気づいて、
「最近、恋をしているね」と妻に言った。
10歳の長女は僕に忠告した。
「ママはラブラブだよ」
「誰と?」
「団長さん」
長女は妻が入浴しているときに携帯のメールを見たのだ。
妻はメールを長女に見られたと報告した。
団長といえば、結婚式にも来てくれた老人だ。
老人なので団長との肉体関係など信じられないと思った。
長女が言ったのは老人の団長でなくて、
新しい若い団長だった。
結婚十六年目にして、
初めて妻の身辺を調査するようになった。
妻に関して放し飼い状態だったと後悔した。
僕は妻を信じすぎていた。
二つ目のカン違いは、セックスレスではなかった。
定期的にあるので、安心していた。
不倫していても、夫と普通にあるようだ。
思えば次女のお産が一段落してオケを再開して以来、
妻は毎週土曜は早朝まで飲んで帰り、平日も何度か飲んで帰った。
完全に放し飼い状態だった。
妻の早朝帰りは目撃した十二月だけで六回あった。
僕は短い仕事日記や僕の仕事でのメールなど読み返したりして記憶をたどった。
妻にも尋ねて、十二月の妻午前様帰宅白書をまとめた。
夫のご乱行なら普通かもしれない。
十二月一日(土)はオケの練習日。
妻は練習が終わり、仲間で飲みに行って深夜二時頃帰った。
次の八日(土)のオケ練習日は、
水道橋のホールでの練習が終わり、巣鴨まで行って、
マサと二人で早朝まで飲んでいたと言った。
終電まで飲むのは普通だと言う。
自宅から巣鴨駅まで自転車で行って、
都営三田線に乗って練習先に出かけている。
マサと二人で飲む場所は、
妻が自宅まで自転車で帰れる駅周辺が多い。
池袋、板橋、大塚、巣鴨と自転車で帰宅できる範囲だ。
十五日(土)オケ練習日、妻は夜中に帰宅。
十八日は平日だが、妻は深夜帰りで、友人と忘年会だったと言った。
二十二日(土)オケの忘年会だった。
妻にストーカーしているオケメンバーが送っていくと、
しつこいので、マサと飲めずに、ストーカーを振り切ってきたと妻は言った。
二十六日(水)目撃の日
妻の手帳に「忘年会」と書かれている。
妻は大塚駅でマサと待ち合わせして
「寿し常」で飲んだという。
目撃したときに二人共に酔っていたので、
酒は飲んでいるだろう。
十二月三十日
二十六日の目撃で、妻とはぎくしゃくしていたが、
福岡県大牟田市の実家に帰省した。
妻は行きたい気持ちにはなれないと言った。
母と妻子が一緒に過ごすのは、ハワイに行って以来だった。
帰省は目撃以前に飛行機のチケットも購入していたので、
夫婦のもめごとは一時停戦となった。
母はめったに来てくれない妻を娘のようにかわいがり、
孫には無制限の愛情をそそいだ。
養父の死と共に一人で暮らす母を東京へ呼び寄せようと、
池袋にマンションを購入した。
母は東京へ行けば命を縮めるだけ、同年代の知り合いは、
東京で暮らせずに戻って来ていると言った。
池袋のマンションは他人に貸そうと思ったが、
できたばかりの新築の上池袋のマンションを見て、妻は引っ越すと言い出した。
正月(目撃の翌年)
三日まで、僕の実家に滞在していて、元日は家族で太宰府に初詣。
帰省は、妻のお気に入りだった。
料理も家事も、すべて母に任せて、
二階でバイオリンの練習に集中できたからだ。
コンサートマスターのプレッシャーと戦っていた。
娘たちは、大牟田駅にあるケンタッキーフライドチキンに毎日通った。
母は店を「かしわ屋」と呼んで、僕らを笑わせた。
鶏肉を「かしわ」と云う言い方は肉食禁止令による隠語だそうだ。
仏教の国教化で天武天皇の頃に肉食禁止令(牛馬鶏犬猿猴)が出た。
肉を草木に例えた隠語が生まれ、植物と偽って食べ続けたようだ。
夕食後は、あなたは酒が飲めないと妻が見下したのが気になり、
是正しようと思った。
新婚当時は僕も酒豪の妻に付き合った。
お気に入りの銘柄のアサヒのドライとサッポロの黒ラベルのロング缶を、
三缶ほど飲み干すと、僕はピンクに頬を染めたマシュマロマンになり、
おそろしく無口になる。
妻は絡まれることを警戒して自重しながら飲んでいる。
僕は飲まずにいられない、飲まないと一時停戦があやうくなるのだ。
ひたすらに飲んだ。
ガブ飲みする僕を妻は不安な目で見ていた。
一月六日(目撃の翌年)
僕らは実家から戻った。
「夫婦のルール」を妻にメールしたが、
まだ返事はなく、納得する謝罪もなかった。
正月休み最後の日で、妻はオケの初練習に出かけた。
オケのホームページ、妻の手帖、妻へのハガキなどを調査して、
「妻のラブストーリー」を作成しようと思った。
妻のタンスの引き出しでマサの名刺を見つけた。
マサは世界有数のC社で人事部勤務だった。
タイトルに長が付いていた。
妻から聞いた。マサは学生時代からのオケ仲間で、
妻と同じ年齢だった。
僕より付き合っている年数は二十年以上と長い。
過去にマサから求婚されたが、妻は断ったそうだ。
理由は、マサの家が複雑で、嫁に行くと苦労するからと妻は言った。
マサとの交際はずっとプラトニックだったと言った。
オケは東京都渋谷区を拠点に活動しているアマチュアオーケストラで、
団員は無報酬で演奏して、逆にコンサートチケットのノルマがある。
オケのホームページの活動報告を熟読していった。
マサの担当楽器は弦ではない。
妻とマサが緊密な仲になるきっかけはオケヘの復帰だ。
目撃の三年前。
長女は小学五年、次女は小学二年になり、
子育てが一段落して、妻はオケに十年ぶりに復帰した。
妻は再びコンサートマスターになりたかった。
マサは団長なので発言力は絶大で、妻はコンサートマスターに返り咲いた。
二人共、酒は大好きで、毎週末に行われる練習の後に飲みに行った。
妻が言うには、仲良くなるきっかけはマサの家庭不和の相談だったそうだ。
女性への相談は定石のナンパ方法だ。
マサは自分の妻との不和に悩んでいた。
妻の引き出しから僕は発見した。
マサの妻からの年賀状だった。
ひとこと、マサの妻から皮肉めいた内容が書かれていた。
「わたしたちの夫婦は、なんなのでしょう?」
マサの妻も不倫に気づいていたのだろうか?
妻は僕に言う「あなたは飲み仲間になれない、酒飲みじゃないのが残念ね」
酒は飲めるが、僕は酒がなくても一生暮らせる。
妻は違う。酒好きだ。
オケ仲間の友好、チームワークが大切。
コミュニケーションをはからないと良い音は出ないと言う。
団の友好に飲み会は必須のようだ。
一度だけ新婚当時に、オケの飲み会に参加した。
仲良く肩を寄せ合っていた男女の団員を見て、
妻は言った。
「あのカップル、不倫しているのよ」
オケは不倫の温床になるのだろうか?
コンサートマスターの妻は団の運営の責任者でもあるし、
酒好きなので、バイオリンと酒にのめり込んでいく。
毎週末のように練習の後に飲みに行って早朝帰りだった。
僕は妻がバイオリンに集中して
ライフワークを全うしている姿を見るのが好きだった。
夜中の四時頃に帰って来て、オケの飲み仲間(男たち)を
自宅に泊めると言い出した日もあった。
娘二人もいるし、僕は拒否した。
練習の合宿もあるし、男女は親しくなっていくだろう。
最初はマサとは喧嘩ばかりしていたそうだ。
喧嘩するほど仲は良くなっていくものだ。
ホームページにあるオケの活動を見ていくと、妻の恋愛の断片を拾えた。
社会教育会館音楽まつりだった。
妻の参加する弦楽奏をマサは指揮したとホームページに書かれている。
マサは指揮者ではない。
四月、お花見の会
オケ仲間から妻とマサは夫婦と間違われている。
マサの子供が来ており、妻は子供の相手をして、
「団長の子供の母親はコンマス」
とホームページに書かれている。
同年八月、オケの仲間でキャンプに行った。
バーベキュー大会があり、妻は大会でマサと親しくなったと言った。
キャンプには娘二人を連れて参加している。
秋の定期演奏会
飲み会は盛り上がったと妻は言っていた。
だれでも人にはゴールデンエイジがあると思う。
妻にとって子育てが一段落した後のゴールデンエイジは、
秋の定期演奏会の日だったのではないだろうか。
チャイコフスキーのピアノコンツェルトでコンサートマスターを務めた。
長女は東京の御三家、つまり東大入学ベスト三の桜陰中学に進学した。
ピアノコンツェルトが終わって、指揮者と握手する妻の顔は知り合って
十五年間で一番輝いていた。
我が世の春、有頂天、人生で登り詰めた向こうには、
地獄の入口の十二月二十六日が待ちかまえていた。
夫だけが知らないが、他は誰でも知っているのが不倫の常識。
僕は妻のオケの仲間から間抜けな亭主だと思われていたのだろう。
不倫は当事者には天国であるだろう。
しかし配偶者や子供らには地獄となってしまう。
なんと皮肉だろう。妻の幸福は夫の不幸の上にあるのだ。
子供や配偶者を巻き込む地獄絵図となっていく。
発覚すれば当事者も地獄に落ちる。
妻とマサを自宅付近で目撃した日は、
夫婦崩壊の序章、
ドミノ崩しの最初のドミノが倒された日だった。
妻が練習でいない間に次女にマサの件を聞いた。
次女は「ウチに来ていたよ。学校が終わって帰るといた」と言った。
夕方になり、練習から帰ってきた妻を一階の応接間に呼んで、
マサを自宅に呼んだのを事情聴取した。
妻からの話では六月が最初で、八月も来たそうだ。
「自宅に招くなんて最低」と言った。
次に僕は言い放った。
「携帯電話のメールを見せてくれ。
じゃないと、奥さんに相談する」
妻はフリーズしてしまい、僕に携帯電話を渡した。
内容を見ると、僕が提案した「夫婦のルール」を、
マサに何通にもカットしてメールしていた。
几帳面に僕の提案文を見やすく
そろえているのに嫉妬してしまった。
妻とは別の女性がメールしていると錯覚してしまうほどだった。
マサとは密通しないという約束など一日も守れない。
簡単に裏切っている。
「僕は、君のようなとびきりの美人と結婚したのだから、
僕だけで独占できる訳がない。
四十六歳になるというのに、女優のように美貌を落とさないように努力して、
君は僕だけの女性でなく、世界中の男のものだからね。信じすぎていたよ。
君は結婚式で誓った約束を破ったね。
夫婦関係を破綻させる女性だとは思わなかった。
あなたの不倫は、僕だけでなく、二人の娘まで影響が及ぶんだよ。
二度と密通しないと約束したが平気で破ってしまう。
なぜバイオリンだけに専念できないんだ。
男にも専念するとは思わなかったよ」
妻は、黙って聞いていた。僕に謝罪もしない。
ただ涙がとめどなく流れていた。
僕が叱責し、妻を泣かせたのは十五年の夫婦生活で初めてだった。
夫婦喧嘩など一度もしなかった。
泣いていた妻は、しばらくして反撃に出た。
元カレについて話し出したのだ。
僕と結婚する前年に、五年結婚を待ってくれと言われた元カレがいたという。
元カレはマサではなかった。マサは妻と同じ年齢だ。
妻は元カレに五年は待てないと言ったそうだ。
今、元カレと別れたのを後悔していると妻は言った。
五年待ちというから、元カレは年下の医大生で、
長い浪人生活をして、やっと医学部に受かったのだろう。
妻の愛猫・影千代は元カレが拾って育てていた猫だった。
いっしょに元カレと暮らしていたのだろう。
僕がプロポーズしたときに、涙をこぼして「信じていいのね」と言った。
なにか過去にあると思っていたが、好きで別れた元カレがいたのだ。
就寝の時間となった。
妻は次女と居間で、長女と僕は別々の部屋で寝ていた。
妻は夜中の三時頃に、眠れないと僕の部屋のベッドにやって来た。
僕の機嫌をなおす秘策を知っていたのだろうか?
一月七日
帰省もあった長い正月休みが終わり、初仕事の日だった。
帰宅して二十二時になった頃だ。
妻はタバコを買いに行くという。
マサに電話してくるという顔だ。
妻の後ろ姿を見ても、100%、密会に行くと思った。
時間をおいて僕は妻を尾行した。
妻はコンビニに入ると、携帯で電話している。
となりの陳列棚から妻の電話内容を聞こうとして、
妻に見つかった。
「カンのいいヤツ」と思った。
マンションの応接間で今日もバトルが始まった。
妻は「夜の十時頃ではないと(マサに)電話できないの」と言うと、僕の行動が許せない、不愉快という顔をした。
平日の夜十時に連絡し合うようだ。
マサの行動が頭に入っている。
僕は「なぜ黙ってこっそり電話するんだ。
約束したじゃないか」と声を荒げてしまった。
今夜もバトルが始まり、夜中の二時までかかった。
「お互いの感性が合わなさすぎる」と妻は嘆く。
今思うと、僕は精神的におかしくなっていた。
僕が妻なら、嫌な夫だと思うだろう。
妻とマサの関係はどこまで進行しているのか、
気になって仕方がない僕がいた。
マサと愛情関係にあるのなら、早く僕と離婚すればいい。
妻はそんな関係じゃないと言う。
妻のマサとの連絡行動は裏切りにしか思えない。
僕はマサと妻の関係を知りたかった。
一月十日
妻からのメールを職場でみた。
「いろいろ思うことがあっても、考える時間がもてずにいるうちにメールが飛び込んできました。
まだ何もレスはしていません。
現状はとても悪いとしかいえず、探られっぱなしの日々です。
このあいだ電話したでしょ、
コンビニからそのとき夫はやはりあとをつけていました。
電話を切った瞬間夫は現れました。
もうげんなりしています。この先はむずかしい。
十五年を振り返って考えても、
いっしょにいる意味がある男なのかと考えている。
疑り深くて、嫉妬ぶかい、引き蘢りがちな・・・。
マサの案了解。少し考えてみます」
妻がマサにメールした内容を僕に転送してきたのだ。
「マサ」と親しい呼び名でメールしている。
二人の関係の親密さがうかがえた。
妻から二回目のメールがきた。
「私はこんな奴だとわかってもらうために、
覚悟のうえ、パパに送ってみました。
心の配分を聞かれたときに、なんと言おうかわかりませんでした。
みてのとおりに私はこういうメールを送りました。
こんなことまで話せる人です。
パパにはもう嘘をつけないです。
パパと話していて苦しいです。
苦しんでいるパパを見ているのがたまらなく苦しいです。
ずっと以前にあちらの夫婦喧嘩のメールを見せていただきました。
どう思うかと聞かれたので、どちらも非があるようで、
夫婦のことはわからないと言いました。
今回についてもきっとマサさんは、おなじことを言うでしょう。
誰だって、自分で解決しなくてはいけないんだ。
朝から、今日は一人になれるのでずっと考えていました。
十五年間、いろんなことがありましたね。
私がパパから離れ始めたのは、もう二年以上前になります。
少しずつですが遠のいていきました。
今の私の気持ちがパパに向いていないんだということが、
今回はっきりわかりました。
でも、離婚したいわけでもないということもはっきりわかりました。
パパが決めてください。これからのことを。
不思議と落ち着いています。
きっと、この先のことが見えないから落ち着いているんでしょう。
先が見えたら不安でしょうがないでしょう・・・
ただひとつ見えるのは、きっとパパは、私を許さないということです」
妻からの三回目のメール。
「これをしたら最後だと思いつつ、
送信したあとすぐにパパから電話がありました。
どうなるかと思いました。
『見たの?』とすぐ聞くと『なにが?』
いつものパパの声でした。
後悔がよぎりました。
それでも乗り越えるとパパが言った言葉を思い出しました。
越えた先はわからないけど
今まさに壁の前で止まっています」
妻からの四回目のメール。
「やはりメールだと冷静になれます。
二十六日はたしか十一時過ぎまで店にいました。
もう出ようかとマサやんがトイレにたったときに、
サオリに電話しました。
今年は忙しくていけそうもないから、
年があけたら線香をあげにいくと電話してたら、
大泣きしました。
ぐすぐす泣いているのを見て、
なにがあったんだと聞かれました。
歩きながらサオリのことなどを話していたら、
家に近づき話が終わらないので迂回しました。
その場の雰囲気でしょうか。
泣いていたからでしょうか。
公園に立ち寄ってキスしました。
初めてでした。
もともと一線を越えることはしないと決めていましたが、
この時にすでに気持ちは越えてしまったのかもしれません。
パパが立っていたのを見て、
『終わった。やはり縁がない人って、どこまでもないんだ』と思いました。
私がパパとの縁についてこだわり続けているのはこういうところです。
縁あって結婚して、縁あって十五年いっしょにいて、毎日顔合わして。
このことをずっと暮れから考えていました。
さっき、家について自転車を止めたら、リサが帰ってきたところでした。
エレベーターホールにはリカが待っていました。
今日はリカが締め出されてました。
私にはこの子達が大人になるまで見守る責任があります。
そしてパパにも責任があると思います。
返事はここまで出ました。
マサやんにも、もうこういう付き合いはできないと、
こういう場を持てないと思っています。
これでやっと私もすっきりしました。
パパの心を壊してしまった。
でもパパの心のケアは私がするしかありません」
僕は一連のメールを読んで、妻は死んだと思った。
妻は死んだ、僕の心の中で妻は死んだんだ。
家庭内失恋だ。妻に失恋した。ふられたんだ。
終わった。いや終わったのではない。僕の妻は死んだんだ。
________________
##06 不倫は別れる理由にならない
妻が喫茶店に着いたのは、夜の八時を少し過ぎた頃だった。
店内は静かで、カップがカウンターに触れる小さな音と、かすかに流れるジャズの旋律が心地よく響いていた。僕は窓際の席に腰を下ろし、目の前の妻を見つめた。彼女は小さなカップを手に、ゆっくりとコーヒーを口に運んでいた。その仕草には、どこか戸惑いが滲んでいるように見えた。
別れるときは、愛しているとき以上に優しくなければいけない。それが僕の信条だった。冷静でいようと心に決めていたが、なぜか胸がざわついて仕方がなかった。ずっと一緒に過ごした時間、笑ったり、泣いたりした日々が、脳裏に次々と浮かんでは消えていく。
妻はオーケストラを辞めたくない。
バイオリンと、そして娘の存在が、彼女にとっての生きがいだった。彼女の目はそのことを語っていた。
僕は彼女の人生の中で、ただの協力者に過ぎなかったのだ。二人で築き上げた生活も、彼女が心から望んでいたものとは違っていたのかもしれない。
妻には離婚したくても、できない理由がある。
1.難関の桜陰中学に入った長女の学費だ。
専業主婦なので、稽古やパートでの副収入では足りない。
次女も私立の学校に入れたい。
お金は全部妻に任せていて、僕は月々に昼食代として小遣いをもらっていた。
二.妻の実家には二人の孫が同居していた。
娘二人の学費の心配がなくなるまでは、我慢すると考えているだろう。
十五年も寝食を共にしているので、妻の考えが手にとるようにわかる。
娘たちが金銭で不幸になるのは見たくない。
話し合いの結果、約束したのは、オケの練習が終わった後、飲みに行かない。
定演のあとの一次会の飲み会参加は認める。
マサとは、会ったり、メールや電話はしない。
目撃がなかったら、妻の不倫を永久に知らなかったかもしれない。
知ろうともしなかった自分に気づいてしまった。
妻を観察していて、初めて知った妻をみつけた。
妻を放置したのが、ツケとなって、津波のように押し寄せてきたわけだ。
一月十一日(金)
妻に、友人のサオリとマサに会いたいとメールした。
マサとの不倫がどこまで進んでいたか確かめたかった。
会えばわかりそうに思えた。
妻から、なぜマサに会いたいのか、理由をメールで聞いてきた。
僕は目撃の日に挨拶もしないで、仁王立ちしていたのを詫びたいからだと言った。
マサは僕との会見を拒否できない。
マサの会社で騒がれたら、密告文書が会社へ投函されたら、
マサのサラリーマン生活は終わりになるからだ。
人事部で長のつく役職、妻と同じ年齢、危うい立場にある。
僕ら夫婦の行方次第では、損害賠償請求、会社とオケもやめさせられて、
マサの家庭も崩壊するかもしれないからだ。
僕はマサの一生を左右する運命のスイッチボタンを持っているのだ。
マサはビクビクして眠れないはずだ。
二十時頃だった。友人サオリ宅を妻と訪問した。
逝かれた御母堂様の祭壇に線香をあげ、妻のアリバイのひとつは一致した。
友人に妻の不倫を告げると、友人は「まさか?冗談でしょう」と、
演技でもなく、妻にはありえないという顔をした。
僕だって信じられないので、親友も意外だっただろう。
不倫しそうもない妻なのである。
オケの練習に行く時は送り迎えするつもりだと言った。
友人は「じゃじゃ馬だから、束縛監視すると出て行くよ」と助言してくれた。
友人宅からの帰宅途中に、妻は明日、マサに会わせてくれると言った。
マサは「俺、なぐられるのか?」と心配していたらしく、
夫はそんな人ではないと説得したそうだ。
一月十二日(土)
十一時頃、『ハリー・ポッター』の映画を家族で見に行く。
いつもならば映画は夫抜きで行っていたが、
妻が行くところには同行しないと気が収まらなくなっていた。
映画を観て、ポッターの境遇に共感して、涙がとめどなく流れた。
僕の悲惨な幼児期と同じで、目撃以来の情緒不安定もあるのだろう。
年をとると涙もろくなるという。
人生の修羅場を経験すると、心のトゲは涙でしか流せない。
他人の痛みがわかるようになったのだろう。
二十二時頃に新宿駅で妻がマサに会わせてくれた。
目撃の日は深夜で暗かった。どんな顔だったか忘れていた。
妻が紹介しなければ、マサの顔などわからない。
喫茶店に三人で座った。
マサの顔を、一生忘れられないように目に焼き付けた。
僕に落ち度があるからだ。
マサに夫婦崩壊をさせられたが、責められない。
マサに言った。
「妻を幸せにしてほしい」
好きな者同士のマサと妻が結ばれるのが一番いいのだ。
同じ趣味、同じ年齢、オケという同じ道があるからだ。
僕と妻の共通点はなにもない。
マサと妻は、僕にない酒豪、愛煙家、宴会好きだ。
二人の恋愛を応援したいと思った。
遠慮なく妻を進呈すれば僕の苦悩が消える。
マサは「同志で、あるだけだ」と言った。
ドウシ、同じオケで、オケ活動をする同志?
逸脱して肉体関係まである同士なのか?
皮肉を言いたかった。
なぜか一歳年下の二人に大人ぶってしまった。
二人は警戒して、口は重く、以降はずっと沈黙が続いた。
「この前は仁王立ちで失礼をしました」と謝った。
二人の顔色を見た。二人の関係は灰色のままだった。
沈黙が続き会話は進まず、解散となった。
マサの顔は妻の好みのタイプではない。
妻の好みは田村正和で、真逆の顔だ。
毎年、田村正和の定期公演を観に行き、
田村氏が劇場から帰るのを待ち伏せして、
手をしっかりと握ってくるの。
妻は田村氏ならば身も捧げてもいいと、平気で僕に言った。
マサが妻のタイプだったら、
二十年以上と、僕より交際期間は長いし、
マサが妻に求婚したときに結婚を承諾していただろう。
僕のときと同じように妻から積極的に出たのだろう。
次に、性格が僕とは真逆に思えた。
本で読んだが、不倫相手には夫と真逆を求めるそうだ。
配偶者とは別の男を求めて不倫するようだ。
母から電話があった。
正月の帰省中に次女は母に「ママは離婚する」と言った。
母は心配して電話してきた。
僕は目撃の話を母にした。母は知っていた。
妻は母に報告していたのだ。
母は「そんひとは、あなたと逆の男たい。癒し系タイプ。
やけぼっくりに火がついたとよ」と言った。
やけぼっくり?聞いた言葉だが、意味が曖昧なので辞書で調べた。
「やけぼっくり」でなくて「焼けぼっくい」。
焼けた棒杭に火がつくということで、
一度別れた男女が再び燃える様のようだ。
別れた?求婚を断っただけでは?
「肉体関係はないと言っているけど」と母にたずねると、
母は「なかよ。更年期障害で、出血しとるらしかよ。
そんに、帝王切開した跡なんか見せたくなかよ」
カンはするどい母だが、男の僕には理解できない。
妻は四十五歳頃から体の具合が悪くなったのは知っていたが、
出血を繰り返していたとは驚いた。
コトの方は消極的になっていたのは事実だが。
男と女だ、肉体関係はあるはずだ。
勝手に想像するマサの性格だが、寂しがり屋で子供を大切にして、
みんなで群れたがる。妻と同じような性格だろう。
僕は逆で寂しいという感覚はなく、群れるのは苦痛だ。
非科学的だが、妻もマサも羊年で、羊は群れたがる。
僕は幼い頃から父がいない。
僕は実父の思い出がない。実父の名前を知らない。
母は働いていて一人にされていた。
一人でいても寂しいとは思わない。
母と初めて食事をしたのは母が再婚した小学四年だった。
幼い頃は祖母に育てられた。
一人で生まれてきたし、一人で死ぬだけだと思っている。
子育ては、妻が期待する夫ではない。
子供への愛情のかけかたが違う。
娘は生まれたときから自分のものではない。
結婚するまで黙って文句も言わず、
お金だけ出して同居するのだと思っている。
助言がほしければ惜しみなく娘に助言するが、
助言の押し付けはしない。
カンガルーの父が息子に喧嘩の方法を教えるのを観た。
子供は父に父親とは何かを学ぶのだろうか?
僕には父親が不在だった。
ネットにあるオケの活動内容でのマサと妻のエピソードや妻の話から想像する。
マサの父親像は妻の理想とするタイプのようだ。
同じ年だからだろうか?
テレビのホームドラマにでてくる父親像なのだろう。
僕にはありえない、できない父親像である。
皮肉にも、妻の父は僕と似ているという。
僕を妻は「とうさんに、そっくり」と言った。
父親と同じO型で大雑把な性格のようだ。
衣服の身支度は僕自身が行う。妻は手伝わない。
僕が急いで出社した時だった。
引き出しから靴下が五センチほど、
はみ出したままになった。
妻は、父にそっくりだと言った。
娘は父親に似た人と結婚して、
真逆な人と不倫するのかもしれない。
妻は父にも僕にもない理想の父親像を求めたのだろう。
昨夏にマサが、妻と娘二人をオケの仲間のキャンプに連れて行った。
家族にキャンプ体験をさせたいなど僕には想像がつかない。
完璧を求める妻は夫婦も家族もクラシックの譜面のように
型どおりの父親じゃないと納得しないようだ。
キャンプに行った娘たちは、マサをどう思ったか?
娘達からまたキャンプをしたいと聞いた覚えはない。
キャンプが嫌いになったのだろうか?
僕に似て、娘二人共に出不精のようだ。
一月十三日(日)
大塚駅のプラットフォームで練習帰りの妻を待ち受けた。
もしかしたらマサと一緒かもと思ったからだ。
駅のプラットフォームに立って、何本か山の手線の電車を見送ってから、
電車から妻が降りてきた。
降りて来た車輌を見るが、マサは発見できなかった。
妻の顔は動揺していた。
マサと一緒に乗っていたと確信した。
妻はマサが発見されなかったと安堵したのだろうか?
妻は「ワタシを信用できないの?」と声を荒げた。
「信用できるまで、駅まで迎えに来るよ」と言ったら、
妻は暗い表情になり、僕を相手にしない態度をとった。
密会は二人には天国だが、目撃した僕には地獄だ。
不倫が与える厳しい現実。
当事者には天国、不倫された側には地獄。
「不倫は別れる理由にならない」という本がある。
筆者は「不倫のショックは、すぐには直らない。
神経系統や認知機能に変調をきたしてきて、
アドレナリンなどのストレスホルモンが交感神経に流れ込んで、
一種の覚醒状態を作る。
パートナーがまた不倫に走りはしないかと、
四六時中、神経を尖らせて、猜疑心が強くなる。
衝動的・発作的な行動に走って、理性や自制心を失う。
監視・点検・探りに莫大なお金と時間をそそぎ込む。
常軌を逸しているのはわかっているが、
自分にはどうにもできない。
自分が好き好んで刑事ごっこをしているわけではない。
パートナーがそうさせてしまった。
二度とだまされないと躍起になっている」
と書いている。
一月十四日(月)祭日
妻は十三時からマンションの一階にある「集会室」を借りて、
オケの弦のメンバーを集めてボーイングの練習。
ボーイングとはバイオリンの弓の振り方。
五月の定演のためにオケ弦楽器トレーナーで、
プロの東京フィルのコンマスN氏を招待した。
妻にはあこがれの人のようで、地に足がついていない。
田村正和以上にN氏に恋していると初めて知った。
N氏と何度も電話でやりとりしている妻は、演奏本番前のように落ち着かない。
マンションの駐車場に到着したと聞くと、妻はかけだした。
いったいどんな顔をしているのか。
妻がマンションの駐車場で、N氏を迎えているところを、
二階の踊り場から垣間見た。
なかなかの美男だ。恋する妻の顔ばかりみせられる。
二十三時頃に僕は散歩に行った。
散歩コースは明治通りを西巣鴨交差点まで下って、
北区滝野川町に入り、上石神井川に沿ってある散歩道。
一時間程度歩いて帰宅すると、妻がいない。
娘が言うには、僕の帰りが遅いので、
妻は心配して車で探しに出たそうだ。
僕の落ち込みようは、自殺するように見えたかもしれない。
妻は帰ってから僕と寝室を共にするようになった。
いつまで続いたかは思い出せない。
ついでに、妻と寝ていた次女も参加して川の字となった。
僕は片岡義男の小説で映画にもなった『湾岸道路』の主人公になりたかった。
作品では、妻がアルバイトで夫以外の男と有料でセックスするようになった。
主人公の夫は言う。
「愛して、ただでさせてやれ。
おまえは、女房にしておくよりも、
金で買ったほうがいい女かもしれないな」
主人公の父がDVで、トラウマがあるのか、
主人公は有料セックスに反対もしないが、
だんだんおもしろくなくなった。
主人公は妻に言う。
「おまえのような姿のいい、ものすごい美人と、
あっという間に結婚してしまうのも格好よかった。
離婚して一人でどこかへいってしまうのはもっと格好いいと。
俺は思いついたんだ」
未明に妻をハーレーバイクに乗せた。
妻はたずねる「離婚してどうするの?」
「一人で、さまようんだ」と言った。
主人公は湾岸道路の入り口に着くと、道路に妻を下ろした。
「別れ話が起きてから一度も泣かなかった。
君は素敵な女だ」と言い、呆然と道路に立ちつくす妻に、
「元気でいろよ」と言って、ハーレー独特の爆音を響かせて悠然と走り去っていった。
「湾岸道路」に出てくる妻は僕の妻に似ていると思った。
僕の妻に雰囲気が似すぎている。
一月十五日
子供ができた頃から妻に無関心になった。
いや、お互い様だ。妻も僕に無関心になったと思う。
僕より娘二人に偏向して、妻は母になった。
僕の母は、妻を
「寂しかとよ。寄り添ってあげんね」と言った。
夫である以上、妻の監督不行き届きは娘らに申し訳ない。
嫉妬ではないような気がする。
自分の世間体を気にしているだけなんだ。
オケの関係者や娘らからコキュと言われて笑われたくない。
マサと駆け落ちでもしてくれれば、すっきりするのだが。
妻は昨年から介護ヘルパーの資格を取って、
家政婦とヘルパーのバイトをするようになった。
一時間千六百円だそうだ。
ヘルパー、バイオリン、ピアノのレッスンと、
次女が小学四年生になり働くようになった。
僕と違って、家に一日中ずっといるタイプではないと思ったが、
離婚の準備だったのだろうか。
妻を信用できない。
マサとは連絡しないと、僕に約束しておきながら、密通している。
嘘をつかれているのはショックだった。
疑惑が僕をイライラさせる。
マサとの電話はオケ関係もあるので、
どこまで疑っていいのか迷う。
僕は、オケをやめてもらうしかないと思った。
僕の情緒不安定は治らない、
頭の中で天使と悪魔が出たり入ったりしている。
『不倫は別れる理由にならない』という本によれば、
「不倫された側は異常な情緒不安定な行動や言動を行う。
精神障害ではなく、普通の人間に現れるショック状態。
心身共にショック状態に陥る。
自尊心は消え、自分を定義できなくなる。
自分が自分でないような気がして、
心の振り子は左右に激しく振り切られる。
強気で自信に溢れたかと思えば、
次の瞬間には弱気で頼りない自分になってしまう。
あまりの激情に圧倒されて、
ついには正気を失うんじゃないかと不安になる。
不倫された側の心理状態は急性のトラウマに対する、
正常で当然の反応である。
動揺の原因は夫婦関係の崩壊だけではない。
私は配偶者にとって特別な存在であり、
二人の愛は永遠に不滅という大前提が消え去ったのも一因。
ショッキングな事実が発覚した。
自分を見失うなと言う方が無理」
僕は思った。不倫されると誰もが同じ気持ちになるのだ。
読んで安堵感を持った。
傷の連帯感とでもいうのだろうか。
自分だけではないと思うと受けた傷が薄まっていく。
映画『目下の恋人』でも、不倫のショックは、
配偶者が交通事故で死んだと知らされるくらいのショックを受けるという。
良い例えだと感心した。
妻を僕から解放させたい。
離婚をしやすくしよう。妻の自立を助けるのだ。
妻にフルタイムの仕事を紹介すると決めた。
離婚できないのは妻に安定収入がないからだ。
営業所の事務担当がやめるという。
後釜に妻を紹介しよう。
事務担当と飲みに行き、根回しした。
同じ職場ならば、マサとの密通も減少すると思った。
完全に離婚するまでは隠れた不倫は許せない、
正々堂々と不倫すると言うのであれば反対はしない。
不倫で嘘をつかれるのが苦痛だった。
フルタイムの仕事を妻が行えば、一般社員の給与をもらい、
娘達が社会人になれば離婚は確実であろう。
別れたくても別れられない妻が哀れだった。
妻は誰のものだろう?。僕のものではない。
しかし妻が死ぬと、妻のものを処分するのは夫だ。
夫はどうあるべきか?
夫とはなんだろう。
マサとは隠れた肉体関係がある。
眠れないほど気になっている。
決定的な証拠をつかみたいと思った。
僕は後悔した。
妻に対して監視していないフリができなかった。
冷静になれず、妻に監視されていると思わせてしまった。
妻は始終警戒している。
妻を泳がせておいて、決定的な肉体関係の証拠を見つけるのが難しくなった。
一月十八日(金)
いたたまれないフラッシュバックが襲ってきた。
在宅の妻に二回も電話する。
妻はマサを僕に会わせたのを
「後悔している。会わせたのは失敗だった」と、言った。
オケでマサの推薦を受けてコンマスに返り咲き、
常に相談相手になってもらい応援してもらった。
「人間的に好きだ。マサはせまってこなかった。だから会っていた」と妻は言う。
酒もタバコも二人に共通で大好き、夫が入る余地がない。
同じ趣味嗜好がないのは夫婦間に隙間風を吹かせてゆく。
隙間に見事にマサが入ってきた。よくある不倫のパターンだ。
夫婦で共通しているのはファッションの好みだろうか。
二人共ヨーロピアンスタイルで、ニコル風が好きだった。
二十歳代からヴィトンのバッグ、シャネルのトワレを共に愛用していた。
妻は僕が若い頃着ていたシャツを大事に持っていた。
最初のデートの頃のシャツがお気に入りで、
僕より僕の着ていたチャコールグレイのタペストリー柄のシャツに恋したのかもしれない。
着ていた頃のあなたが好きよという顔をしていた。
一月十九日(土)
オケ練習日で、出かけるときに妻が警戒していた。
尾行されて練習先で監視されると思っている。
自宅から池袋駅はバスで三つ目だが、
今日は車で送ってほしい、
西武デパートに寄ってオケメンバーに菓子の差し入れをしたいと言う。
妻の定番の菓子はベルンのミルフィーユ。
十五時頃、先にマンションの駐車場へ行く。
妻はすぐに来ないで遅れて追いついた。
マサに電話したのだろう。
十八時頃に妻から自宅へ電話がある。
僕が練習先にいないか自宅なのか確認している。
二十二時頃に妻から今練習が終わったと電話があった。
帰って来た妻にマサとは、どういう話で終わりにしたかたずねた。
休憩時に、妻が「もう二人では会えない」と言ったという。
マサは「わかった、わかった」と言ったそうだ。
妻は練習の後の飲み会に参加しないで帰ってきた。
不満そうだったので二人で家で飲む。僕が酔っぱらってしまった。
一月二十日
妻に、また尋ねた。
十二月二十六日の師走で忙しいときに、
なぜ二人で飲みに行ったのか?
妻は言った。
「練習ができないのでコンマスをどうするか、悩みの相談よ。
オケのことだからパパに相談できない。
十二月二十二日はオケの忘年会で話ができないし、
いろいろと相談したいことがたまったの」
目撃の日、もし二人が既に肉体関係があればコトとなる。
二十時から二十四時の疑惑の四時間、妻は飲んでいたのは事実で、酔っていた。
飲めば二時間以上は飲む。
二十三時はどこから電話したのか?
十五年も一緒にいる。顔や気配でわかる。
以心伝心だ。嘘をついているのがわかる。
妻の特徴的なトイレットペーパーの取り出し音を聞き分けられる。
タバコの吸殻の形質で妻が吸ったのだとわかる。
髪のうなじの匂いで妻なのかわかる。
マクラを嗅ぐだけで妻が寝ていたとわかる。
妻がトイレを我慢している。腰の雰囲気でわかってしまう。
「はやくトイレに行きなよ」と僕が言うと、
「わかる?行ってくるね」とかけだす妻がいた。
僕はコキュになったのだろうか。
一月二十三日
疑惑の調査を行った。
目撃の十二月二十六日は山手線大塚駅で待ち合わせして
「寿し常」で飲んだという。現場に行ってみた。
マサの名刺から海浜幕張に勤めている。
時刻表から推定すると、仕事が終わって十九時十九分発に乗れば、
二十時に十七分大塚駅に着く。
大塚駅での待ち合わせは二十時半過ぎだろう。妻の証言通りの時間だ。
二十三時前に自宅に帰ると僕に電話した。
二十二時半に店のオーダーストップだと妻が言っていた。
「寿し常」に行き、店の人にたずねて確認したら、間違いなかった。
店内を見渡して、妻が電話したのはどこだろうと思った。
静かな音を思い出してどのあたりか探った。
二階で飲んだのだろう。
なぜか妻が電話する情景が浮かんだ。
大塚駅のはずれの空蝉橋にあるラブホテルが気になった。
目撃の日に二人を最初に発見した場所。
二人は腕を組んで小路から現れた。
小路の先には空蝉橋があった。
妻の証言によると、キスは公園だという。
公園で友人に電話したという。
友人が母を亡くし、兄だけになったのを不憫に思い、
今夜は線香をあげられなかったと、妻は涙を流したという。
妻がマサの前で涙を見せた。キスになった理由のようだ。
確かに帰って来た妻は泣きはらしていたし、酔ってもいた。
僕はマサの前に立ちふさがり凝視した。
マサも千鳥足状態にあった。
酔っていたので店に入って飲んだのは確かだろう。
約二時間は飲んでいてもおかしくないだろう。
店から歩いて二十分もしないで帰れるのに、
帰ると電話した。残りの約一時間はなにをしていたのだろう。
二人は酔っていた。酔い覚ましに散歩したのだろうか?
友人宅に線香をあげに行く外出なので酒臭い帰宅ではすまされない。
自宅に戻ったのが二十四時前だ。
二人は自宅周辺を約一時間、何周もしているのだろうか。
友人宅からの帰宅時間は約一時間を要する。
妻の目撃日の行動は謎のままだ。
愛の行為をするなら妻はラブホテルでなくてシティーホテルを選ぶだろう。
妻が大塚のシティホテルに泊まると言ったのを思い出した。
長女と喧嘩した。長女とは一緒に暮らしたくないと妻は言った。
不倫などありえないと思った頃だった。
マサとの愛の行為をするのにうってつけだ。
長女は妻を追いかけて妻と二人でホテルに泊まった。
妻の不倫を長女は詮索していた。
長女は僕より先に不倫妻になった母を心配していたのだ。
僕は大塚駅前のシティホテルのロビーに入り、
何か感じるものがあるかと思った。何もなかった。
何度もマサとホテルのベッドに沈む関係なら、
地元のホテルを利用するだろうか?
一月二十四日
妻は、二度とマサとは連絡をとらないと誓った。
だからオケの活動を許したのだが、
何度もマサに電話していた。
マサと会っているという妄想が、頭の中をフラッシュバックする。
二人が自宅の周辺を回っていた光景と交錯する。
肉体関係はあったと思う。マサが、しつこく誘ったのだろう。
一月二十五日(金)
夜、飲み過ぎて、酔いに任せて妻に詰問した。
「関係したんだろう。正直に言ってくれよ」
「あの人は、せまらなかった。だから会っていたの」
「家に呼ぶなんて、最低だよ」
「わたしはじゃじゃ馬だと思われているの。
家の中は荒れ放題だと思われているの。
だから、家の中を見せてやりたかったのよ」
妻の異常なほどの綺麗好きに、マサは驚いたと思う。
妻はマサからじゃじゃ馬、お転婆で、家事なんかできそうにもないと揶揄されていた。
家事をこなしていると証明したかったのかもしれない。
妻の若い頃の写真を見ると不良だ。
親戚から二十代の妻の話を聞くと
家事なんかできそうもないと思われている。
男兄弟の中で育った。男まさりの女性だ。
タバコや酒などは男性並みに嗜む。無口な女性だった。
妻は言った。
「ねえ、お互い、家を恋愛事に使うのはルール違反よ。
それだけは守って」
矛盾する自分勝手なルールだと僕は思った。
一月二十六日(土)
裏切られた怒りや失望は、妻とのコトで解消されそうで、解消されそうもない。
怒りが爆発しそうで爆発しないのは、母のおかげだ。
毎日のように相談して、妻の愚痴も聞いてもらっている。
聞いてもらうだけで落ち着いた。
母は言う。年齢からして再婚は難しい。
絶対離婚するな。
僕も思う。再婚は難しいので妻と妥協していこう。
妻が離婚すると言っても絶対に離婚しないと居直ろう。
一月二十七日(日)
オケの練習から夕方帰ってきた。
妻は練習後に飲みに行かないという約束を撤回したいと言ってきた。
練習後に酒を飲まないのが辛いようだ。
妻は言った。
「月に一回は飲みに行く。マサと仲良くするのが、どこが悪いんだ」
僕はそれを聞いて、頭の拳銃に怒りの銃弾を込めていった。
一月二十八日(月)
昨夜からの怒りの銃弾の詰め込みは終わった。
撃たないと、次の銃弾がこぼれてくる。
銃弾は妻へのメールとなって発射された。
「今日までにわかった事項
一.貴方は浮気する女性
二.酒が好きで、飲むと、男がほしくなる。
三.私への不満を、他の男に求めて解消する。
四.夫に対して、簡単に嘘をつく。
五.私との約束を破ってマサと会っている。
マサとの接触はしないでください。
破った場合は、オケの人たちに不倫の事実を暴露します。
親戚に公表する。
マサを損害賠償で訴える。
マサの奥さんに不倫の件を伝えます」
メールを読んだ妻が「離婚よ!」と、
帰宅した僕を待ち受けて言い放った。
離婚よと言った妻に対して
「僕は、離婚はしない、絶対しない」と言った。
妻は意外な顔をしていた。
「怒ったなら、謝るよ。ごめん」と、深々と頭を下げた。
「まったくプライドがない人ね」と妻に言われた。
離婚すれば暴露されて妻の方に立場がないが、
母の言う通りにした。
土下座して謝れと言われれば土下座しただろう。
悪いとは思っていないが、相手の怒りを静めるにはひたすら謝る。
プライドは僕の中にある。土下座は謝罪の手段である。
土下座で僕のプライドはなくならない。
妻の管理ができずに不倫された。
僕のプライドは傷ついた。
管理不行き届きだと思われ、
オケのメンバーに笑われているだろう。
妻は家を出て行くかと思ったが、出て行きそうもない。
いつもの無口の妻に戻った。
二十時頃だろうか、母から電話があった。
メールした件を妻は母に報告していたのだ。
母が心配で上京するというので、来ないでいいと言った。
妻が自分の思いどおりに外で飲んで男と親しくしたい。
要求が通らないと離婚という。
就寝前だったと思う。妻が言った。
「今後浮気はしないとは約束できない」
よほどメールが癪にさわったようで僕に毒を吐いた。
妻が離婚しない理由を考えた。
住んでいる新築マンションが気に入っている。
上池袋のマンションにマサを呼んだのは自慢したかったのだろうか。
女性は家に居つくという。夫より住居が一番。
車もある。妻は僕よりドライブが好きだ。
猫を二匹も飼って、娘二人、稽古用のピアノとレッスンのできる部屋。
弟の子供二人と同居している実家には帰れない。
逃げ場がないのだ。
離婚すればオケで僕に爆弾発言をされてオケにいられなくなる可能性がある。
十五年の結婚生活での情の重みもあるだろう、
マサの一件がなければ喧嘩などありえない。
妻が意外な発言をした。
「私が離婚したら、パパは死ぬわ」
確かに死のうと思った。心の中で妻を殺して乗り越えた。
もう僕の愛する妻はいないのだ。
一月二十九日
十四時に妻と桜木町駅で待ち合わせした。
妻は絵画が好きだ。
横浜美術館に行くというので付き合った。
美術館の前に遅いランチをして、
コーヒーを飲みながら条件交渉となる。
オケに行った後に飲みに行きたいと妻は言う。
昨日の離婚発言で、僕は飲みに行くのを了解するしかなかった。
美術館に入り、ひととおり観てまわる。
妻と美術館に入ったのは、思えばイタリア旅行以来だった。
妻は外出すると道草するのが好きだ。
Bのバイオリン工房に立ち寄る。
オケでは弟のような存在のBで、
コンマス候補と認める腕だそうだ。
口ひげをはやし気難しい顔をしていてバイオリンを製作していた。
特注の左手用のバイオリンがあった。
妻が器用に左手でバイオリンを弾いた。
僕とBは十秒も口を開いたままだった。
帰って家事を手伝った。
離婚後の生活と、今の妥協の生活を比較した。
どうみても妥協の生活がいい。
母は霊感がある。父も従っていた。
先が読めるのだ。僕は母の離婚するなに従った。
マサ以外では、なにも問題のない妻だった。
妻に寄り添い、離婚をなるべく遅らせる。
母に電話すると、母は妻について述べた。
「さびしがっとるよ。その男は十七年前に交際していた人。
あなたと違って癒し系タイプたい」と言った。
妻が僕を好きではないのは理解した。
妻の冷たい態度は、目撃以前から見受けられた。
僕の中で妻への思いは崩れて行った。
みせかけの思いやりでつなぎとめている。
心で殺した妻を失うのがこわいのだ。心はもう冷め出している。
今すぐの離婚じゃなく徐々に離陸できるようにしよう。
妻が外へ出ているときは家事を手伝い。
娘たちのめんどうも無関心だったが、みないといけない。
僕は救われた点もあった。
妻に寄り添いサポートすると決意しておきながら、
矛盾する考えだが、妻から解放されたのだ。
妻に対しての夫としての責任を感じなくてよくなった。
僕が失業しても妻に済まないと思う必要はない。
がんばって仕事をしなくていいと思った。
皮肉にも仕事は順調だった。
責任がなくなり随分軽くなった。夫として妻を守る必要がない。
なにをしようと自由だ。
僕に愛人ができたら円満に離婚できる。
裏切った妻には、なにひとつ文句が言えないのだ。
「君は結婚式のときに教会で宣誓した誓いを破った。
結婚を破綻させたのは君だ」と言われても妻は反論できなかった。
一月三十日
出社前に、話し合った。
離婚したら僕が出ていってもらう予定だったそうだ。
オケとして皆でやっていくためには、飲み会の付き合いが大切なのはわかった。
僕が帰宅すると、妻が東京フィルの演奏を芸術劇場に聞きに行くというので、
予定ではなかったが同行した。
劇場に入ると、妻は双眼鏡で憧れのオケのトレーナーでもある、
コンマスのNをしきりに見ていた。
男好きにはあきれてしまったが、母が言ったのを思い出した。
妻は恋愛体質、恋をしていたいタイプなのだ。
妻は「今の貴方は前の貴方とは変わってしまい、
なんだか別の人のようだ」と言った。
妻に寄り添いすぎかもしれない。
一月三十一日
母とは毎日のように電話している。
悔いが残らないように妻に寄り添い、話をじっくり聞きなさい。
今年一年は頑張れと母から助言をもらった。
妻が言った。マサとはタイムスリップしてしまった。
なぜキスぐらいが悪いのか?
マサと結婚しなかったのは、家庭が複雑で厳格で、
嫁に行くと苦労するからだと言った。
________________
##07 李下に冠を正さず
二月二日(土)
妻は夜九時までオケの練習だった。
大塚駅のプラットフォームまで迎えに行って妻を怒らせた。
二月三日(日)
今日も妻はオケの練習で、池袋駅まで車で送って行く。
妻は、オケの仲間に茶菓子を買って行くと言って
西武デパート方面へ向かった。
見送ってしばらくして妻から電話がくる。
尾行されていないかの確認のようだ。
十八時頃、練習を終えて帰宅した妻に言った。
「オケをやめてくれないか。彼の影がつきまとうんだ。
李下に冠を正さずという、ことわざを知っている?」
「なに、それ?」
「スモモの実のなっている木の下で、かんむり(冠)。
いわゆる帽子をかぶりなおそうとして、手を上げると、
スモモの実を盗むのかと疑われるから、
そこでは直すべきではないという意味さ」
妻は黙って聞いていた。
「つまり、かんむりがオケで、スモモの実は彼だ」
と僕は言った。
妻は反論しなかったが妻の沈黙攻撃にあった。
二月四日(月)
朝になって、妻が言った。
「オケはやめたくない。やめる理由がない。
自分はマサとは話していない」
僕は会社の昼休みに母に相談すると、
オケを辞めてもらう話を取り下げるなと励まされた。
夜帰宅すると、妻の反撃が始まった。
僕に対して、もう愛情がないと言う。
長女が名門中学に入っていなければ離婚していたと言う。
五年はオケをやらせてくれ。かわりに母の介護をするそうだ。
僕は反撃した。
「それほどオケが生きがいなのに。なぜ?オケで男に走るんだ」
妻は黙ってしまった。
僕は言った。
「決めたよ!オケは、やめてもらう」
妻は死刑宣告でもされたような顔になってしまった。
二月五日(火)
妻からの一月十日の告白メールで、
すでに愛していないと告げられているが、
夜はOK。洗濯掃除はしてくれる。
家庭内失恋している状態だが、愛していなくても、
夫婦をやっている以上、「オケはやめてもらう」と主張した。
僕は三つの作戦を立てた。
一.他のオケに移籍させる。
二.フルタイムの仕事を紹介する。
三.常に監視されていると思わせる。
妻は離婚すれば、生計を立てなければならず、
オケの活動はできなくなるのだ。
十九時からオケの打ち合わせに出かけると、
妻から携帯に電話があった。
僕のとった作戦は妻がオケで外出している間は、
家にいない作戦だ。
つまり妻に監視されていると思わせる。
尾行監視はせずに、夫がどこにいるかわからない状態を作って妻を不安にさせる。
オケの打ち合わせは二十二時までだという。
僕は外出した。
二十二時には家の付近まで戻り、
駐車場の車の中で妻の帰宅を待った。
二十三時過ぎに妻が自転車で帰って来た。
駐車場の隣にあるマンションの駐輪場に自転車を置くのを車から見ていた。
部屋に戻ったのを見届けて、十分程度して部屋に戻った。
妻から、嫌な顔をされた。
中学生の長女からは
「一回の浮気でネチネチとしつこい」と言われた。
娘からも言われるとは思わなかった。
妻の入れ知恵だろうか。
妻にパンフレットを渡した。他のオケの団員募集だ。
妻はパンフレットを見ないでテーブルに置いた。
今日の打ち合わせはオケ事務局長の新たな選任の件だったらしい。
オケには妻を慕う男性が数名いるらしい。
魅力ある妻を持つと不安ばかりがつきまとう。
二月六日(水)
愛していないという妻とベッドの深淵に。
終わって「俺はどんなことがあってもお前とは離婚しない」と言った。
複雑な気持ちだと妻は言った。
妻に僕の会社の事務員の仕事を紹介した。
妻を自立させよう。
いつまでも妻を自立させない夫ではいたくない。
嫌いな夫と同じ職場にいるなんて、
妻もどんな気持ちなのだろう。
どうして快諾したのか、わからない。
オケの退団を阻止しようと考えている妻だが、
今の現実を考えると、
退団したくないと、思いっきり言えないようだ。
来週、外で食事しようかと言ったが、妻に無視された。
娘には今度食べに行こうかと言っている。
また僕への攻撃を娘らにさせるためか?
オケ退団に踏み切れないで、苦悩している妻。
長女にはストーカーと言われた。父親のプライドは消失している。
妻が携帯電話を盗み見されないように、常に離さないのは、
マサとの関係が続いている証明だと思うが、
妻はわからない。
「お風呂に入っている場合も携帯を風呂場まで持って行け」
と皮肉を言った。
二月七日(木)
面接が終わり、僕と同じ会社での妻の正式採用が決まった。
妻は反対しないで、むしろ喜んでいるように思えた。
もらう給与で自活できるからだろう。
二月八日
僕の小遣いの三倍以上になる妻の交際費用を捻出するために、
仕事はしたくないと思った。
飲み代、七種類の高い香水や化粧品、月5万円以上の携帯電話料金。
コップを割りたくなる気持ちになってくる。
「明日のオケの練習後に飲んできていい?」
と妻はたずねてきた。
僕が黙っていると。
「二月の退団は無理。定演が終わった五月に延期させて!」と、妻が要求をしてきた。
「飲みには行かないと言ったよね?」と僕が言うと、
妻は大声で、「もうこの話はしない」と言った。
かわすのが、うまいなあと思っていると、十秒経過した頃、
「私みたいな派手な外向きの女性と結婚して後悔しているでしょ?」
と、言ってきた。
僕もかわそうと、なにも答えなかった。
二月九日(土)
オケの練習日だった。
妻はオケをやめたくない、僕はやめさせたい。
練習から帰宅した妻との口論が始まった。
「オケをやめさせて彼との縁を切りたいのね」
と妻が言った。
「そのとおり」と僕は答えた。
「今日から送迎をやめるよ」と言ったら、
妻は目を見開き驚きの表情をした。
送迎しない。妻から行方をくらました方が効果がある。
妻はオケの練習に行っても監視されているかと思うと、
妻は不安になるだろう。
「あなたのことが、よくわかった、ひどい。
ねえ! 昔のあなたに戻ってもらえない。
いきなり!こちらを向かれても困る」
妻を放し飼いにしていた。
一切干渉せずに、朝の挨拶とベッドの深淵だけでつながっていた。
目撃から四十五日目になった。
マサとの不倫が終わっていないような気がする。
「どうしても飲みに行きたいならチェックだ。携帯電話を見せてほしい」
妻はためらいもなく僕に携帯電話を見せた。
僕は携帯電話の受発信履歴画面をのぞいて言った。
「なぜ、履歴がゼロなんだ。なぜ全部クリアーした?」
妻は無言のまま夜中なのに家を出て行ってしまった。
出て行った妻を僕は追いかけなかった。
一時間もしないで深夜二時頃に帰って来た。
僕が追いかけてくると思ったのだろうか?
追いかけて家に戻るのを条件にしたい。
オケをやめなくてよいと約束させたかったのだろうか?
戻った理由はなんだろう?
派手にお金を使う妻に一度も文句は言わなかった。
母の教えかもしれないが、
結婚したら片目をつぶれと言われて僕は守った。
小言や愚痴を言ったり、詮索するのが嫌いなのは、
お互いに似ていた。姑問題も皆無だった。
父母は、でしゃばらない。口出しもしない。
盆正月に必ず帰省する必要もない。
二月十三日
妻が僕の職場での初仕事となった。
社員数六百名程の会社だが、スモールオフィスを各拠点に置くスタイルをとっていた。
妻は秋葉原にあった営業所の、
総務および経理補助の仕事を担当する。
営業所の社員はシステム技術者で、
大手ソフト会社へ常駐させており、
五名程度しか社内にはいない。
社内常駐者は外回りが多く、会社では妻一人の時間が多かった。
週三日の出勤で、仕事は月末の締めのときが忙しかった。
一ヶ月間は前任者の引継ぎがあった。
事務で必要な表計算ソフトのエクセルを妻に教えた。
筋がいいのか、すぐにマスターしていった。
妻は仕事を家に持ち込むタイプだった。
気がつけば会社の仕事をやっていた。
明日の仕事の準備もかかさない。
妻と一緒に帰宅するようになった。
妻が気になるお店によって一緒に夕飯をすませたり、
ときどきは娘を呼んで外食したり、食材の買い物に付き合ったりした。
僕は週に数回は夕食担当を勤めた。
二月二十三日
今日は僕が離婚を決意した日だった。
「昨日は彼に自宅から電話しただろう。
固定電話の履歴を見たんだ。
もう連絡しないと誓ったじゃないか」
「ああ、あれね。彼との電話は公私を区別している。
私的な会話はしてないわ」
「絶対電話しないと宣誓までして誓ったじゃないか」
妻は逆上して「やっぱり駄目ね、私達」
中学二年の長女も、小学五年の次女も僕らの口論を真剣に聞いていた。
僕は涙が出てきて止まらない。泣いてしまった。
「離婚はしないよ」と僕は言った。妻との決別の涙だった。
今すぐには離婚はしないが、将来は離婚をする決意の涙だった。
二月二十四日
妻はオケの練習日だった。
練習に行く前に「マサとは密談しないと誓約書を書いて!」と言ったら、
妻は「絶対書かない」と言った。
「誓約書を書いても、あなたは約束を守らない人だからね」と僕はこたえた。
妻は反論できなかった。
僕なら宣誓までして大嘘をついたらあわせる顔がない。
「わかった。それじゃ罰として、密談が発覚したら離婚はしないけど、
オケ活動は、やめてもらう」
妻は「ひどい、人間性が問われる」と言った。
今のオケは五月の定演でやめる。
妻のOKをもらった。
練習には次女が同行して、マサとの接触がなかったと報告してくれた。
妻はなにもなかったように僕に対して明るく振舞う。
不思議な女性だ。一筋縄では行かない女性。
宣誓までして嘘をついた。
人間として許せないが、今すぐ離婚すれば、娘たちも妻も僕さえつらい生活になる。
十五年続いた結婚生活だ。
別れるのも五年はかかるだろう。
妻も事務職をえて自活できれば離婚したいはずだ。
今はタンポポの種蒔き段階だ。自分だけじゃない。
妻も娘たちも無理なく飛んでいけるようにしよう。
妻は、次女が成人する頃には離婚するだろう。
妻は就職したので、収入が安定したら早まるかもしれない。
徐々に離婚準備をしていこう。
妻を見習ってダイエットをして若返りしよう。
食事制限を始めるようになった。
離婚されても男一人で生きていけるように練習していこう。
まずは自分の食べる分は自分で作る。
家庭内自炊を始めた。
精いっぱい妻に優しくしておこう。
別れていくときは、優しくあるべきだ。
夫婦間がもめればもめるほど、マサに相談する妻。
マサとは一度のキスだけだったようだ。
いや! キス以上と疑うのは僕だけのようで、
長女や母もキス以上はないと言う。
映画でも妻がキスだけだと主張しても、
夫は信じないのが一般的のようだ。
映画『マイ・ブラザー』でも、
信じない夫は精神的におかしくなってしまう。
映画『憧れのウェディング・ベル』でも、
妻が酔いに任せて他の男性とキスしただけで別れてしまう。
二月二十五日
妻が昨日の約束を忘れて、「オケはやめたくない。
オケの大事な親友と縁を切らせるのか?」と言ってきた。
僕があきれた顔をして答えないでいると、
「サオリに相談したの。
オケをやめなくていいと言っているわ。
サオリは、いつわたしが包丁で刺されるか心配している」と妻が言った。
「暴力をふるった方がいいのだろうか?
それが普通の男がすることかな?」と僕はたずねた。
「そんなことしたら、すぐ出て行く」
「でも、あの日、『馬鹿なことをするな、目を覚ませ。
わたしをぶってほしかった』と言ったじゃないか」
「たしかに言ったけど。暴力は、あなたらしくないわよね」
「とにかくオケはやめてもらう。五月の定演までと約束したじゃないか」
「お願いだから監視尾行はやめて」
「今まで騙され続けて、おかしくなった。
安心するまでは、じっくりと観察するよ」
三月七日
人生の一大事を救ってもらったビルオーナーの博文社長を表敬訪問した。
社長とはロックバンド仲間の紹介で知り合った。
年齢は六十歳前後で水戸出身の気骨のある性格だ。
「転職は落ち着きましたか?」と社長がたずねた。
「おかげさまで新しい会社で問題なくやってます。
それも優秀な弁護士を紹介してもらったおかげです」
「あの弁護士は最強ですな。自分は助けてもらったことはなかったですが。
あるビジネスのトラブルで、敵方の弁護士でした。
強敵です。見事に、こちらの弁護士が敗北してしまったのですよ」
「たしかに、あの弁護士を敵に回すと、負けますね。
社長に紹介してもらう前に、何名か自分で弁護士を探して相談しました。
弁護士は会社が言うのが妥当だと言うんですよ。
僕は妥当だとは思えない。
紹介していただいた弁護士に相談したら、見事な戦い方でした。
裁判前に会社が退職金一千万を払うと言ってきました」
「弁護士は、どんな手を使ったのですか?」
「訴訟するにあたり、会社の銀行口座の凍結というか差し押さえを、裁判所に仮申請したんですよ」
「ほ~、それをやられたら、会社の信用がた落ち。
つまり手形が不渡りになったのと同じことになりますな」
「そうなんですよ。会社は、もうグウの根もないんです。
賃金裁判は弱者救済で雇用側より労働者側を優先しますね」
僕は転職が多いのが欠点で、一千万の退職金を出すので、
やめてくれと言われ、退職に応じたわけだ。
有給消化で退職直前の一ヶ月は出社しなかった。
会社は仕事の引継ぎができていないとクレームをつけて退職金を払わない。
退職をするなと言ってきた。
弁護士の話をしているうちに、話すまいと思っていた妻の不倫を語り始めていた。
社長は黙って、僕の話を聞いてから、こう応えた。
「それは負けず嫌いな奥さんが、オーケストラ内でうまくやっていきたいという
打算で交際したのですよ。女は嫌いであれば同じ空気は吸いたくない。
どんなに困難があっても離婚しますよ。
家庭も守りたい。なんでもきっちりとしたい。男を利用したにすぎないのですよ」
社長は妻に面識もあった。他から夫婦問題で数多くの相談を受けていると思った。
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##8 夫婦が落ちついた
三月二十六日
妻は携帯電話を僕の前で無造作に置くようになったが、
また夫婦の危機的会話が始まった。
「私は家庭的ではないのね?」と妻が言い出した。
「それは取り消す。あなたは夫にわからなければ、何をやってもいいと思っている」
「そんな妻と、これからやっていけるの」
「そっちは、それを直す気はないのか?」
「やはり私は出て行こうかな。すこし別居した方がいいのでは?」
「それは離婚ということかい?」
「あなたは、出ていってほしいの?」
「俺は望まない」
「あなたは、いつ私を責めなくなるの?」
「逆だろう? 発覚後も彼と電話などして俺をいたぶっている。
反省しているとは思えない」
「これでも反省しているのだけれど。
彼に相談するのは、男の気持ちがわからないからよ」
「異性と会えば、その後は、どうなっていくかわかりきっているだろう。
磁石のようにくっつくだけだ」
「そんなことないわ」
「彼とはどんな付き合いをしていたんだ?」
「なにを言っても、いい訳になるので、なにも言わない」
「彼を人間的に好きだと言ったけれど。彼の奥さんをだましている男だよ」
三月三十日
今のオケをやめてもらうために、もっとメジャーなオケへの入団を勧めた。
オーディションとなった。受験曲はモーツアルトの曲だった。
自らを「アマデウス」と言うくらいに好きだった。家で練習を既に開始していた。
本日は、上野東京文化会館で妻のオーディションとなった。
四月十二日
妻は新しいオケのオーディションに合格して、今日から新オケの練習に参加した。
マサのいるオケを退団するのをためらっている。
僕の機嫌が良いと、妻は「オケはやめたくない」と言い出す。
「この前、五月定演で、やめると約束したじゃないか」
反論は不利だとわかると、黙ってしまう妻に僕は言った。
「まだ彼と電話しているんだろう」
「私が、信用できないのね」
「ああ、これからの行動を見ながら、ひとつずつ信用していくけど。
本当に交際していないと、誓えるか?」
妻は右手を出して裁判所で行うように誓うポーズをした。
四月二十七日
「今日の練習の後に飲み会に参加していい?」と妻がたずねてきた。
黙って聞いていると、「飲み会で退団の挨拶をするから、
帰宅は十一時過ぎる」と言った。
妻は本気でオケをやめると決意したようだ。
僕はうなずくだけだった。妻がオケをやめてくれる。
新しいオケでバイオリンが弾けるのが、せめてもの僕の償いだと思った。
頭の中で吹き荒れていた嵐がおさまった。
僕の変化に気づいたのは妻だった。退団の挨拶をした翌日だったと思う。
「彼は、なんと言っていた?」
「オケを続けるから、会ったのに」とマサは言ったそうだ。
黙って聞いている僕に、
「会わせたのは、一生の不覚よ、後悔している」
と妻は言った。
再び黙って聞いている僕の顔をみて「もう責めなくなったね」と言った。
四月二十九日
妻の手帳の予定欄に書かれた一文を見てしまった。
「夫婦落ち着いた。こんな結果 残念」
残念の意味はオケをやめた?
離婚しなかった?
僕には残念の意味がわからなかった。
妻の手帳をのぞいてしまうような男になってしまった。
心のハンカチーフは引きちぎられ、黒い染みが点々とある。
夫婦の不倫地獄を味わってしまった。
純情では夫婦生活が送れない。
山手線の大塚駅か池袋駅が自宅への最寄り駅だった。
池袋駅周辺の大混雑を避けて大塚駅を利用したりする。
大塚駅から自宅への帰宅コースだが、妻とマサが飲んで、
妻が帰ったコースでもある。
駅の北口を出て、小説『ノルウェイの森』の緑の小林書店があった商店街を通る。
小林書店があった場所の真向かいにあるのが、妻がマサと飲んだ店だ。
店を見ながら、僕はマサと妻が歩いたであろうラブラブコースをたどる。
あの公園だろうか?キスしたのは。なぜ痛ましいのだろうか?
なぜ不倫ごときで傷心した?
心にできた傷と、どううまく付き合うかが課題だった。
再び妻が言っていた。サオリからのアドバイスを思い返す。
「暴力を受けるよ。殺されるかもしれない。逃げた方がいい」
妻に乱暴した方がいいのだろうか?
夫の妻への愛情の表現なのだろうか?
暴力しないのがいけないのか悩んだ。
暴力できないので目撃後もマサと交際している。
妻になめられているのだろうか?
妻は言った。
「男のプライドを落として、ストーカーの真似までしても、
私を愛しているのよね」
映画『今日、恋をはじめます』で、不倫で悩んだ男が悟った言葉が身に染みる。
「許せないということは、愛しているということ」
ネットの不倫相談室で、妻とのバトル日記を掲載した。
「妻をなぜ開放しない。妻をイジメている。
お前は家庭内暴力者だ」
「おまえはストーカーだ」
「離婚しないのはずるい。奥さんがかわいそうだ」
特に男性から集中砲火を浴びた。
結婚して十七年目になった。
同じ会社で妻は事務職。僕は営業職。
仕事でやっと夫婦共通の話題ができた。
会社では最強のコンビだった。
僕と妻の共通の話題は子供だった。
お互いに喧嘩などしない。帰社は一緒が多かった。
妻は新しい店を見つけては、僕を誘って夕食をすました。
美人と歩くのは男にとって、女性が宝石やブランド品を自慢するのと同じだ。
妻は料理をすれば上手な方だが、家の中は綺麗にしていないと気がすまない。
妻は僕が見る度に、どこか掃除している。
食器とかキッチン周りの掃除を考えると
時間をかけた料理をする気にならないようだ。
妻は酒好きだから、食事は酒のツマミだと考えているようでもあった。
妻が凝った料理を作るなど考えられなかった。
餃子の皮から作る餃子。アサリの酒蒸し。
手巻き寿司など美味しかった。
食欲よりは掃除洗濯に夢中だった。
妻が何を考えているかわからなかった。
寡黙のときが多く、高倉健のような女性だと思った。
僕に「自立したら離婚するから」とは言わなかった。
髪を濃い茶に染めて、お金があるならばシワの整形をしたいと言った。
会社の喫煙エリアで男性社員と親しく話している。
美貌を最後まで保とうと努力を惜しまない妻。
いつまでも女優でいたいようだ。
妻が徐々に去っていくのを、僕は見守るしかない。
もしかしたら奇跡で、妻は離婚しないかもしれない。
僕は覚悟ができていた。
一生妻の恋愛におびえながらの生活も嫌だと思った。
井上陽水は、「ジェラシーは愛の裏側」と歌った。
嫉妬とはなにか?
妻が他の男と仲良くするのを嫌だと思うのは
嫉妬なのだろうか? 嫉妬はいけないのだろうか?
妻は夫のものなのか?
何度も何度も自分に問いかけて、
不倫で悩むドラマや書物を捜す日々を送った。
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##9 白血病
八月十四日
妻の目撃から二年と九ヶ月が経過した。
妻は下半身の異常出血で医者に行った。
「子宮頸ガン」の疑いがあるので、検査になった。
大学病院の検査で子宮頸ガンでなくて
血液ガンの疑いが濃厚になった。
昔から妻は低血圧だ。
医者から血が足りない体質だと言われていたという。
八月二十二日に骨髄検査をした。
九月四日には検査結果が出るという。
八月二十四日(日)
妻は悪寒がすると悲鳴をあげた。
体温を測ると三十九度で意識朦朧としていた。
約三十分で三十七度に戻った。
昨日の夕方も同じだった。
十三時過ぎに病院へ連れて行った。
血液検査で白血球が十六万以上と異常な数値となった。
致死するかもしれないと医者に言われて即入院した。
空き部屋がなく別館に入院。
十七時になり内科専門の七階無菌室に入る。
意識がない。
急性骨髄性白血病と確定した。
僕は夜になり家に戻って娘達に豚肉のお好み焼きを作って食べさせる。
八月二十五日(月)
とても暑い。仕事が終わり、夕方に病院へ。
A棟七一八号室の無菌病棟に入っている。
妻は悪寒はしない。
生理で困っていた。
医者は脳内出血しないで良かったと言った。
三、四日が勝負だそうだ。
二月頃に白血病を発症したという。
発症時期がわかるとは驚きだった。
妻が書いた入院日記
八月二十二日
骨髄検査の後、帰宅. いつもと変わらずすごす。
夜 耳の奥でシャンシャンという自分の血流みたいなのが
聞こえたので具合が悪いんだなと早く寝る。
八月二十三日
午前中に歯医者へ行く。
病気のことを少し話し、炎症のある歯は抜きたいと言うと、
今はどちらにしても手をつけられないので、
来週 先生と相談してからと言われた。
抗生剤(ケフレックス、ボルタシン)をもらって帰る。
夜 早めに寝たが 悪寒と震えが止まらず
次に三十九度の高熱が出た。
でも気持ちはしっかりしており、
熱が下がるとケロっとしてるので、更年期だろうか?
自分の体温調節がとれなくなってしまった。
交感神経 副交感神経 要するに
自律神経がおかしくなってきたんだろうか などと考える。
八月二十四日
朝から悪寒と発熱をくり返す。明らかに病状が悪い。
口の中もひどい状態、病院に電話。
病院では血液検査と胸と腹部のレントゲン。
二十二日の骨髄検査結果が出ていたようで、白血病らしい。
そうかと思った。
白血球が十九万まで上がっているので即入院と言われた。
普通は四千~八千。
いろんなことが気になるが、命を失いたくないのでおとなしく入院する。
夕方から化学療法が始まる。
抗ガン剤を夜になって注入。
患者一名に三名の医師がグループで付くことと、病気の説明があった。
八月二十五日
昨夜は眠れなかった。熱もあり、食欲なし。
悪いんだと自覚。会社のことが気になって、頭痛もする。
生理もきてしまった。
妻が入院して、僕は主夫になった。
自動食器洗い機と自動洗濯乾燥機を買った。
高校生と中学生の娘二人は当たり前のように主張した。
食べさせるのは親の義務だと。
僕は毎日の夕食だけは作った。朝昼は食事代を渡した。
おかずは一品しか提供できなかったけど。
長女と次女で、別々のおかずを作った。
一ヶ月の献立を決めて、きっちりとローテーションを守った。
献立で悩まないためだ。
学校に呼ばれた。
次女の不登校で先生に謝る回数が多くなった。
母親がいないと子供は歯車が狂う。ネジが緩んでしまう。
僕は娘を叱れない。父親失格を痛感した。
八月に入院。翌年の二月七日に妻の弟の血液でドナー移植。
六月十六日に退院した。
九月十六日に再入院して十一月三十日に退院。
治療費は月百万以上。
多い月で二百万を超えて全治療費は一千万を超えた。
僕は医者じゃなく、勝手な想像だが、
白血病とは造血細胞が白血病細胞に乗っ取られて、
武器を持たない白血球をインフレのように作っていく。
一人前の白血球(防衛軍)兵士になるためには、
教育とか訓練とか必要で、なかにはだめな兵士もいる。
立派な司令隊長と隊をなして、
体に侵入した病原菌や異物を撃退する。
白血病は兵士の教育訓練をする教官陣を壊滅させてしまう。
体の防衛軍司令官は白血球が送られてくるので戦える兵士とカン違いしてしまう。
兵士が無能だと、次の兵士を要求する。
異常な数の白血球に膨れ上がる。
体内に侵入する病原菌や異物を排除するのが白血球の役割だから、無能な白血球だと風邪などにかかれば無抵抗に死んでいくわけだ。
白血病治療には移植とか化学療法があるようだ。
妻は致死に近い状態で白血病とわかったので、
移植などの余裕がなく、
通常のガン治療と同じように抗ガン剤投与となった。
抗ガン剤って聞こえがいいが猛毒だ。
核爆弾みたいなものだ。
体にあるいろんな工場が全部破壊された。
妻は完全に脱毛して子宮頸ガンも治ってしまった。
白血病細胞に乗っ取られた造血工場も壊滅した。
新たな造血工場の再建となる。
再建中が危険だ。
体内に侵入する病原菌は白血球がないので排除できない。
侵入する病原菌で殺される。
無菌室にいても、百パーセントの無菌は無理だ。
空気中にただよう病原菌が体に進入してくる。
妻が最初にひっかけたのが肺に侵入した病原菌だった。
入院して化学療法で白血病細胞を叩いたが、
造血工場再建途中の十一月に肺炎になった。
進入したのは日本酒の麹菌の仲間(カビの一種、アスペルギルス)らしい。
酒豪の妻らしい、なんとも皮肉。
異物が肺に侵入すると、治療はできないと聞いた。
風船みたいな肺の手術はできないそうだ。
肺炎が治らず。
いつ呼吸不全で死ぬか不安の中、ドナー移植を決行した。
医師も悩んでいたが決行した。
移植は成功した。
肺炎で死ななかったのは奇跡だった。
ひっかけたアスペルギルスが腎臓に秘かに潜んでいた。
九月に再入院した。
腎臓炎となり暴れ出したからだ。
移植について妻の日記から
移植一日日目
二月六日 新しい命の宿った日
十一時過ぎに もう骨髄液がくる。
確か 九時に 採血開始と言ってた。
医師がやって来て言った。
「弟さん 若いので 多くとれました。
予定量は七百だったけど よくとれるので
千百cc いただきました。
多いほど 立ち上がりが早いですから」
骨髄液は輸血のときのようなパックに入っており、
けっこう サラサラしているように感じた。
若いので油があり、上面に、油の玉が浮いていた。
十一時半頃から落とし始めて十四時に終了した。
酸素をはかりながら、血圧も見ながら
とりあえず終了した。
おめでとうございます。やっとここまできた。
移植をどれほど望んだか。
一人になってパックを見上げたときに、
感激で、涙が出た。
今までずいぶん泣いたけど、今日の涙は違う。
新しい命が生まれたときの涙といっしょだ。
娘二人を産んだときの、あの涙だ。
新しい骨髄が立ち上がるまで約二週間。
一番 きびしい時期は これから やってくるけど
どんなに苦しくても 負けない!!
移植は、放射線で、妻の体内にある造血細胞をゼロにして、
弟の骨髄液に入れ替える。
白血球の型(HLA型)が一致したのは、
年の離れた二番目の弟だけだった。
脊髄から骨髄液をとるのだから、弟側にもリスクがあると知った。
半身不随になることもあるそうで、
弟は髄液をとったあとに入院した。
弟には三十万円を慰労金として進呈した。
白血病になった原因は、なんだろう。
四十歳代後半でフルタイムの仕事に就いたからだろう。
白血病は血液のガンだそうだ。
妻は酒豪で愛煙家。ガンになる確率は僕より三割増し。
ガンはストレスが一番の原因だという。
ストレスだとすると、
不倫問題で僕が責めてしまった。
僕が過去に不倫で悩んだ経験があれば責めなかっただろう。
悔いが残る。
不倫の結果がフルタイムの仕事に結びつく。
妻は極度の冷え性で、血が足りない体質もなにか影響があるかもしれない。
果物は病人が食べるものだと言って、
果物好きで毎日果物を食べる僕を批判した。
僕はラーメンには野菜や多くの具がないと食べられない。
「なぜ?具なしの麺だけのラーメンが好きなんだ。
理解できない」と妻に言った。
非難されるかもしれないが、妻が闘病で苦しんでいるのを見て、
僕が妻からプレゼントされた死ぬほどの苦しみを、
妻も病気をして苦しんでいると思った。
嘘をつかれるのが、どんなに残酷か、経験した人にしかわからないだろう。
十一月三十日に退院した。
妻は寝込まず。生きている幸福を味わっていた。
リハビリしながら娘のために弁当や食事を作っていくようになった。
全自動食器洗い機や全自動乾燥洗濯機には感動していた。
食洗器は食器を乾燥してくれて、ふきんで拭き取る必要がなく、
食器棚に入れるだけで済む。妻のお気に入りになった。
全自動洗濯乾燥機も便利で、雨の日は近くのコインランドリーに乾燥しに行っていた。
自宅に乾燥機がある。
一番のありがたみを痛感したのは妻だろう。
約一年、主夫をやったからいえる。
夫も家事を一ヶ月でもいいから全面的に行うと、
妻が購入を遠慮した2つの家電の必要性を感じるだろう。
早く買っておけば良かったと思った。
名前を変えると言う。妻の名前はひらがなの名前だった。
漢字にすると言う。改名については鑑定料を払ったようだ。
僕は反対した。亡き祖母からもらった名前だと聞いていたからだ。
読み方は変えなくても字体は変えてはならないと思った。
妻側が僕の反対に応じるわけがない。
妻の祖母は天国で怒って助けはしないだろうと思った。
改名前に奇跡で生還したのだから、なぜ改名する必要があるのだろう。
漢字の字面を見て不気味に思えた。
改名については家庭裁判所に申し立てをした。
家庭裁判所の許可が下りずに妻は勝手に保険証、年金手帳の名前を改名した。
僕は反対したので、僕には説明もなく妻の日記からわかった。
改名には罰則規定はないとも、妻の日記に書かれていた。
改名で、もめたのは病院だった。
病院からはレセプトが通らないかもしれないと言われた。
健康保険側から改名してもレセプトは問題ないとわかった。
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##10 再発
退院して十ヶ月が過ぎた頃の九月二十一日だった。
定期的に病院に検査に通っていた妻が泣いていた。
十月からの再入院が決まるという。
弟の血液への乗り変わりが少なく、弟のリンパ液のみの移植をするらしい。
妻は「ウィーンとパリに行きたい」と言っていた。
ヨーロッパにはイタリアに家族で行っただけだった。
「体の具合が安定したら、行ってこいよ」
妻の夢であったが、かなわずに、友人サオリと黒部峡への旅行に出かけた。
十月一日
昨夜旅行から帰って来て午後に入院した。
三日後、移植でGVHDがでなかったので退院する。
退院してからは、具合が悪くなく寝込まなかった。
白血病とは不思議な病気だ。
「そんなの、吸っているからガンになるんだ」と言ったからだろうか。
妻はタバコを吸うのをやめた。
オケの練習の後に飲んで帰る途中に具合がひどく悪くなったそうだ。
酒は病気になるだけ。なぜわからないのだろう?
一月三十一日
検査から帰った妻が、再び入院の可能性があると言われて落ち込んでいた。
泣き出して寄り添ってきた。妻のクールな牙城が崩れた。
二月六日
三十一日に受けた検査結果を聞く。
結論としては入院してミニ移植を行う。
脚に腫れ物がでてきてた。
まだ白血病細胞かわからない。
疑いが濃くて骨髄に入る前に叩きたいそうだ。
二月二十五日~二十六日
妻は一時帰宅して再び病院に戻る。
妻の後ろ姿は悲しかった。
元気に歩けるのに入院しなければならないとは残酷だ。
三月十一日
白血病が再発したそうだ。再移植が決まった。
三月十六日
千葉県印旛郡の病院に治療に行った妻を見舞う。
放射線の空きがなく、付属病院での放射線治療となった。
妻は文京区の病室から付属病院まで救急車で運ばれた。
四月六日
三月二十三日に再移植。抗癌剤投与も終わった。
腸が悪い。
毎日見舞いに行っているが下痢がとまらないと言う。
無菌室にいたが。今日は話せるようになった。
四月十一日
一番辛いのは口内炎のようだ。完治していない。
妻はお化けが出ると言う。
妻は無菌室にずっといて、独居室でもある。
「赤い服を着た女の子なの。とても臭いの。
暗い海に引き込もうとするの」
「どこだろう?」
「海岸なの。バスに乗ろうしているのに、
海に引きずり込もうとするの」
怖くて我慢できない、大部屋に移してくれと妻は嘆願した。
僕も看護師長に直訴した。
赤い服の女の子は誰だろう?
母の携帯に電話してたずねた。
「赤い服を着た女の子が出てきたって言ってる」
「その子はミユキかもしれんね」
母のカンはするどい。
父が仕事で逐一相談していた。
恐ろしいくらいに的中する。
妻に現れた赤い服を着た女の子だが、母は「お迎え」だと言った。
僕には助けにきたのだと思えた。
妻はミユキとは認識できずに、「お化け」だと言って嫌がっていた。
赤い服の女の子は誰なのだろう?
ニーチェは「真実なるものはない。ただ解釈だけがある」
と言った。
僕は真実とは人の後姿のようなものだと思っている。
人には自分の後姿が見えない。
運命の女神は前髪しかないのと同じで、
僕らの前に真実が現われても、わからないのだ。
通り過ぎたときに、後姿でわかるのだが、
もうすでにつかまえることができない。
人の後ろ姿を見ると嘘だとわかる。
真剣に誠実そうな顔をして嘘を言っても、
後姿はだませない、なぜか後姿は笑っているのだ。
後姿の演技ほど、難しいものはないだろう。
プロの嘘つきは後姿の演技も怠らない。
赤い女の子のお化けが出たという話を妻が語った日だった。
医者から骨髄移植して十七日だが、
妻の生命は三週間もたないと言われた。
脚に鹿の子のような斑点が出ていた。
白血病が再発したそうだ。
白血病の判定に、脚の斑点症状があるのを初めて知った。
四月十三日
妻の皮膚にGVHDが出て発熱したり、右ふくらはぎにはふたつの斑点、
左には多数の斑点がある。
白血病細胞が皮膚に平家の落人のように潜んでいたのだろうか?
骨髄検査をしたが、出血がなかなか止まらなかった。
妻は元気だった。
「あれから赤い服の女の子は、出てこない」と言ったが、
口内炎が治らないという。
自己免疫力の低下で、雑菌が多数いる口腔内が炎症しやすくなった。
四月十四日
妻は大部屋に移った。
相部屋になると昔同室だった患者が再入院していた。
お互いに情報交換となったらしい。
「亡くなったって。〇〇さん、ほら、あの人よ・・・」
と妻は僕に話した。
死亡者数は五名を超えて十名だったかもしれない。
白血病にかかると余命というラベルが人に貼られてしまう。
再入院で会った女性も、妻より先に亡くなった。
四月二十日
妻の気がふれたのではないかと思った。
クールを装う妻が、少女のようなハイテンションになった。
「今日は屋上で日向ぼっこしたの。退院したらお弁当持って、公園デートしようね」
「公園って」と僕はたずねた。
「屋上から公園が見えたの。退院したら行こうね。行こうね」
信じられないような笑顔だ。
十代の乙女に戻ったように思えた。
僕に対して言っているのだろうか?
「屋上から見えた公園は谷中方面だね」
「谷中なの?」
「方向からして、おそらく」
「谷中って、谷中銀座よね。
猫さん、いっぱいいるでしょう」
「そう。谷中から(病院に)来ているのだけど、
夕焼けだんだん坂は雰囲気がいいし、
野良猫がいっぱいいるね」
「そっちからきているの?」
「そうだよ。電車の乗り換えをしたくないので、
日暮里駅から歩いている。
谷中銀座って浅草みたいで、気安く入れそうな店が多いね。
そうだ!テレビで紹介していたメンチカツで有名な店を見つけたから買ってくるよ」
「わ〜い。メンチ、大好き」
メンチやツクネなどの練り系が妻の好物。
妻のリクエストに応えて、駒込駅にある妻のお気に入りのパンや、
谷中銀座で調達したキュウリ巻きなどを持参した。
________________
##11 麻薬でグッド・バイ
五月二十日
妻は一時帰宅となった。
普通に歩ける状態ではなく、戻り先は実家となった。
入院期間の調整だ。
妻の状態では治療しても治らない。
医者から終末ホスピスの病院を探す話になった。
六月七日に再入院した。
サイトメガロウイルスが暴れだした。
昔からあるウイルスで普通に人の中にいるそうだ。
健康であれば感染しても症状が出ないウイルスだが、
免疫がゼロに近くなると猛威をふるうようだ。
妻が言っていたが、白血病にさせる細菌も普通に人は持っている。
発病するか、しないかだけだそうだ。
再入院先は同じ病院で安堵したが病棟が違った。
弟からDVDプレイヤーを借りた。
妻は映画が観たいという。
「なにか、オススメの映画はある?」と妻がたずねた。
妻は田村正和のファンで、
田村出演のテレビドラマや映画はほとんど観ていた。
「おすすめある?」と妻が聞いた。
「一番好きな映画は『ショーシャンクの空に』だよ。
今度、持って来るよ」と僕は言った。
『ショーシャンクの空に』を持っていった翌日の妻の顔は今でも忘れない。
まだ私を苦しめるつもり?
妻は落ち込んでいた。
映画の感想はノーコメントだった。
長年一緒なので顔色でわかる。
映画の内容を思い返した。
『ショーシャンクの空に』は脚本ではナンバーワンだと思っている。
スティーヴン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワース』の映画化だが、
実話じゃないそうで、原作小説は味気ない。創話の妙は神業だ。
感動するのは絶望を超えて生き抜いていくところだ。
次のセリフが有名だ。
「人間の心は、石コロでできているわけじゃない。
心の中にはあるのさ。
他人には奪えないものが、お前の心にもな」
「なんなんだ?それは」
「希望だよ」
世界レベルでのネット映画ファン投票、おそらく十億人以上でナンバーワンの作品だ。
僕は主人公が刑務所に入ってからの印象しかなかった。
再見してわかった。前半に問題があったのだ。
主人公は不倫妻を殺して刑務所に入るのだ。
すっかり忘れていた。皮肉すぎる。
六月十二日
下痢が止まらないと言う。
点滴の針を刺す場所がなくなり、
胸に穴を開けようとして肺を傷つけて気胸となった。
妻は医療ミスだと泣き出していた。
腸のサイトメガロウイルス、肺のアスペルギルスは治りかけている。
六月十六日
結婚満二十周年だが、忘れ去られている。
気胸、肺に侵入したアスペルギルス、
腸に侵入したサイトメガロウイルスは退治できたが下痢が続く。
七月三日
妻はストレスがたまっている。
担当看護師の対応が気にくわないようで癇癪を起こした。
肺炎を起こしてしまった。
下痢は少し良くなるが唾液が出ないという。
七月六日
丸山ワクチンの説明を受けるために、
妻を車椅子に乗せて別の棟にある「丸山ワクチン療法研究所」に移動した。
大学病院でも孤立しているようで、関係者は医師ではなく、
丸山ワクチン信者だった。
患者側で団体をつくって運営されているように思えた。
白血病で病院に緊急入院した頃に、知り合った患者に言われた。
「最後は丸山ワクチンがある」という言葉が妻のなかにあった。
担当の医師は丸山ワクチンに関しては否定的だった。
丸山ワクチンの説明会に出席した。
「結核になるとガンにならない」という点に着目して丸山ワクチンの研究がなされた。
医療では異端視扱いされているようだ。
すがる思いだったが、退院した昨年の健康時に投与していたら効果があったと思った。
七月十一日
妻の容態が急変して意識がなくなってしまった。
アスペルの肺炎は新薬投与で劇的に治りつつあるという。
七月十三日
十一日から眠り姫になっていたが、意識が回復した。
原因はビタミン不足だと言われた。
再び妻の体で点滴する場所がなくなった。
胸付近からとろうとして、間違って肺に穴を開けたり、小さい医療の不手際が続いた。
妻がいる病棟の部隊は治療というよりは延命処置の部隊。
野球でいうと敗戦処理専門で、会社では不要書類をひたすらシュレッダーに入れるだけのセクションに思えた。
肺のサイトメガロウイルスが復活した。
普通は心臓から弱るらしいが妻の心臓は人より頑丈だと医者は太鼓判を押したので、死神は肺に向かう。
天気は七月なのに、梅雨があけず、雨がずっと降っていた。
七月十六日
妻の誕生日だが、もうそれどころではない。
丸山ワクチンがやってきた、九千四百五十円、四十日分、
薬ではないようでその場で支払った。
注射は医者が行う不思議、奇跡を願うだけだ。
「丸山ワクチン打ったぞ」と妻に言ったが、反応がない。
医者が妻はわかっていると言っていた。
七月十八日
担当医師からあと二、三週間と言われた。
白血病細胞が多くなったそうだ。
肺に水が溜まり出して、肺呼吸ができずに死ぬようだ。
七月十九日
妻に告知した。残酷だが、僕だったら告知してほしいので、
「あと三ヶ月だ」と妻に告げた。
僕は嘘をついた、あと数週間の命なのに。
「どうなったの?」と妻がたずねた。
「白血病が復活したんだよ」
妻は泣くようでもなく、平静だった。
「なにか言い残すことはない?」
「なにもない」
「お墓に持っていくときの、花は何がいい?」
「ユリにして・・・」
痛み止めに麻薬を使い出していて、ラリっていて、
ビートルズの『ヘイジュード』状態なのだろう、
「悲しいことも考えによってはベターになる」
五七〇号室から五七五号室へ部屋が空いたので移動する。
五七〇号室では良いことが起こらないので場所をかえてほしいと希望したのが通った。
妻は移動しただけで吐いた。青黒い液体だった。
七月二十日
酸素マスクと、生命維持装置が付けられていて、
機械音がしている。
妻との会話のキャッチボールができなくなった。
麻薬の影響だ。
ひとこと話すと、しばらくは、とろとろとしている。
突然「オー」と言ったり、突然目が覚めて話せたりする。
目ははっきり見えないようだ。
「下痢が治らないね」と僕が言うと、
「それはストレスのせい?」
僕が答えないと「泣いているの?」と妻がたずねた。
「いや、俺は泣いていない」
僕は思った。
麻薬で痛みを抑えて、ラリッタ状態で逝ってしまうのか?
一日おきの丸山ワクチンを打つ、奇跡を願うだけだ。
七月二十一日
今日も雨。医者からあと二日はもたないと言われた。
七月二十二日 雨
妻の父母兄弟親戚が夜には大集合した。
結婚式以来、二十年ぶりに会う親戚も数名いた。
妻は麻薬漬けになっていて、ファミリーが集合していても反応しない。
医者に聞くと妻はわかっているというが、
酸素マスクをして眠り姫になってるとしか見えない。
一度だけだが、突然に目が覚めて、
タクトを振るような仕草をした。
好きな曲が妻の頭の中で流れたようだ。
妻は麻薬で上機嫌の表情になるが、
会話できる状態ではない。
今夜は、僕と妻の弟らと病院に泊まる。
泊まるといっても、ベッド付近にある椅子に座るか、
廊下の長椅子に移動したりするだけだ。
夜だった。
個室ではないので、病室内に瀕死の患者のあえぎ声が聞こえてきた。
数日で死ぬのを待つだけの臨終病棟だ。
男性の声は今も忘れない。痛々しそうに悲鳴をあげている声だ。
断末魔をあげている。早朝には男性の顔には白い布がかぶさっていた。
七月二十三日 雨
妻は眠っているだけで、まったく反応なし。
生命維持装置だけがビートしている。
今夜は交替で次女が単独で泊まる。
七月二十四日 雨
徹夜の次女と午前中に交替した。
長女が来るまで反応のない妻を見守る。
今夜は長女一人で病院に泊まる。
娘二名は母の今の現実を見たくないのだ。
現実から逃げ出したいのだ。
七月二十五日 雨
午前中は会社で、十三時から徹夜の長女と交代する。
妻は眠っているだけだった。
七月二十六日 晴れ
午前中に妻の学友二名が見舞って帰っていった。
僕一人になったのは十一時過ぎ頃だった。
生命維持装置が終わりを告げた。
医者に知らせるとかけつけて、妻の脈をみた。
「十一時二十八分、ご臨終です」と言った。
とうとう「ユリの花」以外に、妻とは何も話せなかった。
麻薬づけで思考も言語能力もゼロだった。
最後の言葉は聞けなかった。
妻が死亡した直後に、僕は病院の天井を見上げた。
霊はのぼるという。僕は病院の天井に向かって、
手をあげてバイバイした。
看護師がやって来た。僕は数メートル、ベッドから離れた。
カーテンをオープンにしたままで、看護師は妻を全裸にした。
なつかしい日本人ばなれした長い脚、そして下半身。
看護師は消毒処理を開始した。
もう人間ではないのだろう。
下半身が個室ではない病室の中でさらけだされている。
僕は妻が看護師以外の他人に見られないように僕の体を隠した。
妻は寝巻きを着せられ、白い布で顔をカバーされた。
母からの警告
母に初めて妻を紹介したときに、妻は短命と見抜いていた。
妻を見て「この子は、弱かよ」と、母は僕に耳打ちした。
「わたしは母譲りで病気などしない」が妻の自慢だった。
健康な妻の母を引き継いでいると思っていたようだ。
たしかに妻は白血病以外では、一度も熱が出て寝こまなかった。
今思うと気合だけで生きていたのかもしれない。
僕の方は何度も寝込んだ。
妻が嫌う休日は昼までゴロゴロして寝ていた。
思えば、妻は産婦人科に通い、長女次女の出産で約一年。
白血病を加えると、約三年間は入院しているのだ。
妻が事務職として働き出した頃だった。
妻の「命が危ない」と母から何回も警告されていた。
日記に書いた母の言葉を、なぜ?スルーしていたのだろう。
悔いが残る。
妻は沈没タイプだった。妻に言った。
「なにかひとつだけ、とても大事なものが抜ける、
他はすべてに完璧なんだけど、大事を見失う。あなたはそのような女性だ。
逆に僕はすべてに抜けていて、不完全だけど、
ひとつの大事だけは見失わない」
沈没しようとする客船タイタニック号に、例えると、
妻は船上でバイオリンを弾いて、
まだ完璧に弾けていないと格闘して、
船とともに沈没してしまうのだ。
五十一歳で逝った妻の日記から
三月二十四日の移植、二年後の二月六日。
二度目の移植の日となった。
なんでこんな病気に なったんだろう?
一生懸命 子供を 育てて 仕事もがんばって
夏に子宮とったら、少し仕事もセーブして自分を楽しもうとした矢先だった。
ただ ただ くやしい。
病気は人から希望とか 夢とか 生活の基礎となる仕事までを奪っていく。
病気して得たものはなんだろう?」
妻は無念だっただろう。
妻は白血病になり、何が原因なのか考えていた。
「このマンションに来てから、良いことがない」
と僕にこぼした。
僕が反対したのに、新しいマンションに目がくらんだのだ。
以前の会社の退職奨励金を使って、池袋にできたばかりのマンションを買った。
購入の目的は賃貸収入として、
将来は母の住居にする予定だった。
住居を変えると運も変わるという。
変わったおかげで、僕も自宅マンション付近で一生残る目撃をしてしまった。
反対しても、妻が意見をきかないのはお互い様だ。
きかないのは、僕の方が多かっただろう。
妻から「人の言うことをきかない頑固者」と、
よく言われていた。
目がくらんだのは僕の方だ。
退職奨励金に目がくらんだ。
妻が猛反対したのに、会社をやめてしまったのだ。
ぼくらの悲劇は退職金からかもしれない。
僕が妻を死に追い詰めた。僕が殺したんだ。
後悔が僕につきまとう。
目撃後にすぐ離婚していたらどうだったのだろうか?
いつも頭をよぎる。
妻の病気を防げただろうか?
別居していれば夫の何気ない言動によるストレスはなくなるし、
病気にならなかったかもしれない。
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妻は手紙も残さなかった。
いつだったか思い出せないが、
「私が死んだら、新しい人を見つけて再婚してね」
と、妻が入院しているベッドで言った。
僕は泣けなかった。
妻が死んだときよりも裏切られたときには号泣して、
死にたいと思うほど辛かったからだ。
母がよく言っていた。人を傷つけると、必ず報いを受ける。
映画『ファミリー・ツリー』を観て、泣いてしまった。
映画は妻が事故で植物人間になる。
夫は突然主夫になり、暴走する娘に翻弄されていると、
娘は「ママは不倫していた」と言うのだ。
不倫すると必ず罰を受ける。
妻の遺言で生命維持装置を外すときの、夫の別れの言葉、
「さよなら 僕の妻 僕の苦しみ 僕の友」
僕には痛いほどわかる。
墓は埼玉の森林公園駅から無料送迎バスの出ている
千代田メモリアルランドに建立していた。
最初に墓に入るのが妻とは想像できなかった。
戒名は「釋尼響流」。まさに響き流れる女性だった。
母がなにを思ったか、福岡の菩提寺にある父とミユキも、
千代田メモリアルランドの墓に入れてくれと言い出した。
妻の葬式が終わると、僕は福岡へ行った。
福岡市に改葬許可申請書を出して改葬許可をえて、
遺骨の移動を行った。
菩提寺萬行寺は、地下鉄の祇園駅で下車する。
黒田の殿様から忠義であると名を授かった。
初代からの墓が全部ある。
先祖は豊臣秀吉の家来で、黒田官兵衛に従い福岡にきた。
家紋に男紋と女紋があるのを知ったのは中学のときだった。
母と僕は、墓守が墓を開けるのを見守った。
墓内に八つの骨壷があり、父とミユキの骨壷を取り出した。
妻が泣いたのを思い出した。
父が死んで納骨のときに、
母が妻にミユキの骨壷を見せたからだ。
ひざまずいて泣き崩れた妻の光景は忘れられない。
ミユキの骨壷だけは小さかった。
母が中を開けた。骨壷には水がたまっていた。
納骨して二十年になろうとしていた。
骨壷の中には水が入るらしい。
母はミユキの骨壷の水を見て言った。
「この水は尊いのよ」
母は水を手や頬に付けて、僕の手にも付けてくれた。
濁りのない清らかな水だった。
母が言った。「私の骨壷は父さんの隣に置いてね、
そのあとミユキだよ」
飛行機に骨壷を二つ持ち込んで機乗した。
初めてだった。
妻の納骨の日が来た。
妻と父とミユキの骨壷を、長女と運んだ。
「長女(長女)はミユキの生まれ変わりだよね」と、
僕は母にたずねた。
「そうだよ」
「ならば、赤い女の子は誰?」
以前に話した妻が入院したときに幽霊が出る、
赤い服の女の子が自分を深い海に引きずり込むと言った件だ。
ミユキとは流産した、最初の女の子で、
出てきた赤い服の女の子はミユキじゃない、
別だと思ったのだ。
「それも、ミユキたい」と母は言った。
「ミユキは一人じゃないの?」
「霊界では数で数えんとよ、ミユキは流産で死んだから、
霊界では一番いい特等席に座っとるよ」
流産してこの世に出ない霊は、霊界ではひとつの勲章になるのだろうか?
僕はたずねた。「年齢にすると、計算が合わないよ」
「霊界に年齢なんてなか。赤い子は、お迎えに来たとよ」
「不思議な世界なんだね」と、僕は母の言葉に、なぜか納得してしまった。
「二人の孫は元気しとるね?」と、母がたずねた。
「長女は二十三歳、次女は二十歳になったよ。
仲良く寝てるか、ゲームしている」
僕は六畳の部屋に引っ込み、二人はリビングと別の六畳を占有していた。
「二人産んで、正解たい。
あん人(妻)、どんげしても二人目を産む、
無事に産まれたら、命をかけて産んだと言っとった」
「ああ正解だね。
僕が死んだ後も、二人で助け合って生きてほしい。
しかし、子供のために長生きしてほしかったよ。
娘達が不憫で」
「女の子には父親より母親が一番大事やからね。
本当に二人はむぞうに(かわいそうに)」
母は続けて言った。
「孫二人は、むぞか(かわいそう)けど、
助け合って生きていくとたい。
あなたが心配たい。私があなたと暮らしたんが十七年。
あの人(妻)は十九年もあなたと暮らしとっとよ。
あなたの一番の理解者を亡くして残念たい。
あの人は派手で、贅沢で、あなただから養えたとよ。
でも、あんな品のよか女性と、結婚して良い夢を見たと思うしか、なかね」
僕は悲しくなる。娘らの後姿だ。
見るたびに申し訳ないと思ってしまう。
目撃の後に妻とすぐ離婚して、
妻を開放すれば、良かったのだろうか。
初めて体験した妻の不倫に錯乱してしまった。
僕の愚かな行動で、妻を死なせてしまった。
不倫されて錯乱するのは、風邪をひいたようなものなのだ。
経験して免疫ができた。
免疫ができて、不倫されても微動もしない自分がいる。
つまり妻の不倫を目撃しても、
妻を責めずに、妻と普通に生活ができる。
愚かだった僕を反省させるために、
僕は生かされているのだろうか。




