映画館がなくなる日
映画館がなくなる日
いつからだろうか、街の風景から映画館の看板が消えることに、どこか慣れてしまったのは。
かつて、週末の賑わいの象徴だったはずの映画館が、一つ、また一つとシャッターを下ろしていく。この「映画館の閉鎖」という現象は、単なる施設の終焉ではなく、私たち日本人の文化的な行動様式を映し出す鏡のように感じられます。
私たちは、いつしか**「話題性」**という名のフィルターを通してでなければ、映画館に足を運ばなくなってしまいました。テレビやSNSで熱狂的に紹介され、「これは見逃せない」「皆が見ているから」という強い後押しがなければ、チケットを買う指が止まってしまう。
数字が語る二極化と未来への懸念
私たちが漠然と感じる「映画館の減少」は、数字で見るとより複雑な実態を伴います。大規模なシネマコンプレックス(シネコン)の新規開業によって、総スクリーン数は維持されていますが、問題は「どこで映画を見るか」という選択肢が減っていることです。
データによると、2014年から2023年の10年間で、昔ながらの単館やミニシアターなどの「シネコン以外の映画館」が、純粋に34館、53スクリーン減少しました。
これは、新しいシネコンの増加とは対照的に、映画をデジタル上映するのに必要な高額な設備投資に、体力のない小規模な映画館が耐えられず、淘汰された結果です。つまり、大型シネコンは生き残る一方で、個性や多様性を提供していた小さな映画館が、この10年で次々と姿を消したのです。
この流れは、単なるビジネスの変遷では済まされない、文化的な喪失を予感させます。
私たちは、かつて子供たちの笑顔を集めた**「紙芝居」が街から消えた**のと同じように、この文化の灯火を失いつつあるのではないでしょうか。このままでは、あと10年後には、私たちの身近な場所から映画館という存在は壊滅し、単なる巨大エンターテイメント施設の一角でしかその姿を見られなくなるだろうという、暗い予感を抱かざるを得ません。
映画館が果たすべき役割
映画館とは、本来、偶然の出会いの場だったはずです。誰も知らない、しかしあなたの人生を揺さぶるかもしれない一本と出会う場所。暗闇の中で、見知らぬ人々と一つの物語を共有し、非日常の体験を通して日常を見つめ直す、言わば「心の避難所」のような場所です。
映画館が減るということは、私たちが「話題」という大きな声にしか耳を傾けなくなり、静かな感動や、個人的な発見の機会を失っている、ということではないでしょうか。
この流れを止めるのは容易ではありません。しかし、もしあなたが「何か面白いものはないかな」と漠然と感じたなら、試しにスマホを閉じ、近所—もし残っていれば—の映画館の、誰も注目していない上映スケジュールを覗いてみてはどうでしょうか。
ひっそりとした劇場の暗闇で、あなただけのために灯されたスクリーンは、きっと、私たちに必要な「静かな感動」を届けてくれるはずです。そして、その一本のチケットが、明日も明後日も、この国でスクリーンに光を灯し続けるための、小さな、しかし確かな力になるのですから。




