最後から二番目の恋の脚本家〜なぜ脚本家に?
岡田惠和さんが脚本家になった経緯は、非常にユニークで人間味あふれるものです。
### 音楽業界からスタート
岡田惠和さんは、もともとは**音楽業界で働いていました**。レコード会社で**ディレクターや宣伝マン**をしていた時期があり、例えばユーミン(松任谷由実)やチューリップのプロモーションにも関わっていたそうです。
その一方で、彼自身も音楽に強い愛情を持ち、**作詞も手がける**ようになります。しかし、音楽業界での仕事に限界を感じ、次第に**物語を“書く”ことへの関心が強くなっていきます**。
### 転機となったのはシナリオ講座
岡田さんは会社勤めのかたわら、**シナリオ・センター**という脚本学校に通い始めます。ここでの学びが、彼の脚本家人生の出発点となりました。
卒業後、すぐに脚本の世界に飛び込んだわけではなく、しばらくは音楽業界の仕事と並行しながら脚本を書いていました。**地道にコンクールに応募し、書き続ける中で、少しずつチャンスを得ていきます**。
### デビュー作とブレイクのきっかけ
1989年、TBSドラマ『中学生日記』の脚本を担当し、これがテレビ脚本家としてのスタートになります。そして1996年の\*\*『イグアナの娘』**(テレビ朝日)で評価を集め、2001年の**『ちゅらさん』\*\*(NHK連続テレビ小説)で脚本家として大ブレイクします。
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岡田さん自身は、脚本家という職業について「**人の気持ちを大事にする仕事**」と語っています。彼の作品に流れる優しさや切なさ、登場人物の小さな感情に寄り添う姿勢は、音楽に触れた経験や、人としての実感から来ているのかもしれません。




