ゴッドファーザー 監督とプロデューサーの葛藤
撮影現場には、常に緊張が漂っていた。監督のフランシス・フォード・コッポラは、芸術家としての理想を最後まで貫こうとする男だった。対するロバート・エヴァンスは、一本の映画をスタジオの“作品”として世に出す責任を背負う男だった。二人はしばしば衝突した。
「フランシス、このシーンは長すぎる。観客は飽きる」
「いや、ロバート。間を詰めたら、この家族の“呼吸”が伝わらなくなる。観客は静けさの中にある緊張を感じ取るんだ」
会議室に響く声は、互いの信念の重さをぶつけ合う音でもあった。コッポラは作家としての“完全な表現”を求め、エヴァンスは映画を“観客に届く形”へと導こうとした。
ある夜、編集室で二人は深夜まで議論を続けた。カットを短くすればテンポは良くなる。しかし、その刹那の沈黙にこそ、父と子の断絶が刻まれている。コッポラは机を叩き、声を荒らげた。
「君は観客のことばかり考えている! 芸術は観客に迎合すべきじゃない!」
エヴァンスは静かにタバコに火をつけ、吐き出された煙の向こうで言い返した。
「迎合じゃない。観客を信じるんだ。誰もが共感できる物語にしなければ、どんな芸術も埋もれてしまう」
その夜、結論は出なかった。だが二人の激しい葛藤は、やがて作品に刻まれていった。コッポラの粘り強さが映画に深みを与え、エヴァンスの冷徹な勘が作品を観客に開かせた。互いに譲らず、互いに必要とされる存在だった。
完成したフィルムを前に、コッポラは小さく呟いた。
「妥協したつもりはない……でも、この形だからこそ映画になったのかもしれない」
エヴァンスは笑みを浮かべた。
「それでいい。俺たちは同じ映画を違う角度から見ていただけさ」
対立と調和。そのせめぎ合いが、『ゴッドファーザー』という神話を生んだのだった。




