告白 休業命令
56歳のときだった。会社から突然、休業を言い渡された。営業成績が悪くなったことが理由だったが、それは単に自分の力不足というより、時代の空気そのものが変わってしまったような感覚だった。
あのころ、政権の座にいたのは“鳩ポッポ”だった。彼の登場とともに、業界は急激に冷え込んだ。特に半導体やソフトウェア分野は顕著で、案件は次々と韓国へ流れていった。まるで日本を取り巻く産業の血流が、見えない力で東へ吸い寄せられているようだった。
追い打ちをかけたのが、二次派遣の禁止政策だった。それまで私は、技術者を大手ソフト会社に紹介するビジネスで実績を築いてきた。組織にとっても、私は数字を支える柱のひとつだったはずだ。だが、その制度変更によって、積み上げてきた売上は一夜にしてゼロになった。
正直、悔しかった。
「鳩ポッポにやられた」——当時の自分の口から出たその言葉に、今でも苦味が残っている。
さらに、あの人物の“ある姿”が印象に焼きついて離れない。韓国・西大門刑務所跡地の慰霊碑の前で、彼は両ひざをつき、深く頭を垂れた。現地の礼儀作法に則った行為とはいえ、日本人から見れば、あれはまさしく土下座だった。
なぜ、あそこまでして韓国に対して頭を下げるのだろう。
他の国で同じような行為をした記録はなく、まるで韓国にだけ特別な献身があるかのようにも見える。
あの男は一体、何者だったのか。
理念に忠実な外交家だったのか、あるいは別の意図があったのか——。
少なくとも、私の人生に与えた影響は決して小さくない。時代の流れに翻弄されることの不条理を、この年齢になってまざまざと実感することになるとは思ってもみなかった。