ミア・ファローの魅力
ミア・ファローの私生活には、表舞台の華やかさとはまったく異なる深い魅力がある。教養に裏打ちされた品格、芯の強さ、そして何よりも母としての尽きぬ愛情が、彼女の生き方をかたちづくっていた。
1945年、ロサンゼルスに生まれたミアは、父に映画監督ジョン・ファロー、母に女優モーリン・オサリヴァンという芸能一家に育つ。しかし、その環境は決して享楽的なものではなく、厳格なカトリック教育のもと、伝統的な価値観と教養を身につけていった。文学や外国語への深い理解は、女優としての感性にも滲み出ており、現場でも知性ある女性として尊敬されていた。
六〇年代後半、ベリーショートの髪型に代表される彼女のスタイルは、瞬く間に時代の象徴となった。あの髪型はファッションデザイナーの発案ではなく、私的な動機から生まれている。ミアは当時の夫フランク・シナトラへの愛情表現として、自ら髪を切った。それが後に『ローズマリーの赤ちゃん』の強烈なビジュアルに結びつき、ファッションアイコンとしての地位を確立した。彼女は流行に媚びることなく、自分自身をまっすぐに表現することの美しさを、世界に示した。
しかし、ミアの真の魅力は、母としての姿にこそある。彼女は実子を含め十四人の子どもたちを育てた。その多くは障害を抱え、あるいは戦火や貧困の地から迎え入れられた養子だった。ミアは女優としての活動を控え、育児と看護に献身する生活を選ぶ。華やかな映画の世界を離れ、自宅で子どもたちと過ごす時間を最優先にした姿は、多くの人々に深い感動を与えた。あるインタビューで、彼女は「この子たちは私を選んでくれた。だから私はすべてを投げ出してでも、この家族を守る」と語っている。その言葉の重みは、彼女の生き方そのものである。
一九九〇年代初頭、ウッディ・アレンとの間に起きた養女スキャンダルは、彼女の人生に大きな影を落とした。しかしミアは、声を荒げたり、報道の場で争うことをせず、沈黙のうちに裁判に向き合った。私的な痛みを晒すことなく、あくまでも子どもたちのために毅然と立ち続けた姿は、多くの支持と共感を集めた。その静けさのなかにある強さが、ミア・ファローという女性の核である。
近年のミアは、ユニセフ親善大使として、アフリカ・ダルフールをはじめとする紛争地の支援活動に尽力している。彼女は名声を自らのために使うのではなく、声なき人々の代弁者として行動している。赤絨毯よりも砂埃の舞う難民キャンプを選び、賞賛ではなく信頼を求めるその姿勢には、深い敬意を抱かずにいられない。
ミア・ファローの私生活は、ひとことで言えば「誠実な愛と責任の連続」である。スクリーンの中の“ローズマリー”は受け身の女性に見えるかもしれないが、現実のミアは、その何倍も勇敢で、自立し、思慮深い女性だった。