ロバート・エヴァンスの「ゴッドファーザー」プロデュースにおける第一章
第一章 ゴミの山に埋もれていた“神話”
1968年、パラマウント・ピクチャーズは沈みかけた船だった。赤字、迷走、売却寸前。ビジネス誌では「スタジオは死んだ」という見出しが躍り、業界人は「もうパラマウントで勝負はできない」と語っていた。
そんななか、スタジオの再建を託されたのが、ロバート・エヴァンスだった。彼は若干30代半ばで製作部門の責任者に抜擢されたが、業界では「ただのプレイボーイ」と揶揄されていた。俳優崩れで、成功体験も乏しい。けれど彼には、誰よりも鋭い“嗅覚”があった。
ある日、彼のデスクに届いたのは、マリオ・プーヅォという無名に近い作家の原稿だった。タイトルは『ゴッドファーザー』。全編を通して、マフィアたちが血を流し、抗争し、裏社会で生きる話が綴られていた。
スタジオの多くはその原稿を読み、「これはただの暴力とクリシェの寄せ集めだ」と冷笑した。ある幹部は「映画にする価値はない。書店のペーパーバックで終わる」と吐き捨てた。
だがエヴァンスはページを繰りながら、そこに違うものを見た。組織の掟、家族への忠誠、移民の苦悩、父から子へと受け継がれる“名誉”と“力”――それはマフィアの物語ではなく、アメリカそのものの物語だった。
「これはサルトルじゃない。だがシェイクスピアがいる」
エヴァンスは即断で映画化権を買い取る。当時の契約金はわずか1万2千500ドル。その数か月後、小説『ゴッドファーザー』は全米で爆発的に売れ、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストで67週にわたりトップを維持することになる。
小説がベストセラーになるにつれ、パラマウントの内部でも評価が変わってきた。だが、その時点で多くの者が誤解していた。彼らは『ゴッドファーザー』を“犯罪映画”として見ていた。血と裏切りと拳銃のバレル。それは確かにあった。だが、エヴァンスが見ていたのは別の景色だった。
「これは、父と息子の物語なんだ。アメリカに生きるすべての家族に通じる話だ。舞台がマフィアなだけで、本質は父が息子をどう育て、息子が父をどう超えるかという、永遠のテーマだよ」
エヴァンスは制作会議の席でこう語った。まわりは半信半疑だったが、彼の目は確かに見据えていた。映画は小説のように売れるだろう。いや、それ以上に、映画は**文化そのものになる**。
彼はすでに“家族の神話”として『ゴッドファーザー』を描く準備を始めていた。